日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「課外活動」の意味。

2008-12-10 08:58:32 | 日本語の授業
 今朝も早朝は、まだ雨がぱらついていました。明ければ、晴れてくるそうですが、晴れてくるというよりも何よりも、暖かいという予報がありがたい。

 膝が悪いので、雨が降ると覿面に響いてきます。その上、寒さまで加わると、階段の上り下りにさえ支障をきたしてしまいます。解決策は…「云々するよりも、まず痩せること。そんなに重い身体を抱えているから、膝だって耐えきれないのだ」とは、同僚の言葉なのですが、「その言や善し」とは、なかなかいきません。人間というものは、「膝が痛いから、歩かない。歩かないから、ますます太る」という「風が吹くと桶屋が儲かる」式の論法で、ぎりぎりまでやってしまうものなのかもしれません。現に、私は「芋虫」になっていますし…。

 とはいえ、この仕事には、「課外活動」がつきものです。「課外活動」は、外へ行かねばならぬことも少なくないのです。いつもなら、せいぜい教室と職員室との間を、何往復かすれば済むだけなのに、外に出て、しかも、道や階段を上ったり下りたりしなければならないのですから、「芋虫」にとっては大変です。

 もっとも、「課外活動」がなければ、ずっと教室に閉じこもっているだけでしょうから、ますます歩く機会が、なくなってしまいます。ジレンマですね。ただ、「外へ出る」と言っても、一緒に行くのが学生達ですから、そこはそれ、労ってもらっています。「あいつは、歩けないから、ちょっとスピードを落としてやるか」とか、「手すりのある、あちら側を譲ってやろう」とか…。

 「課外活動」というのは、教師側から見れば、ある意味では非常に面倒なことです。「場所の選択」から始まって、「季節或いは時間」の制約、それに、「お天気に左右される」こともあるので、天気予報と首っ引きで、しかも、それに応じて計画を立て直さねばならぬということすらあるのです。。

 しかし、なぜ、そうまでして「月に一回」くらいは(「能力試験」や「留学試験」がある月は、無理をしないようにしています)、連れて行くようにしているかというと、そこには、大きな理由があるからなのです。勿論、一番大きな理由は、「日本紹介」です。日本の「四季の行事や様子」を見てもらうということ。その時には主に「名所旧跡」に連れていきます。理系の学生が多い時には、「科学館」に連れて行くこともあります。これは、「勉強」の面から見た場合ですが、それに付随する出来事が、もう一つの大きな理由となっています。

 もし、学校でいろいろなところに連れていかなかったら、おそらくは、「学校」、「アルバイト」、「寮」の三つの場所で終始してしまうであろう彼らの生活に、メリハリをつけさせるということなのです。「気分転換」と「明日への気力を養う」ためなのです。

 これは、大学受験前に、学生達に「日本に来て楽しかったこと」とか、「日本に来て記憶に残っていること」などを書かせてみると、一目瞭然です。学生達の中には、教師引率で、一緒に行った場所の事しか書けない学生がいるのです。外国から来ている学生にとって、どこかへ行きたいと思っても、どこへ行っていいのか判らない。それに、一人で行くのは怖いし、つまらない。「学校」「アルバイト」「寮」という三つの場所を行き来するだけでは(よほど目的意識がはっきりして、強い意志を持った学生以外は)、直に、心身共に草臥れ果てて、何のために勉強をしているのか判らなくなってしまうのです。

 日本には、かつてこういう「留学生崩れ」の人達がたくさんいました。国費ではないので、国からの援助は期待できません。両親から十分すぎる程のお金を送ってもらえる人はほとんどいないので、勢い、アルバイトは欠かせません。しかし、母国では働いた経験などないし、それほど勉強した経験もない、そういう人が、異国で、それをしようというのですから、無理に無理を重ねるということになるのです。

 「日本は、先進国で豊かである。以前留学して、大学を出、お金持ちになった人を知っている。よし、自分もがんばるぞ」と出てきたのはいいけれど、それはあくまで「気分」だけのことに過ぎず、「いざ、アルバイトや勉強をする」となると、母国にいた時と同じ、適当にやってしまい、成果も上がらず、従って他者からの評価は厳しいものになる。つまらない。おもしろくない。すべては、(自分自身が)気分で日本へ来たことから起こっているように思えるのですが、本人はそうは思っていない。そうして、日本での生活が、だんだん無意味なものに思えてくる、そのうちに、まずくすると、道を外してしまうということにもなりかねないのです。

 場所を選んで、時を選んで、私たちは、学生達を「課外活動」の場所へ連れて行くのですが、私たちが「見てほしいもの」を見なかった、或いは見るゆとりがなく気づかなかった学生がいてもいいのです。私たちは、それを咎めることをしません。それは「きれいだった」でもいいし、「みんなと一緒で、自由におしゃべりが出来て楽しかった」でもいいし、「出会った日本人と話して、日本語が上手だと言われた。うれしかった」でもいいのです。明るい何かを、記憶に残してくれればいいのです。

 若い彼らに、たとえどのような理由であろうと、一年或いは二年間を、勉強だけに集中させるというのは、難しいことです。

 「遊ぶ時は遊ぶ」。「勉強する時は勉強する」。「働く時は働く」。このメリハリが適当にきいていれば、たとえ、何年か後に振り返ってみて、よく頑張ったなと思われるような生活であっても、そこには「ノスタルジア」こそあれ、伴うはずの「苦味」はあまり感じられないに違いありません。

 異国へやってくるということは、親兄弟、友人と離れ、ある意味では、これまで彼らが培ってきたすべてから切り離されるということなのですから。これまでとは違うものを「一から築かねばならない」のです。私たちが思っている以上に、ストレスはあると思います。新しいクラスでの友人関係もそうでしょう。勉強もそうでしょう。アルバイト捜しや、アルバイト先での人間関係もそうでしょう。最初の興奮が終わって、それが日常になった時、それに耐えていけるかどうかが、その後、大学、或いは大学院卒業までの何年間を支配してしまうのです。

