吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2012年5月17日/〈大分・町歩き〉005・安心院ワイナリー

2012-05-17 13:59:15 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:「安心院町葡萄酒工房」の入り口

     =大分県宇佐市安心院町で、2012年5月11日撮影

 

〈大分・町歩きスポット〉 5

 :安心院町ワイナリー

 宇佐市安心院町の「鏝絵(こてえ)通り」町歩きを楽しんだあと、麦焼酎「いいちこ」の製造で知られる「三和酒類株式会社」(同市山本)が経営している安心院ワイナリー(「安心院町葡萄酒工房」。同市安心院町下毛)=写真①=に立ち寄りました。醸造場や貯蔵庫、ブドウ畑、試飲ショップ、ワイナリーレストラン、土産物屋などの施設があります。

 試飲ショップ1階には、多くのワインを展示=写真②=。マイカードライブの途中なので、芳醇な安心院ワインを試飲できなかったのは残念でした。

 

写真②:試飲ショップ1階に展示されたワイン

 広い敷地の一角には、日本の標高7百㍍前後の山中に自生する珍しいメグスリノキ(目薬の木。カエデ科)=写真③=が、植栽されていました。高さ約10㍍の落葉高木で、樹皮に含まれる成分が、眼病予防や視神経活性化、肝機能改善に効果があるとされ、「長者の木」や「千里眼の木」などとも呼ばれています。名前の由来は、樹皮や葉の煎じ汁で目を洗うと眼病に効くことからという。

 

写真③:植栽されているメグスリノキ

  「安心院葡萄酒工房」入り口そばにあるナニワイバラ(難波茨。バラ科)の垣根=写真④=は、大輪の一重咲きの白い花(直径約10㌢)がきれいでした。一説では、江戸時代に中国から伝わり、大阪の植木屋さんが広めたことから「難波茨」の名が付いたという。中国・台湾原産で、常緑性の原種のつるバラです。

 

 写真④:一重の白い大きな花がきれいなナニワイバラの垣根

                   (今回の〈大分・町歩き〉シリーズ連載おわり)

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2012年5月16日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉027:貝シリ-ズNo.1,2タオル発見

2012-05-16 07:28:49 | 「貝寄せ館」物語

  

写真①:「津屋崎千軒民俗館・『藍の家』貝シリ-ズNo.1アオイガイ」と表記された藍染めタオル

     =福津市津屋崎3丁目の「貝寄せ館」で、2012年5月15日撮影

 

貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語 27

 『藍の家』貝シリ-ズNo.1,2タオル発見

 

 津屋崎千軒民俗館・『藍の家』貝シリーズ製作No.1,2

アオイガイとヒオウギガイの藍染めタオルを展示しました

――〈貝寄せ館

 福津市津屋崎3丁目(天神町)にある「海とまちなみの会」の事務所・〈貝寄せ館〉に、旧「津屋崎町街並み保存協議会」が活動資金を得るため、津屋崎千軒民俗館・『藍の家』貝シリ-ズNo.3として平成6年(1994年)に製作・販売した「ウラシマガイの藍染めタオル」(長さ約82㌢、幅約35㌢)を5日に展示しましたが、新たに同館隣に住む同会員占部登久子さんが同貝シリ-ズNo.1「アオイガイの藍染めタオル」=写真①=と、No.2「ヒオウギガイの藍染めタオル」=写真②=各1枚を購入、保存していたとして同館に持参されたため、館内に15日展示しました。

  

写真②:「貝寄せ館」に展示された「ヒオウギガイの藍染めタオル」

      =5月15日撮影

 貝シリ-ズNo.1のタオルに藍染めされたアオイガイ(葵貝)は暖海にすみ、カイダコの別名があります。雌は、先が広くなった一対の腕からの分泌物で作られた、卵の保育器に使う白い舟形をしたプラスチックのような貝殻を持っており、卵がすべて孵(かえ)ると雌は死に、殻は捨てられます。この殻は冬、海岸に漂着し、津屋崎の漁師の話では「子宝貝」とも呼ばれ、縁起の良い貝とされているという。福津市津屋崎3丁目(天神町)の川崎浩子さんが6日、〝貝寄せの浜〟・津屋崎浜で採取した見事なアオイガイ(長さ約17㌢、幅約11㌢)=写真③=を「貝寄せ館」に寄贈されたので、展示させていただいています。このアオイガイの藍染めタオルは保存状態がよく、藍色が濃く、柴田治・旧「津屋崎町街並み保存協議会」事務局長がデザインされた白い3個の貝が紺碧の海に浮かんでいるような印象です。

