柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

見識

2007-03-02 08:40:24 | Weblog
東国原知事、さかんに動きます、すごい宣伝効果。TVは北野たけしとの邂逅を伝えています。こういう場面を見たいですね観客とすれば。でも思ったこと、知事はもうすっかり知事の顔です、緩んだ芸能人顔じゃないです、一方たけしは太っちゃって締まりのない爺さん風、まさしく好対照でした。ああいうところで多くを喋らないのもよく心得てのこと、たけしのつっこみも毒舌もなんだか空回りで。ああ、立場が人を作るとはよく言ったものです。この男、才能かも知れませぬ。
 西郷隆盛の征韓論がよろしくないと、鹿児島知事が教科書記載訂正を申し出て、一社が応じたとの記事です。「武力を用いてでも開国させようとする征韓論を唱えた」を「西郷を使節として朝鮮に派遣することを決定した」と変えたんだそうです。征韓論に対する学説は遣韓論と言うのだそうです、初めて知りました。おらが国さの英雄を擁護する気持ちはよく理解しますが、知事が直々にというところ、気持ちの濃すぎが何だか嫌な感じもします。征韓論についての一般的な理解は(すみません、単に私の理解です)、新政府の要職にあった西郷がわざわざに下野して地元薩摩で新体制に不平をもつ元武士階級の者達の象徴として蜂起した(西南戦争)のは、旧友大久保利通やら他の長州出身の大立者達の腐敗(西郷が武士道に忠実実直であったということです)を見て落胆してのこと、封建体制を崩し武士に既得権益をすべて放棄させたのは一部のヒーロー達を富まし、驕奢に走らせる為ではないと感じてのこと、武士としての死に場所を求めて敢えて征韓論を唱えたのだというものではないですか。私のこの理解の種本は何種類かありますが、結構右寄りの歴史ものが多いのかも知れません、また江藤淳のものした本も読みました、ですから西郷隆盛という人は純粋で金銭欲名誉欲に無縁で、薩摩人の古い伝統を体現していて、堕落腐敗を許せず、さりとて自分は政府の要職にのうのうといる、野にいて生活に苦しみ環境になじめぬ旧武士、彼らは少し前の自分であるわけです、その彼らの声を無視できなかったという理解です。征韓論は韓国を征服する!というものではないという理解です(そういう本を読んできたということなんです、左寄りの著者にかかれば領土欲に目の眩んだ悪党のように書かれるのかもしれません)。だから、単に今の情勢、韓国やら中国にぺこぺこしている、向こうの歴史認識とやらばかりに平伏している状況で、征韓論を底浅く字面通りの理解したのでは、却って西郷さんを貶めませんかね。誤解を解くために表記を変えるということなんでしょうけれど、「遣韓」では歴史上の意義が伝わらないのではないですかねぇ。こんな表面的な取り沙汰はいかがなものでしょうか。県議や知事の見識が問われませんか。薩摩の英雄を、薩摩人が貶めることにはなりませんか。言葉狩りはいい加減にしなければなりません。そう思います。
コメント
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