 そんなとき、外で、自由におしゃべりしたり、きれいなものやまだ見たこともないものを見たりするのは、何よりの気分転換になります。それに、ついでに、銀座や日本橋、秋葉原を覗く学生もいるでしょう。「まだ、ものの価値も、値段もわからないのだから、買うな」ということを私たちは言います。本当に大切なものがあったら、その時に買えばいいのです。今、彼らは日本に来て、自分で働き、お金の価値がやっと判ったところだと思います。どこへ行っても、無駄遣いはしないでしょうし、買う前にちょっとは考えるでしょう。

 日本での生活を「灰色」のものにさせたくない。そのためにも「課外活動」はあるのです。

日々是好日

「日本」へ「留学する」ということ。

2008-12-09 07:41:53 | 日本語の授業
 今日は、午前中にも雨が降り出すとのことでしたから、こんなに雲が立ちこめているのでしょう。とは言いながら、暖かい一日の始まりです。昨日は寒空の下、手袋なしでは自転車に乗れませんでした。ところが、今朝は、外へ出るなり、手袋を重く感じる位でしたから。

 さて、一昨日の試験の様子を、朝、個表を取りに来た学生に聞いてみました。最初に来たのは「Aクラス」の「一級」受験者。「難しかったけれど、去年と同じくらい」。そう聞いて、一年ごとに難易を異にするという予測は覆されたわけです。先週、緊張して、カリカリしていた「Bクラス」の「おしゃまさん」達に、「去年(「二級試験」も「一級試験」も)難しかったから、今年は簡単かも」などと言って元気づけていたのが、少々悔やまれました。彼女らは、元気な時には「ヒマワリ」のように明るくなるのですが、失敗するとすぐに、霜にやられた「コスモス」のような姿になってしまうのです。

 案の定、授業に行き、話が「能力試験(二級)」に及ぶや否や、「先生!言わないで!」「聞きたくない」の声が、話を遮ってしまいました……。

 がんばっていたから、余計そうなのでしょう。学校で実施した模試では、だいたい合格点ぎりぎりというところで、「運がよければ、この一線を越えられるかもしれない」と思われていたくらいだったのですが、高校を出た人達には、半年足らずでの「読解・文法(二級)」は少々手に余ったのかもしれません。

 彼らは、高校卒業後日本留学を決めたわけですが、これと反対に、高校卒業後に中国留学を決めた、若い日本人には、いつも哀れさもあって、やりきれない思いを抱いていました。なんとなれば、この四年間に、日本でならば、得られるであろう知識というものは、中国では絶対に得られない程、多量で質も良いものだからです。

 日本の、テレビの、良質な番組を選んで見てさえいれば、それだけでもかなりのものが得られるのですが、それに大学では専門家の話まで聞けるわけですから、さらに深く知識を得ることが出来ます。

 中国の人達の場合は、ちょうどそれとは反対になると思います。日本語さえ上手になっていれば、多くの知識を自由に、幅広く習得することができるのです。自由主義国家というのは、問題も多々あることは事実ですが、この点においては、他国を凌いでいると思います。

 高校卒業後、彼らが日本に来て、そして、もし、一年程で、「一級(日本語能力試験)」レベルに達し、しかも、その後、大学受験までに、半年乃至、一年程の余裕があれば、(それは、すでに「中学生」対象くらいの教材は読めると言うことですから)かなりのものを、「読解教材」として与えることが出来ます(ここには、文学教材だけではなく、美学者の書いた建築に関する考察などや、特定の研究分野からの発想と趣を異にする、「学際的研究者」の様々な考察なども含めます)。その上、最先端の科学や、新しい経営方法、また、当然のことながら、日本や世界各国の文化的領域に属するものなども、映像として見、耳で聞き取ることもできるのです。

 しかしながら、まずは、何を擱いても「日本語の習得」です。それができなければ、すべては「絵に描いた餅」で終わるだけです。実際問題として、一年半程で、せいぜい一級レベルという学生も少なくないのです。毎年のように、準備した教材がお蔵入りしていきました。勿論、私は無駄に準備したとは思ってはいません。いつかは必ず役に立つという信念の下に準備しているわけですから。

 「一級」後(一年で「一級」習得、そして、その後ですから)、長くて一年か半年の時間しか、こういう日本語学校では許されていません。しかも、学生達は、ほとんどが、普通の高校生だった子供達です。学校での成績も「普通」だったと思います。その上、親許ですべてを親に任せて生活していたことでしょう。そう言う人達が、自分で炊事・洗濯・掃除をやりながら、アルバイトもする、そして、毎日学校へ通いながら、勉強する、宿題もするという生活をするわけです。これは、考えるより大変なことに違いありません。なんとなれば、まだ言葉も十分に習得していない異国でそれをし始めるわけですから。
 
 たとえ、今回、合格できていなくても、わずか半年で、ここまでがんばることができたのですから、私たちから見れば、大したものです。今回「二級試験」を受けたクラスは、今年の「七月生クラス」。前にも書きましたが、中には7月に「あいうえお」から始めた者もいます。

 語学の分野では、「発音」もそうですが、ある程度「先天的な」要素を抜きにしては語ることができません。母語で書かれた文章ですら読み取れなかった人が、外国語で書かれたものの文意が、簡単にわかるかというと、まずは無理でしょう。

 ですから、日本に来、授業に参加し始めた段階で、この人はどこまで伸びそうだという予測は、ある程度できることなのです。そういう人には二クラス分、午前・午後と受けてもらい、時期が来たら、上のクラス一本に絞ってもらいます。もちろん、普通の速度でやったほうが伸びると見なせば、そうしてもらいます。人、それぞれ違いますから。無理に上のクラスにいっても、上手になれるというものでもないのです。

 それに、人には、自分にどんな才能があるのか、なかなか判るものではありません。ただ、日本に来て、それを開花させるには、どうしても「日本語の習得」が必要になるのです。道具がなければ、何も作れません。それがなければ、「私は天才だ」と喚いたところで、だれも相手にしてくれないでしょう。当たり前の事ですが。

