三浦社長自殺のニュースです。因縁の地ロスで、という見出し。日本で最高裁まで行って無罪確定した後にアメリカに捕まるなんて素人には驚くような展開、いかに外人であってもアメリカでの犯罪である以上は自国で相当の量刑が出ぬ限りアメリカでの処理は終わらないと言うことですね。そう考えれば空恐ろしいことですが、しかしさすがに主権は侵せない。つまりアメリカの警官が日本人を日本国内で逮捕することはできないのでしょう、敵さんがサイパンへノコノコやってきたところをお縄にしたといういきさつです。つまり用もないのにアメリカ領土内に行ったのが運の尽きだったわけです。万引きするほど金のない(のだろう)やつれた汚いおっさんがどうしてサイパンに行けるんだ?という素朴な疑問も残ってますが、この手の見栄っ張りは生来のモノでしょうからね。どこに価値を置くかは人それぞれです、ここばかりは括れません。自殺に至った経緯、これには余り興味はないです。先が見えなくて悲観して、でしょうか、思いの外アメリカさんが本気なのに恐れをなしたのでしょうか。日本の司法を騙くらかした頃まではまだ体力も気力も外連味も虚栄癖も十分漲っていたのでしょうが。あわれ犯罪者の末路、ですか。殺された奥さんの怨念ということにしておくがいいオチなのでしょうか。
左翼系の雑誌の表紙に小学校の運動会徒競走の写真(選手リレーだそうです)が載っていて、写真自体は何のことはない極々陳腐なモノなんですが、キャプションがついていてこうです。昔はクラスで競争して速い者を選び、更にその中で速い者を学年代表と決めていたが、この小学校は手挙げ方式でしかも男女一緒のレースだ、男女共同で、速い者遅い者の差別をしないとの方針だそうだが運動会の花形である代表選抜リレーが今一つ盛り上がらない、というものです。おいおい、誰がそういうバカをさせているんだい?あんた達、はき違えた公平平等主義者達の壟断が原因だろうに。これには笑いました。人の所為にしていますよ、厚かましいというか馬鹿にしたこと。男女を区別しないことが平等だとはき違えてる。何でもかんでも手挙げにすれば公平だと安直に流れる。能力差を個人差を隠しに隠す。能力差はあって当然なんです。それを一緒にしようなんてことこそが大間違い。選手リレーでなくても普通の徒競走で用意ドンして暫くはめいめいが走ってゴール前で速い者達が遅い連中を待ってみんなで手をつないでゴールするなんて気味の悪いことを子供に強要している。なんたる偽善。私はずっと足が遅くて運動会でヒーローになれる奴らを羨ましく思ってましたが、運動会なんてのは色々楽しみ方があるんで嫌いじゃなかったです。自分は足が遅い、花形レースになんか出られるはずもない、そういう能力差はいやというほどわかってました、でもそれだけです、差別とか疎外感とかそんな感情の湧いたことなどありません、羨ましかったですけれど。それどころか私の通った小学校では「温情」が施されていました、徒競走で足の速い順に組分けするんですA、B、C組と。私はC組。同じくらいの者同士で走りますからどの組も競ったレースになります。見た目も面白いです。A組は見ているだけでみんなが速いのがわかります。つまりC組は見るからに鈍足達の競争なんですが、それでも一等賞になれるわけです。温情でしょう?今の教員達から見ると鳥肌が立つほどの差別行為になるのしょうか。それともこれこそが公平性への初動だなんて評価しましょうか。中山大臣の言葉は正しかったでしょう?日教組が癌なんです。表現が不適切(癌患者への配慮が足りぬなんてねじ込みはそれこそ左翼連中、朝日やNHKが大声出すだけのことです、とっても分かり易い比喩です)だっただけで、内容は正しいんです。この写真のキャプションには本当に笑いました。こうやってまたまた人の所為にして知らん顔の半兵衛を決め込むわけです。腹が立つことです。
左翼系の雑誌の表紙に小学校の運動会徒競走の写真(選手リレーだそうです)が載っていて、写真自体は何のことはない極々陳腐なモノなんですが、キャプションがついていてこうです。昔はクラスで競争して速い者を選び、更にその中で速い者を学年代表と決めていたが、この小学校は手挙げ方式でしかも男女一緒のレースだ、男女共同で、速い者遅い者の差別をしないとの方針だそうだが運動会の花形である代表選抜リレーが今一つ盛り上がらない、というものです。おいおい、誰がそういうバカをさせているんだい?あんた達、はき違えた公平平等主義者達の壟断が原因だろうに。これには笑いました。人の所為にしていますよ、厚かましいというか馬鹿にしたこと。男女を区別しないことが平等だとはき違えてる。何でもかんでも手挙げにすれば公平だと安直に流れる。能力差を個人差を隠しに隠す。能力差はあって当然なんです。それを一緒にしようなんてことこそが大間違い。選手リレーでなくても普通の徒競走で用意ドンして暫くはめいめいが走ってゴール前で速い者達が遅い連中を待ってみんなで手をつないでゴールするなんて気味の悪いことを子供に強要している。なんたる偽善。私はずっと足が遅くて運動会でヒーローになれる奴らを羨ましく思ってましたが、運動会なんてのは色々楽しみ方があるんで嫌いじゃなかったです。自分は足が遅い、花形レースになんか出られるはずもない、そういう能力差はいやというほどわかってました、でもそれだけです、差別とか疎外感とかそんな感情の湧いたことなどありません、羨ましかったですけれど。それどころか私の通った小学校では「温情」が施されていました、徒競走で足の速い順に組分けするんですA、B、C組と。私はC組。同じくらいの者同士で走りますからどの組も競ったレースになります。見た目も面白いです。A組は見ているだけでみんなが速いのがわかります。つまりC組は見るからに鈍足達の競争なんですが、それでも一等賞になれるわけです。温情でしょう?今の教員達から見ると鳥肌が立つほどの差別行為になるのしょうか。それともこれこそが公平性への初動だなんて評価しましょうか。中山大臣の言葉は正しかったでしょう?日教組が癌なんです。表現が不適切(癌患者への配慮が足りぬなんてねじ込みはそれこそ左翼連中、朝日やNHKが大声出すだけのことです、とっても分かり易い比喩です)だっただけで、内容は正しいんです。この写真のキャプションには本当に笑いました。こうやってまたまた人の所為にして知らん顔の半兵衛を決め込むわけです。腹が立つことです。