もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

工事現場?

2007年02月18日 | 家庭菜園
W_17●昨年までより一回り大きくして、深さと奥行き各90cm、巾4メートルの木わくでは約50本の長芋が栽培出来る。

「畑だか工事現場だかわからないネ」
 私は10坪と50坪の2ケ所の畑を借りているが、このうち野良仲間から冷やかされる10坪のボランティア用の菜園では毎年この時期になると土木工事?が始まる。
 前の年の11月にボーイスカウトとガールスカウトの子どもたちが長芋掘りをしていった後、残りの芋を掘り出して、また新しく木わく作りが始まる。

 傷みやすい木わくは毎年部分的な修繕を要し、3年に一度は全面的に作り直しとなる。
 この時期は仕事も家庭菜園も一番閑な時期で、天候も安定しているから長期にわたる作業がしやすい時期である。
 
 木わく作りに4~5日、さらにこの木わくにスコップでひとすくい、ひとすくい土を入れる作業は単純だが量が多いことと、連作障害を避けるために昨年掘り出した土とは別の土に入れ替えるために、かなりの日数を要する。

 この長芋の木わく栽培をはじめた初期のころ、土を入れ終えた直後に大雨に合い、水を含んで重くなった土が木わくを壊してしまい、雨後にもう一度土を全部出して初めからやり直したことがあった。
 苦い経験に学び、以後はこれに耐えられるように木わくの補強も万全にしている。

 こう書くと大変な作業で苦労が多いようだが、別にマゾッ気があるわけではないが、私はこの土木作業を結構楽しんでやっている。
 普段運動不足の生活だが、この作業は冬でも汗をかき、運動をしているという実感がある。
 また、木わくに土を入れながら、気持ちはすでに収穫の時期に飛んでいて、街からやって来た子どもたちが目を輝かせて長芋を掘る姿が目に浮かんでいる。
 今年も大きな長芋を育てて、彼等をびっくりさせてやろうと思いながらしている作業で流す汗は快感すらある。
 
 息子や娘の家族が孫を連れてやって来て、イチゴ狩りを楽しんでいる姿に心を馳せながらイチゴ苗を植え付けているのと同じだ。

 家庭菜園は自家製の新鮮野菜が食べられて健康なだけでなく、心の健康とさらに土木作業で運動不足も補えてその面でもまた健康的な趣味である。

*長芋の木わく栽培については以前(06・11・20/続・山芋掘りなど)に書いたからここでは省くが、興味のある方は家庭菜園雑誌「季刊・やさい畑」(春号)に牛坂浩二のペンネームで栽培と簡単料理の記事を寄稿しているのでそちらをご覧下さい。

W_18 ●「やさい畑」で紹介している昨年私が作ったいろいろな山芋、長芋は90cmもあった。




カメラ付き携帯電話

2007年02月10日 | 雑記
W_16  これまで、どれだけの言葉を並べても、言葉や文字だけでは説明しきれなかった自分の作品がこれさえ見せれば・・・百聞は一見にしかず。
 動く工作は動画でも見てもらえる!


 昨年の敬老の日に息子と娘でPHSに替わって新しい携帯電話を買ってくれた。
 新しい機種にはカメラがついているが、歳をとると写真そのものを撮ることがほとんどなく、まして携帯で撮った写真を誰かに送信するということは先ず無い!