 昨日は、二時間授業をして、後で「白雪姫(ディズニー)」を見ました。前の時間までふくれっ面をしていた「おしゃまさん」達も、気分転換が出来たらしく、映画に集中していました。笑うべきところで笑い、ドキドキするところでドキドキしていましたから、ヒアリング力は確実についているのがわかります。彼女らの最終的な目的は、「留学生試験(6月)(11月)」であり、「能力試験(一級)合格)」であり、「(彼らが)希望する大学の希望する学部合格」なのですから、道はまだまだ長いのです。

 ちょっとばかり躓いたって、どうってことありません。それは、私たち(教員)が、すぐに薬を塗ってやります。ただ、彼らには、彼らの夢の実現のために必要であると、私たちが見なし、準備したことには、すべて参加し、実行してもらいたいと願うばかりです。

日々是好日

「宗教」と、「外国語」の勉強。

2008-12-08 07:41:24 | 日本語の授業
 今朝は、黒い雲の下を駆けてきたような気分です。木々の花はもうこの辺りでは見あたりません。木々は、既に名を失い、そこに静かに佇んでいるだけ。「師走」ですものね。「これもまたよし」といたしましょう。

 さて、昨日「日本語能力試験」が終わりました。終われば、もういいのです。がんばったのですから。次は「留学生試験(6月)」だなどとは、今日は、もう言いますまい。

 「棒の如きもの」で貫かれた「去年今年」と見るか、「来年のことを言うと鬼が笑う」と見るか…どちらにしても、確実に、昨日は終わり、明日はやって来るのですから。

 まあ、今週は「中休み」というところです。嫌われることも、来年にとっておきましょう。在日の方の中には、来年の新学期まで一時帰国をするという予定の人もいることですし、また、学生達は今週の末には「ディズニーランド」が待っている事もあり、今週は、「ディズニーランド」、「クリスマス」「大晦日」「お正月」の話題で終始しそうな気配です。それでも、来年、受験を控えたクラスは、嫌でも走っていなければなりません。

 それにしても、先週末、若い先生が、学校を「クリスマス」一色に変えてくれました。その時、例の四歳の男の子も飾り付けを手伝ってくれたようで(トナカイや鈴の位置がかなり下なので、それと判ったのですが)、玄関辺りは赤一色。急に「試験」の厳しい表情から、華やいだ雰囲気になっています。

 今年はイスラム教を信じる学生がいないので、どこかしら静かです。日本の、いわゆる「日常」を、そのまま、問題なく、学校でも踏襲しているような感じなのです。

 中国にいる頃(もう20年以上も前の事ですが)、ある日突然、友達の友達くらいの関係しかなかったアラブ人に問い詰められた事があります。
「日本人は、どんな神でもいいのか」
「…どんな神でもいいとはどんな意味なのか」
「誰でも拝むのかと聞いているのだ」

 この時、思わず、「友好的で、いい神様なら、誰であろうと拝むのに、やぶさかではないが、けんか腰の神様なら、だれであろうと嫌だ」と言ってやりたかったのですが、ふと己が国を思いやると、「貧乏神」もいれば、「疫病神」もいます。実際に神社もあり、拝まれている例もあるので、ちょっとそこまで強く出られなかったのが、残念。それで、
「友達の神なら、きっといい神様だろうし、挨拶ぐらいするのは当然だろう」
と、茶化してやろうとしたのですが、相手は一言、切り口上で、こう来ました。
「だから、日本人は信じられないんだ。」

 そう言って、周りのアラブ人に、身振り手振りで何か言い始めたのです。周りのアラブ人達も、頷いたり、返事をしたりしながら、私を非難するような目で見ていました。たった一人の神しか信じていない人達であり、「人たる者」は、そうあらねばならぬと信じきっている彼らから見れば、私も含めて、日本人とは非難すべき存在なのでしょう。

 けれど、イスラム国家でも、実際に力を持っていた時代、しかも全盛期には、あらゆる人の信仰を認めていました。それは個人の問題に過ぎないとしていたのです。自分の神と違うものを信じている人には、かなりのペナルティを課すとしても、それで、相手の人格を云々するようなことはなかったと思います。

 前に、この学校にも、イスラム教を信じる学生がいました。彼はバングラデシュから来ていたのですが、先ほど申し上げたアラブ的な要素はほとんど見受けられませんでした。少しずつ探りを入れるような感じで話を進めていったのですが(授業の時に、どうしても話が宗教に及ぶことがあります。二年近くも学生としていてもらうので、互いに嫌な思いを記憶の片隅であろうと残すのはいやだったのです)、おおらかに笑って、感じとしてはそれほど拘っていないようなのです。

 大学入試を控えた頃、面接の練習やら、作文の練習やらで、この学生と二人きりになったことがあります。その時に、例の、自分の体験を話し、彼の考えを聞いてみました。

 「私たちは、パキスタンから独立した。その時はイスラム教徒もヒンズー教徒も仏教徒もみんな銃をとった。みんなで独立戦争に勝ったのだ。だから、宗教は関係ない。彼らはよき隣人であり、友達だし、バングラデシュの国民だ」

 きれい事過ぎるかもしれませんが、確かにそう信じているようでした。同じ神を信じ、日本人から見れば十把一絡げで「イスラム教徒」なのですが、それぞれの国家、民族等に様々な事情があり、複雑なのだということはわかりました。

 ただ、宗教の問題は難しいのです。日本にいれば、表面的には出てこないので(何となれば、日本国の大部分が日本人であり、日本人は普通、よほどの害を被らない限り、宗教には、「敬して、遠ざく」という態度をとっていますから)、たいしたことはないように思われるかもしれませんが、中国ではいろいろな場所で、外国人同士、或いは外国人と中国人との間に小競り合いがありました。

当時(20年前)は、今と違い、中国人の中にも、仏像を拝んでいる人を「野蛮人」、あるいは「後進国」の人間と見なす人も、少なくなかったのです。もしかしたら、それは表面上のことで、実際は、そうせざるを得なかったのかもしれませんが。それに比べ、日本人は、ある意味では節操がなく、ある意味ではおおらかで、神仏と聞けば、何にでも手を合わせ、「みんなが幸せになりますように」と祈ってしまうという善き(?)習慣を持っています。しかしながら、それすら、憚られるような時代だったのです。

