日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「紫の花」。「接続詞」。

2012-10-30 10:46:21 | 日本語の授業
 今朝は優しく明けました。柔らかなピンクの色に染められた空を見ると、心までが落ち着いてきます。

 最近、時折、路上で、紫の小花を目にすることがあります。大輪の「キク(菊)」も確かに、見事としか言いようのない美しさなのですけれども、紫の花には、特に控えめに咲いている小花には、言うに言われぬ心惹かれるところがあります。

 紫の色が入っていますと、緑の中、赤や黄の中で、そこだけがホッと灯火が灯ったような感じになるのです。

 とはいえ、一年で一番過ごしやすい頃となりました。気候としては今が一番いいのでしょう。毎夕、月を見ながらのんびりと帰っています。昨日もきれいな月が出ていました。そろそろ満月かなと思っていたら、昨日の天気予報でそれが今日と言う。やはり秋は月の季節。人は見るべくして見ていたのですね、月を。

 さて、ある程度、日常会話で困らないようになってきますと、教室では、「接続詞」の存在が重くなってきます。どうも彼らの国の(もしかしたら「話し言葉では」ということになるのかもしれませんが)、言語の中には接続詞というものがそれほど大きな位置を占めていない…ように思えてくる時があるのです。

 500字程度の作文を書く練習をするとします。長々と100字以上を連ねて一文とするというのが中国人学生によく見られるところなのですが(中には、200字以上も書き連ねる猛者がいます。多分、本人もわけがわからなくなっていると思うのですが、話しているつもりで、ついついダラダラと書いてしまうのでしょう)。「続助詞」や「接続助詞」の使い方が不適当であるため、いわゆる文と文とが、「て」乃至「と」、あるいは「が」、「ので」などで意味もなく重ねられ(ここで「て」だったから、次は「と」とするという気配り?さえありません。本当に、話しているつもりで書いてしまうのです。だから不用意に「ね」とかもつけてしまうのでしょう)、最後の「句点]に至ったとき、読み手には、「???」しか残らないということになってしまいます。

 日本人でも一文の長さが50字を越えてしまうと、ちょっと切ろうかなという気になってくるのが普通なのに、それが外国人の文(長くても)ですから、読まされる方はたまりません。

 とはいえ、中国人でも、こういう人ばかりというわけではありません。半分以上は普通に書けます。ただ、この恐ろしく長く、解読に困難を要する文を書く人が、まず他国の学生の中にはいませんので、目立つのです。他国の学生では、大半が「書く」前の、「読む」という作業で引っかかってしまいます。

 というわけで、「接続詞」の指導が大切になってくるのです。中国人学生の時は、「中級」になった頃から、「並列」とか「添加」とかも少しずつ入れていたのですが、最近では、大きく「順接」「逆接」「要約」「対比」そして「その他の重要接続詞」とに分けることにしています。

 「添加」と「並列」の区別がつけられない学生が多いということもその理由の一つなのですが、「逆接」だけはスッと入っているので、それなら、この二つにしてしまえば、文意をとりやすくなるのではないかと、ある(受験を前にした)大学予備校の知恵をお借りしてしてしまったというわけなのですが。

 それから、「まとめ」の意味で、「つまり」とか「一方」とかいう言葉は、「留学試験」や「日本語能力試験」の時に答えを導き出しやすいということから、「要約」「対比」もいれることにしたのです。こういうのも、繰り返して覚えさせるを基本に、「A3」を三枚ほども継ぎ足し、「順接」「そして、また、その上など」「マーク」「例文」を書き、折に触れ(毎日)読ませ、とにかく、覚えさせてしまうことにしました。

 やっているうちに、自然に、「その上」とか「つまり」とかいう単語が出て来るといいのですけれども。ただ、これは最近やり始めたことで、まだ実験段階です。ただ言えることは、それをやる前の学生、今の「Aクラス」なのですが、今ひとつ接続詞を遣った文章が、文の流れが読み取れていないのです。

 出来のいい漢族が多い頃は(読むのが嫌い、勉強が苦手という人は、漢族でもどこの民族でも同じです。多分、母語で書かれた文章もそれほど読んではいないでしょうから)、こんなことは考えずに済みました。簡単にこれは「並列」あれは「添加」といえば、漢字を見ればわかることで、それ以上の説明なんて本当に蛇足だったのです。

 ところが、今、多くいるベトナム人学生(だけではありません。スリランカもインドもタイもミャンマーもいます)は、ちょっと、それでは、どうにもならないのです。ああやって暗記させていっても、もしかしたら、来年の「留学試験」や「日本語能力試験」ではそれほど用をなさないのかもしれません。しかし、日々の活動では、「『つまり』が、あるでしょう。だからここでみんなまとめている」ということを繰り返していくより仕方がないのです。

 それから、出来るだけ、日常会話や、授業の時、「接続詞」を多用するようにしています。ただ、日本人との話の時にもその癖がつい出てしまって、「理屈っぽい奴だ」なんて思われたりすることが、困りものなんですけれども。
                                
日々是好日
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