日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「他者」にとっての「自分」、「自分」にとっての「自分」

2008-10-23 07:55:03 | 日本語の授業
 近くの空き地にある、一叢の「ススキ」が、辺りを涼やかなものにしています。まだ穂も削げておらず、瑞々しさが立ち上ってくるかよう。いいですね。秋はこうでなくては。けれども、どこか「孤独感」が漂ってきます。それもそのはず、今朝の気温は18度前後とか。風も生暖かく、秋にはほど遠い。暦の上では、疾うに秋になっているはずですのに、なかなか「清冽な秋」とはいきません。最近は、どこか、変です。

 こんなわけで、朝のクラスの学生達の中には、勘違いした服装で学校にやってくる者も出てきてしまいます。

 昨日もそれほど寒くなかったからでしょうか、全くの「夏服」で、やって来た学生がいました。タイやフィリピンからきた学生が「変です。寒いです」と驚いていたのですが、「大丈夫」とすまし顔。私たちもびっくりして、「夕方は寒くなるから、すぐに羽織れるように、いつも一枚は持っておきなさい。油断すると風邪を引いてしまいます」と言ったのですが、「大丈夫。大丈夫。暑い。暑い」と耳を貸そうとはしません。けれども、案の定、午後の自習が終わって、夕方の帰り(5時)の頃になると、冷えてきたのでしょう、友人を待つ間、「早く、早く、寒いから、急いで」と急かしていました。

 中国人の学生は、こんなお天気を、すぐに、「鬼天気」というのですが、この日本の「鬼天気」に早く馴染めるといいですね。馴染めた頃には、きっと日本語も上達しているでしょうし、日本人の行動にも、ある程度の予想がつくようになっているでしょう。「風土」と「文化」と「言語」は、分かちがたく結びついたものですから。

 この学校の学生数は、今のところ、四十人余り。然るに、学生の出身国を尋ねると、ミャンマー・スリランカ・中国・台湾・エクアドル・タイ・フィリピン・インド・タンザニア・モンゴル・ポーランド・カンボジア・シンガポールと12ヶ国にも上っています。

 「国際交流」などと、大上段に構える必要もなく、一緒に「日本語」を学んでいくうちに、「各国」あるいは、「各民族」の個性や特徴が、自ずから分かっていくようで、ある意味では、ありがたい環境と言えるかもしれません。もちろん、「中級」や「上級」を学ぶ頃ともなりますと、「漢字圏」と「非漢字圏」の学生との間には、学力の上で、かなりの開きが出て来てしまうのですが、「初級」のうちは、似たり寄ったりといったところでしょうか。

 「漢字圏」の学生は、「書く・読む」には、それほど苦労していないようですが、「聞く・話す」には、アップアップしていますし、「非漢字圏」の学生は、それと全く反対で、「書く・読む」時の劣等感を、「聞く・話す」で晴らしています。

 彼らが大学を卒業して、日本の会社に勤めるようになったとしても、きっとこの経験は役立つでしょう。彼らが働くとしたら、きっといくつかの国から来た外国人がいるところでしょうから。「そういえば、この人は、同じクラスだった◯◯さんと同じ国から来ているんだ。じゃあ、多分こんな時はこうするのだろう」というふうに、予測もつくでしょうし、親近感も湧くことでしょう。

 そのためにも、彼らにとって、「日本に来たばかりの時」が、一番「大切」なのです。往々にして、「大変さ」だけが強調されているようですが、「大変さ」だけに目を奪われてしまうと、本当に「大変な」ことになってしまいます。

 この時に、「間違った日本観、日本人観」を植え付けられてしまうと、その人にとっても、それからの日本での生活は暗いものになってしまいます。「どこの国、民族にも、いい人もいれば悪い人もいる。その国のいい人を呼び寄せる力を、養えるかどうか」は、この時の、その「第一印象」で決まってしまうと言ってもいいほどなのです。

 正しい認識を以て、自国を見る人を、その国の人が冷たく扱うはずがありません。その認識を形作るためにも、日本で日本語を学んだあとで、大学なり、大学院なりに進んだ方がいいと思います。大学は、あまりに大きく、「小さな個人」を、それほどかまうことは出来ません。自分にとって「自分」というのは、大きな存在ですが、他者から見ると、ただの「人間、一人」なのです。このことを、よくよく噛みしめた上で、専門に進んだ方がいいと、私は考えます。

日々是好日