 実際に、お寺で、仏像を拝んでいる人の後ろで、唾を吐いて罵っている中国人を見たことがあります。

 また、イスラム教を信じる者同士、或いはイスラム教を信じる人と北朝鮮から来た人達(当時まだ韓国と国交がなかったのです)の間で、諍いもありました。イスラム教を信じる人達同士の諍いは、双方の言葉が分かりませんでしたので、後で友人達に聞いて概略を掴む程度だったのですが、その友人達にしても、信仰がありましたから、それぞれの贔屓はあったのでしょう。確かなことは判りません。

 イスラム教を信じる人達と北朝鮮の人達との諍いも、はっきり言えば、お互いに嫌いだから諍いになるのだとしか思えないようなものでした。必ず、最後は同じ言葉で終わるのです。

 「イスラムなんか信じるから、おまえ達の国は遅れているんだ」
 「おまえ達の国は共産主義の国じゃない。宗教なんだ。しかも、生きている人間を信じているという遅れた国なんだ」

 「おまえの方が遅れている、おまえの方が貧しい」と、互いの国をよく知らずして、罵り合うわけですから、間に立っている中国人の先生も大変だったと思います。なお、一言付け加えさせていただけば、双方とも、私たち日本人には、本当に友好的でした。

 この学校に、イスラムの国から来ていた就学生達は、勉強時間も、学習内容もすべて私たちの言う通りにしてくれましたし、そうできない時も相談してくれました。ですから、私が思っていたよりも、彼らとの間の信仰上における摩擦は(あったとしても)少なかったと思います。

学校は勉強するためにあるのであって、どのようなことであれ、諍いをするためにあるのではありませんから。

日々是好日

「初めての模擬試験」。「『見直し』の大切さ」

2008-12-05 08:15:32 | 日本語の授業
 静かです、今朝は。小鳥達はどこへ行ってしまったのでしょう。雀の声さえ聞こえません。意地悪なヒヨドリの姿も見えません。

 随分、裸の木々が増えました。その中にあって、サクラだけは葉を落としても、黒くは見えません。他の裸木たちと比べると、黒ずんだ中にもピンクの色を感じてしまうのです。こういうのを「残んの色香」とでも言うのでしょうか。見上げた根性です。サクラは「葉を落とし、花がなくとも、サクラはサクラ」というところなのでしょう。

 さて、昨日の「模試」です。先日は「Aクラス」と「Bクラス」に、「『一級』・『二級』『三級』試験」を実施しましたので、今日は、いよいよ「Cクラス」と「Dクラス」です。

 「Cクラス」は、小さい教室で、「三級試験」。「Dクラス」は、一回り大きい教室で、「四級試験」を実施しました。

 お隣の教室なので、私が併せて見ることにしました。これが二つとも「Dクラス」のように、初めての「模試」であると、大騒ぎということになるのですが、「Cクラス」は、既に「四級試験」も終え、「三級試験」も一度経験しています。大丈夫でしょう。

 授業の前に、大丈夫かどうか、確認を取ってみました。前回「先生、判らない…」と心細そうな声を出していた(実は、その前の「四級試験」の時のことをすっかり忘れていたのです)中学生さんも、「大丈夫」と胸を叩いたので、一安心です。ということで、先に「Dクラス」の方にかかりました。

 まず、「机の上に筆記道具以外置かない」ということを徹底させます。「先生が、『始め』と言ったら、始め、『終わり』と言ったら、終わり」ということも、言っておきます。これは、実際に、「鉛筆を置いて」をさせてみます。そうすれば、ヒアリングが多少悪い学生にも通じます。「ヒアリング」の説明は、試験の時にすることにして、「文・語彙」の解答用紙を配布します。

 「はい、まず、解答用紙に名前を書いて」と書かせて、その間に、問題用紙も配ります。さあ、早速、開いて見ようとする学生が出てきました。「ブー、ブー」ですね、赤信号です。これは、学校で習慣づけておかないと、本番でやってしまうということにもなりかねません。次に、問題用紙にも名前を書かせて、時間を確認した後、「始め!」。すると、一週間前に来たタイの学生が(「書けるところだけでもいいから、書いてごらん」と言っていたのですが)、「先生、だめ、だめ。わからない」と訴えます。それで、急遽、下の階で自習をしている「Aクラス」と「Bクラス」の学生達のところへ連れていきます。教科書も何もかも持たせて。

 下の階では、日曜日の「日本語能力試験」に備えての勉強でしょうか、いつもとは異なり、コトリとも音がしていません。それが、私が彼を連れて行った途端、バアッと明るくなりました。午前中の授業でも絞られたことですし、ちょっと休憩したかったのかもしれません。このタイから来た学生は19歳ですので、一番年の近い21歳の男子学生に預けます。

 ところが、何にでも、すぐ好奇心を持ってしまう一人の女子学生が、肩代わりを申し出たらしく、帰りに「私が面倒をみてあげました」と一言。この子は七月に来たばかりなのですが、「『二級試験』合格」の線上すれすれにあるので、今回だけは勉強に集中して欲しかったので、声をかけなかったのです。が、いつもの如く、「アッ、タイ人だ。新顔だ。面白い」とばかりに、近寄っていったのでしょう。「Aクラス」の学生のうち、残っていた男性二人は、彼らと比べれば、もう十歳程も上になります。二人のやりとりを、おもしろがりながら、余裕を以て聞いていたようです。誰も文句はつけなかったようですから。

 さて、彼を「上級クラス」に預けたので、後は安心して、「C・Dクラス」の面倒をみることができます。「文字・語彙」が終わって、「ヒアリング」に入ったところで、「やり方」の説明をしました。どうしても、(Ⅰ)と(Ⅱ)の答え方が違うので、初めての学生は戸惑ってしまうのです。最初の説明で、カンボジア人の学生は判りました。中国人の学生は一人が判れば、他の人に中国語で説明をしてくれますので、大丈夫。フィリピンから来ている17歳の少年は「判りません」と、かつての「Cクラス」の中学生さんと同じような心細い声を出します。

