日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

まず、「ひらがな」と「カタカナ」が覚えられなければ…。

2015-07-09 14:20:53 | 日本語学校
 曇り。

 予報では、午前中は雨とのことでしたが、今は、降っていません。とても涼しい、まるで秋のようです。皆、長袖のシャツか、上着を羽織っての出勤です。

 最近、大型犬を見かけなくなりました。年とった人がこの辺りでも増えたからでしょう。数年前までは大型犬とか中型犬をよく見かけていましたのに。そのうち、散歩が大儀になった人たちが、外に出さずともすむ猫たちの方に目が行くかもしれません。困るのはトイレの砂だけ…ですもの。

 さて、学校です。

 『みんなの日本語』の50課近くまで、母国でやってきていた学生まで、「あいうえお」のクラスに入りたいと言います。「漢字圏」の学生であったら、「うん、その方がいいかも」と言うかもしれませんが(『中級』以後は早くやれるので)、「非漢字圏」の学生、特にベトナムの学生は、『初級Ⅰ』までは、他の国の人たちと同じようにやれても(「聞く力」を除いて)、『中級Ⅱ』の中頃から、ボロボロと落ちこぼれてしまう人が多いのです。

 それで、もしそこまで母国でやっているのなら、そのまま(このクラスは、今日から『みんなの日本語Ⅱ』に入ります)続けて、『Ⅱ』の方を二度やった方がいい。それに、三人のうちの二人が問題にしているのは、漢字をそれほどやっていないということだけらしいので、それは個別対応できる範囲内であると告げ、心配しなくてもいいと言っておきました。それよりも、先が大変なのです、ベトナム人は。

 ヒアリングが悪いからでしょう、せっかく日本にいるというのに、日本語が聞き取れないから、学校で学んだ言葉が学校だけのものになってしまう。しかも、そういう人が行けるバイト先は、ほとんどが同国人であるという工場などでしかありません。

 彼らのためには、(ヒアリングにおいては)練習にしても、問題ごとにしても、他の国の学生の倍以上の時間をかけています(その間、他の国の学生は漢字の練習をしたり、単語を覚えたりしています)。それでも、やはり、劣るのです。

 それでも、真面目な学生は、来日後一年ほどは、聞いてわからなくても、文法だけは懸命に勉強しています。だから、時々、「書いてください」と言うのだと思いますが。

 ただ、いくら懸命に、文法を覚えても、一ヶ月も経てば忘れてしまいます(こちらも復習を繰り返しているのですが)。日常的に耳にすることができるからこその留学であって、そうでなければ、国で勉強しているのと同じです。しかも、日本にきてからは、教師は皆日本人であり、文法も単語の意味も、全部、日本語で教えられるのですから、大変です。気持ちだけは勉強するぞと思っていても、なかなか実行が伴いません。

 それ故に、彼らの国での面接の際、特にベトナムの学生には、「できるだけたくさん学んで来るように」と言ってあります(文法理解が難しいようなのです、それに単語の問題もあります)。面接も二度し、一度目には(あまり勉強していなかった学生には)いかに母国で学んでおかねばならぬかを話し、二度目にはその成果を確認しています。

 もちろん、どんなに選んだつもりでも、わずか十数分の攻防です。こちらは日本語、あちらはベトナム語で話しているわけですから、どれほど相手が見えていたかは判りません。その上、間に入っているベトナム人の仲介者が、私たちの言葉をきちんと翻訳できているかどうか、あるいはしている(意思がある)かどうかも判らないのです。

 ただ、こちらの表情とか、態度とかで、歓迎されているかいないかくらいはわかるはずです。

 最初に、「『第○○課』まではベトナムで学んできてください」と、言ってあるわけですから、二度目の面接の時にそれを忠実に実行できているかを見れば、その学生がどうであるかは、言葉は通じなくとも判るはずです。

 スリランカの学生達が大挙してきたときも、ベトナムの学生達が大挙してきたときも(大挙と言っても、この学校は小さいのでしれているのですが)、本当に困りました。勉強する気もないし、勉強する習慣もない人たち(日本人的に見て)をどうやって教えたらいいのか、はっきり言えば、途方に暮れたのです。中国人ならいくら学校に縁のない人であっても、漢字という共通手段がありますから、どうにかなったのですが。

 (彼らの国の)送り先でも、ただ単に「日本へ行きたい」という人を送っていたらしいのです。状況を話すと、「だって、日本へ行きたいと言っていたんですよ」で、終わり。勉強する意思のある人をよこしてくれと言っても、彼らの国では、見分けがつかない(それがわかったのは、彼らが来るようになってから随分経っていました)。

 高校を出ているということがすでにエリートなのです。だから、高校を出た人で「勉強ができない人はいるはずがない」という考え方なのでしょう。私たちから見ると、同じように高校を出ていても、ものすごい差があるのですが、彼らには判らないのです。これはバングラデシュも同じでした。

 バングラデシュからはそれほどの数の学生が来ていたわけではありませんから、比較のしようもないのですが、ある学生が親戚を紹介して入れたときに、あまりにできないので、彼にそのことを言いますと、「そんなはずがない」。で、ひらがなを彼が教えてみたらしいのです。すると、「全然覚えられない…」ことに愕然とし、さじを投げて、「…うそ…。本当に全然できなかった…」

 本当に同国人であっても、(来日後、同じクラスであっても)わからないのです。誰がどの程度であるかということが。

 来日後、クラスで、自分が一番頭がいいと思っているだけでなく、公然と言う学生がいました。私たちは他の学生の方がずっと理解力があって、上だと思っていたのですが。で、その彼に、私が説明しているときに、脇から口を挟み、自分がシンハラ語で説明をし始めるのです。彼にした質問にも、自分が先に答えるのです。間違っていましたけれども。

 「向こうの方が上なのになあ、どうして判らないのだろう」と、最後には、私の方でも、本当にうるさくてたまらなくなったのですが、このときには、さすがに、口を挟まれた方が怒り出しましたね、「おまえには関係ない」と。いったいに、スリランカ人は、あまり怒ったりしないのです。それが習慣になっているのかもしれませんが。

 だから、図々しいのは図々しくやりっぱなし。わがままなのも、わがままのしっぱなし。それを他の人が、嫌だなあと見ている。そしてできるだけ火の粉が飛んでこないように願っている。それがスリランカの学生達のような気がします。

 外国に来れば、少しずつ、「自分の常識」が通じないということを判り始めるはずなのですが。とはいえ、全く外が見えないままという人もいるのも、事実。

 何事かを教えるためには、相手を知らなければならない。けれども、それは本当に難しい。これだと思ってつかんでも、雲のように儚かったりする。まあ、向こうから見ると日本人もそうなのでしょうけれども。

日々是好日
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