もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

♬バッテンボー♬

2016年06月11日 | 映画

 皆さんの中でバッテンボーてわかる人、手を挙げてみてくださ~い。
 
 そうだよね、いまどきバッテンボーを知っている人って、もう死に絶えてしまったか、あるいは健在でも、その年代の人でパソコン、スマホを使っている人ってあまりいないもンね。
*この人物はバッテンボーではなく、グレンミラーです。

 あ、手の上がった人・・・大橋さん、伊東さん、黒瀬さん、ゴンちゃんに山谷さん・・・ 
 あれ、JUN子さん、あなたの年齢ではバッテンボーは知らないでしょう?
 麻雀の話ではないよ。

 ほら、やっぱりそうだった。

 ほかにも私が存じ上げない方も数人手を挙げていただいていますが・・・。

 えっ!お前の方からは手を挙げているこちらの姿が見えるのかって・・・? 

 いえいえ、冗談です。
 ただ当てずっぽうに言ってみただけですよ。

 ところで、昨日からやっと8月の展覧会に集中できる状態が整い、YouTubeで音楽を流しながら制作をしていて、これまでは主にグレンミラーなどのスイングジャズをBGMとしていたが、少し目先(耳先というべきか?)をかえてみようと、昭和時代の西部劇からカントリーウエスタンを探している中に見つけたのが今回のタイトルにしたバッテンボーである。

 このバッテンボーが流行ったのは1948年というから、私がまだ小学生のころで、もちろんテレビなどというものはこの世に存在しなくて、真空管のラジオで聴いたものだ。

 バッテンボーを英語で書くとButtens&Bows(ボタンとリボン)なのだが、その歯切れの良さと軽妙なリズムが心地よく、日本中の大人から子どもまで、ついバッテンボーを口ずさんでいた。
https://www.youtube.com/watch?v=bh2jdcskpEQ

 

 そして、バッテンボーはボブホープとジェーンラッセルの「腰抜け二丁拳銃」という喜劇ウエスタンの主題歌にもなっていた。

 
、白黒の映画が主体だった当時は、カラー映画はそう称されていた。

 *大きな酒樽に身を潜めてインディアンと戦うボブホープ

 この腰抜け二丁拳銃もYouTubeで検索をしてみたら、フルストーリーは見つからなかったが、予告編程度の動画が見られた。

 この映画も父親と一緒に観に行った記憶があり、 上の酒樽の中の場面など70年ほど前の記憶はまるで昨日観た映画のように覚えていたが、明日の予定も3日前の出来事も現在のこととなるとまるで頭に入らない。
 *銃の密売犯を追う、ジェーンラッセルガ演じるカラミティージェーン。
 目のあたりはケネディー駐日大使にちょっと似ているかも・・・。 

・・・と、今日もまた「まだ生きてる証拠的」 しょうもない話で失礼をします。

 ところで展覧会に向けては、現在「お弁当シリーズ」を作っています。
  


歳のせいか?

2015年03月25日 | 映画

 足立区の住民支援センター鹿浜いきいき館というところでおとなの人を対象にした工作教室をしてきた。
 予定では今日はその記事をブログで書こうと思っていたが、何としたことか その教室の写真を撮ってくるのをすっかり忘れていた。
*写真は本文とは関係のないカット写真ですが、あえて言えば、耕作➞こうさく➞工作の写真です。

 カメラを忘れて行ったのではなく、2時間半もの間写真を撮ることをすっかり忘れていたのは歳のせいとしか言いようがない。

 ブログだのフェースブックだのは、写真のない文章だけでは面白くない。
 それでなくても最近は歳のせいか、文章が簡潔にまとめられなくなってきているから、写真でごまかさねば読んでもらえなくなってきている。 

 そんなわけで、鹿浜いきいき館での件は割愛して、今回は予定を変更して別の話にしよう。

 私が中学生の頃に二十四の瞳という原作・坪井栄の小説が映画化(監督・木下恵介)され、学校から観に行った記憶がある。
 
 昨夜、you tubeを検索していたらこの映画がヒットした。

 次の工作教室の準備はこの懐かしい映画を観ながらすることにした。
 高峰秀子主演の二十四の瞳は、大石先生と子どもたちが歌う七つの子浜辺の歌などの童謡、唱歌が全編を通して、時には子どもたちのコーラスとして、時にはBGMとして画面の裏で随所にそしてふんだんに流れ郷愁を誘う。

 30人分のはやぶさ・2を作る次の工作教室ための準備はかなり時間がかかる。
 
 二十四の瞳の画面を見ながら、時には音声だけを聞きながらの作業だったが、私の目頭が熱くなってくる。
 
 人の生き死にに関わる悲しいストーリーではなく、人と人の心の交わりだが、こういう心の温まる話につい涙腺の緩むのも歳のせいなのだろう。
  
 昭和29年(1954)に観たはずのこの映画を60年後に再び観てみると、当時は気がつかなかったことがいっぱいある。

 当時は私自身が子どもだったこともあって、気がつかなくても当然のことだったが、タイトルのあと、普通の映画では最初に表示されるのは主演の俳優、脇役の俳優と順に名前が現れるが、この映画では無名の12人の子役たちの名が最初に表示されていた。

 そして若かった頃の田村高広、月丘夢路などが出演していたことも今回初めて気がついた。

 歳をとるということは、忘れることもあるがあらためて思い起こすこともあり、さらに歳を重ねることで初めて理解できることもあり、交霊・・・ではなく高齢あなどるなかれである。

 いやいや、2時間半の長編作の二十四の瞳はただ懐かしいだけではなく、映画の言わんとすることとは関係なく、いろいろと考えさせてもらったうえに、工作教室の準備もはかどった。

 この次は安井昌二のビルマの竪琴おーい水島、一緒に日本に帰ろうのセリフに酔いしれたいがyou tubeで見つかるかなぁ?
 