 モンゴルから来ている人も、判っていない様子なのを目の端に捉え、まずはフィリピンの少年から、一対一で説明をしていきます。この子の方が、判らないでいることに耐えられないのです。モンゴルから来ている女性は、年齢も高いし、大卒なので、待つことが出来ます。二人への説明を終え、さあ、始めます。

 「Dクラス」の「ヒアリング」の説明に手間取っている間に、「Cクラス」の方が、一・二分オーバーしたようです。静かなのに、安心しながら、入っていったのですが、ところが、私が教室に入るなり、「先生、難しかった」とか、「出来た」とか、「前の試験より難しい」とか、子雀たちのように囀り始めます。そこを制して、「ヒアリング」の開始です。中学生さんに、もう一度、「大丈夫」と聞くと、「大丈夫」と大きな声で請け合います。他の学生達も「先生、大丈夫。ねえ」と面倒を見てくれそう…(あわてて、「教えてはいけません」。「勿論」という声が返ってきたので、ホッとしましたが)。もう半年近く一緒にいると、「運命共同体」めいた「連帯意識」が生まれ、時々「無用の助け合い」をしてしまうので、その点は要注意なのです。

 「Cクラス」から戻ると、今度は「Dクラス」の「ヒアリング(Ⅱ)」に入るところでした。もう一度、CDを利用しながら、説明を繰り返します。中国人は大丈夫だろうと放っておいたのが、失敗でした。モンゴル人女性やフィリピンの少年の世話に手間取っているうちに、「例」なのに、「1」の答えのところのマークシートを塗りつぶしている中国人学生を、一人、発見。慌てて消させます。「ヒアリング」が終わったところで、「読解・文法」を配布します。あとは静かにやればいいだけですので、もう一度、「Cクラス」を覗いてみます。

 すると、「先生、○番と、○番はおかしい。声が急に消えた。CDの問題です」との声。「ヒアリング」の試験が終わってから、その部分をもう一度やらせてみると、何のことはない、必要ない部分が、シュルシュルルとだんだん小さい声になって消えていっただけのことだったのです。こういうのは、初めてだったので、「こいつは、てえへんだ」と驚いてしまったのでしょう。終わるとすぐに、「Cクラス」も「読解・文法」に入ります。

 そのうちに「Dクラス」の試験が終わりましたので、答えを配布して、次の授業の先生を呼びに行かせます。そして、私は「Cクラス」の方に入ります。

 どうも、学生達に見直す習慣をつけてやらないといけないようです。一応書き終えてしまうと、ニコニコして話したそうにこちらを見つめています。話しかけられても、困りますから、知らん顔して、採点に集中している風を装います。「見直しなさい。まだ、20分もある」と言っても、だめですね。痛い目を見ないことには判らないようです。

 案の定、終わってから、自主採点をし、「280点は超えている」と大喜びしていた学生が、こちらの採点では大きく下回っていることがわかり、大騒ぎ。「先生、どうして」と電卓を奪い取って、自分で計算を始めました。そこで、「問題用紙の方には①に印をつけているけれども、解答用紙では②を塗りつぶしているでしょう。この「問い」には、どれも塗りつぶしていないのに、下の「問い」には二つも塗りつぶしているでしょう」と優しく言った後で、「だから、見直せと言ったのに、見直さなかった君が悪いのだ」と一喝。彼は「ショックだ。ショックだ」と騒ぎながら帰っていきました。

 本当にそうなのです。見直すと言うことはとても大切なことなのです。いい点数を常にとれる人達は、時間ぎりぎりまでがんばります。チェックも怠りません。この学校にいる間に、この習慣を身につけてほしいものです。

日々是好日

「最終目的」と、「目先の試験」。

2008-12-04 07:45:02 | 日本語の授業
 「神宮外苑」で、「イチョウ」を見たからでもありますまいが、この町のそこここで、黄葉した「イチョウ」が目につくようになりました。つい先だってまで、木々の「緑」に埋もれていた「イチョウ」が、晩秋の頃になって、やっと自己主張をし始めたような気がします。

 「ああ、こんな所にも君はいたのか」といったような具合です。華やかな「黄葉」を持たねば、そのまま、「その他諸々」で終わってしまうような、目立たない樹なのですね、「イチョウ」とは。

 さて、今年も「師走」となりました。来年の「四月生」の申請を、今日、入国管理局に持って行かねばなりません。「(資料が)まだ来ない、まだ来ない」と、いつまでも慌ただしく走り回っている教員を尻目に、学生達の様子は不思議と静まりかえっています。

 本来ならば、年の瀬で忙しいはずなのに、本当に不思議です。私は教壇に立つことの方が多いので、申請などで、忙しさに「波のある状態」というのは、なかなか理解できないのですが、このところ、毎日、まるで、右の目で「大波の逆巻く海を見」、左の目で「平穏な日常生活」を見ているような気がします。

 学生達の様子が不思議と落ち着いて見えるのも、彼らなりに、皆、学校の勝手が分かってきたからでしょう。今年の「七月生」は、そろそろ古強者といった面差しを帯びてきました(少々早すぎるのではないかという気がしないでもないのですが)。「十月生」も、慣れきった様子で「個表」をとり、教室へ向かうようになりました。もう「先生、先生」と騒ぎ回ることもありません。もう少し経って、「Aクラス」の学生達の、大学や大学院の面接やら、事務手続きやらが始まると、また、職員室も、落ち着きを失っていくのでしょうが。

 それにしても、「日本語能力試験」が、あと三日に迫っているというのに、卒業を控えた学生達の様子は、驚く程静かに見えます。これも、この試験の持つ「重さ」が、数年前とは随分変わって来たからなのかもしれません。

