もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

年賀状考

2014年12月31日 | アート・文化

 
 小学校で芋版を習い、中学生になって木版画、大人になってからは謄写版シルクスクリーン印刷、フェルト版、プリントごっこなどなど、その時代時代でいろいろな版画の年賀状を楽しんできたが、世の中が全部同じ方向を向いたしまうと、中二病で他人と同じことが嫌いという性格だったから、プリントごっこ一辺倒になったころからまた木版画に戻った。

 以来、その年の干支でも縁起物でもなく、また名所旧跡でもない、ことさら年賀状的な絵柄でもない自分の住んでいる町の風景を木版画にするだけで、年賀状らしく見えることの面白さを知り、世田谷時代の20年くらいと海老名に転居してからの20数年は年末には木版画を彫ることが私の歳時記の一コマになってきた。

 一年に一度しか彫らない木版だから、彫刻刀も高価なものではなく、小学校の校門の前の文具店で売っている子ども用のものだ。
 そんな年賀状だが、今となっては木版画の年賀状を出す人は少数派・・・というより限界集落、あるいは絶滅品種的な珍しさもあってか、年末に届く喪中欠礼の挨拶ハガキの端に「当方からは出しませんが、もーさんの年賀状は集めていますのでください」と添え書きされたものがしばしば届く。

 前にも書いたように、これまでは近所の景色ばかりだったが、今日になってギリギリでやっと年内に投函できた来年の年賀状の題材は、はじめて近所の風景から離れ、12月7日に富山県こどもみらい館に招かれたおりの上越新幹線の車窓からの雪山の風景を彫ったものです。
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新大久保

2014年12月25日 | 食・レシピ

  このところ、12月20日東京駅での100周年記念のSuicaの販売トラブルで東京駅だけがやたらと目立っていた。

 しかし、上の写真は山手線の新宿の隣、新大久保駅だが、この写真をアップにして見てもらうと、014年11月15日 新大久保駅 おかげさまで100周年オレっちの方が東京駅よりちっと早いんだぜ!とささやかに自己主張をしていた。
*日本の鉄道の開業は東京駅のできる42年前に、新橋・横浜間を陸蒸気(おかじょうき)が走ったのが最初なのだが、あの記念Suicaの騒動で、日本の鉄道が100周年かと錯覚をさせられてしまった。

 いやいや、今日はその話をしようというのではなく、新大久保へキムチの材料を買いに行っただけである。

 今期はじめて漬け込んだ白菜キムチがとても好評で、あっという間になくなってしまった。
*私が自画自賛する自家製のキムチがどれくらい旨いのかと言うと、スーパーで容器に入って売られているキムチや町の焼肉屋で出てくるキムチには絶対勝っているが、夕方の街角で手のひらに乗る程度の量のビニール袋のキムチを500円で売っているおばさんのキムチには負ける

 お正月にやって来る娘の家族にも食べさせてやりたいので、再度漬けようと思ったが唐辛子が足りない。
*タカノツメなどの日本の唐辛子ほど辛くはないが、韓国の唐辛子は味に深みがあって日本の唐辛子ではキムチは作れない。 

 さらに年明けに10人くらいのフェースブック仲間と、私の菜園で行う新春長芋掘りのお土産としても持ち帰ってもらいたい、そうなるとアミの塩辛も足りなくなりそうだから・・・と、新大久保のコリアンタウンまで買い物に出かけた。

 暮れのことでもあり、駅前も食品スーパーの中もそれなりの人出はあったが、ちょっとわき道の飲食店、コスメショップなどの通りにはかっての人並みは見られず、コリアンタウンは噂どおりの寂しい様相を呈していた。
 


焼津さかなセンター

2014年12月21日 | 旅行記

 19日は快晴の青空で、久々に各駅停車でキムチの友に会うべく東海道線の旅を楽しんできた。

 小田原までは小田急線で出て、そこから先は熱海、沼津、静岡・・・と細切れの電車を乗り継いで焼津にたどり着く。

*小田原城
 列車の窓から見える景色に煙突から立ち上る煙がまっすぐ天に向かって昇る様は無風状態を示していて、ここ数日はかなり
寒かったことを考えると今日の暖かさはありがたい。

 JR焼津の駅の改札を出ると、運よく日に何本も出ない焼津さかなセンターに行くバスが10分後に出ることが判り、予定の順序を変更して先にさかなセンターに向かうことにした。

 焼津の駅から10分ほどで着いたさかなセンターは、魚屋さんだけが80店舗も集った大型ショッピングモールで、客が迷わないように通路のコンクリートは青、赤、黄、ピンク、緑と色分けされている。
 
 そんな中で、また昔懐かしい、そしてつい先日も出会ったことのある風景に出会ってしまった。
 
*一枚目の写真は焼津さかなセンターで見た鮭、二枚目の写真は先日富山でみた鮭。
 どちらも、塩引きをして腹を太めの竹串で開いて干すのは同じだが、富山で見たのは頭を上にして吊り下げられていたが、ここでは尻尾が上でぶら下げられていた。
 うなぎの蒲焼を関東では背開きにするが、関西では腹開きにするように土地によって違いなのだろうか。

