もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

おちょぼさん

2017年04月09日 | 旅行記

 3月の終わりころに息子から電話があって「おちょぼさんへ串カツを食べに行くが、一緒に行かないか」と誘ってくれた。 
    

 おちょぼさんの通称で知られる岐阜県・海津市にある千代保稲荷神社の参道の名物の串カツを、わざわざ神奈川から食べに行くというほどの物でもないが、もう10年ほど前に私が息子の家族を案内したのだが、当時はまだ孫が赤ん坊だったこともあって、孫にはその記憶も無いことから、またおりしも、その千代保稲荷神社がNHKのTVで紹介をされたということで、息子の家族がまた行ってみたい・・・ということになったようだ。
*私のところでは、テレビをやめてもう3年以上にもなるので、その放送も知らなかった が・・・。

 孫の春休み期間のウイークディということもあって、東名高速の渋滞もなく、一宮から名神高速に入り、羽島ICで一般道に出てほどなく、広い田んぼ道のなかに忽然と姿を現す大きな赤い鳥居。
  
 浅草観音の3倍ほどの長さと思われる長い参道の土産物店は、キティグッズやポケモンに毒されておらず、浅草も昔はさぞ・・・といにしえの参道の姿を忍ばせてくれる生活感のあふれる品々が並んでいる。
 野菜、果物、衣料品、漬物、民具、植木、川魚料理店、川魚の佃煮などなど・・・。   
 
 

  

その中に数件の串カツ屋があり味を競っている。
  
 ここの串カツを食べに来たのが目的とは言え、まずは商売の神様・お稲荷さんにお参り。
 ここではお賽銭ではなく、参道の店でワラに通したおあげとローソク(両方で50円)を買って供える。
   

 お参りが済んだところで、いよいよ串カツとなる。
 どの店で食べるか・・・ここではSNSの
Facebook友だちからの情報が役に立った。
 四日市の美魔女からの情報によると、最近某店ではトイレを改装して金の便器を設置したということで、せっかく神奈川からやって来た身ではこれも見て帰らないわけにはいかない。 

   

 

 で、これが話題の金の便器とその店の店内である。
  来るまでは成金趣味の・・・を想像したいたが、いやいやそうではなくて便器だけではなく、店内の装飾も格調高くまとまっていて、違和感はなかった。
               
 またこの旅行には、足腰の痛い我が女房殿はパスをしたが、前回のブログに書いた「新品同様の身体」となった私にとって、このあと名古屋市内の観光と墓参りで2泊3日のハードな試運転となった
が、帰宅後 何の筋肉痛もなく、元気にこの夏のワークショップに備えての準備に取り組めています。

 

 


焼津さかなセンター

2014年12月21日 | 旅行記

 19日は快晴の青空で、久々に各駅停車でキムチの友に会うべく東海道線の旅を楽しんできた。

 小田原までは小田急線で出て、そこから先は熱海、沼津、静岡・・・と細切れの電車を乗り継いで焼津にたどり着く。

*小田原城
 列車の窓から見える景色に煙突から立ち上る煙がまっすぐ天に向かって昇る様は無風状態を示していて、ここ数日はかなり
寒かったことを考えると今日の暖かさはありがたい。

 JR焼津の駅の改札を出ると、運よく日に何本も出ない焼津さかなセンターに行くバスが10分後に出ることが判り、予定の順序を変更して先にさかなセンターに向かうことにした。

 焼津の駅から10分ほどで着いたさかなセンターは、魚屋さんだけが80店舗も集った大型ショッピングモールで、客が迷わないように通路のコンクリートは青、赤、黄、ピンク、緑と色分けされている。
 
 そんな中で、また昔懐かしい、そしてつい先日も出会ったことのある風景に出会ってしまった。
 
*一枚目の写真は焼津さかなセンターで見た鮭、二枚目の写真は先日富山でみた鮭。
 どちらも、塩引きをして腹を太めの竹串で開いて干すのは同じだが、富山で見たのは頭を上にして吊り下げられていたが、ここでは尻尾が上でぶら下げられていた。
 うなぎの蒲焼を関東では背開きにするが、関西では腹開きにするように土地によって違いなのだろうか。

 特に目的があってきたわけではないさかなセンターだったが、中を歩き回っているうちに、家庭菜園の畑を借りている地主さん二人(菜園は2ヶ所借りている)へのお土産を買っていこう、さらに我家へも、そしてもうお正月も近いから・・・と、いっぱいの干物、数の子、佃煮などなどを買いすぎてしまったようで、昼時になったが、せっかく旨い寿司や丼物の店がいろいろある中で、節約丼にせざるを得なかった。

 *海花丼と言って、 酢めしにトッピングされた食材は他の高級丼と同じものだが、刺身、卵焼きなどもその端切れや半端もので構成されていて、味に変わりはないのだから、
お得感があるとも言えるが、ある種の侘びしさも伴う。

 さて、海花丼で腹を満たしたあとでキムチの友 電話をしてみると、そこまで迎えに行くからと、さかなセンターの駐車場の一角にある喫茶店「やまもと」で待っていてと指示された。

 「やまもと」に行ってみると、東京時代に彼が通いつめていた喫茶店の雰囲気の内装で、店内にはヘップバーン、グレイスケリー、キムノバクなどなどのポートレートが飾られていて、これも洋画通だった彼好みの喫茶店だった。