 

 写真③:白い貝がらにさざ波のような模様が美しいアオイガイ(川崎浩子さん寄贈)

      =「貝寄せ館」で、5月6日撮影

 ヒオウギガイ=写真④=は、長さ約10㌢の二枚貝。貝がらの色が赤く、虹色貝の別名や、緋扇貝の表記があります。

 

写真④:貝がらの色が赤く、虹色貝の別名もあるヒオウギガイ

      =「貝寄せ館」で、4月3日撮影

  これで、「貝寄せ館」には『藍の家』貝シリ-ズ藍染めタオルNo.1~3のアオイガイとヒオウギガイ、ウラシマガイの3点セットがそろって展示されました=写真⑤=。館内に展示されている実物の貝と藍染めタオルにデザインされた図柄と見比べてお楽しみ下さい。

 

写真⑤:3点セットで展示された『藍の家』貝シリ-ズNo.1~3の藍染めタオル

     =「貝寄せ館」で、5月15日撮影

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2012年5月15日/〈大分・町歩き〉004・安心院町の鏝絵通り

2012-05-15 05:05:57 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:「縣屋酒造」の白壁に描かれた「毘沙門天・弁財天・布袋」の鏝絵

     =大分県宇佐市安心院町折敷田で、2012年5月11日撮影

 

〈大分・町歩きスポット〉 4

 :安心院町の鏝絵通り

 宇佐市観光協会安心院支部では、同市安心院町の本町通りを「鏝絵(こてえ)通り」と銘打ち、町歩きマップで「ゆっくり歩きたい ~見上げれば夢がある~」とPRしています。明治時代制作の古い鏝絵だけでなく、平成作の鏝絵もあり、「鏝絵通り」の町並みづくりを目指す安心院の人たちの心意気を感じました。

 宇佐市安心院町折敷田(あじむまちおしきだ)にある江戸中期・正徳2年(1712年)創業と大分県最古の酒蔵・「縣屋(あがたや)酒造」の2階白壁には、同町の左官職人江藤智子さんが平成16年に描いた「毘沙門天・弁財天・布袋」の鏝絵=写真①=があります。大きな樽の前で麹を混ぜている毘沙門天さん、その横でおいしそうに酒を酌み交わす布袋さんと弁財天さんの姿が、笑いを誘う図柄です。当家の社長ご夫妻をイメージして作ったという。

  1階の店舗に掲示された「縣屋」の看板の下には、宇佐市下庄出身の大横綱「双葉山」銘柄の薦被りの酒樽が置かれています。軒下に立ち、桁を支える腕木と柱を斜めにつなぐ「持ち送り」=写真②=を見ると、おしゃれな装飾模様が施されていました。

 

 写真②:「縣屋」の軒下にある洗練された「持ち送り」

  「縣屋」前の通りに、鏝絵めぐりの研修に訪れた左官見習いの人たちが、引率教官とともに通りかかるのに出会いました=写真③=。

 

 写真③:左官見習いの研修生が通る「縣屋」前(2階右側の白壁に描かれているのが、「毘沙門天・弁財天・布袋」の鏝絵)。

  下毛にある「安心院印刷邸」の鏝絵は、子どもをたくさん生むので子孫繁栄を託して「鼠」の絵柄です=写真④=。同印刷の社長夫妻が鼠年生まれなので、鼠の鏝絵を左官職人後藤五郎さんへ平成14年に注文。印刷屋なので、ペンとインクが描かれ、鼠は着物姿に下駄履きで、明治時代のバンカラ族風なのがユーモラスです。

 

写真④:ペンとインク、着物姿に下駄履きの鼠が描かれた「安心院印刷邸」の鏝絵

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2012年5月14日/〈大分・町歩き〉003・安心院町の鏝絵めぐり

2012-05-14 05:46:32 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:「賀来信子宅」の母屋2階妻壁に描かれた「唐獅子と竹」の鏝絵

     =大分県宇佐市安心院町折敷田で、2012年5月11日撮影

 

〈大分・町歩きスポット〉 3

 :安心院町の鏝絵めぐり

 宇佐市指定史跡・「重松家別邸」近くにある「賀来信子家」母屋2階の妻壁には、明治20年代に左官職人高吉(正憲)が描いた「唐獅子と竹」の鏝絵(こてえ)=写真①=がありました。唐獅子とはライオンのことで、智慧の菩薩・「文殊菩薩」の使いとされています。賀来家=写真②=の子どもさんが、賢く育つ願いが込められています。高吉は、〝流しの左官〟という。

