日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「一年の終わり」。「惜別」、そして、「思い出」。

2008-12-26 08:14:02 | 日本語の授業
 今朝は少々寒さを感じています。風があるのがいけないのです。けれども、こうやって、結局、今年も雪が見られないのでしょう。南の国から来た学生の、「東京は雪が降りますか」という問いが悲しく響きます。今ではもう「まだまだ寒くなりますか」に変わって来ていますけれど…。

 「雪という天からの贈り物」に対する幻想がなければ、彼らの国ではもともと雪に縁がないことですし、「空から白いものが降ってくる」なんて思いも寄らないことでしょう。とは言いましても、降った年もありましたから、それを覚えていた彼らの先達に、昔物語のように語ってもらったことがあるのかもしれません。「映像」の力は、確かに偉大ですが、「カラー」が「モノクロ」に負けることもあります。「テレビ」が「ラジオ」に負けるということもあるのです。

 というわけで、フィリピンから来た少年は、結局、ここで学んでいる間、雪を見ずに終わることになってしまいました。

 昨日が、今年最後の授業でした。その最後に、彼に修了書を渡し、ささやかながら、送別会めいたこともいたしました。

 今でも思い出すことがあるのですが、彼が少し日本語ができるようになった頃、「先生、『サムライ』はどこにいますか。会いたいです」。彼の頭の中には、「忍者」や「サムライ」が、映画の中と同じように、この東京を歩いているという図ができあがっていたのでしょう。

 最初、冗談かなと思ったのですが、真剣だったのです。じっと私の顔を見つめて答えを待っています。「『サムライ』はもういません」「えっ、いないのですか。どこに行けば会えますか」「どこに行っても会えません。もういないのです」「……。」混乱しているようでした。いくら賢いと言っても、まだ中学生ですから…。

 「サムライ」は、別に仕事じゃないし、「忍者」は…仕事でも、人目に付いたら、もうそれは「忍者」じゃありません…。それを、この少年に説明する言葉が、私にはありませんでしたし…。今となっては笑い話で、彼もすっかり忘れていたようでしたが。

 その時、あまりにまじめな顔をしているので、「日光江戸村の忍者」「戸隠のちびっ子忍者村」「甲賀流忍術屋敷」「伊賀流忍者博物館」などの特別なところに行けば、「忍者」は見られるけれども、「サムライ」は無理だと言ってみました。それでも、頭の中では整理が付かないようでした。もしかしたら、ますます混乱させてしまったのかもしれません。それから、しばらくの間、何かにつけて「混乱です。混乱です」と叫んでいましたから。多分、もう、いないのだということが実感できなかったのでしょう。

 日本へ行けば、「着物を着ている人を見ることができる。それと同じように「サムライ」も歩いている」と、そう思っていたようでしたから。

 彼は、今年中にフィリピンへ帰り、休みをもらっていた中学校に戻るということです。そして、そこを卒業したら、高校、大学へと進むのでしょう。が、なぜか、彼のクラス「Bクラス」の間で、「さようなら」の代わりに、「再来年」という言葉が流行っていました。「さ来年、また会おう」とでもいう意味なのでしょうか。

 彼は、頑張って勉強していましたし、漢字のテストで「わからない、わからない、昨日あんなに勉強したのに…あああ、忘れてしまいました」と、よく藻掻いていました。そんな時、隣に座っていた女学生が「『手』に似ている漢字」とか、「『日』が付いている」とか言って、ヒントを与えていました。その彼女も、昨日は寂しそうでした。

 この女子学生は、彼のお姉さんのようで、よく世話を焼いていました。なんといっても「非漢字圏」の彼にとって、「漢字」は最大の問題でしたから。テストの時など、最後まで答案用紙を出そうとしないこの少年の、答えのチェックをよくしていました。始めは答えを教えているのかと思って、「だめです。彼のためになりません」と注意したのですが、「先生、大丈夫。教えません。あっているかどうか、チェックしているだけ。んーと、三つ間違えている」。勿論、それを聞いた少年は、ますます出せなくなってしまいます。

 「もだえ熊」のように頭を抱え、「うん、うん」と呻る状態が続きます。けれども、昨日でそれも終わり。漢字で悩み悶えたということも、いい思い出になるでしょう。そして、厳しいチェックをしてくれたお姉さんがいたということも。この少年は、読解力もあり、かなり『中級』の教科書も読みこなしていましたから、来年の7月まで在日して、「日本語能力試験(二級)」まで、がんばれたらいいのだがと思っていたのですが、フィリピンの中学校から、戻ってこないと卒業できなくなると言われたのならしようがありません。残念ですが。

 彼ほど長くいた(八か月足らず)わけではありませんが、もう一人、IT関係の技術者が「多分、今年か来年の一月には帰国するだろう」と言ってきました。日本でも、就職状況はますます厳しさを増し、(「日本語能力試験(一級)」に合格している人や、すでに「正社員」になっている人はまだ大丈夫のようですが)「人材会社」や「派遣会社」に登録しているだけの外国人は、なかなか仕事が見つからないのだそうです。

 日本に来てから「(日本で就職するには)日本語が必要であること」がわかり、慌てて日本語を勉強しても、二三ヶ月で成果を出すのは難しい。気持ちも焦ります。この人のように、中国人で大学院も出てい、しかも、人柄もいい、そういう人でも、日本語に難があると、職探しにも差し支えるということになってしまうようです。

 それを聞いた「Bクラス」の学生が、「先生、寂しいですね」と言って来ました。

 私たちもそうです。なんといってもここは学校ですから、一生懸命勉強している人とは、互いの目的が同じですから(私たちは上手にさせたい、学生の方は早く上手になりたい)、一緒にいる期間は短くとも、どこか「同志」のような気持ちになってしまいます。勿論、一生懸命勉強できなくとも(これまでの人生の歩み方が違いますから、一つのことに集中出来ない人もいます)、毎日学校に来ていれば、それはもうそれで、身内のようなものになってしまいます。

 彼は、ケーキを食べながら、冗談を言い合っている学生達を見て、「先生、学生はいいですね。(彼がここで学び始めたのは、9月も終わり、まず、10月からといてもいいでしょう)。自分もここにいる間、とても楽しかった。楽しい写真もたくさん撮ったし…」と皆に感謝してくれていました。

 そういう人が、心ならずも帰国せねばならなくなったというのは、どこかしら心苦しくなってしまいます。何かいいことがあって、帰国するというのなら、「おめでとう、よかったね」で送り出せるのですが。

 けれども、彼のような人なら、今は大変でも、きっと、これからも、どこにいようと、大丈夫でしょう。「お天道様はどこいようとついてくる」ものですし、「(頑張っている姿を)いつも、きっと、だれかが見ていてくれる」はずですから。

日々是好日
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