柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

確率

2011-05-11 08:00:58 | Weblog
「手りゅう弾騒ぎ だ円形の鍵と判明」毎日新聞の見出しです。こうやって新聞は日本人を馬鹿にしていく旗を振るわけです。漢字文化を壊す、日本語の美しさも壊す。難しい漢字ならばルビを振れば済むこと、それを読んで知らなかった人が字を覚えるんです。仮名交じり表記の不細工さを醜さをどうしてわかりませんかね、もっとも連中はわざとやってるんですが。こういう決まりだから(自分たちが勝手に作ったものですが)仕方ないじゃないかとうすら笑いで小馬鹿にしている顔が目に浮かびます。タコ!手榴弾、楕円と書けよ!
 曽野綾子、産経の自分のコラムで舌鋒鋭くいつものように切り捨てます。被災地の運動場掘り返して線量測って、子供達の為に・・過保護もいい加減にしろと。運動できなくても子供は育つ、教育はできると。至極真っ当。運動場で遊べない子がそんなに可哀想か?子を運動選手にしたいのなら東京へでもどこへでも連れて行けと。ピアノやバレーではそんなこと当たり前だって。本当にこの人の説は気持ちがいいわ。是非ご一読を。
 原発地区一時帰宅が許されて物々しい格好で沢山の人がほったらかしの自宅へ戻ります。地震で壊れたままの我が家。何を持ち出すか。位牌やら写真やらです、この辺りの気持ちが面白いというかなるほどなぁというか。貴重品なんですねいわゆる。この辺りの気持ちを理解せずに復旧復興はないのでしょう。帰った人達が浴びた線量は(2時間の滞在だったそうですが)一桁マイクロシーベルトだったそうです。もう避難してなくていいんじゃないの?少なくとも年寄りにはもう危険じゃないでしょう。希望者には許可すべきでしょう。ここも英断ですぞ首相様。
 その首相昨夕記者会見してました、浜岡原発の件、それに繋がる補償の件、原発計画の是非の件、あれこれ聞かれてましたが、何ともいつまで経ってもこのオッサン、国民に伝えようという気がさらさらないと見えます。全国に放送されていることをどうして意識しないんでしょうね。ぶつぶつ応えている印象です。エネルギー計画を見直すなんて大変なこと言ってるのにそれが伝わらない、そういう喋り方をしないんですからどうにも・・です。復興法案に自民党や公明党がまたまた反対するって言ってます。谷垣さん。俺にやらせろと言ってみなさいな。どっちもどっちとはこのことですね。
 浜岡原発停止の根拠として菅さんが言い続ける「30年以内に87%の確率」をみなさんどうお感じですか。1.87%なんて半端はどうやって算出したの?分母は何?分子は?実数をきちんと見せて欲しいと前々から思ってます。2.30年以内っていうのもどういう算出過程で?3.もちろん今起こっても明日起こっても30年先に起こってもこの予測は当たりということなんでしょうが、そんな曖昧ならあってもなくてもいいようなものとも言えます。私にあと50年内に必ず死ぬでしょうというのとぼんやりさでは変わらないことでしょう。30年の期間全体で87%という意味なのか、今日起こる確率も87%明日も87%という意味なのか。つまり、日々の小さな確率を積み重ねて(累積して)の87なのか、一日一日が87なのか。となると、やはりこの87という数字の根拠を知らねばなりません。分母は何?分子は何?サイコロ振る、数学で習ったあの確率の概念です、1の出る確率は1/6です、6面あるから分母は6ですね。地震の起こる確率の分母って何でしょうね。ううむ。いつもぼんやり聞いてますがわかりません。教えてくれよ学者さん達。というか、そこまで説明してくれよ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受諾

2011-05-10 07:57:04 | Weblog