鞍馬天狗

2014年01月27日 | 映画

 今の工作オジサン(工作員ではない)になる前、イラストレーションを描いていたころ、資料としていろいろな本を買いためていたが締め切りに追われていてそれを熟読している時間はなく、必要な部分だけ斜め読みをして、老後にゆっくり目を通そうと思って仕舞いこんだまま忘れてしまっていた本がいろいろある。Img_3722
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嵐寛の世界」(池田書店・1977年刊)
鞍馬天狗・角兵衛獅子」(朝日新聞社・1981年刊)もそんな中の本で、まずいときにこの2冊が出てきてしまった。Photo


*展示用とイベント見本などを作るために机の上と同じように私の頭の中も混乱中。

 まずいときというのは、2月1日・親子工作教室、2月6日・おとなの工作教室、9日・小規模ながら作品展示の準備のほかに代理店から夏のイベント売り込み用の作品見本が欲しいと頼まれるなど、この時期にしては珍しく多忙な日々を過ごしている。

 出てきてしまった本を見ていると、小学生だった頃のヒーローだったアラカン(嵐寛寿郎)が見たいという衝動に駆られもう仕事どころではなくなった。

 そんなIT音痴の私にホームページを作ってくれた友達が、YouTubeで鞍馬天狗が見られるよと以前に教えてくれたことを思い出し、検索してみると・・・鞍馬天狗・角兵衛獅子がヒットした。

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 ここで鞍馬天狗を見ている時間はないから少しだけ・・・と思いつつも、美空ひばりの杉作、月形龍之介の近藤勇が次々と出てくると小学校6年生の頃に見た記憶がよみがえり、90分の映画をついつい最後まで見てしまった。Img_3720




 YouTubeでは鞍馬天狗シリーズの他に、やはり嵐寛寿郎の右門捕物帳シリーズも見られるのかな?    困った。
 いや困ったではなくて嬉しい、しかし今は見ていられない。
 この多忙期が終ったらYouTubeで嵐寛寿郎をさがして見よう。

 老後の楽しみがまたひとつ増えた。
 


脱走山脈

2013年02月26日 | 映画

 もう40年以上も前に、「脱走山脈」という一人の兵士が象を連れて雪のアルプスを越えるという映画があった。
Photo

 といっても私はその映画を見たのではなく、何か別の映画を見たとき、次週上映の予告編として見ただけだったのだが、記憶の隅にその情景が残っていたとみえて、この雪山の情景をみたときその記憶が蘇ってきた。

 一見ピレネー山脈かアルプスかと思うが、これは私が毎日畑から見ている風景で、丹沢山塊の東端の相州大山(おおやま)の雪景色で、毎年冬の大山を見るたびに兵士が象を連れて雪山を越える場面を思い出していたが、それが何の映画だったのか判らず、ずっと気になっていた。

 今年もこの雪の大山をながめて同じ思いに駆られていたが、試みに「象を連れて山脈を超える」で検索をかけて見たら、何とこの脱走山脈がヒットした。
 さらにYouTuveでその映画の予告編まで見ることが出来た。

 まさかそんな古い映画までたどり着くことが出来たとは・・・。
 PC君の頭の良さにあらためて感服!!!

 ところで、冒頭の写真のトリミング前の写真は・・・。
こんな写真で、とてもアルプスには見えないが、私の頭の中では下の方の半分はPhoto_2カットされた状態でしか認識していなかったのです。


今日はいつもの私ではなく・・・

2012年11月28日 | 映画

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 昨夜海老名市文化会館で行われた映画「めぐみー引き裂かれた家族の30年」上映会に行ってきた。

 当初は同会館の小ホールで上映予定だったが、希望者が多く、急遽大ホールでの上映会となった。
 ホールでのめぐみさんの写真展、上映風景などの写真も撮ったが、それらの写真は上の一枚のブルーリボンが語りかけるほどの写真ではなかった。

 映画はめぐみさんのなぞの失踪はやがて日本海側で何組かのアベック行方不明事件から、拉致事件とのつながりの発展し、北朝鮮による拉致の全貌が見えてくる。

 この映画は拉致事件を語りながらも、めぐみさんの足跡をたどりながら他の拉致被害者たちの家族にも触れ、息子の名を叫びながら病没する母親の切なさ、仏壇の亡き妻に東京に息子を迎えに行くことを報告する父親などなどの家族のかっとうと絆のエピソードにも触れ不覚にも涙腺がゆるむ。

 いやいやここで私がヘタな感想などを述べるつもりは毛頭ない。

 私がここで言いたいのは、もしあなたの町でこの映画の上映会が催されたときには、是非ご覧になっていただきたい。
 出来ればあなたの家族と一緒に・・・・。

 2時間20分という長いドキュメント映画の最後に2分を越える長い長いエンディングロードで初めてこの映画が日本人によって作られたものではなく、プロデューサーも監督夫妻もアメリカ人であったことに気がつかされた。

 監督は映画の最後で、この映画は(自分の)両親に捧げると述べている。
 自分もめぐみのように家族に支えられてきたことの感謝を表しているのであろう。

 最後に「めぐみ上映会」の公式サイトのURLを記しておきます。
http://megumi.gaga.ne.jp/introduction.html