 勿論、卒業を控えているからには、「日本語能力試験(一級)」に合格したいでしょうが、実際の所、この試験よりも、「留学生試験」の占める比重の方が、ずっしりと重くなっているのです。特に「国立大学」をめざす者や、「大学側の受験条件」として、「総合問題」や「数学Ⅱ」などが入っている大学を選んだ者の場合、受験して、ある程度の成績を取っていないことには、「受験資格」さえ、与えられないのです。

 それに引き替え、在日の、日本での会社就職を目指している方にとっては、まだまだこの「日本語能力試験」というのは、重みを持っています。

 この学校では、今年の「十月生」は、申し込みに間に合いませんでしたが、「四月生」、「七月生」共に、漢字圏の学生は「二級」、非漢字圏の学生は「三級」を目指してもらっています。

 「今週の模試」が終わってから、試験の結果にカリカリ来ている「七月生」(漢字圏)に、勇気づけると言うより、慰めるのに骨が折れました。あまり慰めすぎても何ですし、放っておくと、夜眠れない人も出てきますから。その結果、ちょっと安心させすぎたみたいで、少々後悔しています。

 まあ、漢字圏の学生にとって「日本語能力試験」における最終目的というのは、「『一級』合格」であって、「『二級』合格」ではないということ。文法などは、死にものぐるいで覚えられたとしても、わずか半年では、「ヒアリングのレベル」や「単語の量」はそれほど高望みできないということ。こんな慰め方をしたのですが、最後に一言付け加えておきました。

 まだ、「過程」に過ぎないのだから、受験勉強に走りすぎて、毎日の授業をおろそかにすると、最終目的地に到達できなくなるということです。これは脅しではないのです。『中級』の教科書には、「二級」レベルの文法だけではなく、「一級」レベルの文法も出てきます。「日本語能力試験」で、そこを突かれる場合もあるのです。「先日の模試」で、学生が質問に来たところもそういう箇所でした。

 学生曰く「先生、『二級の文法書』に載っていません」。しかしながら、その文法は、「中級」の教科書で既に勉強していた所だったのです。その学生は、非常にまじめですから、「試験」、「合格」と言う言葉が、毎日頭の中で渦巻いていたのでしょう。それまでは「ディクテーション」の間違いもほとんどなかったのに、一ヶ月程前から、間違いがかなり目立つようになりました。それでも、許せる範囲ではあったのですが、受験の弊害でしょうか。

 この「最終目的」と、「目先の試験」とを、はき違えると、後で大事になってしまいます。在日の人(漢字圏)は「一級試験合格」、(非漢字圏)は「二級合格」で、日本での「会社就職」であり、大学や大学院をめざす者は「留学生試験での高得点」で、「奨学金の獲得」であるのですから。また、かれらにとっては、そのための、過程の一つとしての「一級試験合格」なのですから。

日々是好日

「バランス」よく学ぶための「学び直し」。「二級試験」。

2008-12-03 07:57:14 | 日本語の授業
 今朝は、いい風の中を学校へ来ました。けれど、学校へ着くと、どうも辺りの鳥の様子がおかしいのです。「ピー、ピー、ピュルルルウ」という鳴き声が何度も何度も聞こえてきます。窓から覗いてみますと、ヒヨドリが一羽、アンテナ上に止まって、心細そうに鳴いていました。いつもの意地悪なギャングの姿ではありません。誰かを呼んでいるのでしょうか、それとも何かを求めているのでしょうか、どうもそんな風情なのです。

 思わず、「誰か探しているの」と尋ねてみましたが、返答はありません。どうしたのでしょうね。ちょっと気になります。しばらく見ていると、ついと飛んで行ってしまいましたが、無事見つけられたのでしょうか。

 昨日、「一級」と「二級」、「三級」の模擬テストをしました。対象は「Aクラス」と「Bクラス」の学生達です。「Bクラス」では、漢字圏の学生には、「二級」、非漢字圏の学生には「三級」を受けてもらいました。非漢字圏であっても、既に「三級」に合格している学生は、今度は「二級」に挑戦です。前回の模擬テストで「三級」に合格していても、今回「三級」の申し込みをしている学生は、勿論、引き続き「三級」を受けます。

 「Aクラス」の学生達は、大学の入学試験が始まっていますし、大学院の申し込みに終われていることもあって、なんとなく、当たり前の日常の中で、淡々と試験を受けているような感じです。それに引き替え、「Bクラス」の「二級」対象者は、カッカ、カッカと来ていて、落ち着かせようと、こちらの方が大わらわになってしまいました。

 この学校には、「就学生」だけでなく、地域に住む外国の方も日本語を学びに来ています。「夫の仕事で日本へ来た。早く『日本語能力試験(一級、或いは、三級)』に合格して、自分も仕事をしたい」とか、「日本人と結婚したので、日本語が必要だから」とか、その理由は様々です。つまり、一色ではないクラスなのです。

 こういうクラスでは、「就学生」だけのクラスとは違って、学生の日本語の能力にばらつきがありますので、思わぬところで、大きな悩みを抱え込んでしまうという人も出てきます。どうしても、今年や去年、高校を卒業したばかりの学生達と自分とを比べて、焦ってしまうのです。特になかなか「彼らのようには聞き取れない」と言って。これも、私たちから見れば、(7月から始めた学生が大半ですから)「読解」などでは、彼らの方が優れていますから、イライラする必要はないと思うのですが。

 就学生の場合、漢字圏、非漢字圏に限らず、「日本語能力試験(四級)」以上というのが、来日の条件になっていますので、一応、みんな「四級」は合格して来ています(そのはずです)。けれど、中国から来ている学生達の大半は、大切な『初級』レベルに斑があったり、変な覚え方をしていたりしますので、『初級』の初めから、一応さっと学び直してもらっています。ちょうどレベルにあったクラスがあれば、二ヶ月程、午前と午後の両方に参加してもらうという場合もあります。

