今朝も早朝は、まだ雨がぱらついていました。明ければ、晴れてくるそうですが、晴れてくるというよりも何よりも、暖かいという予報がありがたい。
膝が悪いので、雨が降ると覿面に響いてきます。その上、寒さまで加わると、階段の上り下りにさえ支障をきたしてしまいます。解決策は…「云々するよりも、まず痩せること。そんなに重い身体を抱えているから、膝だって耐えきれないのだ」とは、同僚の言葉なのですが、「その言や善し」とは、なかなかいきません。人間というものは、「膝が痛いから、歩かない。歩かないから、ますます太る」という「風が吹くと桶屋が儲かる」式の論法で、ぎりぎりまでやってしまうものなのかもしれません。現に、私は「芋虫」になっていますし…。
とはいえ、この仕事には、「課外活動」がつきものです。「課外活動」は、外へ行かねばならぬことも少なくないのです。いつもなら、せいぜい教室と職員室との間を、何往復かすれば済むだけなのに、外に出て、しかも、道や階段を上ったり下りたりしなければならないのですから、「芋虫」にとっては大変です。
もっとも、「課外活動」がなければ、ずっと教室に閉じこもっているだけでしょうから、ますます歩く機会が、なくなってしまいます。ジレンマですね。ただ、「外へ出る」と言っても、一緒に行くのが学生達ですから、そこはそれ、労ってもらっています。「あいつは、歩けないから、ちょっとスピードを落としてやるか」とか、「手すりのある、あちら側を譲ってやろう」とか…。
「課外活動」というのは、教師側から見れば、ある意味では非常に面倒なことです。「場所の選択」から始まって、「季節或いは時間」の制約、それに、「お天気に左右される」こともあるので、天気予報と首っ引きで、しかも、それに応じて計画を立て直さねばならぬということすらあるのです。。
しかし、なぜ、そうまでして「月に一回」くらいは(「能力試験」や「留学試験」がある月は、無理をしないようにしています)、連れて行くようにしているかというと、そこには、大きな理由があるからなのです。勿論、一番大きな理由は、「日本紹介」です。日本の「四季の行事や様子」を見てもらうということ。その時には主に「名所旧跡」に連れていきます。理系の学生が多い時には、「科学館」に連れて行くこともあります。これは、「勉強」の面から見た場合ですが、それに付随する出来事が、もう一つの大きな理由となっています。
もし、学校でいろいろなところに連れていかなかったら、おそらくは、「学校」、「アルバイト」、「寮」の三つの場所で終始してしまうであろう彼らの生活に、メリハリをつけさせるということなのです。「気分転換」と「明日への気力を養う」ためなのです。
これは、大学受験前に、学生達に「日本に来て楽しかったこと」とか、「日本に来て記憶に残っていること」などを書かせてみると、一目瞭然です。学生達の中には、教師引率で、一緒に行った場所の事しか書けない学生がいるのです。外国から来ている学生にとって、どこかへ行きたいと思っても、どこへ行っていいのか判らない。それに、一人で行くのは怖いし、つまらない。「学校」「アルバイト」「寮」という三つの場所を行き来するだけでは(よほど目的意識がはっきりして、強い意志を持った学生以外は)、直に、心身共に草臥れ果てて、何のために勉強をしているのか判らなくなってしまうのです。
日本には、かつてこういう「留学生崩れ」の人達がたくさんいました。国費ではないので、国からの援助は期待できません。両親から十分すぎる程のお金を送ってもらえる人はほとんどいないので、勢い、アルバイトは欠かせません。しかし、母国では働いた経験などないし、それほど勉強した経験もない、そういう人が、異国で、それをしようというのですから、無理に無理を重ねるということになるのです。
「日本は、先進国で豊かである。以前留学して、大学を出、お金持ちになった人を知っている。よし、自分もがんばるぞ」と出てきたのはいいけれど、それはあくまで「気分」だけのことに過ぎず、「いざ、アルバイトや勉強をする」となると、母国にいた時と同じ、適当にやってしまい、成果も上がらず、従って他者からの評価は厳しいものになる。つまらない。おもしろくない。すべては、(自分自身が)気分で日本へ来たことから起こっているように思えるのですが、本人はそうは思っていない。そうして、日本での生活が、だんだん無意味なものに思えてくる、そのうちに、まずくすると、道を外してしまうということにもなりかねないのです。