 特に目的があってきたわけではないさかなセンターだったが、中を歩き回っているうちに、家庭菜園の畑を借りている地主さん二人(菜園は2ヶ所借りている)へのお土産を買っていこう、さらに我家へも、そしてもうお正月も近いから・・・と、いっぱいの干物、数の子、佃煮などなどを買いすぎてしまったようで、昼時になったが、せっかく旨い寿司や丼物の店がいろいろある中で、節約丼にせざるを得なかった。

 *海花丼と言って、 酢めしにトッピングされた食材は他の高級丼と同じものだが、刺身、卵焼きなどもその端切れや半端もので構成されていて、味に変わりはないのだから、
お得感があるとも言えるが、ある種の侘びしさも伴う。

 さて、海花丼で腹を満たしたあとでキムチの友 電話をしてみると、そこまで迎えに行くからと、さかなセンターの駐車場の一角にある喫茶店「やまもと」で待っていてと指示された。

 「やまもと」に行ってみると、東京時代に彼が通いつめていた喫茶店の雰囲気の内装で、店内にはヘップバーン、グレイスケリー、キムノバクなどなどのポートレートが飾られていて、これも洋画通だった彼好みの喫茶店だった。

 キムチ談義はここまでの話が長くなったので省略。

 焼津駅まで彼の車で送ってもらい、帰路についた私にとってショックだったのは駅のホームの電光表示板だ。
 私が50年前に上京した頃には東海道本線には3両編成だの6両編成だのといった地方鉄道のような電車は走っていなかった。

 東京ー熱海間は通勤範囲のようで、まだ10両編成の電車が走っているが、この50年で大きく時代は変わっていたようで、それにしても3両編成とは・・・・
  

 


今年も白菜キムチ

2014年12月17日 | 食・レシピ

 夏の菜園は青枯れ病が出て、ナス、トマトが8月中旬の最盛期に全滅をしてしまったが、冬野菜の白菜は順調に育ち、今年の冬は鍋もキムチのふんだんに食べられそうだ。

 先ず1株を持ち帰り、計ってみると4kgオーバーの大物だった。 


 昨年同様にキムチを漬けるための食材を用意する。
*この写真は昨年のブログに使用したものを流用。 

 この材料と調味料を刷り下ろしたり切ったりして混ぜ合わせてキムチの具を作るところまでは変わらないが、今回は少し手抜きの漬け方を試してみることにする。
 
 正統派の白菜キムチは、一晩下漬けした白菜の葉の一枚一枚に前述の
今回はその部分を省略し、食べやすい大きさにカットをしただけの白菜に混ぜるだけ
 はたして・・・・・?
*冷蔵庫が満員なので、倉庫と化している北側の部屋に置くことにした。

 ジャーン!  旨い、これなら人にあげても喜ばれそうだ。
 実を言うと、私には竹馬の友ならぬ キムチの友というべき友がいて、このキムチが上手く出来たら、これを手土産に彼を訪ねたいと思っていた。

 寒いと体が固まって動きが鈍くなる私だが、明後日は気温も少し上がるようだから、突然にサプライズ訪問をして、久々のキムチ談義をしてこよう。

 


続・雪の富山へ

2014年12月10日 | 旅行記

 
 富山行きに際して着て行ったこのダウンのコートは、ある人から10年ほど前に戴いたものだが、Lサイズではあるが当時私の体重は90kgもあって着ることが出来ず、そのまま仕舞い込んでいたが、75kgになった今思い出して着てみたらピッタリのサイズになっていた。

 それはともかく、駅前のビジネスホテルの朝食は和食とパンのコースがあり、和食の方は握りたてでまだ暖かいおにぎりアラカルトになっていて、定番の梅、鮭のほかにとろろこぶ、五穀米などがチョイスでき、さらにマスの寿司のおにぎり(これは握りたてではないが)もあり、惣菜にはホタルイカの甘露煮もあり、ちょっぴりだが富山のイメージが盛り込まれていたが、パンのコースには白エビサンドとか、ホタルイカパンなどという富山風のパンはみられなかった。

 朝食を済ませたあとは
迎えの車に乗り、雪道を一路こどもみらい館に向かう。

 車は富山市を離れ、秀吉が陣を張ったという射水市の太閤山ランドにあるこどもみらい館に着いた。
 車のフロントガラスの先に見える赤い建物が、こどもみらい館

*こんな雪の日でも、みらい館にやって来てカプラで遊ぶ何組かの親子。

 お弁当を用意していますから・・・と言われて館長室に行くと、そこには大きなマスの寿司が用意されていた。


 
これは2~3人前もあって、とても食べきれない。
 半分はホテルに戻ってからの2泊目の夕食となった。

 さて、午後はいよいよ本題のおもちゃの講座について書かねばならないが、何とドジなことに、研修をはじめてみると、自分で言うのははばかられるがかなりの\好評で、反応のいいことに気を良くし、つい力が入ってしまい、終ってみれば研修中の写真を一枚も撮っていなかった。

 で、研修内容については、後日みらい館で撮られた写真を送ってもらい、各地出前教室で書くこととして、今日はこのまま帰りの話になります。 

 とは言っても、これといった話もないので、好天に恵まれた帰りの車窓からの景色をお楽しみいただきましょう。

 今年の年賀状の木版はこんな雪景色を彫ってみようかな・・・。