鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

こども手当の支給にひと工夫あっても然るべきと思うが……

2009-11-20 | Weblog
 日本の世帯間の所得格差が広がっている。民主党政権になって初めて発表された貧困率なるものによって、日本はOECD(経済協力開発機構)加盟30カ国のなかで4番目に高かったことが明らかとなったが、先日発表されたひとり親世帯の「相対的貧困率」は08年度報告書で58.7%とOECDのなかで最も高いことが判明した。戦後の経済復興のなかでひたすら先進国に追いつけ、追い越せで経済成長を遂げてきた結果が格差の拡大という思わぬ事態に陥っていることが明らかとなったわけで、今後の経済運営にとって格差是正がクローズアップされることになりそう。
 貧困率には1日の所得が1米ドルに満たない国民の割合を指す絶対的貧困率と相対的貧困率とがあるが、通常は相対的貧困率を指標とする。相対的貧困率は世帯の可処分所得を世帯員数の平方根で割った値が全国民の可処分所得の中央値の半分に満たない国民の割合をいい、日本の場合は2007年国民生活基礎調査による全国民の所得の中央値は254万円なので、半分の127万円に満たない世帯の割合をいう。1人世帯では127万円未満となるが、2人世帯では180万円、3人世帯では224万円、4人世帯で254万円各未満となる。
 それによる2006年の日本の相対的貧困率は15.7%で、OECDのなかでメキシコの18.4%、トルコの17.5%、米国の17.1%に次いで4番目となる。スウェーデン、デンマークの5.3%はもちろん、OECD平均の10.6%には遠く及ばない。
 さらに深刻なのがひとり親世帯の相対的貧困率が07年調査では54.7%と両親のいる世帯に比べて5倍以上となっていることが判明したことである。
 所得格差を表す指標としては他にジニ係数なるものがあったが、全体としての格差の傾向がわかる程度で、国民が自ら置かれた立場に戻って認識するといったものではなかった。今回、世帯という分かりやすい尺度で明らかとされたことで、身近なんものとなった。
 これまで自公政権時代はこうしたデータそのものを公表してこなかった。貧困だからといって具体的な政策に反映させるものを示すことを恐れたのか、国民の不満をいたずらに募らせるだけと判断したのかわkらないが、だれかが然るべく判断したのだろう。
 民主党政権となって、一見マイナスと思われるようなデータも国民の前に公表されることはいいことである。こども手当の支給が考えられていることもあって、前向きに公表することに決めたのだろうが、一律にこども手当えお支給するのではなく、ひとり親世帯、もしくは世帯所得200万円以下を対象に支給するようなことがあってもいい。
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持久戦に入った市橋容疑者と行徳警察署捜査陣との戦い

2009-11-19 | Weblog
 英人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害容疑で逮捕された市橋達也容疑者は相変わらず、水分以外の食物を口にしないハンガー・ストライキを続けており、捜査は進んでいないようだ。国選と思われる弁護士3人が付いて、毎日接見はしているようなので、自殺するふしはうかがえない。ただ、口を開けば殺害状況に触れざるを得ず、どう転んでも塀の外には出られないとあって、完全黙秘を決め込んでいるようだ。
 市橋容疑者は弁護士に対して「家族には連絡してくれるな」と言い、家族と会いたくない旨の発言をしたようだが、肉親と接触を断つということはよほどのことである。殺害をするまでに家族と断絶状態になるような事情があった場合は別にして、いまこの段階で肉親に会いたくないということは会えば情に流されてしまい、ハンガーストライキまでしている精神の張りが失われてしまう恐れから、こうした発言となったものと思われる。父母はいずれも医者で、驚くほどの冷静さで置かれた局面を客観的に語っているが、実際に息子、市橋容疑者に会っても冷静さが保たれるか、はわからない。
 いまのところ、死体遺棄容疑での逮捕された市橋容疑者の勾留期間は10日間で、必要とあれば何度でも10日間ごと延長できるし、死体遺棄で起訴されれば2カ月勾留して取り調べできることのなっている。市橋容疑者がハンガーストライキで抵抗を試みても限界がある。
 すでに市橋容疑者に対する栄養剤注入などが行われているようであるが、それを拒否しないということは生きることには執着しているということだろう。
 あとは持久戦がいつまで続くか、ということだが、まずは冷静な両親を引見させ、揺さぶりをかけてみることだろう。さらには市橋容疑者の生い立ちを追って、頭が上がらない恩師、もしくは知人を見つけて、面会させ、人間としての情を吐露させるように持っていくしかないだろう。
 18日夕刻にフジテレビの報道番組「リアルタイム」に出演していた田宮栄一元警視庁捜査一課長が「かつて一週間黙秘していた犯人を取り調べたことがあるが、家族のことを心配していたことがわかり、その手当てをしてやったら、安心して話し出したことがある」と話していた。千葉・行徳警察者にこうしたベテランの捜査官がいるのかどうか、わからないが、ここは千葉県警の面目にかけても市橋容疑者を殺人で起訴できるだけの状況証拠を固めて、立件にもっていってほしいものだ。
田宮氏も「いまの状況証拠でも、十分に殺人で起訴できる」と断言していたので見通しはあるはずだ。
 市橋容疑者が逃亡中に大阪・枚方の建設会社で1年1カ月間働いていたことが判明したが、通報したその建設会社に対して、「市橋容疑者のような極悪人を雇っていたとはけしからん。そんな会社とは取引しない」と通告してきた会社があるい一方で、インターネットのmixiコミュニティに市橋達也ファンクラブなるものができたとか、あきれるような動きが出ている。完黙している市橋容疑者が聞いたら喜びそうな話だが、いつの世の中にも幼稚なわからずやはいる、ということなのだろう。
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千畳の總持寺本堂での迫力ある法戦式に参加して感激した