 

 写真②:2階妻壁に「唐獅子と竹」の鏝絵がある「賀来信子家」

  宇佐市安心院町下毛には、「一富士、二鷹、三茄子」の図柄の鏝絵=写真③=が移転保存されていました。安心院町龍王出身で、門人14名を抱えたという安心院を代表する左官の大棟梁・長野鐡(鉄)蔵が明治23年(1890年)、同町大仏の上鶴精さん宅の蔵の2階戸袋に描いたのを、平成16年に保存のために取り外し、同町楢本の鏝絵師永田知徳さんが7か月かけて修復したものです。鏝絵の下に「あじむ鏝絵保存会」が設置した解説板には「現在の所有者・本町通り促進会」と書かれていました。

  

写真③:移転保存された「一富士、二鷹、三茄子」の図柄の鏝絵

 左官の大棟梁・長野鐡蔵は明治28年(1895年)、下毛の「佐藤正彦家」2階妻壁の戸袋にも、「恵比寿・大黒・鯛の三番叟」の鏝絵=写真④=を描いていました。家の前に立てられた解説板には〈文楽の三番叟は、お猿さんが舞うめでたい踊りですが、この図では恵比寿さんが鯛に踊らせています。よく見ると、鯛はエボシをかぶり、鈴を持っています。福徳の神様「大黒天」さんも大きな「打ち出の小槌」を振っています。大変ユニークでユーモラスな図柄です〉と書かれています。

 

 写真④:「佐藤正彦家」2階にある「恵比寿・大黒・鯛の三番叟」の鏝絵

 

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2012年5月13日/〈大分・町歩き〉002・安心院町の鏝絵

2012-05-13 06:23:50 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:宇佐市指定史跡・「重松家別邸」の母屋3階戸袋に描かれた「虎」の鏝絵

     =大分県宇佐市安心院町折敷田で、2012年5月11日撮影

 5月11日、大分県由布市湯布院町からの帰路、同県宇佐市安心院町の鏝絵(こてえ)の町並みを散策しました。私が住む福津市・〈津屋崎千軒〉の町並みにも、江戸後期から明治に建てられた町家の妻壁に、漆喰彫刻の芸術品とも言われる鏝絵の装飾が施された町家が「豊村酒造」(明治7年創業)など4軒あり、鏝絵の多い安心院町の訪問は今回の大分旅行の楽しみの一つでした。

 〈大分・町歩きスポット〉 2

 :安心院町の鏝絵

 宇佐市安心院町下毛にある同市観光協会安心院支部に立ち寄り、鏝絵の町並みのボランテイアガイドを頼もうとしたら、ガイドは常駐しておらず、予約制とのことで、代わりにいただいたガイドマップを片手に町歩きしました。

 このガイドマップによると、土蔵や家の戸袋などの平らな面に塗られた漆喰の壁面に、鏝で盛り上げた彩色漆喰で描いた鏝絵は、大分県内では明治20~30年代に多く作られた500点超が残っており、うち安心院には明治初期ごろから最近までの作品80点余りがあるという。

 まず、明治17年(1884年)、左官職人長野鐡(鉄)蔵が折敷田にある宇佐市指定史跡・「重松家別邸」(重松公子さん宅。3階建て)の母屋に描いた鏝絵を紹介しましょう。道路に面した天守閣のような造りの3階戸袋に描かれた「虎」=写真①=は魔除けのシンボルで、神社の狛犬や沖縄のシーサーと同じ役目をしています。製作された当時、コレラや天然痘という恐ろしい病気がはやっていたそうです。1階の白壁には、日本一の「富士山」、当地では「豊後富士」こと由布市の由布岳の鏝絵=写真②=が大きく描かれていました。

 

 写真②:1階白壁に大きく描かれた「富士山」の鏝絵

  3階戸袋に描かれた「龍」の鏝絵=写真③=は、色の鮮やかさ、大きさ、ぶ厚さ、鏝づかいに左官の大棟梁・長野鐡蔵の匠の技が見事に発揮され、「重松家別邸」前に立てられた解説板には「全国の鏝絵作品の中でも五指に入る優れた作品」と書かれていました。夕日に映える眼は、ガラスの内側に金紙を貼っています。龍は「水の神様」、「火除けの神様」で、重松家=写真④=の末永い繁栄を願った鏝絵です。