 なぜなら、私も含めて同年代(60歳代後半)の仲間は携帯電話はメールの使い方すらおぼつかなくて、写真を送ったところで相手はその見方もわからないのだから。
 
 私も孫は目の中に入れても痛くないほどかわいいが、携帯に取り込んだ孫やペットの写真を持ち歩き、カワイイデショウなどと他人に同意を無理強いするという性癖も持ち合わせていない・・・。

 この5ケ月の間カメラ付きの携帯電話は私にとっては無用の長物だと思っていたが、どうやら宝の持ち腐れだったようだ。
 年も明け2月になって、やっとその有効利用を思いついた。
*60歳代も前半のころまでは、これくらいのことはすぐに思い浮かんだはずだが・・・。

 そうだ! これをカタログ代りに使えば便利だろう。
 これまでは「で、どんな物を作っているんですか?」と尋ねられても、言葉だけでは自分の作っているものの説明は出来なかった。

 私の考案しているオリジナルクラフトは、昔の竹トンボ、割り箸鉄砲と違って、文字や言葉だけでは正確に他人に説明がしにくい。
「いろいろな空き箱にがらくたを貼付けて、宇宙船を作っています」という説明で、相手が私の「がらくた宇宙船」の完成後の姿をイメージしにくいだろう。
「蒲鉾の板で作った台車に戸車の動輪を付けて、空き缶で・・・」といっても、相手は私の「あ!機関車」の面白さを理解してはくれないだろう。

 携帯に自分の作品を取り込んでおけば、パソコンのない場所でも私のクラフトのイメージを先方に伝えることが出来て、私が何者なのか相手にわかってもらえる。
 
 今から40数年前に、新宿のゴールデン街で出会った上京したばかりの若い漫画家(のちに文春漫画賞に輝いた人だが)が、自分の身分を証明する手段として、いつもアタッシュケースに作品と共に戸籍謄本を入れて持ち歩いていたことを思い出す。
 私たち帰属すべき所属先を持たないフリーランサーは、よほどのビックネームにならない限りなかなか自分自身の説明がしにくかった。
 長年「どこの馬の骨だかわからない」存在であった私も、あの頃の漫画家が持ち歩いていた戸籍謄本に代わって自分が何者であるかを説明してくれる道具を今やっと手に入れることが出来た。

お知らせ
  2月17日(土曜日)品川区生涯教育課主催のイベントとして リサイクル工作-親子でたのしく作品づくりー を実施します。
 参加の対象は品川区に在住の親子/会場は南大井文化センター/時間=午後1時30分~3時30分
作る物=割り箸鉄砲とクルクルターゲット・紙コップの首ふり人形です。
 クルクルターゲットは<おもしろ工作ランド>として私の最初のアイデア工作で、首ふり人形は一番最新のアイデア工作です。








出版コンテスト商法

2007年02月05日 | 雑記
W_15







「手づくり遊び」(保育社/カラーブックス)は私の処女出版で1974年に初版を出して以来、版を重ね1987年までのロングセラーとなり、この間に15万部もが発行されたのは偏に商業出版としての出版社の販売力によるところが多かった。




「本を出すのには、こちらからいくらか(出版社にお金を)出すのかい?」
 知人からこう尋ねられたことがあった。

 これまでに牛坂浩二のペンネームで2冊、ゴト-孟のペンネームで6冊の本を出しているが、私はお金を得るために本を出すのだから、自分でお金を出してまで出版をするという発想はない。
 
 しかし、世の中には自分でお金を払えば本を出す手段はある。

 いわゆる自費出版というもので、貴重な記録だがあまりにも内容が専門的(あるいはマニアック)で出版しても売るのが難しいなどの理由で商業出版に向かない資料を整理して保存しておきたいと自費で出版をするのは、それなりに意義のあることだと思う。
 苦労の末にお金持ちになった人が、自分の成功談を本にして知人に配る例もある。
 
 また、小説、コミック、画集、写真集などの作品を見本として配布するために自費出版する人、カルチャーセンターのセンセイ方が自分の講座でテキストとして使用するなど、その他目的はまちまちだが、その出版物を流通経路に乗せて書店で販売することを目的としていないこと、最初から著者が費用は全額自己負担であることを自覚しているという共通点がある。
 
 しかし最近では実体は自費出版であるにも関わらず、商業出版と錯誤させるような広告で、出版を勧める商法が盛んらしい。
 
 いわく、あなたの原稿を送って下さい、審査をして良ければ共同出版をします・・・。
 また、出版コンテストと称して流通と販売を約束するかのごとく錯誤させる商法で顧客を募る。