場所を選んで、時を選んで、私たちは、学生達を「課外活動」の場所へ連れて行くのですが、私たちが「見てほしいもの」を見なかった、或いは見るゆとりがなく気づかなかった学生がいてもいいのです。私たちは、それを咎めることをしません。それは「きれいだった」でもいいし、「みんなと一緒で、自由におしゃべりが出来て楽しかった」でもいいし、「出会った日本人と話して、日本語が上手だと言われた。うれしかった」でもいいのです。明るい何かを、記憶に残してくれればいいのです。
若い彼らに、たとえどのような理由であろうと、一年或いは二年間を、勉強だけに集中させるというのは、難しいことです。
「遊ぶ時は遊ぶ」。「勉強する時は勉強する」。「働く時は働く」。このメリハリが適当にきいていれば、たとえ、何年か後に振り返ってみて、よく頑張ったなと思われるような生活であっても、そこには「ノスタルジア」こそあれ、伴うはずの「苦味」はあまり感じられないに違いありません。
異国へやってくるということは、親兄弟、友人と離れ、ある意味では、これまで彼らが培ってきたすべてから切り離されるということなのですから。これまでとは違うものを「一から築かねばならない」のです。私たちが思っている以上に、ストレスはあると思います。新しいクラスでの友人関係もそうでしょう。勉強もそうでしょう。アルバイト捜しや、アルバイト先での人間関係もそうでしょう。最初の興奮が終わって、それが日常になった時、それに耐えていけるかどうかが、その後、大学、或いは大学院卒業までの何年間を支配してしまうのです。
そんなとき、外で、自由におしゃべりしたり、きれいなものやまだ見たこともないものを見たりするのは、何よりの気分転換になります。それに、ついでに、銀座や日本橋、秋葉原を覗く学生もいるでしょう。「まだ、ものの価値も、値段もわからないのだから、買うな」ということを私たちは言います。本当に大切なものがあったら、その時に買えばいいのです。今、彼らは日本に来て、自分で働き、お金の価値がやっと判ったところだと思います。どこへ行っても、無駄遣いはしないでしょうし、買う前にちょっとは考えるでしょう。
日本での生活を「灰色」のものにさせたくない。そのためにも「課外活動」はあるのです。
日々是好日
膝が悪いので、雨が降ると覿面に響いてきます。その上、寒さまで加わると、階段の上り下りにさえ支障をきたしてしまいます。解決策は…「云々するよりも、まず痩せること。そんなに重い身体を抱えているから、膝だって耐えきれないのだ」とは、同僚の言葉なのですが、「その言や善し」とは、なかなかいきません。人間というものは、「膝が痛いから、歩かない。歩かないから、ますます太る」という「風が吹くと桶屋が儲かる」式の論法で、ぎりぎりまでやってしまうものなのかもしれません。現に、私は「芋虫」になっていますし…。
とはいえ、この仕事には、「課外活動」がつきものです。「課外活動」は、外へ行かねばならぬことも少なくないのです。いつもなら、せいぜい教室と職員室との間を、何往復かすれば済むだけなのに、外に出て、しかも、道や階段を上ったり下りたりしなければならないのですから、「芋虫」にとっては大変です。
もっとも、「課外活動」がなければ、ずっと教室に閉じこもっているだけでしょうから、ますます歩く機会が、なくなってしまいます。ジレンマですね。ただ、「外へ出る」と言っても、一緒に行くのが学生達ですから、そこはそれ、労ってもらっています。「あいつは、歩けないから、ちょっとスピードを落としてやるか」とか、「手すりのある、あちら側を譲ってやろう」とか…。
「課外活動」というのは、教師側から見れば、ある意味では非常に面倒なことです。「場所の選択」から始まって、「季節或いは時間」の制約、それに、「お天気に左右される」こともあるので、天気予報と首っ引きで、しかも、それに応じて計画を立て直さねばならぬということすらあるのです。。
しかし、なぜ、そうまでして「月に一回」くらいは(「能力試験」や「留学試験」がある月は、無理をしないようにしています)、連れて行くようにしているかというと、そこには、大きな理由があるからなのです。勿論、一番大きな理由は、「日本紹介」です。日本の「四季の行事や様子」を見てもらうということ。その時には主に「名所旧跡」に連れていきます。理系の学生が多い時には、「科学館」に連れて行くこともあります。これは、「勉強」の面から見た場合ですが、それに付随する出来事が、もう一つの大きな理由となっています。