中部電力、首相の要請を受けいれました。とても蹴れる雰囲気ではないのでしょうがしかし、取締役会の協議に何日か引っ張んたんですからもう少し抵抗してもらいたかったと残念に思うのは外野の勝手でしょうか。反対派は大喜びでしょう、推進派は歯噛みしてます。例の悪顔推進派首長はTVインタビューに答えてます、要は補助金が今後も下りるかどうかなんだ、その点は海江田大臣に電話で確証を得たと。取材している記者(アナウンサー)が思わず聞き返してました、大臣からですか?そうだ、大臣からだと首長は真顔。なるほど、こういう「反対」だったのね。そんなもんだろうと思ってましたが、先には日本のエネルギー対策を云々言ってた人ですから、あらら、でした。要は現実ね。社長の会見は明らかに脅迫調でしたね、政府に向けての。言うこと聞いてやるから十分に補償しろと。電力不足はどうするつもりだ?雇用は?発する言葉は紋切りで、会社として努力すると言い続けてますが、いいえ、社長も会長も拗ねてます、怒ってますね。後は知らんぞって。明らかに菅さんに向けて脅してます。一方同時にTVに流れる菅さんのコメントは、例によって目が泳いでデータを並べるだけです、要請受諾を「よかった」で済ませる感覚です。こりゃ例の如く考えてませんよ深くは。補償って簡単に言うけれどどこから持ってくるの?お金。東北福島にいくらかかると思ってましょうか。危ないですね。どれもこれも後付け後付けで繕ってきてますが、理屈で回っている連中には理屈で応じなければだめでしょうに。如何に非常時の大権発動にしても、否、そうであればそうであるほどに、多くの人が感覚的に是とする大きさなり立派さなりが必要です。大きな計画が示されれば理屈も気持ちも付いてくるのですが、今回のようにその大きさの感じられない場合は少なくとも先に理屈が要ります、理由が要ります。大震災の危険が87%だから、だけではどうにも・・それで十分と思っているならそう国民に思わせるほどの言葉を発せないと。中部電力社長会見に滲む面従腹背さはそういう思いの表れなのでしょうね。
 被災地選出議員、黄川田衆院議員の論が読売に載ってます。公然と政府批判してます、民主党の人です。協議より決断だと言ってます。でしょう?やっとわかりましたか?そういう立場にならないとわからないのでしょうね、議員稼業に馴れてしまうと議論するだけで、会議場に参会すればそれでいいんでしょうから。今までさんざそうやって自分に興味のないこと自分に関係のない事例に対しては「やっつけて」いたんでしょうに。事自分に災難が降りかかると、早くやれの絶叫です。この人も身内を多く亡くされて、気の毒な境遇ですが、国会議員となればその点は免罪されますまい。今だけ被災者側で大きな顔して叫ぶのはどうよ?です。議論協議してみんながまとまるまでだらだら過ごしてそれからやっと動き出すのが常なんでしょう?そうやってきたんでしょう?そしてもう一つショッキングだったのは、昨日の古館の番組で見せてくれました、原発現場で放射線浴びながら作業している人達の扱いです。体育館に雑魚寝ですよ。古館や解説委員が、我々の代わりに身を賭して作業してくださってる方々に(なんて最大の敬語を並べるのも偽善でいやでしたが)どういう扱いなのよ?と憤ってました。その通り。東電の社長さんやら偉いさん達よ、若い奴らが危ないとあれだけ専門家達が言ってるんだから、あんた達年寄りの出番じゃないのかい?いつまで安全地帯でぬくぬくやってるんだ?本当にそういう憤りが湧き上がる映像でした。年寄りを持っていくべきです。50歳以上限定すべきです。そしてせめて居住空間を確保してやれ、です。あれではタコ部屋です。あれはいくらなんでもです。東電さん、ああいうズルズルじゃぁいくら表でしおらしくいていてもダメですよ。隠し通せませんよ所詮は。隠すほど現るるなし、ですから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罵声

2011-05-09 08:18:41 | Weblog
