8月7日に「似顔絵」というタイトルでこのブログに一文を書いたが、今回はその続き・・・。
前回客の選り好みの出来る会場でも似顔絵で失敗をしたことが過去にあると書いたが今日はその話にしよう。
1960年代は今のコミック、劇画というアシスタントを使って作る量産型のマンガのカテゴリーとは少し違い芸術的な香りを持つ1コマ漫画、ナンセンス漫画が主流の時代で、地方の漫画青年たちは外国雑誌などに投稿をして気を吐いていた時代だった。
そんな若手の漫画青年たちが名古屋のある商店街の夏祭りイベントで似顔絵コーナーを開催していた。
私は当時ファッション画の勉強中で、その集団のメンバーではなかったが、普段から交流もあったことから会場に素見し(ひやかし)に出かけてみると、まだ準備中で互いに描く側、描かれる側を交代しながらウォーミングアップを兼ねて似顔の見本を作っていた。
私も遊び半分で似顔絵コーナーの女の子の顔を1枚だけ描いて、他の仲間の見本と一緒に並べておいた。
「あれを描いた人に描いてもらいたい」
女性の客が見本で掲示している似顔絵を指さしたのは、私が描いたものだった。
私は似顔絵などこれまで描いたこともなかったが、女性は似ていなくても漫画的に描かれるより、ファッション画風に描かれた方が嬉しいようで、何人かから指名を受けたが、誰の顔でも描けるのでなく、自分の好みの顔しか描けなくて、お金をもらう仕事でもなく気まぐれに描けばいいコーナーだったが、あなたの顔は描けませんとも言えず、あれを描いた人はもう帰ってしまいました・・・と知らない振りをしていた。
*
私が20歳代の半ばで、名古屋で初めてのファッション画の個展を開いたとき、それを観に来てくれた人の中にとびきりの美女がいた。
美女というだけでなく、特徴のある顔だちで描き易そうな人だったから、声をかけて展覧会場の中で多数のお客さんのいる中で似顔を描かせてもらい、ファッション画風の美女に仕上がった似顔絵に本人も喜んでくれた。
展覧会場は似顔絵を描きますと告知をしていたわけではなく、その場限りのハプニングとして終わらせるつもりだったが、そこに居合わせた別の女性が、翌日、私の似顔絵も描いて下さいと自分で色紙を用意して来てしまった。
ン! その人もそれなりに美人なのだが、特徴の掴みにくい人で、私の技量では描きにくい人だったが、断ればその娘さんの自尊心を傷つけるかと思うと、断りきれずに苦労をして描き上げたことがあった。
以来人前で似顔絵を描くことはしていないが、雑誌のイラストとして作家や政治家の似顔絵はしばしば描いたことがる。
1976年に描いた作家の横溝正史さんのエッセーに描いた似顔絵だが、何の雑誌に描いた原稿だったかは憶えていない。
しかし、特徴の掴みにくい人でも誰もいない工房での作業だから、イベントの似顔絵と違って時間をかけて何度も何度も描き直して仕上げればいいのでボロを出さずにすんでいた。
前回客の選り好みの出来る会場でも似顔絵で失敗をしたことが過去にあると書いたが今日はその話にしよう。
1960年代は今のコミック、劇画というアシスタントを使って作る量産型のマンガのカテゴリーとは少し違い芸術的な香りを持つ1コマ漫画、ナンセンス漫画が主流の時代で、地方の漫画青年たちは外国雑誌などに投稿をして気を吐いていた時代だった。
そんな若手の漫画青年たちが名古屋のある商店街の夏祭りイベントで似顔絵コーナーを開催していた。
私は当時ファッション画の勉強中で、その集団のメンバーではなかったが、普段から交流もあったことから会場に素見し(ひやかし)に出かけてみると、まだ準備中で互いに描く側、描かれる側を交代しながらウォーミングアップを兼ねて似顔の見本を作っていた。
私も遊び半分で似顔絵コーナーの女の子の顔を1枚だけ描いて、他の仲間の見本と一緒に並べておいた。
「あれを描いた人に描いてもらいたい」
女性の客が見本で掲示している似顔絵を指さしたのは、私が描いたものだった。
私は似顔絵などこれまで描いたこともなかったが、女性は似ていなくても漫画的に描かれるより、ファッション画風に描かれた方が嬉しいようで、何人かから指名を受けたが、誰の顔でも描けるのでなく、自分の好みの顔しか描けなくて、お金をもらう仕事でもなく気まぐれに描けばいいコーナーだったが、あなたの顔は描けませんとも言えず、あれを描いた人はもう帰ってしまいました・・・と知らない振りをしていた。
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私が20歳代の半ばで、名古屋で初めてのファッション画の個展を開いたとき、それを観に来てくれた人の中にとびきりの美女がいた。
美女というだけでなく、特徴のある顔だちで描き易そうな人だったから、声をかけて展覧会場の中で多数のお客さんのいる中で似顔を描かせてもらい、ファッション画風の美女に仕上がった似顔絵に本人も喜んでくれた。
展覧会場は似顔絵を描きますと告知をしていたわけではなく、その場限りのハプニングとして終わらせるつもりだったが、そこに居合わせた別の女性が、翌日、私の似顔絵も描いて下さいと自分で色紙を用意して来てしまった。
ン! その人もそれなりに美人なのだが、特徴の掴みにくい人で、私の技量では描きにくい人だったが、断ればその娘さんの自尊心を傷つけるかと思うと、断りきれずに苦労をして描き上げたことがあった。
以来人前で似顔絵を描くことはしていないが、雑誌のイラストとして作家や政治家の似顔絵はしばしば描いたことがる。
1976年に描いた作家の横溝正史さんのエッセーに描いた似顔絵だが、何の雑誌に描いた原稿だったかは憶えていない。
しかし、特徴の掴みにくい人でも誰もいない工房での作業だから、イベントの似顔絵と違って時間をかけて何度も何度も描き直して仕上げればいいのでボロを出さずにすんでいた。