写真①:「吉田屋」がパリ万国博に出品した醤油内臓の伊万里焼特製瓶
=福津市津屋崎4丁目の「津屋崎千軒民俗館・『藍の家』」で、2012年5月6日撮影
貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語 26
:「吉田屋醤油」のパリ万国博出品特製瓶
「吉田屋」第17代作次郎良次さんの孫・太田潔さんから
パリ万国博出品「醤油内臓特製瓶」の話を聞けました
――〈貝寄せ館〉
福津市津屋崎3丁目(天神町)にある「海とまちなみの会」の事務所・〈貝寄せ館〉に5月5日、同市津屋崎4丁目(東古小路)の「波折神社」南側で明治・大正時代に醤油醸造をしていた旧「吉田屋」のご子孫・太田(養子前の旧姓吉田)潔さん(北九州市八幡西区永犬丸東町)が訪ねて来られました。
「吉田屋」は明治時代、濃口醤油の醸造と卸、小売りを営業。太田さんは、第17代作次郎良次さんの孫です。良次さんは江戸末期、「蛤御門の変」が起きた元治元年(1864年)に第16代作次郎良壽(明治11年他界)さんの長男として東古小路に生まれました。良壽さんは、第15代作次郎良春と佐治えい(紅屋=べにや=第10代佐治徳左衛門安利の娘)の長男。佐治徳左衛門安利は、先祖が江戸時代に津屋崎浦で酒造開業と販売の独占を福岡藩に許可された佐治家当主で、2百年前の文化9年(1812年)に津屋崎を測量した伊能忠敬を同家に宿泊させました。
太田さんによると、作次郎良次さんは進取の気性で、明治33年(1900年)の「パリ万国博覧会」に吉田のローマ字頭文字Yと醤油の頭文字Sを組み合わせた商標を焼き付けた伊万里焼特製瓶=写真①=に入れて醤油を出品。同40年(1907年)には第四回全国五二品評会に醤油を出品して会長から名誉となる祈念状を授与されたという。
太田さんはこの日、同伊万里焼特製瓶を「津屋崎千軒民俗館・『藍の家』」に預けた後、「貝寄せ館」に立ち寄られました。
大正初期にかけて醤油を製造販売していた「吉田屋」は、第二次大戦で材料が入らなくなり、廃業。醤油屋を閉業した今も、「吉田屋」建物=写真②=の南側敷地には赤レンガの四角い煙突が残り、大正の風情を醸し出しています。
写真②:赤レンガの煙突跡が大正の風情を醸し出す旧「吉田屋」
=福津市津屋崎東古小路で、2012年5月8日撮影
赤レンガ造りの煙突は、風化して壊れかけた上半分が、危険なため、昭和35年(1960年)に取り壊して低くされました=写真③=。
写真③:旧「吉田屋」の赤レンガの煙突
=福津市津屋崎東古小路で、12年5月8日撮影
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“http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E130.27.51.100N33.47.13.060&ZM=9
”〉 旧「吉田屋」〈/A〉
旧「吉田屋」の位置図
(十字の所)