2009-11-18 | Weblog
 17日は横浜市鶴見の總持寺で行われた首座法戦式なるものに参加した。お世話になっている川崎市宮前区のお寺、長尾寺の見習い僧が首座に選抜され、僧になるための正式な儀式で、末端の檀家として招待されたようだった。總持寺でも1年に1、2回しか行われないもので、めったに見られない行事とあって、野次馬気分の参列した。雨の中、午前9時に大本山總持寺番積台に行くと、お寺の名前が張り出した受付台があり、名前を告げると待合室のような部屋に通され、30分ほど経ってから、本堂に案内され、法戦式なる儀式が始まった。
 93歳の禅師が登場し、一同3拝し、千畳という広い本堂の左手に座った首座となる若い見習い僧の後ろと前に控える約150人くらいの僧侶から、禅問答のようなものが丁々発止と繰り出され、これに対し首座は間髪を入れずに答えていく。問答の具体的な内容はよく聞き取れないが、どうやら悟りなり、身の処し方についてのやりとりのようで、淀みないやりとりで見る者に迫力は十分に伝わってきた。
 約30分にわたった問答は全部で25問で、どこから飛んでくるか、は分からないし、問答そのものは模範解答のようなものがることはあるが、その場にならないとどんな問いがだされるかは一切分からず、模範解答通りの答えではなく、自分なりの解釈を加えて回答しなければならず、それなりに緊張する、と終わった後に首座を語っていた。
 終わってから本堂を背景に僧侶一同が記念写真を撮り、その後に檀家が一同で記念写真を撮った。また、引見の間で、改めて禅師と檀家が対面し、ご苦労さんと言葉を交わし、さらには別室で僧侶と檀家一同がそろって精進料理を囲んでのお祝いの会が行われるに及んで、法戦式なるものが大変なことなのだ、ということがわかってきた。
 最初は興味だけで参加した法戦式が曹洞宗なり、仏教の世界でどのように位置つけられているか、何も知らないで参加したのだが、法戦式に臨むということがお寺なり、見習い僧にとって大変名誉なことであるか、ということがよくわかった。
 長尾寺との付き合いは15年くらい前に亡くなった母親の23回忌の法事を行わなくてはいけない、と思い、電話帳で近くの曹洞宗のお寺を探して、飛び込みで位牌を持ち込んで法要をしてもらったのが最初だった。それから数年して一緒に法要してもらった父親が亡くなって、葬式でお世話になって以来、法要のお経をお願いして、ずっと檀家の末端に加えてもらっている。
 だから、こんな派手なお祝いの会にまで加えていただいて、当初は面映ゆくて仕方なかった。法戦式に参加した他の檀家はお寺の住職と親しそうに話しているが、こちらはにわか檀家で、そんなに熱心な信者でもないので、小さくなっていた。
 受付でもらった紙袋のなかに紅白饅頭のほかに白檀のキーホルダー、それに長尾寺の名が刺繍してある檀家の襟掛けがあり、その襟掛けをつけるとなにやられっきとした長尾寺の檀家のような気分になってくる。これまで数年に1回程度の付き合いしかなかったが、これを機会にもっと檀家らしい活動もしなくてはいけないような気持ちになってきた。
 全部の行事を終えて、せっかくの機会だからと、別の若い僧の案内で總持寺の内部をひとわたり拝観した。通常なら入れないお釈迦さまを祭ってある佛殿に入ったり、初めて座禅を組む衆寮なる施設をみることができて、法戦式に参加できたことも含め意義ある一日だった。
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行政刷新会議の「事業仕分け」を実際に目撃し、目を瞠らされた