 これにまんまと引っ掛かってしまった1人に私の知人がいる。
 昨年の秋、10数年ぶりの電話がかかって来てこのコンテストに応募をしたいと相談をされたから、コンテストのいかがわしさをさんざん忠告したが、本を出したい一念の彼はすでにコンテスト商法の術中にハマッてしまっていて、私の説得を聞く耳を持たなくなってしまっていた。

 彼は相談というより、自分の決断の後押しをしてもらいたかっただけのようだった。
 還暦も過ぎたがまだボケが始まったわけではない一人前の大人が自分のお金ですることだからと、私は説得をあきらめてもう放っておくことにした。

 そして、12月になって彼から再度の電話では嬉々とした声で入賞したことを知らせて来たが、先の展開が見えているだけに単純におめでとうとは言ってやれなかった。
 やがて企画出版、共同出版、協力出版など言い方はいろいろだが、出版の打ち合わせと称する商談では「このまま埋もれさせるには惜しい作品だから制作費の半額は当社で負担をしましょう」などといわれて提示される半額という金額は、それだけで本を作ることが出来るだけでなく、本は1冊も売れなくてもコンテスト商法の会社に十分な利益をもたらす金額だろう。
 この金額を見て目を覚ませてくれることを祈りつつ、今回も彼の言い分を聞くだけで電話を切った。
 
 念のために、コンテストを主催していた業者のホームページを見てみると、入賞者の名簿が出ていたが、何と驚くことにコンテストには250名以上も入賞者がいて、その末尾に30年昔に商業誌に漫画を描いていたときとは別のペンネームだが、多分これがそうだろうと推察出来る知人の名前もあった。
 
 まともなコンテストで入賞者が250名にも及ぶコンテストがどこにあろうか。
 私には、その業者が今年営業の対象にする顧客(ネギを背負ったカモたち)の名簿としか見えない。

 それでも、自分の本を出したいという人たちに、数年前に「諸君」(文藝春秋社)で自費出版についての取材をしたときに出会ったある自費出版事情通の話をここに一つだけ記しておこう。

 事情通によれば、自費出版の適性印刷部数は、その人が出す年賀状の数の範囲内だという。
 100冊や200冊では一部あたりの単価が高くなるからと、売り上げを伸ばしたい業者に勧められて数千冊を印刷してしまっても流通経路を持たない自費出版の本を知らない人が購入してくれる可能性はほとんどなく、古書店では自費出版の本は例え0円でも引き取ってはくれない。
 一般的な家庭で、千冊の在庫を置く場所はないであろう。
 最終的には知人に配って処分するしかないが、普段の交流はないが年賀状だけの付き合い・・・というのがその人の最大交際範囲で、その限度を越えた数を印刷しても処分のしようがないから、割高でも余分に作らないことが賢明だという。

 今回は私らしくなく、ちょっとシリアス過ぎたかな、次回はまた気楽な「ひとりごと」に戻ります。
  「遊びの歳事記」に<凧揚げ・後編>をアップしました。

2010年5月/追記
●検索からこのページにたどり着かれた方へ
 この話の続きを続・出版コンテスト商法として書いています。
 併せてお読み下さい。

 さらに付け加えるなら・・・
 多くの方々が、自分の本が全国の書店に並ぶ(かも知れない)ということにかなりの幻想を持たれているようですが、コンテスト主催の出版社の姑息な手段によって、著者(この場合、この商法にひっかかってしまって契約を結んだ人)の家の近くの書店にのみ置かれることがあると言う程度です。

 また書店に並ばなくても、高いお金を払ってでも出版出来るだけで名誉なこと・・・と思うのも間違いです。
「その程度の出版社からしか出せない本」というマイナスの烙印しか得られないことも知っておいて下さい。