もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

宇宙食をゲット・・・

2017年09月27日 | 工作教室

 ここ数年、どうしたわけかガラクタ宇宙船作りのワークショップに人気があって、この夏にも別の工作教室も含めるともっとあったが、宇宙船作りだけで5会場(参加人数延べ・150人)に対応してきた。


この夏海老名市文化会館主催のゴトー孟のおもしろ工作展に展示中のガラクタ宇宙船です。

 その夏休み期間中の超多忙の疲れがやっと癒えた9月24日、川崎住宅公園での集客催事に招かれた。

 今回の住宅展示場では宇宙船作りスマートボールで宇宙食をゲットしよう・・・という宇宙物W作戦のようだった。 

 

 住宅展示場でのイベントでは、看板代わりに全長1mの大きなガラクタ宇宙船をテントに吊るし、完成品だけを見るとあんな重そうなものが、どうしてテグスだけで吊り下げられているのだろう・・・とワークショップの参加者だけでなく、住宅メーカーの社員も興味深げに集まって来る。
 
段ボール箱にガラクタを貼りつけただけには見えないリアリティーで人気。
 ぜひ、写真をクリックしてフルサイズでご覧ください。
 ところで、今回は宇宙船作りの人気より、このブログの読者は宇宙食のほうに興味がおありだろうと思うので、そちらの話をしましょう。


 宇宙食の種類はまだまだいろいろあるが、基本的にはほとんどのものはフリーズドライ製法となっていて、タコ焼きまであって笑ってしまった。

 この袋の中身を開封したのち、どう調理をして口に入れるのだろう・・・これが私の一番の興味だった。
 帰りにいろいろもらってきた宇宙食のうち、まずはタコ焼きを試食してみた。
 

 袋から出てきたタコ焼きは、ご覧の通り当然のことながら色も形もタコ焼きである。
 しかし、フリーズドライのタコ焼きは固い。
 袋の説明ではそのままお召し上がりくださいと書いてあるが、グニャっと竹串が突き刺さるものではない。
 齧ってみると、中にはタコも入っていて、味は確かにたこ焼き味だが、食感は乾パンと食パンの耳を合わせたような感触で、屋台のタコ焼きとはちょっとイメージが違って、高齢で入れ歯の私にはちょっと食べにくいもので、宇宙船の中でこんなものを食べるのかな・・・と思ったが、よくよく考えてみれば、高齢で入れ歯の宇宙飛行士などはいないことに気がついた。

 さらに、袋の説明を端までよく見てみると、上の写真のような表記があった。

 そうだろうな、宇宙飛行士がタコ焼きまで宇宙船に持ってはいかないだろうな。
 
 他のチキンライス、エビグラタン、チョコレートケーキなどもフリーズドライ製法は同じでもこれを実際に宇宙船内で口にするときは水分調整などが出来る特殊な容器に封じ込められているのだろうと察せられる。


 カレーとパンはフリーズドライ製法ではなく、地上食と同じレトルトパックと缶詰だった。

 

レトルトカレーの説明

 こうして宇宙食なるレアな食品に間近に接してみたが、災害時の非常食にもなるが、これは老人の私が食するより、若い世代が未来・宇宙に興味の目を開かせるのに効果的かもしれない・・・と孫たちの家に届けた。



経年劣化

2017年09月14日 | 雑記

 はじめに・・・
  今回の話は、私自身の脳内的経年劣化と外的経年劣化がテーマですが、文章は頭の中の劣化の話で、写真は外観上の劣化をさらけ出してご覧いただきます。

 但し、文章と写真の説明は同調していませんので、写真の説明(青い文字)と黒い文字の脳の劣化の話を一緒に読まれますと混乱します。
 始めは黒い文字の話だけを読み、そののちに写真とその説明を読んでいただければ判り易いかと思います。


 
2001年4月・世田谷から海老名市に転居をして、すっかりはまり込んだ家庭菜園の本、「休日菜園の楽しみ」(新潮社刊)を出版したときの神奈川新聞の写真を見ると、白髪ながらその後の頭髪劣化は予想すらできなかった。

 先日、マイカーで(自転車ですが)野良仕事から帰る途中、私の前を自転車で走っているオジサンがいて、私はそのオジサンの後を連なるような形で走っていたが、前方から一人のご婦人がこれまた自転車でやって来て、通り過ぎ様に「こんにちわ!」と声をかけて通り過ぎていったが・・・。


2011年4月・前の写真から10年後の姿ではかなり禿げ頭になっていることがわかるが、この間、毛髪が抜けていく実感はまったくなく、気がついたらハゲていたというのが真実です。

 ?・・・
 はて、見覚えのない人だが・・・前を走るオジサンの知り合いだったのかもと、自転車を少し早めてオジサンの自転車と並び「今すれちがったご婦人はあなたのお知り合いでしたか?」訊ねてみた。
 


 2012年6月・もう70歳を過ぎてそろそろ引退時期かな・・・?と、仕事場として借りていた借家をたたんで、自宅の一室を仕事場にしたときの写真だが、こうして上の方から見れば、まだ毛髪はかなり残っている。

 「い~や、後藤さんのお知り合いではなかったのですか?」
 ・・・・・・
 これはえらいことですよ・・・前を走っていた知らない人だと思っていたオジサンが私の名前を知っていたと言うことは・・・・


 2013年4月・名古屋でのクラス会の一コマだが、こうして前から見るとやはりかなり禿げている。


 2014年10月・前の写真から1年半後の写真だが、禿げは進行していなくて止まっている。
 ちなみに私の隣の人は、JAXAの名誉教授・的川博士で、一旦行方不明になったのち、また姿を現して日本中に感動の渦を巻き起こした、あの小惑星探査機はやぶさの軌道計算とプロジェクトマネージャーを務めた日本の宇宙工学の第一人者で、普通ならとても私などが口を利くこともできない方なのです。

  最近こういうことが多くなってきた。
 通りがかりに声をかけられ、顔に記憶はあるが誰だったのか、どこであった人だったのかがわからないことがしばしばあるが、今日のようなダブルパンチを食らったのは初めてだ。


 2015年9月・禿げは親の遺伝の要素が強く、親の禿げ方より進まないと言われているが、私の父親は45歳という若年で頭の禿げる前に亡くなっているので、私自身もハゲの遺伝子を持っていることなど知らなかった。

 また最近は初めて会った人は名前も顔もなかなか覚えられず、3度ほど会えばやっとおぼられるという状態になって来た。

 206年9月・最近帽子をつけることが多くなったのは、毛髪がないと夏でも冬でも、暑さ、寒さを直接皮膚で受け止めねばならず、それを避けるためで決して禿げを隠す気はもうとうない。

 今年の初めに介護施設で工作の指導をしないかと誘われて、後進のためにも道を開いておく必要もありそうだと、一度は講師登録をしたが、この夏の仕事のハードだったことなどを考慮すると、これ以上の仕事を抱え込むと、精神的な負担が大きく、介護施設での指導どころかストレスから私自信が向こう側に行く日が近くなってしまいそうだ。

 本日の禿げ頭・頭の外的経年劣化は止まったが、内的劣化は日々確実に衰えているようだ。

 そんなわけで、本日介護施設での講師登録を抹消してもらい、程の良いストレスで健全な脳内劣化を遅らせる道を選ぶことにした。