  

写真③:3階戸袋に鮮やかに描かれた「龍」の鏝絵

  

写真④:1階白壁に「富士山」、3階戸袋に「虎」(左の道路側)と「龍」(右)の鏝絵がある「重松家別邸」

 

 3階裏側の戸袋に描かれた鏝絵「三階松」=写真⑤=は、重松家の家紋です。

 

写真⑤:重松家の家紋・「三階松」の鏝絵

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2012年5月12日/〈大分・町歩き〉001・「夢想園」再訪

2012-05-12 09:37:19 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:木立に囲まれた「山のホテル 夢想園」

     =大分県由布市湯布院町川南で、2012年5月10日午後3時25分撮影)

  きょう5月12日から、〈大分・町歩きスポット〉シリーズを掲載します。

 〈大分・町歩きスポット〉 1

 :「夢想園」再訪

 5月10日、大分県由布市湯布院町の「山のホテル 夢想園」=写真①=を5年ぶりに家族3人で再訪、1泊して福津市津屋崎の拙宅へ戻りました。旧湯布院町(2005年に行政合併し現由布市)当時、高級旅館「亀の井別荘」主人の中谷(なかや)健太郎(1934年、大分県北由布村生まれ)、旅館「湯布院玉の湯」代表取締役溝口薫平(1993年、同県九重町生まれ)両氏とともに、〝町興し三羽烏〟とされたキーパーソン、志手康二(若くして他界)氏が社長だった「夢想園」を07年5月30日、同じ3人で訪ねた時と変わらない洗練された宿でした。

 湯布院南部の山の手にあり、木立に囲まれた静かな佇まいの和風旅館です。2階の和室の窓を開くと、野鳥のさえずりが聞こえてきます。私たちを和室に案内した絣姿の若い女性従業員から、お茶請けに小鹿田焼(おんたやき。日田市)の皿に入れて出された「ゆず(柚子)練り」=写真②=は上品な食感で、マイカー・ドライブの疲れをほぐしてくれました。2階展望喫茶から〝豊後富士〟・由布岳(標高1,583㍍)=写真③=を眺めながら味わった同ホテル名物の手造りプリンは大きく、濃厚な味で美味しかったです。

  

写真②:小鹿田焼の皿で出された「ゆず練り」

 

写真③:湯布院の主峰・〝豊後富士〟・由布岳
     =「山のホテル 夢想園」敷地から撮影

 さっそく、「夢想園」にある空海ゆかりの男性用露店風呂「御夢想の湯」に、ゆったり浸かりました。約6百年前、難病に苦しむ僧侶の夢枕に弘法大師が立って湧出する温泉場を告げられ、湯に浸って病が全快したことから、「御夢想温泉」と名付けられたと伝えられる温泉は、借景にされた由布岳も遠望でき、気分爽快です。

 夕食=写④=や朝食=写真⑤=の席では、しゃれたデザインや色合いの食器を手にするのも楽しいうえ、和牛ステーキの郷土料理の味にセンスの良さを感じました。


写真④:しゃれたデザインや色合いの食器に入れられた料理(夕食献立の一部)
     =「山のホテル 夢想園」で10日撮影


写真⑤:小さなひめカレイの焼き魚も添えられた朝食
     =「山のホテル 夢想園」で11日撮影

 津屋崎では、01年12月から休園した「玄海彫刻の岬 恋の浦」(敷地面積約100㌶)が、所有者の「城山観光」(鹿児島市)から東京・お台場で江戸時代の街並みを再現した大規模な温泉テーマパークを経営している「大江戸温泉物語」(東京都)に売却されたあと、同社は黒川温泉(熊本県南小国町)のような風情を醸したい、と掘削ずみの温泉を利用した施設などを活用した改装計画の構想を進めていたものの中断したまま。津屋崎での温泉施設を起爆剤にした観光浮揚は、当分期待薄なのは残念です。

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2012年5月11日/〈日記〉482・大分の山と神宮の新緑

2012-05-11 20:34:00 | 日記

 

写真①:新緑の景色の中にそびえ立つ由布岳

      =大分県宇佐市安心院町の「安心院葡萄酒工房」前の駐車場で、2012年5月11日午前11時30分撮影

 5月10日からマイカーでドライブ、大分県湯布院へ家族で1泊旅行してきました。11日、同県宇佐市安心院町の「安心院葡萄酒工房」前の駐車場から観た新緑の中にそびえ立つ由布岳(標高1,583㍍=同県由布市)=写真①=は〝豊後富士〟の美称にふさわしい優雅さでした。