 けれど、単語が「分不相応」に、頭に入り込んでいる「在日の高学歴者」は、なかなか難しいところがあって、本人の望んでいる程には速く、ヒアリングのレベルを上げることができないのです。覚えた単語を聞き取れるようになる前に、新しい単語を覚え込んでしまうので、何が「読む」「聞く」「書く」「話す」の四分野に問題がない覚え方をしていて、何がそうではないのかが、解らなくなってしまっているのです。中国の人は、独学になると、単語さえ覚えていれば、「事足れり」とする習慣があるようで(日本も昔の英語教育はそうでしたけれど)、「バランスよく学ぶ」という具合にスイッチを切り替えるのが、苦手のようなのです。もっとも、これも、一年程のうちには「『一級』合格レベルか、それ以上にする」というカリキュラムを組んでいますので、一年単位で見れば、大丈夫なのですが。

 『初級』のうちは、単語は覚えすぎない方がいいようです。『上級』の頃になれば、嫌でも「スルスル」と覚えられるようになっていますから。日本にいるということは確かに日本語を学ぶ上では、すばらしいことです。「上級」も終わり、「留学生試験」のための準備をし始める頃には、「日本語の洪水の中にいる自分を発見する」ということになるのですから。

 そのためにも、出来るだけ早くこちらの意のあるところを汲み取って、がむしゃらに、暗記、暗記を繰り返さず、落ち着いて日々の勉強に励んでもらいたいものです。そうしなければ、結果論として、ますます「聞く」「話す」の世界から遠ざかってしまうということにもなりかねません。

 何事でもそうですが、語学を学ぶ上で、「無理は禁物」です。7月から始めているわけですから、「今年の二級」に合格できなくとも、焦る必要は全くないのです。合否に関わりなく、試験勉強はきちんとしたわけですから、していない人に比べれば、随分理解度は増しているはずです。最終目的は「来年の7月」の「日本語能力試験(一級)」なのですから、目先の「今年の12月の『二級』試験」に、必要以上にカリカリせずともいいのですが、そこはそれ、参加する以上、「不合格」はいやですものね。参加することに「意味」があるのだと言っても、「聞く耳持たぬ」状態の人が若干名います。

日々是好日

「黄葉見学(明治神宮外苑)」。「紅葉狩り(六義園)」。

2008-12-02 08:25:23 | 日本語の授業

 昨日とうって変わり、今朝は雨から始まりました。先日雁行している鳥を見かけましたが、この冷たい雨の中、今日も彼らは餌を求めて、空へ飛び立っているのでしょうか。

 さて、昨日の「紅葉狩り」です。延期のし甲斐がありました。



 まずは、「明治神宮外苑」からです。午前の強い陽ざしが、イチョウの「黄」を黄金色に変えていました。そのイチョウの美しかったこと。まさに、
「金色の ちひさき鳥の かたちして 銀杏ちるなり 夕日の岡に (与謝野晶子)」の世界でした。



 面白いことに、外国人の学生達が、イチョウの葉を拾って、「先生、蝶みたい」と言うのです。確かに、二枚を重ならないように広げれば、蝶の形になります。早速、明日の授業に、と思いましたが、残念なことに明日は模擬テスト。「日本語能力試験」まで、もう一週間も残っていません。けれど、「中級クラス」は、試験が終わってから、一時間程は授業が出来そうですから、この話をしましょう。

 というわけで、みんな「きれい、きれい」と大喜びで歩いていたのですが、この興奮が少し収まった頃のことです。記憶力のいい学生が、先日私が話した「落ち葉の蒲団」やら、「落ち葉の音」やらをしっかり覚えていたのです。少し怪訝そうな顔をして、私を呼び止め、「先生、音がしない…」。「ん!まずい!覚えていたか…」でした。

 イチョウの葉は音がしませんよね。薄いし、どちらかというと、「カラッ」よりも「ジメッ」と言い表した方がよさそうな葉です。しかし、イチョウというものを初めて見た学生もおり、そこいらの区別はつかないのです。葉が黄色や赤になれば、「病気ですか」としか考えられないような国の人もいるのですから。

 けれど、黄金のイチョウに包まれて輝いている学生達の姿はしっかりと写真の中に収められています。きっといい思い出になることでしょう。

 さて、十分にイチョウを楽しんだ後は、「六義園」へ直行です。

 「どうして『ロク(六)』を『リク(六)』と読むのですか」。早速中国人の学生が聞いてきました。その前では、10月に来たばかりの学生が「ロク、ロク、ロク」と既習の漢字を大声で読み上げています。

 「六義園」に入ってからも、「きれい。きれい」の歓声とシャッター音が続きます。

 10月に新しく入った若い先生は、自分の「クラス」に夢中で、彼らの後を追って写真を撮ってばかりいます。彼らと自分との記憶を留めるためなのでしょう。情がもう移ってしまっているようです。

 一方、前からいる若い先生は、漏れがないように、一人一人、がっちりとフィルムに収めています。「先生、私がいない」という声は、忘れようと思ってもなかなか忘れられるものではありません。そして、このようにして撮った写真の中から、一人一人の、一番「いい顔」を、卒業アルバムに使うのです。

 このような時、ひとりぼっちでいる学生がいないかと、私たちは常に気を配っているのですが、昨日も大丈夫でした。ひとりぼっちの学生がいたら、すぐに誰か教員が走っていきます。けれど、みんなだれかと一緒に楽しんでいるようでしたから、安心しました。せっかく美しいものを見に行っても、心に冷たい風が吹いていたら、少しも楽しくありませんものね。

 ここ、「六義園」は紅葉も見事でした(少々早かったような気もしないではありませんでしたが、まだ散り始めていなかったので、良しとしましょう)が、学生達は「雪吊り」や「菰巻き?」などの「冬囲い」にも驚いたようでした。「雪吊り」は、「兼六園」が有名ですが、東京の庭園も捨てたものではありません。

 そうして楽しんでいるうちに、パンフレットを見たのでしょう。フィリピンの学生が「先生、サクラはどこですか。見たいです」「サクラの樹のある所は、もう通り過ぎましたよ。今は冬ですから、桜の樹には花も葉もありません。サクラの花は春まで待たないとね」と言うと、「???」という顔をしているのです。どうも、紅葉とサクラはなかなか両立するものではないということが、感覚として理解できないのでしょう。