2009-11-17 | Weblog
 16日は東京・市ヶ谷の国立印刷局センターで行われている内閣府行政刷新会議の「事業仕分け」の傍聴に出かけた。地下鉄市ヶ谷駅で降りて、さてどちらへ行くのかと迷っていると、前方に重そうな黒い鞄を下げた男性が歩いているので、多分同じところへ行くのだろう、と後をついていくと、果たしてそのまま会場へたどりついた。入り口で持ち物検査などセキュリティ・チェックを受けた後、イヤフォンをもらって体育館みたいな会場へ入ると、テレビで見た通りの光景が飛び込んできた。3つのグループに分かれて、ロの字型に囲んだテーブルの一角に概算要求予算を決めた各省庁の担当者が座り、正面に国会議員らのとりまとめ役が、そして両側に仕分けの評価委員が囲む方式で、外側に傍聴席が設けられている。
 丁度、「関西国際空港補給金」を90億円から160億円に増額する案件について討議が始まったばかりのぶちあたった。国土交通省の担当者が関西国際空港の発着回数や有利子負債などの推移、財務構造など経営環境を説明し、なぜ増額しなければならないかを説いていく。続いて、財務省主計局の担当者がコメントを加え、仕分け人から「空港利用料の値下げで需要増を期待できるのか」、「支払い利子だけで年間227億円もあるのに民間企業なら倒産ではないか」、「伊丹、神戸空港との棲み分けをどうするのか」などといった質問がなされ、約40分にわたり、質疑応答が行われた。
 聞いていて、経営側の経費削減などの努力に触れないのはおかしい、と思っていたら、最後に外人委員から「人件費などの経費削減はどうなっているのか」との質問が出て、「これまで76億円の経費削減をしてきているし、84人の人員削減をしている。21年度も226億円の削減をする」といった回答がなされた。また、地元の橋本大阪府知事が「補給金など要らない」と発言したことも指摘されたが、これについては特段の言及はなされなかった。
 で、仕分け人の評価シートの集計があり、2人が「廃止」、9人が「見直し、ないし凍結」と評価したことが判明し、最終的には「伊丹、神戸との3空港との棲み分けを含め抜本的解決策の結論が出るまで凍結」ということになった。
 続いて討議された住宅金融支援機構の証券化支援事業で726億1200万円もの予算を計上している案件は単年度の必要額ではなく、出資金という基金の予算というからくりが明らかにされ、あっさりと単年度必要額を計上すべきとの結論となった。
 午後は厚生労働省の「介護サービス適正指導事業」(計上額4億5200万円)については予算消火額が半分にも達していない予算作成上の不備が指摘され、各地方自治体に移管すべきとの結論となった。
 さらに農林水産省の水産基盤整備事業(予算計上額1015億2600万円)、国土建設省の港湾整備事業(同1864億800万円)が俎上に乗せられた。そもそもの事業の在り方から議論が行われるので、初めて聞く者にとっては予算の立て方から国の基本的な考え方まで知ることになり、それなりに面白かった。結論はいずれも「10%削減」となり、最後は財務省主計局の担当者のペースといった感じだった。
 1000億円を超えるものから数億円の案件まで同じように時間をかけてやるのもどうか、と思われるので、もっとメリハリをつけてやることもいいのではないか、と思われた。
 国の予算がどういう考え方で作られているのか、がよくわかり、国会議員、有識者、官僚がシナリオなしにモロにぶつかる場面を目撃できる機会はそうざらにはない。しかも国民が直に見られることなんて、初めてのことで、まさに歴史的な機会に遭遇した喜びはなにごとにも変えられないだろう。
 国だけでなく、県や市など地方自治体もこうした手法を取り入れるべきで、そうすれば、市民はいかに税金が使われているのかを身をもってしるところとなり、投票ひとつにしても行動が変わってくることだろう。
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競馬場で馬券を買わずに見送る冷静さを発揮できるのは達人の領域

