柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

捏造

2007-03-17 08:42:34 | Weblog
ホリエモン、猶予無し実刑判決です。控訴の運びですが、次はあの東京高裁です。どんな判決が出るか分かりません、平気で覆りますよ、この裁判も長引くんでしょうね。拝金主義だの未熟だのとここを先途と新聞各紙叩いていますが、法廷での被告の態度も悪いしという評もあります。よく裁判官の心証なんて言いますね。ドラマでもよく取り上げられますが、裁判官は当該事件に対しては全くの第三者でいなければならない、一点のバイアスもかかってはならないとされます。まぁこれは肯けます、公正中立な判定が求められますから。裁判官は原告被告から提出される証拠や弁明だけから判断せねばならぬのです、つまり自分では調べられない。そして裁判は裁判官の心証形成に拠るところが大きいわけです。裁判官がどう思うか、です。これは法律の教科書にも何度も出てきます、つまり法廷運営具合によって白黒が決まる、弁護士がどれだけ上手に(言葉悪く言えば)裁判官を誘導できるか、その力量にこそ依拠するという事実です。正しい間違いじゃないんです、真実は何か?!でもないんです。裁判官は真実に則って判断しているわけでもないのです。それに加えては、これも同じくらい大きい要素ですが、裁判官その人自体の力量(知識量、常識量、情感の豊かさ、人格の高低、品格の上下)如何。心証なんて言葉ごまかしていますが、いかに裁判官を騙すか、ですわね。馬鹿な裁判官なら与み易いでしょう。でも、妙に熱い奴でも困ります。となれば単純な法律照合者であるのが適当なのでしょうか。裁判というのは、裁判官という個人が判断する以上、殺人とか傷害とかはっきり分かり易い咎はさておき、今回のような事例では真実か否かとか正しいか間違いかなんて絶対的な判断などできはしません、裁判官の意見に過ぎません、つまりは弁護士の力量次第というわけです。全てお見通しの天の神様や、お天道様が裁かれるのではないです。この怖ろしさです、気味の悪さです。冤罪がなくならないわけです。ホリエモンを裁くのか、彼がした行為を裁くのか、いやどちらでも同じことですが世情は当人を責めます。当人の性格、人となりを責めます。善悪でなく好き嫌いで責めます。裁判の偽善というか、周防監督の痴漢冤罪の映画を思い浮かべることです。
 NHKの朝ドラ、かもかのおっちゃん脳出血で倒れて云々の進行です。ドラマは大阪の医師会の内科医会の監修とテロップに出るんですが、たかがドラマなんですが、ちと嘘臭すぎますので、書きます。一つ、CTでは左の少量の出血に見えました。あの程度では急ぎの手術を要することはないはずです。二つ、ICUで酸素マスクです。口の管は既になく、自分の呼吸です。なのに呼吸器がシューシュー動いています。三つ、右手足があれだけ不自由であれば、言葉ももっと傷んでいるはずです。俳優は少しは加減しているんでしょうが、右麻痺があればあれだけスムーズには会話できますまい。医者が監修しても、つまり嘘っぱちでも画面のインパクトを優先する慣例でしょうね。今ぞろぞろ出てきている捏造番組と大差のないことと思うのですが、ちとうるさく言い過ぎでしょうか。刑事ものや看護婦もの、教員もの・・、実際に働いているものから見ればウソばかりということですが、これも共通の決まり事で、そうわかって見ていればいいことなんでしょうかね。
コメント
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