東電社長が謝罪に訪れて、その先で罵声浴びせられてます、土下座しろよ清水!。社長が膝を折って頭を下げると、そんなのは土下座じゃないだろう!もう一つ。若いおばちゃんが叫んでました、100万円なんて、あんたたちの一晩の飲み代くらいの金で一切合切なくして今後も帰れない私達にどうしろって言うのよ?!ううむ。とりあえずの仮払い、なんて言い訳ですがねぇ東電も。しかし多い少ないになるとこういう文句はずっと付き纏います、だから早くやってしまうこと、東電にすればこれなんでしょうしそう思っていることでしょうけれど集団を前にすると、つまり集団側に居ると、誰かが端緒を開くまでは一般論でお行儀がいいのでしょうが、一旦誰かが生の言葉で口火を切るとダメです、こういう物言いで罵詈雑言です、そこを通り過ぎねばならぬのも事実です。土下座。これは思うにそんなに一般的な謝罪方法でしょうか。いやつまり、される側が要求することでしょうか?という問いです。少なくとも私は要求しませんし、今までそういう場面に遭遇したことがないです。もちろん謝る側になった時に(何か大事なことを頼む時に)頭を下げる、その延長としてひれ伏したことは何度もありますが、要求したことはないですねぇ。何だか品のないことです。そう思いました。そういうことで解決する集団があるのでしょう、例えばやくざのエンコ詰め(小指切るヤツ)とかその業界独特の謝意の表現方法です。東電の社長がいままでこんなことやったことないでしょうから、屈辱を与えるという意味で、溜飲を下げるという意味で仕返し意趣返しであれば、まことに品下ることでしょう。もっとも、人の感情というのはそれぞれ生きてきた環境や世界にすっかり左右されることですから、雑多な集団の中です、十分にあり得ることですが、普段に聞かぬ接せぬ言葉や態度や行為にはびっくりし、おぞげが立ち、軽蔑と恐れが湧き、です。これも感情なんですね。なかなかに思い知らされることでした。世間様の怖ろしさであり、いかに自分が単純な one of them であるかを知ることです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立場

2011-05-08 08:04:25 | Weblog
浜岡原発問題、いかがですか。昨日も言いましたが、周り(当事者)の自治体の首長の態度や言動が面白いじゃないですか。ホッとしている人。この人は原子力村に抱き込まれたんでしょう、心ならずも。でも結果として札束攻勢に負けたんですね、その辺りへの憾み、廉恥、忸怩たる思いが強権によって晴れたという安堵なのでしょう。一方トーンを抑えて反対する人(TVに何度も流れるこの首長、悪い顔してるなぁ、さぞや金ふんだくってるんだろうなぁと想像させます)。どうして浜岡だけなのか、国策として推し進められてきた事業なればもっと地元に配慮してくれてもいいと。賛成論は地域住民の安全を前面に押し立てる、反対論者は総論一般論抽象論で対抗する、の図です。が、反対論にももちろん具体的な理由があります。そこで働いてる人はどうなるんだ?切実です。炉が止まれば馘首ですか。原発誘致した大きな理由の一つが雇用確保でした、そこはどうなるんだよ?でもこの首長はTVの前ではその話はしませんでした。これも何やら意図があるんでしょうか。今朝のTBSの情報番組でもその話をしています。原発を今後どうするんだ、日本のエネルギー対策のビジョンは?という大上段、評論家や学者の言いそうな話なのですが、現に菅さんは停止要請したわけですからそこからを考えないと、と彼らを見ている方も鼻白んでいますが、浜岡が一番危ないとみんなが言うんだからまず止めろ(止めて見せる)、その後考えよう、と決めたとしても不自然はないし間違いじゃないですね。クビになった(なるだろう)人々の補償を揃えてから、なんて話じゃ遅すぎます。遅いトロいおまけに間違いと今回さんざ叩かれている菅さんです、俺でもできるって所見せたいんじゃないんでしょうか。前話があったかどうかその真偽はわかりませんが、海江田さんが現地視察した次の日の発表だったそうですから、得意の「いきなり」だったんでしょうか。でも、これが強権だという話ではあります、問答無用。菅さんがやると根回しなしの無茶という印象ですが残念ながら。電力供給はどうなるんでしょうね。今から酷暑がやってきます。いまさら冷房なしで過ごせやしません。昔は冷房なんてなかった、なんて言ってもダメです。今時こんな田舎の公立高校にもクーラーがついてる時代ですから。どう節約するか。我慢せい!でいいのですが、仕事の効率を落とすわけにはいきません、真昼の仕事場を削っては何のための節約かわからなくなります。一般家庭の節電です。これやり過ぎると家電が売れなくなる、関係企業の業績が落ちる、という不満も出ましょうが、こればかりはどちらもこちらもWIN-WINというわけにはいかないでしょう、ここは辛抱してもらう。国民に向かって辛抱してくれと菅さんが言わねばならぬのです、ここまでしないと完結しません。夜は寝ろ。これでしょうね。TV消せ(深夜放送をやめたらいいんですよ)、街灯消せ。夜の商売まで潰してはなりません。そうではなくて、大口消費者(企業)ではなくて、一般家庭の無駄を除けですね。そこまで考えているんだろうな、菅さん。大丈夫?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市民