2009-11-16 | Weblog
 15日は久しぶりに東京・府中の東京競馬場へ出かけた。秋競馬の重賞シりーズに入ってから行きたい、と思いながら、スケジュールが重なり、足が向かなかった。台風一過のような秋晴れのなか、行楽シーズンでいやに混雑する南武線の乗って、府中本町に降りると、いつになく競馬場へ向かう人の列が少ない。京都競馬場でエイザベス女王杯があるので、東京競馬場はいわゆる駄馬戦の並みのレースしか組まれていないためで、午前9時半過ぎに着いたにも拘わらず、ゴール上の比較的見やすい場所で席を確保できた。
 席に着くと丁度、第1レースの出走馬が馬場に入場するところで、返し馬の状態を見たが、よくわからないので馬券を買うのを見送った。で、第2レースから始めることとして、パドックに行って、出走馬を順番に眺めたが、しばらく遠ざかっていたせいか、あまりインスピレーションが湧いてこない。それでも軸馬を決めて、3点の馬連投票券をも購入したが、見事に外れてしまった。最初のレースで外れるとその日は終日ペケとなることが多いが、終わってからそう思うのであって、その時はなかなかそうは思えず、思いは次のレースに向かっている。
 それでも第4レースの障害で、平馬の成績のいい初出走の馬に着目し、2番人気の馬との1点買いで、1410円の馬券をとり、一息ついた。レースを見ていて、先行する馬の2、3番手につけ、ゴール前で2頭が競り合ってなだれ込んだが、気持ちよくレースを見られた。
 午後の最初のレースは新馬戦で、パドックでどうもこれという馬が見当たらないので、馬券を買うのを諦めて、買うならこの馬と3頭決めて、レースに臨んだら、当たらなかった。買わずに正解だったわけで、長く競馬場へ来ているが、馬券を一枚も買わずにレースに臨んだのは初めてのことだ。たまたま、2レース続けて新馬戦があり、とても馬を見て判断するだけの自信がなかっただけのことだが、競馬場でこうした冷静さを発揮できるようになったことは我ながら素晴らしいことだった。
 第7レースで軸に決めた馬から3点買うことにしたが、そのうちの1点の馬との馬番連勝より、枠番連勝馬券のが配当がいいのがあったので、それを買ったら、その枠連馬券が的中した。喜んで、配当のアナウンスを聞いたら、やはり馬番連勝馬券の配当のが良かった。ファンはそうしたところをよく見ていて、同じように思うファンがいて、買いに走るのか、最後は妥当な結果となるようだ。
 パドックの正面にあるオッズボードを見ていたら、1着から3着までの馬を順番に当てる3連単馬券の売り上げが圧倒的に高くて、競馬がますます射幸的なものになりつつあることを知って驚いた。かつては3連単馬券の売り上げは馬番馬券のそれよりもちょっと多いだけだったのが、いまや全体の半分は3連単馬券の売り上げとなっている。中央競馬会としては売上が保たれればいいのだろうが、競馬を愛するファンを増やすうえでは必ずしもいいことではないように思われる。競馬が段々、宝くじ的な偶然の要素の多いギャンブルになっていくようでは衰退の方向を歩むだけではなかろうか。
 京都競馬場でのエリザベス女王杯は11番人気と人気薄のクイーンスプマンテが逃げ切り、2着にも12番人気とこれも人気薄の逃げ馬のテイエムプリキュアが入り、馬連で10万2030円という超大穴配当となった。2頭とも長距離レースを逃げ切ったことはあるが、いずれも軽量の負担重量に恵まれたもので、まさかワンツーフィニッシュで決まるとは考えられなかった。後続の馬が一番人気のブエナビスタの追い込みの足を警戒して、逃げ馬を負わなかったことが番狂わせとなった。初めて顔を合わせる大レースではよくあることでもある。テイエムプリキュアは調教タイムがよくて目をつけてはいたが、クイーンスプマンテとの行った行った馬券までは考えられなかった。競馬はまさか、っということが起きることがあり、楽しい。
 もちろん、そんな馬券は外し、この日はちょっとマイナスで終えた。あとで考えれば体調もよくなかったなかで、善戦ともいえる結果だったが、達人の領域ともいえる第5レースを見送ったという冷静さを発揮できたことが最大の収穫だった。
  
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パリ市民の喜びを感動で伝えてくれた「パリは燃えているか」