 このあと立ち寄った宇佐市南宇佐の「宇佐神宮」の鎮守の森=写真②=も、クスノキの青葉の美しさが目に沁みました。

 

写真②:クスノキの青葉の美しさが目に沁みる「宇佐神宮」の鎮守の森

      =宇佐市南宇佐で、11日午後0時5分撮影

 

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〈催事〉0184:釈迦院のオ-プンガーデン

2012-05-10 04:17:00 | 行楽催事

 

 

写真①:一般開放された吉田博美氏宅の庭に咲き誇る草花を観賞する人たち

      =宗像市大井で、2012年5月5日午後4時10分撮影

 

宗像市釈迦院の「吉田博美氏宅」オ-プンガーデン

忘れな草やテッセンの花が見ごろ


5月21日から23日までバラの庭が開放されます          

  宗像市大井(釈迦院)にある吉田博美氏宅の庭が「オ-プンガーデン2012」第1期のイベントで開放された最終日の5月5日、忘れな草の青いかれんな花やノースポールの白い花など咲き誇る草花=写真①=を観賞させていただきました。

  「大井ダム」近くにある吉田氏宅は、3百坪の敷地にイングリッシュガーデンを造園。園入り口そばの花壇に植えられたリクニス(アメリカセンノウ)のピンクの花=写真②=や、園路のアーチに蔓を絡ませた紫色のクレマチスの花=写真③=などに目を引かれました。

  

写真②:ピンクの花が美しいリクニス

 

写真③:紫色のクレマチスの花

 バラが見ごろになる5月21日(月)から23日(水)までは、「オ-プンガーデン2012」第2期として開放されます。

 「吉田博美氏宅の庭」(宗像市大井1439-7)。「大井ダムの南端で、老人ホーム「宗像わかば苑」の東側。駐車場あり。

 http://maps.google.co.jp/maps?q=%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E5%AE%97%E5%83%8F%E5%B8%82%E5%A4%A7%E4%BA%95%EF%BC%91%EF%BC%94%EF%BC%93%EF%BC%99&hl=ja&ie=UTF8&ll=33.791275,130.514832&spn=0.004788,0.007392&sll=33.805203,130.531105&sspn=0.076597,0.118275&brcurrent=3,0x35422ed16931479f:0x4cdf0598bc485099,1&brv=25.1-fa8ed276_c3147e72_ccf32e81_040c821b_76b35545&hnear=%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E5%AE%97%E5%83%8F%E5%B8%82%E5%A4%A7%E4%BA%95%EF%BC%91%EF%BC%94%EF%BC%93%EF%BC%99&t=m&z=17

「吉田博美氏宅の庭」位置図

 

                                                                                          

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2012年5月9日/〈津屋崎まちなみ散策〉043・〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉54イタリア野菜

2012-05-09 07:15:53 | 津屋崎まちなみ散策

写真①:土・日曜だけ営業のイタリア野菜を中心とした食材市場・「A.PUTEC」

     =福津市奴山1213-2の「縫山ファーム」内で、2012年5月6日撮影

 

〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 54

 :イタリア野菜市場

 

イタリア野菜を中心とした食材市場

「A.PUTEC(アプテーカ)」が津屋崎奴山にープン

土・日曜だけ営業です

  福津市奴山にイタリア野菜を中心とした土・日曜だけ営業の食材市場・「A.PUTEC(アプテーカ)」=写真①=が4月28日、オープンしました。アプテーカとは、イタリア語のナポリ方言で「色々なすてきなものが見つかるところ」の意味。

 「A.PUTEC」は、福津市津屋崎から宗像市神湊へ走る国道495号線練原交差点から右折、県道528号線を東へ向かってすぐ左手の「縫山ファーム」内にあり、減農薬栽培で米や野菜を生産している同ファームと津屋崎出身の花田愛さんが夫でナポリ出身のイタリア人シェフのシルビオさんと地元・勝浦で手がける「テヌータカンピフレグレイ農園」で採れたイタリア野菜をはじめ、マカロニ、米などを土・日曜の正午から午後5時まで販売。私が5月6日午後3時半すぎ、同市場を初訪問したところ、イタリア野菜は、まだたっぷりありました=写真②=。

 