2011-05-07 08:08:27 | Weblog
浜岡原発を止めます菅さん。政治主導ですか、有事の大権発動ですか。大地震の虞れの確率を第一の理由にしているようですが、あれだけクソミソに言われ続けているリーダーシップの欠如とやらにやっと応えて見せた思いでしょうか。そう決めたんなら、グジャグジャ言わずに、今のままでは危ないからきちんと対応できるまで止める、でいいのです。この辺りが「文句言い」あがりの悲しさなんでしょう。手続きばかりに目が言ってる、文句言われないように予防線ばかり張ってる。今回のことも規則や法令には命令の権限がないから中部電力への「要請」だそうです。ったく、そこが歯がゆいと言ってるのよタコ!肚も度胸もない者が周りに気を遣いながら恐る恐る言ってる態です。地震学者達が、すっかり狼少年化していた連中でしたが今回の事象で一応ここ30年内に90%辺りの確率で起こるなんて全然現実味のない警告が当たっていたことだけはわかったのでしたが、地震が群発する虞が大きいとあれだけ言ってるんですから、国民をこれ以上危険に晒すわけにはいかないという理由だけで十分なんです、要請じゃなくて命令できないんですかねぇ。市民運動上がりの、つまりこういう権力権限にとにかく歯向かってきた者にはとても適う役ではないのですが、この連中の理屈を慮るに、こんな大切なライフラインに関わる事項事象に首相の強権(命令)を許して行くと、戦前への逆戻りだ!皇国史観だ!なんて捻じ曲げの言いがかりの、なんでしょう。軍事力の文民統制で象徴される、民主主義を盾に日本の芯、日本人の芯を潰してきた砂上の楼閣。自民党が守るべきことでしたがそれをできずに、最後の最後に出てきた真っ左翼が本当に潰そうとしてます。誰に遠慮している?「市民」が、「みんな」が、そんなに怖いかい?今次の発表に対し、地元の自治体の首長は、国が決めてくれてよかったという者がいて、そんな話は聞いてないと憤る者がいる様に記事にあります。自治体に何ができるんですか?地方主権という空事の虚しさよ、です。国こそがきちんとする。小さな政府の大きな政府のの議論は、きちんと主権国家の体をなしているという大前提の元の話でしょうに。こんな時に、皆さんの意見を聞いて・・なんて奴に任せてはならぬのです。そうですよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遺賢

2011-05-06 07:58:55 | Weblog
週刊誌も月刊誌も菅さん辞めろの大合唱です。もっとも私の読んでる月刊誌は正論でありWILLであり文藝春秋であり新潮45でありますので、擁護論を見る方が無理なのですが。内閣不信任案を出す出さぬと谷垣さんマイクの前でモゴモゴ言ってますが、元凶はこの人ですよね。まさに徳俵に片足立ちの状態だった菅さんを救ったのはあの大震災でした。そして今です。恥の上塗りというか、無能の証明というか、この人は二言目には(そう言わねばならぬにせよ)俺の初動もその後の対応も何も間違ってないと言ってますが、少なくとも今までのところは誰がやってもここまではなるわなという結果です。あわわ、あわわと手を上げていても、他の誰かがきっとここまではやってくれる、そういうレベルです。だからこそ、俺にやらせろ!と立てばいいんです。そんなに簡単に替われないことくらいは知ってます、あれこれの手続きの要ることも承知の上です、でもだから言い続けることが大事じゃないんですかね。文句ばかり言ってたんじゃぁ、非難してばかりじゃあ誰が見てもダメです。前に出て来いよ!!俺にやらせろと言えないかい?言えないんでしょうねぇ。