2009-11-14 | Weblog
 NHK衛星放送で1966年制作のアメリカフランスの合作映画「パリは燃えているか」を観た。第2次世界大戦でドイツ軍の占領下にあったパリのレジスタンスグループが連合軍の協力を得て、パリを4年ぶりに解放するまでの歩みを綴ったもので、解放へ向けてパリ市民の喜びが徐々に高まっていく様がエピソード風に語られていくのは見ていて、なるほどと思えた。アラン・ドロン主演となっていたが、ところどころに出てくる出演者が名だたる役者ばかりで、オールスターキャストといった面持ちで、だれもが主演者といっていい感じだった。
 「パリは燃えているか」はドイツ軍のディートリッヒ・フォン・コルテリッツ将軍がヒットラー総統に呼び出され、パリ駐在を命じられるシーンから始まるが、すでにドイツ軍はフランス・パリから撤退寸前の局面に追い詰められてきており、逆にパリのレジスタンスグループはパリ市内をドイツ軍から取り戻すべき一斉蜂起の体制に入りつつある。映画は1944年8月7日から25日に至るパリ解放までの歩みを逐一追っていく。
 まず、レジスタンスグループはパリ警視庁の館を占拠することに成功し、ドイツ軍と市街戦を構えるに至るが、如何せん戦いには素人集団で、ドイツ軍の繰り出した戦車の前に崩壊寸前となる。一方、ドイツ軍は形勢悪しと見て、収容していた捕虜をドイツに送り出す挙に出る。それは国連の協定違反としてノルウエー大使を担ぎ出して、差し止め請求を図るも、強硬されてしまう。
 市街戦は膠着状態となり、一旦休戦となるが、その間にレジスタンスグループは連合軍の支援を要請に行くし、ドイツ軍は形勢を見てパリ市街を破壊することで、密かに爆弾の敷設に乗り出す。
 ノルマンディに上陸した連合軍は当初、フランス全土から徐々にドイツ軍を追い出すことを計画していたが、レジスタンスグループの要請に応え、パリ解放に向けて全軍を派遣することにする。そうなると、連合軍の行進するフランス各地で大歓迎に遭うシーンが繰り広げられる。パリに入ってからはドイツ軍と銃撃戦が行われるが、戦意喪失気味のドイツ軍は次第に追い詰められて、遂には占領本部まで明け渡すことになり、コルティッツ将軍も囚われの身となり、パリ解放は成る。
 解放なったパリの街では市民がその喜びに市街地へ繰り出し、大喜びで連合軍兵士らと抱き合う姿が映し出される。終戦処理に追われる連合軍兵士らが忙しく立ち回るとあるビルの一角のテーブルの上に置かれた誰も聞いていない受話器から、「パリは燃えているか」との声が繰り返し、流れている。その響きがパリ解放の喜びを伝えている。
 仮に東京が戦争で敵軍に4年間占拠され、占領軍の指揮の下に不自由な生活を強いられたとして、元の自由な生活が戻ってくることが明らかとなったら、市民はその解放感に浸りきって、踊りまくることだろう。占拠中はどこにこんなに大勢の市民がいたのだろうか、と思われる市民があふれ出て、嬉しさを表現していたのは感動的だった。おそらく、記録写真なり、記録映像をまじえて画面を作成したものと思われるが、画面いっぱいからその喜びが伝わってきた。
 監督は「禁じられた遊び」や「太陽がいっぱい」で有名なルネ・クレマンで、音楽はモーリス・ジャール、主演はアラン・ドロン、ジャン・ポール・ベルモントで、それにイブ・モンタンやシャルル・ボワイエ、シモーヌ・シニョレなどフランスあげて映画製作に取り組んだ様子が見てとれる。もちろん、米国勢もカーク・ダグラス、グレン・フォード、ロバート・スタック、アンソニー・パーキンス、ジョージ・チャキリスなど主演クラスの結構な俳優陣をとりそろえていて、必ずしもアラン・ドロン主演とも言い切れない感じだった。
 戦争映画でありながら、随所にエピソードを散りばめていて、観客を飽きさせない趣向をこらしているのもさすがだった。たとえば、パリに向けて行進する連合軍兵士に扮したアンソニー・パーキンスがパリに対する憧れを絶えず口にして、戦車の敵をバズーカ砲で撃墜し、バーでシャンペンでお祝いの乾杯をして、外に出た途端に敵兵に狙撃されてあえなく死んでしまうシーンや、進退極まったコルティッツ将軍のもとにヒムラー元帥の命を受けたナチスの親衛隊の兵士2人がやってきて、ヒットラー総統に贈るためといって、ルーブル美術館から北欧のタペストリーを盗み出して送れといってきて、将軍を絶句させるシーンなどは戦争のもつ様々な側面を切り取って伝えてくれた。
 感動の大作ともいえる「パリは燃えているか」だった。
 
 
 
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初めての試みである「事業仕分け」は平成維新を象徴する快挙である