 キムチ談義はここまでの話が長くなったので省略。

 焼津駅まで彼の車で送ってもらい、帰路についた私にとってショックだったのは駅のホームの電光表示板だ。
 私が50年前に上京した頃には東海道本線には3両編成だの6両編成だのといった地方鉄道のような電車は走っていなかった。

 東京ー熱海間は通勤範囲のようで、まだ10両編成の電車が走っているが、この50年で大きく時代は変わっていたようで、それにしても3両編成とは・・・・
  

 


続・雪の富山へ

2014年12月10日 | 旅行記

 
 富山行きに際して着て行ったこのダウンのコートは、ある人から10年ほど前に戴いたものだが、Lサイズではあるが当時私の体重は90kgもあって着ることが出来ず、そのまま仕舞い込んでいたが、75kgになった今思い出して着てみたらピッタリのサイズになっていた。

 それはともかく、駅前のビジネスホテルの朝食は和食とパンのコースがあり、和食の方は握りたてでまだ暖かいおにぎりアラカルトになっていて、定番の梅、鮭のほかにとろろこぶ、五穀米などがチョイスでき、さらにマスの寿司のおにぎり(これは握りたてではないが)もあり、惣菜にはホタルイカの甘露煮もあり、ちょっぴりだが富山のイメージが盛り込まれていたが、パンのコースには白エビサンドとか、ホタルイカパンなどという富山風のパンはみられなかった。

 朝食を済ませたあとは
迎えの車に乗り、雪道を一路こどもみらい館に向かう。

 車は富山市を離れ、秀吉が陣を張ったという射水市の太閤山ランドにあるこどもみらい館に着いた。
 車のフロントガラスの先に見える赤い建物が、こどもみらい館

*こんな雪の日でも、みらい館にやって来てカプラで遊ぶ何組かの親子。

 お弁当を用意していますから・・・と言われて館長室に行くと、そこには大きなマスの寿司が用意されていた。


 
これは2~3人前もあって、とても食べきれない。
 半分はホテルに戻ってからの2泊目の夕食となった。

 さて、午後はいよいよ本題のおもちゃの講座について書かねばならないが、何とドジなことに、研修をはじめてみると、自分で言うのははばかられるがかなりの\好評で、反応のいいことに気を良くし、つい力が入ってしまい、終ってみれば研修中の写真を一枚も撮っていなかった。

 で、研修内容については、後日みらい館で撮られた写真を送ってもらい、各地出前教室で書くこととして、今日はこのまま帰りの話になります。 

 とは言っても、これといった話もないので、好天に恵まれた帰りの車窓からの景色をお楽しみいただきましょう。

 今年の年賀状の木版はこんな雪景色を彫ってみようかな・・・。
 


 


名古屋とんぼ返り

2013年08月04日 | 旅行記

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 展覧会の作品作りと諸々の準備に終われる中を、可愛い姪っ子の結婚式があって名古屋まで出かけてきた。

 このところ名古屋へは妹と姉の葬式が続き、毎度葬式ばかりで名古屋に来るのはイヤだから、この次は結婚式で来たい・・・と姪に伝えておいたら待望の結婚式に招いてくれた。

 あいにく、前述のような事情の中だったので、ゆっくりは出来ずとんぼ返り状態だったが今回はとても嬉しい名古屋行きだった。

 そんな慌しい中だったが、今度の展覧会には「これっくらいの お弁当箱にと題する新作を発表することにしていて、転んでも只ではおきない精神で名古屋の味噌カツ定食を食べてその写真を撮り、新幹線ホームで味噌カツ弁当を買って帰って来た。Photo_2
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 何とかこれらの作品の製作も間に合わせて出品をしたいが・・・何しろ時間が・・・。


40年目の食飲(しょくいん)会議

2011年03月15日 | 旅行記

 話は1月14日にアップした「水仙ロード」の続きになるが、40年前の東京にあったデザイン学校の教職員・事務職員だった仲間に声をかけ7人が集まり、2月26・27日と一泊で再び鋸南町(きょなんまち)へ今度は河津桜を見に行くこととなった。

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 40年前のデザイン学校では、週末には夜間部の授業が終ると「男100円、女50円、教員200円」と声をかける学生がいて、集まった金で近所の酒屋でサントリーレッドと乾き物のつまみを買ってきて、1時間くらい学校のロビーで酒を飲んで
議論を交わすという変な学校だった。

 そんなわけで、酒が飲めなくては勤まらない学校だったから、教員たちには呑ンべえが多かった。

*私は今ではほとんど酒を飲まないが、当時は少しは飲めた。

 あれから40年、まだ飲める体力が残っているかどうか疑問だったから、今回の花見は「自分で飲む酒を各自で持ってくる」ということにしたが、一升瓶、ワイン、缶ビールとさまざまな酒を抱えてやって来た。
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 *食飲会議には食べきれないくらいの保田の漁協から直行の新鮮な刺身と、さらにこのテーブルに乗りきらない猪肉のバーベキューが用意されていた

 夕方から鋸南の「竹灯篭まつり」が始まるが、その前にちょっとだけ身体を温めようと思って始めた食飲会議はつい「竹灯篭まつり」のことをすっかり忘れさせてしまっていた。

 一夜限りのまつりは、朝の散歩に出かけた午前9時にはすっかり片付けられていて、軽トラックに積み込まれた見事な竹灯篭残骸を見るだけだった。
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 あとのまつりとはこのことだ・・・。

一同反省!