ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

赤穂義士祭

2015年12月14日 17時06分25秒 | 田舎暮らし
今日は赤穂義士祭。
赤穂浪士が討ち入りした日だとかで、近くの赤穂市で毎年義士祭がある。
でもまだ一度も見に行ったことはないし、見たいとも思わない。
素人の仮装行列なんか面白くもないし、まして市長が大石内蔵助の役に扮したりしたらすっかり興ざめだ。
最も大石内蔵助は今年は西郷輝彦、去年と一昨年は松平健だったらしい。
でもそのほかのほとんどの参加者は素人、素人の仮装行列など見たいとも思わない。
それにかって京都のはずれに住んでいたころ見た「時代まつり」で、学生アルバイトのだらだら歩く仮装行列にすっかりうんざりさせられた。

それに赤穂浪士の討ち入りは「忠臣蔵」などといってもてはやされてるけど、
もし今こんな事件が起きたらマスコミはどう報じるだろう?

 逆恨みによる犯行
 無抵抗の老人を多数で殺戮

たとえどんなに嫌がらせを受けても、刀を抜いて切り付けたら、切り付けたほうが悪い。
たちまちマスコミから加害者扱いされて、切られた方は(善良な)被害者になる。
ましてそれが老人ならなおさらだ。

それは現代の感覚でみるからで儒教社会の江戸時代は違う・・・という意見もあるかもしれないけど、それもまた違う。
「喧嘩両成敗」の原則があるにもかかわらず赤穂藩だけがとりつぶされた、これに抗議するために討ち入りをしたというのが大石内蔵助側の言い分。
では吉良上野介と浅野内匠頭は刀を抜きあい喧嘩をしたか?
浅野内匠頭が一方的に刀を抜き切り付けた。
上野介はただ逃げ回っただけで刀は抜かなかった。
これでは喧嘩とは言えない。

この当時の人はこの事件をどう見たか?
尾張徳川家の家臣・朝日重章の日記『鸚鵡籠中記』(おうむろうちゅうき)には大石内蔵助以下47士が全員が切腹になったとき、冷ややかに書いている。世間を騒がせたのだから当然だという風に。普通の武士、そして穏健で公正で常識的な見方をする朝日重章の日記。
この記事を見るとそれが当時の常識的な見方だったということがわかる。
それが後に芝居になり次第に赤穂浪士から赤穂義士に変わって行ったのだ。
現実の世界から芝居の世界へと。
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