ビンラディンの補殺(というのか、どっちの立場で言うかでもちろん表現が変わるでしょう、殺害、虐殺、抹殺、復讐、目的達成等々)をオバマが堂々とプレスに公表します。びっくりすることでもないのかもしれないと思いながらやはりびっくりしました。何に?ああ、まだやってたんだと言うのが一点。この獰猛さと言うかしつこさが二点目。あくまで正義は我にありと言い続ける傲慢さが三点目。こうやって世界は回っているのだと言う感心が四点目。9・11の際にブッシュが宣言した通りにミッション完了という体裁です。ううむ。これが民族性ですか。どう説明してどう納得するべきなんでしょうかこの違和感に対して。10年も恨みを持ち続けること。日本人にも仇討という制度がありました、公的に認められた殺人です、公的な制裁に替わる、復讐として許された私刑でした。アメリカのこの行動もそれに並びますか。国が一人を追う。アメリカが一人を殺しにかかる。もちろん一人じゃないです、向こうの組織をでしょうが、それを高らかに宣言する、あの感覚ですか。新聞はどれも暴力の連鎖を危惧し非難します、暴力では、殺し合いでは事は解決しないと。でも言葉の届かない相手には交渉のしようがない、懐柔のしようがないというわけです。その主語はアメリカであり、アルカイダでもあるわけですね。問答無用!と言ってきたのはアメリカなのかもしれないわけです、あのフセインの時もきっとそうだったんでしょう。圧倒的な物量差で、兵糧攻めで押しこむ。昔日本もやられた「交渉」でした。やられたからやり返せ。正義は我にあり。正義を押し立てるほど胡乱なものはないとは世の常ですが、力で抑えつけるしか世の中を統べる手立てはないのでしょう。民主主義とはあくまで平時用の制度であると思い知らされる気もします。オバマのシレっとした表情を見ながら、本音と建前の深い溝を再認識します。いかがですか。
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