もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

種イモの植え付け

2015年04月27日 | ボランティア

 先週、下北沢からボーイスカウト世田谷八団の4人のリーダーが手伝いに来てくれて出来上がった木枠に、26日(日)はースカウトたちが種イモを植え付けに来た。
  *木枠に長芋を植える

 数年ほど前までは、この種イモ植えも私がやっていて、子どもたちは11月になってから収穫体験にやって来るだけだった。


 もーさん、相談があるのですが・・・とある年の4月、カブ隊の隊長から電話がかかってきた。
「 子どもたちに種イモを植え付けるところからやらせてはもらえないでしょうか」

 スカウトたちはいろいろ習得せねばならない課題があって、その中に花や野菜を育てたり収穫をするといった課題もあるようで、その勉強をさせたいようだった。
 
 以来、種イモ植えだけではなく、野菜の種のまき方、苗の植え方、畑の害虫などなども教え、帰りにはその年によって異なるが、バジル、リーフレタス、マリーゴールドなどの苗を持たせて、家に帰ってからそれを育ててもらうことにしている。
  *水持ちのいい土を運んで、サトイモの植え付け。
 街から来た子供たちは土に触るだけで大喜び、その土の中からアマガエル、コガネムシの幼虫などが出てくると奪い合いになるほどの人気者となる。

 
お弁当のあとは、リーダーが田植え前の広い田んぼに隠した宝さがし、水路の鯉にエサやりなどを楽しみ、お土産のマリーゴールドの苗をもって、午後2時を過ぎた頃帰路についた。
 
 今度来るときは11月の収穫のときだね。
 
 今日は朝7時から子どもたちを迎えるための準備から始まり、彼らが帰ったあとはこれから植えつけるナス、トマト、キュウリなどの畝作りと忙しく、久しぶりの青空の下での野良仕事でこれだけ日焼けをしてしまった。

 写真をクリックしてアップにすると、中指の爪の色がおかしいのが判ると思うが、これは先週長芋を植える木枠を作っているときに、誤って金槌で叩いてしまたためのて内出血のあとである。
 *普通は金槌で叩いてしまうのは左手の指のはずだが、私は左利きのため右手の指を叩いてしまったのだ。
  これまでにも大工仕事をするときには釘を持つ指を叩いてしまうことは度々あったが、内出血するほどのドジをしたのはこれが初めてで、1週間を過ぎた今でも熱をもって痛むのは骨折をしているのかも知れない。
 


 


行く年来る年

2015年04月22日 | 家庭菜園

 今回は年末のTV番組のようなタイトルだが、わが菜園の行く年来る年はまさになのである。
 ノラボウ菜ノラボウなの花
 昨年暮れに芽を出し、春の早くから摘まみ菜 として食するノラボウ菜はそろそろ花が咲き始め、収穫期を終える。
キク芋と新芽
 昨年の秋から食べるたびに土の中から掘り出していたキクイモも、堀り残した芋から新芽が伸び始めて、保存中の芋がなくなればまた秋まで当分のお別れとなる。
ネギ坊主の油炒め 
 ネギ坊主は、この季節の変わり目だけの収穫物で、私は油で炒めただけのものに醤油と練り辛子というシンプルな食べ方をするが、野良友のKさんは塩を振るだけというもっとシンプルな人もいた。
 また、飲み屋でネギ坊主の天麩羅を食べたという人もあり、オリーブオイルとニンニク塩という おしゃれな食べ方をする人もいるが、いずれにせよそれほど手をかけた料理ではないが、季節感いっぱいの一品というだけではなく、このネギ坊主というやつは流通に乗ることはないから、八百屋、スーパーで見かけることはなく、ネギを栽培している野良者だけが味わえる珍味である。
春大根の間引き菜
 こうして春の菜園から去っていく野菜もあれば、これから始まる野菜もある。

