柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

権利

2011-05-02 08:24:06 | Weblog
朝日新聞の一面に、生存権を今こそ、という見出しです。憲法25条です。この人達が好きな権利です。被災地での避難を強いられている人へ向けてのエールであり抗議です。誰への?もちろん国への。生存権ねぇ。日常些事に不自由していること、便所の問題は確かに大きいでしょうし、プライバシーのない集団生活は耐えがたい重圧でしょう、十分に理解しますが、だからといってこういう身振りの大きい、葵の御紋を振り回すはいかがなものでしょうね。鼻白むばかりです。こういう抗議にはそういう対応しか返って来ないでしょうにね。つまり権利権利と要求すれば、行政の対応として形式的に返ってくるだけでしょう。「ハイハイ、わかりました」的に。平等公平を盾に四角四面に、です。生存権なんてのはそんな「よい暮らし」「便利な快適さ」を保障するものではない筈ですね、もっと根源的本質的な生々しところに言及することの筈です。基本的人権もそうです。誰誰と同じだけのいい暮らしをする権利があるというものにしても、それはそれを妨げてはならぬという意味であって、どなたもこなたも自動的に同じ暮らしが保障されるという意味では決してないですね。そこにすり替えがあるのですね、ごまかしと言うべきか。雨露を避ける場所も食べ物もない、排泄もままならない、そんな状態を放置したのでは、それは国家の体ではありません、そういう意味での生存権でありましょう。が、そこの線引きがどんどん下がって来るのです、明らかに恣意の上です。俺達を救わないのは憲法違反だ!そう言えというわけですこの論は。そんなことは言ってないと反論するのでしょうが、いいえ言ってます。こんな概念考え方持ち出すのは三百代言達か左翼さん達ばかりですから。抗議の為の抗議と言うべきか。誰もこんなこと思ってやってませんよ。国の対応が遅いのは非難の対象にですが、権利を振り回すわけではないですね。それは決して同じレベルのことではないはずです。いかがですか。
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