西武から金を貰っていた早大生、一ヶ月の停学処分ですって、野球部は退部処分です。さてさて。即の退学処分じゃぁ気の毒かとも思うし、大学側としても役に立たぬ(野球できぬ)奴は要らぬといった単純な、非難受けることが十分に予想される対応は避けたいところでしょうしね、まぁ妥当といえば妥当な線なのでしょうが、運動能力の遙かに及ばない者のやっかみで言えば、スポーツ枠推薦で入った者がスポーツできなくなったら、当人居辛いでしょうね。そうでもないのかしら。在学中に怪我するといったケースは多いでしょうし、思ったほどに技量の伸びない者もいるでしょう、それでも連中居座って早大卒の肩書きが貰うんですかね。入試も受けずに、金も払わずに、勉強もせずに野球ばかりやっていればよかったものが、野球できなくなったんです。ううむ、やはりやっかみですね。
タミフル騒動、柳澤「産む機械」厚労相、得意の知らん振り、逃げの一手。悪いと思ってませんからね、どうしようもないことです。昔、薬剤エイズ禍問題を当時の菅直人厚生相が剔りましたでしょう、大臣として謝罪したでしょう、ああいう意識から最も遠いところにいるオッサンですから。もっとも、あの時の菅直人は外連ばっかりで、あれは売名行為、それが証拠に調子に乗ってO-157事件ではカイワレ大根業界に大迷惑をかけたでしょう、この人が優れているわけではないのですが、学者と業者と官僚がつるんだ医療行政を剔ったという事実は事実でした。石原都知事が昔環境大臣だった頃に水俣公害事件を大きく前に進めたこともありましたね。ああいう意気のかけらも持ち合わせないお爺ですから。で、まぬけなことに、今後は中外製薬から寄付金を受けている学者は研究班には入れない、そうです。中学生の学活並みです。猫に魚の番をさせるの譬え。李下に冠を正さず。瓜田に靴を履かず。構造汚職と言ってもいいことなんでしょう。
向井夫婦が最高裁で負けました。夫の高田某プロレスラーもそれなりに有名な人なのに、この夫婦を称するにいつも向井夫妻です、これも不思議なこと。刑法は行動規範、刑事裁判は人の正邪を裁くもの。民法は人と人とのトラブル解決規範、民事裁判は損害賠償裁判です。でも、その裁く基準となるべき法律に不備があれば、あれ?となるのは当然です。先の300日ルールもそうです。DNA鑑定など思いもよらぬ時代には、単純に十月十日説に拠ればよかったのです、女性の「身の堅さ」を信用していればよかったのです、事実そういう人が多かったのでしょうし、世論も厳しい。でも今は違いますわ、世の中上げて「不倫」を勧めるし、性交渉にもはや何の恥ずかしさも伴いません。親子鑑定は、結婚の有無とか同居の有無とかではとてもできない、また血液型のような大雑把(実のところは血液型鑑定は実に詳しいのですが)なことではなく、唾液や髪の毛でできる時代です。そうです、時代は進んでいます。その科学の恩恵を受ける権利も当然あるわけです。今できることをなぜやっちゃいけないんですか?そういう理屈は理解します。でも、300日問題と、代理母問題は次元が違いますね。最高裁はあくまで現行の法律を基準に判断しました。司法として至極当然な判断でしょう。そう思います。やっていいこと悪いことという判断を、どういう風に法律に反映できるか。私は今回の最高裁判断は正しかったと思います。いかがですか。
タミフル騒動、柳澤「産む機械」厚労相、得意の知らん振り、逃げの一手。悪いと思ってませんからね、どうしようもないことです。昔、薬剤エイズ禍問題を当時の菅直人厚生相が剔りましたでしょう、大臣として謝罪したでしょう、ああいう意識から最も遠いところにいるオッサンですから。もっとも、あの時の菅直人は外連ばっかりで、あれは売名行為、それが証拠に調子に乗ってO-157事件ではカイワレ大根業界に大迷惑をかけたでしょう、この人が優れているわけではないのですが、学者と業者と官僚がつるんだ医療行政を剔ったという事実は事実でした。石原都知事が昔環境大臣だった頃に水俣公害事件を大きく前に進めたこともありましたね。ああいう意気のかけらも持ち合わせないお爺ですから。で、まぬけなことに、今後は中外製薬から寄付金を受けている学者は研究班には入れない、そうです。中学生の学活並みです。猫に魚の番をさせるの譬え。李下に冠を正さず。瓜田に靴を履かず。構造汚職と言ってもいいことなんでしょう。
向井夫婦が最高裁で負けました。夫の高田某プロレスラーもそれなりに有名な人なのに、この夫婦を称するにいつも向井夫妻です、これも不思議なこと。刑法は行動規範、刑事裁判は人の正邪を裁くもの。民法は人と人とのトラブル解決規範、民事裁判は損害賠償裁判です。でも、その裁く基準となるべき法律に不備があれば、あれ?となるのは当然です。先の300日ルールもそうです。DNA鑑定など思いもよらぬ時代には、単純に十月十日説に拠ればよかったのです、女性の「身の堅さ」を信用していればよかったのです、事実そういう人が多かったのでしょうし、世論も厳しい。でも今は違いますわ、世の中上げて「不倫」を勧めるし、性交渉にもはや何の恥ずかしさも伴いません。親子鑑定は、結婚の有無とか同居の有無とかではとてもできない、また血液型のような大雑把(実のところは血液型鑑定は実に詳しいのですが)なことではなく、唾液や髪の毛でできる時代です。そうです、時代は進んでいます。その科学の恩恵を受ける権利も当然あるわけです。今できることをなぜやっちゃいけないんですか?そういう理屈は理解します。でも、300日問題と、代理母問題は次元が違いますね。最高裁はあくまで現行の法律を基準に判断しました。司法として至極当然な判断でしょう。そう思います。やっていいこと悪いことという判断を、どういう風に法律に反映できるか。私は今回の最高裁判断は正しかったと思います。いかがですか。