もし、学校でいろいろなところに連れていかなかったら、おそらくは、「学校」、「アルバイト」、「寮」の三つの場所で終始してしまうであろう彼らの生活に、メリハリをつけさせるということなのです。「気分転換」と「明日への気力を養う」ためなのです。
これは、大学受験前に、学生達に「日本に来て楽しかったこと」とか、「日本に来て記憶に残っていること」などを書かせてみると、一目瞭然です。学生達の中には、教師引率で、一緒に行った場所の事しか書けない学生がいるのです。外国から来ている学生にとって、どこかへ行きたいと思っても、どこへ行っていいのか判らない。それに、一人で行くのは怖いし、つまらない。「学校」「アルバイト」「寮」という三つの場所を行き来するだけでは(よほど目的意識がはっきりして、強い意志を持った学生以外は)、直に、心身共に草臥れ果てて、何のために勉強をしているのか判らなくなってしまうのです。
日本には、かつてこういう「留学生崩れ」の人達がたくさんいました。国費ではないので、国からの援助は期待できません。両親から十分すぎる程のお金を送ってもらえる人はほとんどいないので、勢い、アルバイトは欠かせません。しかし、母国では働いた経験などないし、それほど勉強した経験もない、そういう人が、異国で、それをしようというのですから、無理に無理を重ねるということになるのです。
「日本は、先進国で豊かである。以前留学して、大学を出、お金持ちになった人を知っている。よし、自分もがんばるぞ」と出てきたのはいいけれど、それはあくまで「気分」だけのことに過ぎず、「いざ、アルバイトや勉強をする」となると、母国にいた時と同じ、適当にやってしまい、成果も上がらず、従って他者からの評価は厳しいものになる。つまらない。おもしろくない。すべては、(自分自身が)気分で日本へ来たことから起こっているように思えるのですが、本人はそうは思っていない。そうして、日本での生活が、だんだん無意味なものに思えてくる、そのうちに、まずくすると、道を外してしまうということにもなりかねないのです。
場所を選んで、時を選んで、私たちは、学生達を「課外活動」の場所へ連れて行くのですが、私たちが「見てほしいもの」を見なかった、或いは見るゆとりがなく気づかなかった学生がいてもいいのです。私たちは、それを咎めることをしません。それは「きれいだった」でもいいし、「みんなと一緒で、自由におしゃべりが出来て楽しかった」でもいいし、「出会った日本人と話して、日本語が上手だと言われた。うれしかった」でもいいのです。明るい何かを、記憶に残してくれればいいのです。
若い彼らに、たとえどのような理由であろうと、一年或いは二年間を、勉強だけに集中させるというのは、難しいことです。
「遊ぶ時は遊ぶ」。「勉強する時は勉強する」。「働く時は働く」。このメリハリが適当にきいていれば、たとえ、何年か後に振り返ってみて、よく頑張ったなと思われるような生活であっても、そこには「ノスタルジア」こそあれ、伴うはずの「苦味」はあまり感じられないに違いありません。
異国へやってくるということは、親兄弟、友人と離れ、ある意味では、これまで彼らが培ってきたすべてから切り離されるということなのですから。これまでとは違うものを「一から築かねばならない」のです。私たちが思っている以上に、ストレスはあると思います。新しいクラスでの友人関係もそうでしょう。勉強もそうでしょう。アルバイト捜しや、アルバイト先での人間関係もそうでしょう。最初の興奮が終わって、それが日常になった時、それに耐えていけるかどうかが、その後、大学、或いは大学院卒業までの何年間を支配してしまうのです。
そんなとき、外で、自由におしゃべりしたり、きれいなものやまだ見たこともないものを見たりするのは、何よりの気分転換になります。それに、ついでに、銀座や日本橋、秋葉原を覗く学生もいるでしょう。「まだ、ものの価値も、値段もわからないのだから、買うな」ということを私たちは言います。本当に大切なものがあったら、その時に買えばいいのです。今、彼らは日本に来て、自分で働き、お金の価値がやっと判ったところだと思います。どこへ行っても、無駄遣いはしないでしょうし、買う前にちょっとは考えるでしょう。
日本での生活を「灰色」のものにさせたくない。そのためにも「課外活動」はあるのです。
日々是好日