柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

歴史

2011-05-14 07:55:18 | Weblog
大相撲、ガチンコでやってるんでしょうかね、本当に注射相撲なくなってるんでしょうか。琴欧洲や日馬富士が負け越したら間接的な証明になりそうですが、要はこいつらが6敗7敗してからです。が、もう飽きてきましたね。どっちでもいいです。尋常ならざる巨体がちょんまげ結って儀式(四股踏んで手刀切って)見せてぶつかり合う。それでいいんじゃないんですか、日本の文化です、それだけです、国技でもなんでもいいです。ですよね。所詮金の掛った生業です。差し繰り段取りはあるはずですから。
 昨日の菅さんの答弁が新聞に載ってます。浜岡原発運転停止に係る答弁です。「この決定は行政指導であり、私の政治判断だ」「歴史が評価してくれる」と。歴史が云々は前にもこの人言ってましたね、何の時だったかは忘れましたが。このセリフはきっと昔からあるモノなのでしょう、政治家が使いそうな言い訳ですから。中曽根さんが言ってたのを覚えてます、この時の文脈は、政治家は今現在だけではなく、時間を経た後にも評価される、それだけ厳しい職務なのだ、大局観を持たねばならぬというものだったと思います、本来の意味もこうなのだと思うのですが、菅さんが言うのは開き直りですね。理屈で説明できないから、反対論に対抗しきれないから、お前らにグジャグジャ言われんでもいいと頬かむりするの図です。本人が自省を込めて顧みるセリフであり、周りが諫めたり諦めたり呆れたりする気持ちを婉曲に表現するものであるはずで、決定を下した当の本人が早々に言うセリフではありません。つまりこう言わざるを得なかったのです、こう言えば論点をすり替えらえる、話を替えられるわけですね。電力不足は?補償は?雇用は?その財源は?どれにも具体的に答えられないから次元の全然違う事を言い出して逃げる。文句言うだけが能の市民運動家の限界はとうに過ぎています。対応できる筈のない奴がトップに居るのです。はがゆい。菅さんの地位へ恋恋とするめめしさに胸が悪くなる、それと同じくらいに代わってやってやるという奴が出てこないのも情けない。自分の言葉に酔ってるんでしょう、こういう言い回しが格好いいと思ってるんでしょう。自分が命令したんだ(実は要請ですが)と威張ってるんでしょう。俺にでもこれくらいできるんだと言いたかったんでしょう、何やっても言ってもボロクソに批判され続けてきたものですから。イラ菅。逃げ菅。空き菅。どれでもいいんですがねぇ。
コメント
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