 春大根もダイコンそのものはまだ先になるが、このころからは間引き菜があり、油揚げと一緒に煮付けたり、味噌汁の具にしたりするが、細かく刻んだものを塩もみにして納豆と混ぜるという人もある。
 
極早生種の新タマネギ
 この頃から収穫が始まるものにまず極早生のタマネギから、そして早生種のタマネギ、晩生種のタマネギと6月まで順に収穫期が訪れる。

 今のタマネギは辛味がなく生食が出来る。
 *タマネギの収穫期は写真のように葉が根元から倒れるので判りやすい。

 こうして菜園の役者たちはも徐々に入れ替わっていくが、菜園の名脇役も紹介しておきたい。
 
 4月になって暖かくなると毎年1~2株のビオラが菜園の片隅で花を咲かせる。
 これはタネをまいたものではなく、どこかからタネが風で飛んできたもののようで小ぶりなビオラはパンジーの原種なのか、生命力の強い花のようだ。

●オマケのウンチク
  
キクイモは芋と称されるが、ジャガイモ、サツマイモなどのでんぷんではなく、形状はどちらかというと生姜に似た根塊で、芋自体には特徴的な味はなく、ただカリカリした食感だけで、5ミリほどの厚さにスライスをし、味噌漬けにしたものは極上品である。
 栽培的には、病気も害虫の心配もなく、肥料もやらず、放ったらかしで上の写真のような小さなかけらから、子どもの握りこぶし大の芋がゴロゴロ出来、堀り残したものが雑草化するくらい生命力にとんだ植物で、成分のイヌリンが血糖値の上昇を抑える効果もあるという。 


高齢術

2015年04月19日 | 家庭菜園

 ふと気がつくと、2週間近くもブログの更新を怠っていたが、患っていたわけでも、まして死んでいたわけでもなく元気です。

 ただ、前回のブログに書いたもう一人の私にその後「友だちリクエスト」を出し、その反応を見て続編を書こうと思っていたが、今日までダンマリのままで返答がない。

・・・で、それは置いておいて、今日の私です。

 毎年この時期になると、我が菜園の一部は土木工事現場と化す。 
 
 コンパネ、半端な板などを集めて大きな(巾と深さ90cm・長さ3m)底のない箱状の木枠を作る。
  
 出来上がった木枠に土を入れ、この木枠の中で長芋を栽培して、世田谷第八団のボーイスカウトの子どもたちにボランティアで長芋の収穫体験をさせている。

 世田谷から海老名に転居をして、家庭菜園を始めたときからだから、もう20年以上になるが、毎年この作業を一人でしてきた。
 当初はこの作業に何日かかったのかはもう憶えてはいないが、ここ数年は毎日2時間ほどの作業で、10日ほどかかっていて、これが私の健康法でもあった。

 しかるに、今年はボーイスカウトのリーダーから電話があって、この作業を手伝いに来てくれるという。
 いつかは手伝ってもらわなければ出来なくなるときが来だろうから、そのときはもうボランティアはやめよう・・・とかねてより思っていて、あと何年続けてやれるかなァ、とは思ってはいたが、先方から先に声をかけられてしまった。

バカを言うな、俺はまだまだ一人でやれる!」と突っぱねようとも思ったが、以前に電車の中で見た光景を思い出した。

 電車の中で、若い青年から席を譲られたご老体が頑なにそれを辞退して、席を譲った青年の方が困ってしまい、周囲にもシラケ鳥が飛んでいた。

 こんなときにはその青年の気持ちを汲んで、例え疲れていなくても一言ありがとうと言って譲られた席に座ってあげれば、どれだけスマートな対応だったであろうか・・・これが高齢術だ・・・とそのとき思った。

 ここは私も大人になって高齢術を使って、ヤングリーダーたちの好意を受けることにしたが、4人の若手のリーダーたちは、私が一週間も10日もかけて行う作業をたった3時間で終えてしまった。

 来年も高齢術を使うことにもう決めておこう!