写真②:陳列された採れたてのイタリア野菜

     =「A.PUTEC」で、6日撮影

 カウンターに立つ愛さんから、大き目のマカロニやドイツ種のグリーンピースを買って帰宅、7日にマカロニはトマトソース煮込み=写真③=で、グリーンピースは豆ご飯=写真④=や、てんぷらにして美味しくいただきました。

 

写真③:大き目のマカロニのトマトソース煮込み

     =拙宅で、5月7日撮影

  

写真④:ドイツ種のグリーンピースで作った豆ご飯

      =拙宅で、5月7日撮影

http://maps.google.co.jp/maps?q=%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E7%A6%8F%E6%B4%A5%E5%B8%82%E5%A5%B4%E5%B1%B1%EF%BC%91%EF%BC%92%EF%BC%91%EF%BC%93&hl=ja&ie=UTF8&sll=33.816868,130.495952&sspn=0.038293,0.059137&brcurrent=3,0x35422f38aabb22a7:0x96abcba7b6f5a8f2,1&brv=25.1-fa8ed276_c3147e72_ccf32e81_040c821b_76b35545&hnear=%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E7%A6%8F%E6%B4%A5%E5%B8%82%E5%A5%B4%E5%B1%B1%EF%BC%91%EF%BC%92%EF%BC%91%EF%BC%93&t=m&z=16

 「A.PUTEC」位置図

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2012年5月8日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉026:「吉田屋」醤油のパリ万国博出品特製瓶

2012-05-08 04:59:57 | 「貝寄せ館」物語

 

写真①:「吉田屋」がパリ万国博に出品した醤油内臓の伊万里焼特製瓶

     =福津市津屋崎4丁目の「津屋崎千軒民俗館・『藍の家』」で、2012年5月6日撮影

 

貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語 26

 :「吉田屋醤油」のパリ万国博出品特製瓶

  

「吉田屋」第17代作次郎良次さんの孫・太田潔さんから

パリ万国博出品「醤油内臓特製瓶」の話を聞けました

――〈貝寄せ館〉

 福津市津屋崎3丁目(天神町)にある「海とまちなみの会」の事務所・〈貝寄せ館〉に5月5日、同市津屋崎4丁目(東古小路)の「波折神社」南側で明治・大正時代に醤油醸造をしていた旧「吉田屋」のご子孫・太田(養子前の旧姓吉田)潔さん(北九州市八幡西区永犬丸東町)が訪ねて来られました。

 「吉田屋」は明治時代、濃口醤油の醸造と卸、小売りを営業。太田さんは、第17代作次郎良次さんの孫です。良次さんは江戸末期、「蛤御門の変」が起きた元治元年(1864年)に第16代作次郎良壽(明治11年他界)さんの長男として東古小路に生まれました。良壽さんは、第15代作次郎良春と佐治えい(紅屋=べにや=第10代佐治徳左衛門安利の娘)の長男。佐治徳左衛門安利は、先祖が江戸時代に津屋崎浦で酒造開業と販売の独占を福岡藩に許可された佐治家当主で、2百年前の文化9年(1812年)に津屋崎を測量した伊能忠敬を同家に宿泊させました。

 太田さんによると、作次郎良次さんは進取の気性で、明治33年(1900年)の「パリ万国博覧会」に吉田のローマ字頭文字Yと醤油の頭文字Sを組み合わせた商標を焼き付けた伊万里焼特製瓶=写真①=に入れて醤油を出品。同40年(1907年)には第四回全国五二品評会に醤油を出品して会長から名誉となる祈念状を授与されたという。

 太田さんはこの日、同伊万里焼特製瓶を「津屋崎千軒民俗館・『藍の家』」に預けた後、「貝寄せ館」に立ち寄られました。

 大正初期にかけて醤油を製造販売していた「吉田屋」は、第二次大戦で材料が入らなくなり、廃業。醤油屋を閉業した今も、「吉田屋」建物=写真②=の南側敷地には赤レンガの四角い煙突が残り、大正の風情を醸し出しています。

写真②:赤レンガの煙突跡が大正の風情を醸し出す旧「吉田屋」
     =福津市津屋崎東古小路で、2012年5月8日撮影

 赤レンガ造りの煙突は、風化して壊れかけた上半分が、危険なため、昭和35年(1960年)に取り壊して低くされました=写真③=。



写真③:旧「吉田屋」の赤レンガの煙突
     =福津市津屋崎東古小路で、12年5月8日撮影

〈A href=

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E130.27.51.100N33.47.13.060&ZM=9

 ”〉 旧「吉田屋」〈/A〉

     旧「吉田屋」の位置図
     (十字の所)

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