女で躓いたIMFの専務理事、フランスの大統領候補にも取り沙汰されていた御仁だったそうです。それが今や足首に探査機つけられて24時間被監視の身です。危ない奴の監視体制は西洋に徹底されてます。この手の性犯罪者に特に強いようです、罪の量刑が少ない分、ですかね。殺人や強盗と比べれば当然でしょうが、しかし、再犯の虞という意味ではこっちの方が危険ということになります。死刑や終身刑にできないということはまた野に放される、ということはまた誰かが餌食になる。死刑になればそれで終わりですから話は早いのです。だから監視する。性犯罪は性格・趣味の問題ですから、矯正とか修正とかの次元事ではありません。直りません。だから監視しろ。またやる前に潰せ、捕まえろ。正しい処置ですね。日本の甘いこと。人権がどうのこうので。人権といえばフランスですが、その本家本元でもこの厳しさです。犯罪者の人権なんてのは偽善、嘘っぱちなんですねきっと。「冤罪をなくせ」は「犯人を逃がせ」に繋がります。罪人の待遇改善は罪人を増やします。臭い飯なんてのはとうの昔にないそうですから。監獄で不自由の極みで臭い飯を食わされて、もう二度とやらぬぞと改心させるしかないのに、全く逆をやってます。そして再犯の繰り返し。犠牲者を次々に生みだします。社会の安全安寧こそが最優先されるべきです。むろんそこには排除の論理が存在しますが、不適当を排除するは社会という不特定多数集団を保つためには必要不可欠な処理です。誰が決める?誰にそんな権利がある?なんてのが人権至上主義者(いつも言いっ放しでこんな無責任な奴らもいませんがね)のお定まり反論ですが、社会がきちんとしていて初めて個人の生活なのだというのが一点、人間は無条件に公平平等だという論を叫ぶ権利と少なくとも同じだけの価値を持って能力差貴賎差を言う権利はあるし、不適当を排除する権利もあるのです。誰が決める?国民ですか?いいえ。大衆ですか?いいえ。みんなが決める(それは多数決という最も劣悪な決定方法ですが)のが一番いいというパラダイム、ドグマをこそ潰さねばなりません。その選択をするのは常識です。お天道様です。なんて書くと、何それ?と呆れてしまわれるかもしれませんが、天の神様なのです、全てをお見通しのお天道様こそが選択決定の主なのです。法律や憲法より何重にも広い(緩い)日常生活上の、人間関係上のルールを元にそれを看視体現する誰かなのです。常識人、良識人です。盗人猛々しく叫ぶ権利とやらがあるのであれば、盗人を抹殺する権利も同じようにあるわけです。そこを日本は押しきれてないのです、盗人が猛々しいだけなのです。内田裕也を潰せたら違うんですがね。できないのでしょうが。英雄色を好む。もう今の時代、こんなことで済ませられませんよ。男はそんなもんで、仕事のできる男はこっちも強いもんで、それは男のこの手の不始末を許してきた文化なのですが、こんなこと今時言ってたら、上野千鶴子あたりにコテンパンにやられますよ。「女ぎらい」という新刊本、お読みになればいい。これでもかと、男に都合のいいように作りあげられてきた性の歴史を抉ってます。もっとも、どうけなされようと非難されようと、男はバカとの相場は変わりませんが。
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