2009-11-14 | Weblog
 政府の行政刷新会議(議長・鳩山由紀夫首相)の10年度予算の概算要求の無駄を洗い出す「事業仕分け」作業が11日から13日まで3日間に渡って行われ、トータルの削減額は29事業の廃止や見送りなどで約1200億円に達した。95兆円にものぼる10年度概算要求のわずか0.1%にしか過ぎないが、民間の有識者も加えて国家予算に大きく切り込んだのは初めての試みで、今後に与える影響はとてつもなく意義深いものがある。民主党へ政権交代があってこそ実現できたもので、国民に政権交代がどういうものか初めて目にできた場で、まさに平成維新を象徴する快挙でもあった。
 東京・市ヶ谷の国立印刷局・市ヶ谷センターなる場所で、大がかりな舞台で、国会議員と民間の有識者から成る「仕分け人」が10年度予算を作成した財務相の主計官と担当省庁の官僚を前に個々の事業のそもそもの意義、予算規模の必要性などについて質疑応答する場面が11日夕刻のテレビに映し出されたのを見た時には一体何事が起きているのか、と驚いた。ロの字型にテーブルをセットした一面には市民の傍聴者が控え、やりとりを逐一見ているほか、インターネットを通じてやりとりを見ることもできる設定となっていた。
 たとえば、国土交通省が10年度概算要求で5188億円要求している下水道事業については「国の補助金や交付金が低コスト化を妨げている可能性がある」として地方自治体に移管することが決まったし、文科省の子どもの読書活動推進事業と子どもゆめ基金23億円の廃止が決まった。また、3日目には文科省の次世代スーパーコンピュータ開発に267億円の予算が要求されていたのが凍結となった。
 各事業について与えられた時間は1時間しかなく、それでは短すぎるとか、国会議員だけでなくなぜ民間人が入っているのかとか、仕分け人になかに外資系の関係者が入っているとか、なぜ民主党の議員だけで行っているのかなどなど様々な意見、批判が寄せられているが、初めての試みについて外野がとかく難癖をつけてくるのは当たり前のことである。
 従来、自公政権の官僚とのなれ合いのなかでは決してこうしたゼロから概算要求について、検討するようなことはなかった。各省庁と財務省主計局との間ではやりとりはあったが、公開の場ではなく、税金を納めている国民の前に明らかにされることはなかった。予算なるものは官僚の手で作られるが、国会の場でも予算委員会や本会議でも個々の事業についてその必要性、予算規模の妥当性について議論されるようなことはあまり聞いたことがなかった。
 それが今回、民主党政権になって初めて個々の事業が俎上に乗せられ、必要性から妥当性が議論されることになった。企業を運営する場合、予算と作ったら、その事業についての是非、採算性、意義などについて説明を求められ、了解が得られないと実施できない仕組みとなっている。ところが、国民の貴重な税金を使って行っている国家予算の場合、そうした手続きが行われているようなふしがうかがえなかった。
 永年にわたる自民党と官僚との癒着で、当然行われて然るべきことがなおざりにされてきたきらいがある。国民が納めた税金が正当に使われているかどうか、をもっと関心を持って見守るべきである。そのための貴重な場を作ってくれたのが今回の「事業仕分け」である。
 今回の3日間の作業によってメスが入れられた予算・事業はほんの一部でしかない。仕分け作業はさらに今月末まで(16、17日と24~27日の合計9日間)447事業を対象に行われるが、それでも全体の15%にしか及ばない、という。今回の3日間の作業によって概算要求に盛り込まれた各事業の洗い出しを行うための基準みたいなものが浮かび出てきたはずだろうから、それを全事業に波及していってもらい、ぜひとも概算要求に大ナタをふるってもらいたいものだ。
 来年度以降は新規事業について事業仕分けでなく、「事業評価」とかいった名目でこうした試みを引き続き行っていってもらいたい。
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天皇即位20年記念コインの不人気は天皇に対する意識が薄れている象徴か