腰が完全に引けてるんでしょう。火中の栗どころの話じゃないですからね確かに。でもこここそが政治家として最高の場面じゃないんでしょうかね。特に国政の場に居る者にとって、そしてそのトップに就ける位置に居る者にとって。いまこそ国政の力ですよ。あれだけ地方自治の地方主権のとチョーチン言い続けてきた連中でしたが、こんな大事に際してはひとえに国力です、国政です。地方自治体に何ができてますか?横着を言うんじゃない!何だかそんな気分でもあります。だから、国よ、しっかりしてくれ!なんです。こういう時にこそ国民を守るという強い姿を見せて欲しい。ああ、この国は俺達を守ってくれるんだと実感させてほしい。そういう国であれば私達も命を賭けられるんでしょう。決死隊に志願できるんでしょう。菅さんでダメなのはもういい、十分にわかった、だから早く次を出せよ。次が出てこいよ。何~にをモタモタしてる?誰も彼もが自信がないんでしょう、こんな難儀な時にわざわざ・・という気分なんでしょう。くどいですが谷垣さん、いまこそ失地回復、男を上げる時でしょうにね。そういう覇気も気概も、もっと言えば権力欲も野望も何もない、萎えた爺さんなんでしょうか。国民を越える政治家は出ないんだそうです。私達もここまで堕ちてしまいましたか。野に遺賢あらんや?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幕引

2011-05-05 07:50:25 | Weblog
東京電力社長、お伴を引き連れて謝罪行脚です。土下座に次ぐ土下座。菅さんもあちこち回っているようです。人は長くは怒り続けられません。長くは憎み続けられないものです。日常に薄められていくからです(もちろんこれは詩的な即物的な表現です。記憶のメカニズムからの説明ではありません)。が、不自由な避難生活が続いていれば、非日常的な現在の日常こそが怒りの根源でありますから、一番の対象、社長ですが、がやって来るとなれば怒りや憤りもその都度にリセットされていくものでしょう。あんたはそうやって綺麗な汚れもしていない作業着でやってくればいいんだ、東京の安全地帯で安楽に暮している者に何がわかる?と理由もたっぷりあります。だから社長側とすればどうすればいいか。一度や二度土下座まですればいいというのではないのですね。何度も行く。何度も何度も行く。一度土下座すると何度もしなければなりませんが、何度もするんです。そうすれば相手もいつまでも怒り続けることもできなくなります。そこまで重ね続けねばなりませんが、社長にそれだけの肚と意気地があるかどうかですな。これだけの事態を収拾するには、多くの人の怒りを少しでも鎮めるのは社長の誠意でしかないのですが、その誠意とやらをどう考えているかです。この社長にそういう経験があるかどうか。人の気持ちをそこまで考えたことが今まであるかどうか。一度公式に謝ればいい、そういう形を作っておけばいい、あとは金だ補償だ。大概はこうなのです。きっと今回もそうなるのでしょう。段々にマスコミも外野も食傷気味です。世間様の怒りや非難も時間とともに薄まっていきます(忘れていきます)。当事者のマニュアルとすれば、当面を何とか凌げ、なのでしょう。平身低頭して嵐の過ぎるを待て、でしょう。そしてそろそろ初めの山を越える時期に差し掛かりました。被災者や避難者の「二次災害」が今から始まります。国の杓子定規な対応と、東電の投げ捨てるような補償金が配られた後に、最大の困難が待ち受けているのでしょう。後は知らないよ、ですから。最後まで面倒みる?誰が?です。仮設住宅からは早く出てくださいね、と来るんですから。神戸の仮設住宅はどうなってるんでしょうか。全棟撤去できてるんでしょうか。まさかね。学校の校庭に造ってしまうと後が大変でしょうにと外野は思います、そこしかないとなれば選択のしようもないことではあるのですが。復興です。人はきっと元の町に戻っていきます。原発の町にも戻っていくのでしょう。何年もかけて前に倍する防潮堤を造って。そこには国も東電もいませんから。金を出すだけですから。どう幕引きするか。いやでも幕は降りるのですが、です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主

