柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

後手

2007-03-29 08:40:18 | Weblog
朝のニュース、タミフル薬剤自体に問題か?なんてキャプションです、今度は製造過程になすりつけかい?と思って聞いていると、こういうわけです。なんでも幼児にタミフル飲ませたら、奇声を上げて階段を駆け上がるという奇異行動を生じたそうです。次の日、別の病院で調べたところインフルエンザじゃなかったとわかったんだそうです(簡単なキットで調べるやつですから、その信憑性も確実なものではありませんが)。厚労省はこういう奇異行動はインフルエンザそのものの症状でもあるから(熱譫妄なんてやつです)ひとえにタミフルの所為とは言えない、と逃げてきてましたから、あらら、インフルエンザじゃないのであればこの精神症状はタミフルの所為じゃないか!という意味でした。何ーにを今さら・・。薬を飲んで何か不都合が起こればきっとその薬の所為です。必ず飲むのを止めなければなりません。医者はその薬の添付文書に記載してある症状しか副作用として認めませんから「そんなこと書いてないよ」で終わりです。その薬の所為じゃないでしょうなんて言って、薬害が拡がるというわけです。あなたにしか起こらない副作用もあるはずでしょう?普通に考えたらそうですわね。人は一人一人反応が違うんですから。だのに、学者は数が揃わないと(数が多くならないと、つまり何人か死んだくらいでは)副作用と認めません。それが科学だからです、偶然を排除する、一般式を求めることが科学だからです。例えばこういう言い方をします、インフルエンザ予防接種で重い副作用が出る確率は百万接種に一例程度のものだ。だから安全なのです、と。社会の安全安寧を求める観点から言えばインフルエンザの蔓延を防ぐ意味では利益の大きいことでしょう。でもそこには何人かの犠牲は仕方のないことという前提があります。厳としてあります。今までの全ての公害訴訟や薬害訴訟はこういう観点から裁かれてきたのです。でもこの図式をタミフルに当てはめてはまずかりましょね、予防接種ほどの社会的意義がありません。このニュースのキャプションを誰が考えたのか、TV局でしょうか、まさか厚労省が出どころじゃないでしょう、医療評論家でしょうか。科学の衣を着せて、被害者が出続けるを拱手傍観して、結局世論に折れる形で後手後手に対応承認していく。先の、菅直人のカイワレ冤罪事件のような勇み足は困るのですが、間違いで実際の被害を受ける業者には気の毒ですが、被害の拡大を防ぐための失着なれば許容される範囲内の事象でしょう。その逆が多すぎるのです。結局間違いを認めるのなら、何故もっと早くに手を打たなかったのかという憾みは大きいのです。そうです、国民の危険(命)より業者(製薬会社)の利益を優先する体質です。血液製剤によるエイズ問題もそうでしたね。怖ろしいことでしょう?我が身はやはり自分で守るしかないのでしょう。そう思うことです。
コメント
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