2009-11-13 | Weblog
 12日は平成天皇の即位の礼が行われて20年目にあたる日で、記念式典が行われた。記念のコインが午前9時から各都市銀行で交換されるので、入手しようと思って午前8時半頃にかみさんに溝の口の三井住友銀行に行かせた。先着400人に1人2枚まで交換する、というので多分大丈夫だろうと思って、午前9時10分頃、念のため青山一丁目の三菱東京UFJ銀行に行くと窓口は意外や閑散として、なんなく記念コインと交換できた。家に帰ってかみさんに確認すると、「1番だったので、用足しして戻ったら5番になった」とこちらも難なく交換できた、という。記念コインなるものの人気がないのか、天皇即位20年そのものに関心がないのか、なんともさびしい天皇即位20年だった。
 午後6時半過ぎにテレビを点けると、皇居二重橋前でのの記念式典の模様を実況中継していた。鳩山首相の祝辞のあと、秋元康作曲の「太陽の国」なる新曲にEXILEがダンスと歌を披露した。華やかさには欠けるが、お祝いの場としては男性14人のメンバーによる群舞と歌はふさわしいものだった、と感じた。
 その後、NHKニュースで午後2時から天皇即位記念式典が国立劇場で開催されたと伝えるとともに、都心で天皇制廃止を訴えるデモ行進が行われたことも報じていた。天皇即位記念式典が行われる日に公然と天皇制そのものに反対する動きをする、とは勇気ある行動で、よく右翼が妨害活動をしないものだ、と感心した。
 また、NHKでは天皇制に関する世論調査の結果を報じていたが、「天皇が身近になったと思うかどうか」で、「思う」と答えたのが24%、「どちらでもない」が30%、「変わらない」が30%、「思わない」が4%だったのに身近になったと答えたのが大半だったと解説していた。
 日本国憲法第1条によれば、天皇は日本の象徴であり、日本国民統合の象徴であると規定されている。象徴といっても実際には内閣の助言と承認により、国会の召集や外交文書の認証などの国事に関する行為を行い、国政に関する機能を有しない。天皇といえども生身の人間であり、具体的に天皇がいかなる言動をすればいいのかは曖昧である。平和を愛し、人々の悩み、苦しみを和らげることを旨としているようであるが、平成天皇は昭和の時代をともに生きてきた、いわば戦前の陰を引きずっているから、国民との共感があるといえる。
 しかし、皇太子以降の天皇家の人々は戦前なるものを全く知らず、共感なるものが生れようもないだろう。となると、親しみを感じるようなことになりえず、存在自体も希薄なものとなっていくことは避けられないだろう。
 即位20年記念コインの人気のないことも天皇に対する意識が薄れていることの象徴なのだろう。
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中国の自動車市場が世界一になった意味の大きさ

2009-11-12 | Weblog
 11日付けの日本経済新聞朝刊を見て驚いた。1面の真ん中右下に「中国の新車販売が1000万台超す」と今年の中国の自動車市場が米国を抜き、世界一となることが確実となったからだ。昨年に日本を抜いて世界2の市場になったと思ったら、早くも世界一に躍り出たことになる。中国が伸びたというより、米国が相変わらず低迷しているので、押し出されてトップに躍り出た感が強いが、それでもトップはトップで、今後自動車に限らず中国が世界最大の市場となってくると、見えてくる風景も変わってくることだろう。
 日経によると、中国汽車工業協会が今年10月の新車販売台数(商用車を含む)が前年同月比72.5%増の122万6300台となった。中国の月間の自動車新車販売台数が100万台を超えるのは8カ月連続となるが、10月は日本の販売台数の約3倍にもなる、という。これで、1-10月の累計自動車販売台数は前年同期比37.7%増の1089万1400台と初めて1000万の大台に乗った。同協会では当初、今年の販売台数を1200万台超としていたが、「1300万台を超え、米国を抜いて世界一となることが確実となった」とのしている。
 中国自動車市場の強みは新車の購入者の80%が初めての購入で、車へのあこがれが強く、今後とも需要は伸びていくとみる向きが多いことだ。日米両国がリーマン・ショックの影響を引きずって、自動車に限らず消費が低迷しているのに、13億人もの人口をかかえ、新富裕層を中心に消費が活発な中国はまさに別世界である。
 今年春に上海で開かれた自動車ショーに世界の自動車メーカーがこぞって出展したのもこうした旺盛な自動車需要を見越してのことだ。日本のトヨタ自動車も開発センターの拠点を日本から中国へ移すことをいち早く発表したし、中国市場を当て込んだ動きは今後とも活発になってくるのは間違いない。
 ただ、トヨタはじめ自動車各社もいずれそうなるとは思っていたものの、こんなに早く中国が世界一の座に躍り出てくるとは思っていなかったに違いない。これまで中国は世界第2の市場という目でみていたのが、世界一になったとなると見方が変わってくることだろう。単に市場規模が大きいだけでなく、世界一の経済国としてのプレゼンスを求められ、世界の経済をリードしていく役割りが期待されるようになってくるからだ。
 つまり、これまで世界経済をリードしてきた米国に代わって、中国がその役割りを果たしてくれることを期待する声が出てくる可能性がある。国連では中国は常任理事国5カ国のなかに入っているが、サミットではG8のなかには数えられてはおらず、わずかにG20のなかに加えられているにすぎない。
 為替ひとつとっても元が世界通貨としては考えられていないので、中国が世界経済のなかでキー的な役割りを果たすのにはまだまだ時間がかかることになろうが、今後いろいろな局面で中国のプレゼンスが増してくることだけは間違いないところだろう。
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捜査の盲点をついて逃亡していた市橋容疑者