 「鎌倉見学」の時、「ピー、ピー」と笛のような音を立てる鳥のオモチャを買っていたインド人の学生は、またオモチャに目がいっています。今度買ったのは「独楽」です。「オモチャばかり買って、どうするのですか」と聞くと、「インドの家のショーケースに飾ります」という答え。「??」という表情をすると、「日本製ですから」。彼の言葉は、どこからが本気で、どこからが冗談なのか、全く判りません。しかしながら、ちょっと目を離すと、すぐに駅の構内で、独楽回しを始めようとするし、本当に油断できません。

 そうしているうちに、この学生が、「先生、駅員さんのあれはなんですか」と手真似を交えて聞くのです。電車が発車する時、駅員さんが「よし、よし、よし」と、安全を確認するあの手振りです。「安全確認のため」と、そう告げると、「でも、先生。だれもいません」。「いてもいなくてもするのです。形で、どんなことがあっても確認するように習慣づけられているのです」。インド人の学生が二人、頷きながら、「日本は世界で一番安全です」。

 不思議ですね。日本にいると、「日本の安全神話はどこへ行ったのだろう」と思ってしまうのですが、他の国から来た人達から見ると、そう思う私たちの方が奇妙に見えるようなのです。まあ、どちらにしても「安全な国」と見てもらうに越したことはないのですが。。

 というわけで、解散になったのは一時をずいぶん過ぎた頃でした。「先生、お腹がすいた…」で、もう飴ごときでは騙されないといった表情。解散の後は、行徳の町へ帰る者と、せっかく出てきたのだからと、銀座や日本橋へ行く者とに分かれました。

 私たちは、行徳へ戻る学生達と一緒に電車に乗り、こういう時間帯でしたから、ラッシュに揉まれることもなく、ゆっくりと座って帰れました。そして、駅に着いて空を見ると、もう雲が随分出ていました。本当にぎりぎりでしたね。よかった。よかった。ともかく、無事終了。私にとってはかなりの強行軍でした。

日々是好日。

「木の葉」のお蒲団。「自習室」。

2008-12-01 07:40:24 | 日本語の授業
 昨日の天気予報では「明日は寒い」とありましたのに、今日、必死で自転車を漕いでくると汗びっしょりになりました。お昼は、暖かくなるそうですから、「よかった」なのですが。

 今日は、「紅葉狩り」と「黄葉見物」で、都心にまいります。昨日の大風でみんな散らされていないといいのですが。

 事前授業として、学生達に「日本庭園」の紹介をした際に、ついでになのですが、子供の頃の遊び、「落ち葉蒲団」なるもののことを話しました。お天気が何日か続いた後に、風に落とされた落ち葉を集めてお蒲団にするのです。一人が潜り込むと、我も我もと潜り込み、大人が探しに来ても、見つけられません(本当は大人には見えているでしょうが、「あれ。いない。だれもいない」と言うのです。これは約束事です。大人も昔は子供だったのですから)。

 子供の方では、忍者にでもなったつもりですから、完全に見えていないと思っています。「木の葉隠れ」ならぬ、「落ち葉隠れ」とでもいったところでしょうか。この時の「ドキドキ」感と、寝転んでみた空の美しさ、落ち葉の匂いを今でも思い出すことがあります。思い出すだけではなく、木の葉の散り敷いた森なんぞへ行くと、つい、やってみたくなってしまうのです。勿論、あまり人のいない時ですが。しかしながら、これは、大人になった人にも伝染するようで、互いに見も知らぬ人同士であるにもかかわらず、一人がやり始めると、「あら、あら」と言いながら、ついつい釣られて、真似っこしてしまうのです。

 こうなると、大きな子供達が、木の葉の蒲団にくるまれて、木洩れ日を見つめるということにもなります。年を取って、子供の時と同じような遊びをするということほど、幸せなことはないのかもしれません。思えば、森の中には、大人を子供に戻させる、たくさんの秘密が潜んでいるようです。

 さて、「自習室」の学生達です。

 午前中は授業が続いているので、行くわけにはいかないのですが、午後は暇を見ては覗いています。学校でお弁当を食べずに、寮に戻って、食事を済ませて来る学生もいるので(戻ってきた時は、入る時に、「ただ今」と言う約束があるので、すぐ解ります)、一言二言、言葉も交わせます。中には、何か言われるだろうと、「ただ今」(言わないと言わないでまた文句をつけられると思っている…らしい)と言うなり、上の階へダダダッと上がっていく学生もいる。このような些事にも性格が表れて、なかなか面白いものです。

 午後の自習室は、三人掛けの机が四つ置かれています。一つの机にはコンピュータが場所を占めていますので、計算すると、11人は勉強できます。ただこの三人掛けの机なのですが、女性は三人で十分なのですが、男性にはちょっときついようです。いつも二人ですわっています。わたしたちにしても、学校で自習してくれる方がどんな勉強をしているかが解って指導しやすいので、助かります。方向や勉強のやり方が誤っている場合は、すぐに注意も出来ますし。

 その上、この教室に10月の終わり頃から、小さなお客さんが顔を見せるようになりました。4歳の男の子です。保育園の順番がなかなか来ないということで、それならば「エイッ」とばかりに、お母さんが子連れで勉強を始めたのです(今は週に二日だけ、保育園に預けることが出来るそうです)。来た時は「こんにちは」も「さようなら」も言えなかったのですが、最近は身振り手振りで意志を通じさせる術を覚えて、みんなにかわいがられています。それに、この子が、時折侵入するようになってから、うたた寝の回数もきっと随分減ったことでしょう。しかも、外に出ようとすると、必ず捕まるようなので(「通せんぼ」されてしまいます)、勢い、部屋に籠もって勉強せざるを得なくなるのです。

 自習しているのは、上の二「クラス」の学生達です。アルバイトの時間帯によって帰る時間も様々ですが、しかし、「寮は、寝て食事をするためのもの、勉強は学校で」という考え方は共通しているようで、これが伝統になってくれるといいですね。この自習室は平日の「午前九時から、午後五時まで」解放しています。

日々是好日