 仕上げの山芋の蔓が絡む支柱立てはやはり私にさせてもらい、花を持たせてもらうことにした

 来週の日曜日には、カブスカウトたちが長芋とサトイモの種イモを植えに来る。

●オマケのウンチク
 古典落語に「子は鎹(かすがい)」という話があって、最近ではあまり目にすることもなくなったが、鎹とは木造建築に使われる釘や木ねじのように二つの材木に打ち付けて固定する用具で、この木枠でもコーナーの太い材木の固定に使用しています。
これがかすがいでいろいろなサイズのものがある。
 
 

 

 

  




 


ミステリー・もう一人の私が存在した

2015年04月04日 | 不思議

 牛坂浩二・この名前は私がイラストレーターとしてイラストルポ、社会風刺、挿絵などを描いていた頃に使っていたペンネームだということは、このブログに何度も書いたことがあったが、ソーシャルネットワークサービスのFaceboob上に同性同名の人がいたことを昨日発見した。


 同姓同名という事はままあることで、それほど珍しいしい話ではないが、しかし、この牛坂浩二さんは、2001年に私が新潮社から出した「休日菜園の楽しみ」という著者でもあるかのように、この本の表紙を自分のプロフィール写真代わりに使っている。
 
 ・・・この人が本当の私だったら、今この記事を書いている、私は一体誰なのだろう・・・?

 Faceboobのタイムラインを見てみるとこの牛坂浩二さんはアウトドア派の明るく活発な北海道の青年のようだが、コメントの一部にはすっかりこの本の著者でもあるかのような記述もある。

 可能性を推理すれば、この人の本名が牛坂浩二さんで、たまたま私の著書をどこかで見つけて、ジョークでこれをプロフィール写真として使った・・・というのが真相のような気がする。
 
 元々、私のペンネームだって、当初は浅丘るり子さんのファンだったことから、ほんのジュークのつもりでつけたペンネームなのだから・・・。
*但し、私の場合は「3時のあなた」という森光子さんが司会のフジTVの番組の中で、当時まだ石坂浩二さんと結婚期間中だった浅丘るり子さんの了解を得ていた。

 ただ、私が牛坂浩二だった頃、取材で得た知識の中に自分の過去を消す手段として、結婚に際して婿入りをしたり、婿入りではないが姓は女性側の姓を名乗ることによって、戸籍上からは過去の自分は居なくなるという初歩的な忍術があることを知っている。

 Faceboob上では、誰もが皆真実の名前、学歴、居住地、出身地をアップしているとは限らない。

 これを利用しようとすれば、過去の自分の経歴だけではなく、過去の人脈も絶ってそれまで暮らしていた土地を離れて、Faceboobを利用して得られる新たな人脈を築いた上で女性側の姓を名乗る入籍をすれば、もう少しリアルな再出発することも可能ではある。

おまけの牛坂浩二
 生命保険のおばさんから数日前にご主人にお目にかかりたいという電話があって、私が保険の話を聞いても判らないし、新しい保険には入らないよ・・・と断ったのだが、現在入ってもらっている保険の確認だけでいいのですというから昨日会ってみると、やはり現在の確認だけで新しい保険を勧める様子もなかった。

 それなら、女房が聞いておいてもよさそうな話だったのではと訊ねてみたら、「実は、私も若い頃漫画家になりたかったものですから、ご主人がイラストレーターだということなので、一度会ってみたかったのです」というだけのことで、郵便受けのネーム版に本名のほかに工作おじさんとしてのゴトー孟、そして、イラストレーターとしての牛坂浩二の三つの名前が書いてあるのを見て妙に感動して帰っていった。

 ここ数年は絵を描いていなくて、工作おじさん一辺倒になったいるから、
牛坂浩二を知っている人はかなりマニアックな人で、しかもその全盛期は30年以上も前のことだから、もしイラストレーターの牛坂を知っている人がいたとすれば、50歳代後半から70歳代ということになる。