2009-11-11 | Weblog
 2年7カ月前に英人、リンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害した容疑で指名手配されていた市橋達也容疑者が10日、大阪市住之江区南港のフェリーターミナルで逮捕された。フェリー会社の社員が「市橋容疑者に似た男がいる」と110番通報し、逮捕となったもので、先月末に市橋容疑者が整形手術で顔を変えているとして整形後の顔写真が出回り、スピード逮捕となった。千葉市行徳警察署の必死の追及が実を結んだようで、このところ凶悪事件の続くなかでの快挙となった。
 10日朝、フジテレビの「とくダネ!」は冒頭から電話インタビューによる市橋容疑者の母親の肉声を流した。事件発生直後から岐阜県羽島市の市橋容疑者の実家には24時間監視状態となっていて、市橋容疑者も寄り付けず、一切接触がなく、母親も死んだものと思って諦めていた、という。生きていたことがわかって、改めて「警察に出頭し、本当のことを話しなさい」と呼び掛けたもので、これを聞いた市橋容疑者もさぞかし観念するだろう、と思われた。
 市橋容疑者の身長は180センチもあり、日本人としては大柄でなにをしようにも目立つ、という。しかも逃亡当時は着の身着のままで、生活用具は碌に持っていなかった。それが2年7カ月もの長い間、完全に消息を絶った状態でいられるのはまず考えられないことだった。犯罪に詳しいものの関係者のなかにはこうした犯罪者を匿まう支援グループの組織がある、もしくは男娼の世界に潜んでいる、とも言う向きもあった。
 ところが、こうした観測を裏切るような整形手術をしていたとの事実が先月末になってにわかに浮上した。名古屋市の整形手術医を市橋容疑者に似た男が現れた、というのだ。その前後に大阪、福岡にも出没していたことがわかり、今月5日になって手術前後の写真が公開されるに及んで、市橋容疑者の動静が詳しくわかるようになってきた。それによると、市橋容疑者は08年8月から09年10月まで大阪府茨木市の土木会社の寮に住み込みで働いていたことが判明し、その後海外逃亡を企てパスポート書類などを準備していたことが判明した。
 公開された整形写真によると、事件当時吊り上った眉目だったのが、平行な眉目となっており、ちょっと見には市橋容疑者とはわからない状態となっている。これで、世間の目をくらまし、気づかれることなく潜伏できていたようだ。ところが、整形後の顔貌が元に戻る習性があるのか、再び整形しようと思って名古屋、大阪市の整形外科医を訪れたことが命取り、となった。
 市橋容疑者がテレビを通じての母親の肉声を聞いたのかどうか、定かではないが、逮捕当時の市橋容疑者は素直に認めたという。これだけ指名手配写真が出回っては最早逃げ切れない、と観念していたようだ。逮捕され、大阪から千葉市行徳警察者へ護送される際のテレビ映像を見る限り、元の容貌に戻っているように映っていた。
 女性ならすぐに整形手術ということを考えるが、男性については思いつかないのが通例である。少なくとも08年8月以前にどこかで整形手術を受けたのは間違いない。そのお金をどう工面したのか、そしてそれまでの1年半もの間、どこで何をしていたのか、今後解明しなければならない点は多い。いま言えるのは2年7カ月の捜査の間、整形手術関係に捜査が及んでいなかった点は反省すべき点だろう。今後の捜査に貴重な先例を残してくれた、といっていいだろう。

追記 10日夜逮捕された市橋容疑者は2日経った12日まで出されたお茶以外、口をつけずにハンガーストイライキに入っている、と伝えられている。リンゼイさん殺害について話せば、無期懲役は免れないので、完全黙秘して検察に対抗する構えとみられる。黙秘は法的に認められた行為なので、裁判でも黙秘した態度で意を判断されることになるが、ハンガーストライキとなるとこれまであまり例がない。ずっと食べなければ衰弱死に至るだろうが、実質的に罪を認めて自殺した、ということになるので、それでもいい。あとは父母など肉親に対する市橋容疑者の気持ちということになるだろう。
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