柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

できレース

2008-10-26 12:03:29 | Weblog
広島での「ピカッ」事件、非常識な独善、似非芸術と書きました、また全くのゲリラ行為ではなかった、当局も知っていたことらしいと書きました(そう新聞に載ってました)。今度は昼間に黒い花火を90秒間に千発打ち上げたんだそうです。でもこっちは中国新聞は好意的です。この行為、何でも、広島市が主催したヒロシマ賞の受賞記念展の一環として企画されたイベントで、選ばれた中国人現代美術作家が「原爆犠牲者への鎮魂と平和への願いを表現した」そうです。「見ていた市民からは拍手が上がった」んだそうです。戦争のように強烈だったとか煙が黒い雨のようにも見えたとかの市民の声を載せています。中国新聞は喝采してます。本当かい?カラー写真も載ってますが、気持ち悪いこと。飛行機雲でピカッと描くのとどう違うの?ご丁寧にピカッを描いた集団の頭のコメントまで載ってます「鎮魂のメッセージが伝わってきた。告知して市民に見てもらう努力が必要と再認識した」なんて殊勝なこと。本当かい?できレース?あっちはダメでこっちは芸術?反吐の出そうな偽善ですね。この黒い花火には被爆者団体は文句言わないんでしょうか。こっちの方が、明らかに原爆をイメージさせるものとしては気味の悪い、悪趣味ゲテモノの類でしょうに。戦争を思わせたとやら黒い雨とやら、記者の創作であったとしたら語るに落ちてます、被爆者を刺激することを証明しているようなことですから。黒い雨。さて広島長崎以外の日本人に今どれだけ理解される言葉でしょうか。
 2億円宝くじで当てた女が殺された事件が解決したことであれこれ報道されてます。泡銭をめぐる痴話話はよくあること、金掴んだ途端に親戚が増えたって、チャンピオンになったボクサー達がよく言うセリフです、わっと群がるんでしょうね。想像に難くないことです、ですから興味はそこまでなんですが新聞記事に笑いました、こういうことにならないようにこんな場合は、自慢は禁物、現金より振り込みや小切手で受け取りましょう、軽はずみな行動には注意しましょうって大まじめです。ええ?笑うしかないでしょう?やっかみですか、それならそれで大笑いしますが。余計なお世話もいいところ。持ったことのない大金を持つ事自体がその人の破滅の運命であるわけです。なんて、やっぱりやっかみですか。とらぬ狸の皮算用。これは健康食品業界が病気を人質にして健康マニア達を脅迫しているのとつながる心情です。起こるか起こらないかもわからないことに備えようとする愚。つまり宝くじの方は射幸心を煽り、健康食品(いいえ、現代医学全般に当てはまることでもあります)は不安を煽る。人の金のことです、放っておきなさいな。それに尽きましょうにね。
 上関原発、予定海域埋め立てを県知事が許可しました。話が持ち上がってから25年だと、TVは溜息混じりに報道します。祝島の人達の強硬な反対運動で中国電力がずっと足踏みしてきたという歴史です。25年も経つと反対者も賛成者も代替わりしています、町長も替わる、反対闘士も亡くなっていく。でも、今まで具体的に進展のなかったのは反対運動の賜に(賛成派に言わせれば妨害となるのでしょうが)違いありません。その間、中電も手を拱いているはずもありません、新聞にも住民のコメントとして載ってましたが上関や周辺の漁師達を金で買収する(漁協として反対しているのは祝島だけでしょう)、上関町にあからさまに多額の寄付を落とす、町長はそれを当てにして予算を組む。25年の間にどれだけ金まみれになったか、つまり搦めとられたかという側面です。みんな知っていることです。そして皆が黙っていることです。それでも祝島は反対する(祝島の人の中にはそうでない人もいるのでしょうが)。そういういきさつの中、いくつか裁判が起こされ最高裁まで行った事例まであります。結果は反対側に不利なものばかりです。それでも反対します。今回知事は埋め立てへの許可を出しました。反対者の心情を思うに決して喜んで許可するものではないなんて言い訳しながらです。言い訳その二は、原子力の安全性の審査は知事の権限ではなく国が行なうことだ、安全性にまで踏み込んで審査する必要は法的にはないという官僚の言いそうな手続き論です。何とか言う鳥やスナメリなどの動物の生態破壊やらを判断する権限は私(知事)にはないという理由です。なるほど、投げたって訳です。私は考えません、事務的に自販機的に判断しますとの宣言です。あくまで法的に(手続き上の事項として)処理しますと言うことです。こういう態度をとられたらこっちを向かせるのは難しいんでしょうね。祝島の反対勢力は尚一層の反対運動を展開していくと表明していますが、さてどうなりましょうか。俄に湧き上がってきた環境保全問題の二酸化炭素悪玉論に乗っかって必要性を言い募るのでしょうが、上関のあの自然を破壊することは問題にならぬというのでしょうか。日本にある火力発電所を原発作る替わりに何基壊すとかの約束があるのでしょうか。強い必要性などないように思います。少なくとも急ぐ要のない事業であることは25年という年月が証明しています。一度決めたからには梃子でも変えないというう意固地さだけですか。もちろん作ることによって中電は大儲けできるのでしょう、25年に亘ってそこここに大金落としてきても十分にお釣りの来る事業なのでしょう。周辺の自治体もおこぼれを期待している。ダム建設の中止やら滋賀県での新幹線の新駅設置の白紙化など前例は多くあります、要は首長の意思一つなんですわね、いかに国家事業とは言え。二井さんには重大事項ではないのでしょう。この人の地元(どこか知りませんが)に作るとなったらもっと親身に考えたでしょうけれど。引っ張るだけ引っ張って、御意見を十分にいただきましたという経過を作っておいて予定通りの落としわざ。知事の言い訳を聞いて予定行動であったことを強く感じたことでした、手続きに逃げるということは考えたくないということですから。これが行政だ、ですか。そうですかね。そうなんですかね。
コメント (2)
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