2011-05-04 07:59:45 | Weblog
ビンラディン抹殺作戦完了の余波は?と言うほどには新聞書きたてません。古館の番組ではパキスタンは妙な国だという捉え方でしたか、つまりアメリカ側なのかそうでないのか。タリバンは、復讐してやるパキスタンとアメリカに、と明確です。寝返ったのか、小早川の様に。元々反アメリカではなかったのか日和見に。という「妙」さなのでしたが、交渉事ってのはそういうもんでしょうし、札束で頬叩かれれば揺れるものでしょうし。復讐劇がどう展開されるかですか次の見物は。10年前みたいな派手な奴なのか、地味に要人狙いか。反米勢力を集められれば、イランとか北朝鮮とか、それこそ核攻撃も不可能ではないんじゃないかと思いますが、そこまで破壊する「意欲」があるのかどうか。タリバンの存在目的は何か。中近東からのアメリカ排除なのか、それともそういうタリバンの活動への攻撃を止めろでいいのか、もっと卑近なバーターでいいのか(つまり資金援助という名の飼い殺し)そこのところです。この10年は物量に任せて強硬手段に訴えてきた、あの時振り上げた手をずっと振り下ろさなかったのはそういう「交渉」だったわけです、テロは許さぬという意思表示であったわけです。ブッシュが相手を悪と決めつけた時(つまり俺たちは悪くない、俺たちは被害者だと決めつけたわけです一方的に)からここまで来なければ果たせなかったわけですその目的もアメリカのメンツも。で、とうとう殺せて、ミッションは完了です。ここから次の交渉でしょうが、どう抑えつけたいのでしょうかアメリカは。新聞に写真が載ります、オバマ、クリントンの顔と他は軍の幹部たちでしょう、みな平服で(こういうところ日本人のように作業着つけないところアメリカ的)TV画面に食い入ってます。10年間、多くの犠牲を払ってやっと果たせた成果ですから。でも何百年何十年経っても人の社会や集団の利害解決方法はこういう単純な暴力なのかと溜息モノではあります。こういう過激に(野蛮に、粗野に、乱暴に、非知性的に)走らないようにする装置がみんなの意見を採り入れようとする民主主義のはずですが、それでも止まりません。何故か。多数決という独裁専制に劣る手続きを採っているからです。「みんな」という概念が嘘で空疎であるからです。どうにでもでっちあげられる操作できる代物だからです。結局よく考えてるよく知ってるごく少数の賛成論者と反対論者の間にわんさかいる、何も知らない何も考えられないバカどもの右手に依存しているからです。最良の統治形態は賢帝による独裁政治専制政治とよく言われます。馬鹿に振り回されるのがまずいからフランス革命が起こったのでしたが(あいだを端折りすぎですか、身分制度や搾取形態、アンシャンレジュームを言わないと点数はもらえませんが)、手に入れた民主主義も劣らぬ愚制ではありました。これは何も国だけの話ではありません、あなたの町の首長と議員達との関係であり、あなたの所属する会合での決定手続きそのものです。あなたは問題をきちんと理解した真っ当な賛成者ですか反対者ですか、それともそんなことはどっちでもいい、ただの参会者ですか?いいえ所詮は、人は集団は右だろうが左だろうが決められた方向に進むしかないし、そっちに向かうしかないのです。だからどっちでも同じじゃないかという考え方もできるのです。どっちでもいい、はちゃんとした意思表示だという意見もあるのでしょうし、事実世の中は、族長や君主が決めたにせよ、佞臣奸臣が決めたものにせよ、議会で多数決で決めたものであれ、何千年もこうやって回ってきたのですから、民草は旗振る人に従うしかないのですから達観として結果論として「どっちでもいい」はどっちでも一緒という色即是空に繋がっていくわけですが、いいえ、そんな俯瞰ではなくて、実際の決定についての話です。9・11の復讐劇は一応終わりました。西部劇映画のように終わりました。オバマは公約達成という感覚でいるのでしょうね。俺の言うこと聞かねぇ奴ぁ死んでもらうぜ、というやくざの決め台詞に寸分違わぬことではありました。保安官気取りなんでしょうか、それともカポネ?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意地

