投稿アップの遅れ遅れの弁解はさて置いて、さっそく近況に入ります。
夏の住宅展示場での工作教室、横浜の<はまぎんこども宇宙科学館>などでの工作教室もあって、10m×10mの面積の家庭菜園は雑草が腰のあたりまで伸びるまでに伸びてしまい、まずは、その雑草刈りに終始し、やっと秋野菜の植え付けが始まりました。
そんな中で、食用ではないので野菜とは違いますが、オキナワスズメウリという珍しい蔓植物をご覧ください。
これは名前の通り、オキナワの植物ですが、関東地方でも発芽・成長しました。
インターネット上の友達からタネを貰い、菜園の一角に休憩用の日陰を作るために2m×3mのネットにツルを這わせました。
蔓はネットの上を縦横に広がり9月に入って、葉が枯れ始めると、写真のようにいたるところこの可愛い実がビッチリと着いていました。
丸い実は、ちょうど10円玉と同じくらいのサイズで、緑色の実はやがて赤く色づき、まるで手描きをしたような不規則なラインの模様が味わい深く、とても魅力的です。
とりあえず、壁に吊るしてみましたが、いやいやカワイイもんです。
これが海老名市の風景です・・・というとウソではないが、正確でもない!
この左右の背の高いビルの間は都会的なビル街に見えるが、海老名駅をはさんで、左右の背の高いビルの間だけの光景で、それ以外の地域は田畑で占められているのが現状です。
私が海老名市に転居をしてきた20数年前には、写真の右側半分くらいしかなかったビルは、これからはもっと増えていくのだろうね。
その傾向に、よそ者の私はあれこれ意見をいうのは差し控えたい。
そんな中で、現在10m×10mの畑を借りて、老後のヒマつぶしをしています。
*畑は草さえ生やさなければ・・・という条件だけで、無料で使わせてもらっています。
上の写真のアーチ状の用地にはソバージュ栽培といって、言わば<放任栽培>でミニトマトを実験栽培で、株と株の間は1mも取ります。
上の写真は、小玉スイカの放任栽培を予定していて、過去にも何度も放任栽培をしてきましたが、最高で1株で15個、最後の一個まで甘くておいしいスイカでしたが、今年はそれを2株チャレンジします。
上の写真は、オキナワスズメウリの苗ですが、早く発芽させたいと、3月からタネを体温で温めたりもしましたが、やはり自然の気温が高くならないとうまくいかず、4月の中旬を過ぎてやっと発芽をしました。
最後の写真は、10数株のサツマイモを植える場所です。
苗を植え付ける場所の確保もしないうちに、タネイモからどんどん発芽をして焦っていましたが、どうやら10数株を植え付ける場所の確保と、余った苗の貰い手も見つかって一安心!
世田谷から海老名市に転居して、数年後から始めた家庭菜園にもう20数年になる。
息子が小学校のころからお世話になっていた世田谷第八団のビーバースカウト・カブスカウトを招いて長芋掘りを始めた。
サツマイモやジャガイモの収穫では、わざわざ1時間もかけて海老名まで来なくても、多くの子どもたちはすでに体験済みであろう。
長芋掘りなどは親でも体験をしたことがなかろうからと思ったが、これを地面に植えてしまったのではとても子どもたちの手ではその日のうちに掘り上げるのは難しすぎる!
考えた末に、大きな木枠(深さと幅・各1m・長さ4m)の中に土を入れて長芋を育てるという長芋の木枠栽培という手段を考案した。
これを始めた当時、私はまだ50歳代の半ばで、1週間ほどかけてこの木枠に土を入れる作業などはそれほどの負担でもなかった。
しかし、60歳代を過ぎ70歳代も後半になってくると、この木枠に土を入れる作業は徐々に負担を感じるようになってきた。
途中、子どもたちの人数も減ってきたこともあって、木枠の長さも1mほど短くはしたが・・・
81歳という自分の年齢に気づいてしまうと、一気に緊張感は抜けてしまった。
そんなわけで、20数年続けてきたボランティアだったが、一旦幕を下ろすこととした。
一旦・・・ということは、また来年になれば・・・ということでもないが、とりあえずは1年は休憩をして、その先に再度、なにか衰えた私の体力で出来、かつ何かインパクトのある野菜の収穫体験の場をと思っているが、さてどうなることやら・・・。
明けましておめでとうございます
遅まきながら、新年のご挨拶を申し上げます。
これまで毎年12月の末になると、毎年年賀状に木版画を彫ってきましたが、寄る年波に抗えず、特に体調が悪いというわけでもありませんが、80歳という自分の年齢を知ってしまったときかから、木版を彫る体力・気力が失せました。
加えて、そろそろ年賀状卒業の機会も考えていた折でもあり、傘寿という切りのいい歳でもあることから、この期を逃すと・・・と皆々様に年賀状卒業のお知らせをする間もなく勝手に卒業してしまいました。
というわけで、話は上の写真になりますが、これも40年ほど昔に銀座・伊東屋のギャラリーにて開催しました、「ぴーなっつ人形一座」と銘打った、殻付き落花生たちによる人形展の一場面で、暮れも元日もなく修理の明け暮れて、やっとこの一場面が完成しました
修復は人形たちだけではなく、背景の<ホコリ焼け>など全面的な修理となり、大道具とは言え、襖も壁もピンセット、爪楊枝を使っての作業となり、ひとつの場面の手直しで1週間もかかってしまいました。
40年前と比べると、作業に時間がかかるのは年齢的な問題が多く、根気が続かない・老眼で細かい作業に時間がかかるなどなどで、修理が終わるのは1年くらい先のことになりそうです。
・・・ということで、「松の廊下から討ち入り」までの名場面の数々、また「古典落語」などなど、乞う、ご期待!
いつ仕上がるかはわかりませんが、再度展示が出来るようになりましたら、また天国の田辺さんにも見ていただきたいと思っています・・・
やすらかにおやすみください・・・合掌
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*文中に牛坂とあるのは、当時出版物の仕事で、挿絵・イラストルポ・エッセーなどを描く(または書く)ときには牛坂浩二というペンネームを使っていました。
また、子どもの工作に関する記事、作品などはゴトー孟と仕事の種類で名前を使い分けていました。