2011-05-03 09:45:27 | Weblog
ビンラディンの補殺(というのか、どっちの立場で言うかでもちろん表現が変わるでしょう、殺害、虐殺、抹殺、復讐、目的達成等々)をオバマが堂々とプレスに公表します。びっくりすることでもないのかもしれないと思いながらやはりびっくりしました。何に?ああ、まだやってたんだと言うのが一点。この獰猛さと言うかしつこさが二点目。あくまで正義は我にありと言い続ける傲慢さが三点目。こうやって世界は回っているのだと言う感心が四点目。9・11の際にブッシュが宣言した通りにミッション完了という体裁です。ううむ。これが民族性ですか。どう説明してどう納得するべきなんでしょうかこの違和感に対して。10年も恨みを持ち続けること。日本人にも仇討という制度がありました、公的に認められた殺人です、公的な制裁に替わる、復讐として許された私刑でした。アメリカのこの行動もそれに並びますか。国が一人を追う。アメリカが一人を殺しにかかる。もちろん一人じゃないです、向こうの組織をでしょうが、それを高らかに宣言する、あの感覚ですか。新聞はどれも暴力の連鎖を危惧し非難します、暴力では、殺し合いでは事は解決しないと。でも言葉の届かない相手には交渉のしようがない、懐柔のしようがないというわけです。その主語はアメリカであり、アルカイダでもあるわけですね。問答無用!と言ってきたのはアメリカなのかもしれないわけです、あのフセインの時もきっとそうだったんでしょう。圧倒的な物量差で、兵糧攻めで押しこむ。昔日本もやられた「交渉」でした。やられたからやり返せ。正義は我にあり。正義を押し立てるほど胡乱なものはないとは世の常ですが、力で抑えつけるしか世の中を統べる手立てはないのでしょう。民主主義とはあくまで平時用の制度であると思い知らされる気もします。オバマのシレっとした表情を見ながら、本音と建前の深い溝を再認識します。いかがですか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

権利

2011-05-02 08:24:06 | Weblog
朝日新聞の一面に、生存権を今こそ、という見出しです。憲法25条です。この人達が好きな権利です。被災地での避難を強いられている人へ向けてのエールであり抗議です。誰への?もちろん国への。生存権ねぇ。日常些事に不自由していること、便所の問題は確かに大きいでしょうし、プライバシーのない集団生活は耐えがたい重圧でしょう、十分に理解しますが、だからといってこういう身振りの大きい、葵の御紋を振り回すはいかがなものでしょうね。鼻白むばかりです。こういう抗議にはそういう対応しか返って来ないでしょうにね。つまり権利権利と要求すれば、行政の対応として形式的に返ってくるだけでしょう。「ハイハイ、わかりました」的に。平等公平を盾に四角四面に、です。生存権なんてのはそんな「よい暮らし」「便利な快適さ」を保障するものではない筈ですね、もっと根源的本質的な生々しところに言及することの筈です。基本的人権もそうです。誰誰と同じだけのいい暮らしをする権利があるというものにしても、それはそれを妨げてはならぬという意味であって、どなたもこなたも自動的に同じ暮らしが保障されるという意味では決してないですね。そこにすり替えがあるのですね、ごまかしと言うべきか。雨露を避ける場所も食べ物もない、排泄もままならない、そんな状態を放置したのでは、それは国家の体ではありません、そういう意味での生存権でありましょう。が、そこの線引きがどんどん下がって来るのです、明らかに恣意の上です。俺達を救わないのは憲法違反だ!そう言えというわけですこの論は。そんなことは言ってないと反論するのでしょうが、いいえ言ってます。こんな概念考え方持ち出すのは三百代言達か左翼さん達ばかりですから。抗議の為の抗議と言うべきか。誰もこんなこと思ってやってませんよ。国の対応が遅いのは非難の対象にですが、権利を振り回すわけではないですね。それは決して同じレベルのことではないはずです。いかがですか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする