吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2008年4月21日/〈津屋崎の四季〉225・ホオジロ囀る

2008-04-21 17:38:28 | 風物
写真①:春を迎えて盛んに囀るホオジロ
     =福津市津屋崎新東区で、2008年4月21日午後4時27分撮影

 福津市津屋崎新東区の新川沿いの葦原で21日、ホオジロ(ホオジロ科)=写真①=が盛んに囀っていました。

 午後からは、ちょっと風が強まっていましたが、ホオジロは気に留める様子もなく、春を迎えた喜びを奏でています。その背景を菜の花の黄色がおぼろに彩り、のどかな田園風景を感じさせます=写真②=。


写真②:菜の花の黄色がおぼろに彩る葦原で春の喜びを奏でるホオジロ
     =福津市津屋崎新東区で、21日午後4時27分撮影
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2008年4月20日/〈日記〉228・4月の陽気に華やぐ気分

2008-04-20 17:40:10 | 日記
写真①:農道で餌をくわえたムクドリ
     =福津市在自で、2008年4月20日午後4時31分撮影

 福津市津屋崎は20日、好天気に恵まれました。午後からは、4月らしい陽気になり、在自の農道で見かけたムクドリ(ムクドリ科)は、何やらはい出てきた餌をくわえているようです=写真①=。

 近くでは、別の2羽が身を寄せ合って、「だいぶん暖かくなったね」とでも話している気配ですね=写真②=。


写真②:身を寄せ合う2羽のムクドリ
     =福津市在自で、20日午後4時30分分撮影

 きょうは、福岡市・天神から福津市・〈津屋崎千軒〉通りに招いた福岡市立舞鶴中昭和35年卒業生の「〝博多の奥座敷・津屋崎〟ガイド観光」付き同窓会のガイド役を「津屋崎千軒 海とまちなみの会」のガイド仲間3人と朝から務め、正午すぎまでテレビ局の取材を受けたりして、あっという間に時間が過ぎました。

 この日で2日目の「津屋崎千軒まつり」と「第1回お魚センター うみがめ祭」が催された〈津屋崎千軒〉通りや津屋崎漁港・「朝市広場」などでは、日曜とも重なって人出も多く、いつもより町並みが活気付いているのが、華やいだ気持ちにしてくれました。
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2008年4月19日/〈今月・来月の行楽・催事案内〉060

2008-04-19 12:56:04 | 行楽催事
写真①:児玉麻紀さん(左端)のオカリナ演奏を聴く人たち
     =福津市津屋崎新町の「豊村酒造」前で、2008年4月19日午前11時16分撮影

〈4月の行楽・催事案内〉追加3

「津屋崎千軒まつり」始まる
オカリナ演奏や「街かど美術館」賑う
―20日まで、〈津屋崎千軒通り〉一帯

 福津市・〈津屋崎千軒通り〉一帯で19日午前10時から、「津屋崎千軒まつり」(「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」主催)が始まりました。晴天に恵まれ、多くの市民で賑わいました。20日も、午前10時から午後4時まで開催(雨天決行)。

 津屋崎新町の「豊村酒造」前では、午前11時から「ミニ演奏会」が開かれ、オカリナ奏者の児玉麻紀さん(福津市)が「千の風になって」「コンドルは飛んで行く」などの曲を30分間演奏=写真①=、家族連れの行楽客らの拍手を浴びていました。オカリナ演奏は、20日も午後2時から30分間行われます。

 『街かど美術館』では、花田貞夫さん(福津市津屋崎岡ノ二)の「風景写真展」をはじめ、「絵手紙展」(「こいのぼりの会」出展)などが〈津屋崎千軒通り〉に並びました。『藍の家』=写真②=では、手すき和紙や、自然素材で手作りの照明器具、オリジナルのトンボ玉を展示販売する「和紙と灯りとトンボ玉」展を開催。隣の「豊村酒造」では、住民ボランティア団体「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の〈津屋崎千軒ルネサンス・キャンペーン〉共同企画として、『藍の家』国登録有形文化財記念のラベル付き「原酒豊盛」(720ml詰め)300本の限定販売が、人気を呼んでいました。


写真②:家族客でにぎわう『藍の家』前
     =福津市津屋崎新町前で、19日午前10時56分撮影
                                                                                                                                                                             
 また、「津屋崎漁港」一帯では、「第1回お魚センター うみがめ祭」(お魚センターうみがめ主催)が、19,20日の午前10時から午後5時までの日程でスタート=写真③=。朝市広場での鮮魚、干物、野菜など福津市特産品の販売や、特設ステージでのバンド演奏、踊りなどが次々と披露されました。


写真③:買い物でにぎわう「津屋崎漁港」朝市広場
     =福津市津屋崎浜の町で、19日午前10時28分撮影
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2008年4月19日/〈津屋崎の四季〉224・ムナグロ飛来

2008-04-19 08:57:57 | 風物
写真①:田んぼに飛来した旅鳥のムナグロ
     =福津市津屋崎末広で、2008年4月19日午前6時53分撮影

 福津市津屋崎末広の田んぼに19日朝、旅鳥のムナグロ(チドリ科)=写真①=2羽が飛来しているのを見つけました。07年5月13日に、同じ末広の近くの田んぼで確認して以来です。

 繁殖期の夏羽は、上面が黄色と黒のまだら、のどから胸、腹にかけて黒い中形のチドリ。もう1羽の個体は、淡黄褐色の冬羽から夏羽へ移行中のようです=写真②=。


写真②:淡黄褐色の冬羽から夏羽へ移行中と見られるムナグロ
     =福津市津屋崎末広で、19日午前6時51分撮影
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2008年4月18日/〈津屋崎の四季〉223・「善福寺」の紫のフジ開花

2008-04-18 08:25:36 | 風物
写真①:紫色の花を開いた「善福寺」境内のフジ
     =福津市津屋崎出口で、2008年4月18日午前6時52分撮影

 福津市津屋崎出口にある津屋崎の〝藤名所〟・「善福寺」境内で18日、フジ(マメ科)が開花しました。境内には、白、桃、紫の三色のフジの大木がありますが、咲いたのは紫の花です=写真①=。07年は4月12日に開花を確認しており、6日遅れました。

 フジ棚の枝の三色のフジの大半はまだ蕾のままで=写真②=、見ごろは例年の4月下旬より以降になりそう。


写真②:フジの花の大半がまだ蕾のままのフジ棚
     =「善福寺」境内で、18日午前6時50分撮影

 「善福寺」は元和9年(1623年)、京都で病死した初代福岡藩主・黒田長政公の柩を船で博多へ運ぶ途中、しけにあってこの地に柩をあげ、一夜、垣を巡らせ警護したことから〈垣の内観音〉とも呼ばれ、長政公のお位牌(戒名「興雲院殿…」)=写真③=も祀っています。


写真③:「善福寺」に祀られている初代福岡藩主・黒田長政公のお位牌(中央)
     =福津市津屋崎出口で、08年3月3日午前11時59分撮影

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2008年4月17日/〈今月・来月の行楽・催事案内〉059

2008-04-17 09:14:53 | 行楽催事
写真①:「津屋崎千軒まつり」のチラシ

〈4月の行楽・催事案内〉追加2



19-20日・「津屋崎千軒まつり」
「街かど美術館」もお目見え

―〈津屋崎千軒通り〉一帯

 福津市・〈津屋崎千軒通り〉一帯で19日(土)-20日(日)、「津屋崎千軒まつり」(「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」主催)=写真①=が催されます。07年まで行なわれていた「よっちゃん祭」がなくなったため、『街かど美術館』として19日は午前10時から午後5時、20日は午前10時から午後4時まで開催(雨天決行)。

 主な催しは、『藍の家』では手すき和紙や、自然素材で手作りの照明器具、オリジナルのトンボ玉を展示販売する「和紙と灯りとトンボ玉」展(村上哲史さん主催)。トンボ玉作り体験もあります。隣の「豊村酒造」では、住民ボランティア団体「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の〈津屋崎千軒ルネサンス・キャンペーン〉共同企画として、『藍の家』国登録有形文化財記念のラベル付き「原酒豊盛」(720ml詰め)300本を限定販売中
                                    
 『藍の家』向かいに特設のフリーマーケットではコーヒー販売のほか、「ミニ演奏会」で児玉麻紀さん(福津市)のオカリナ演奏(19日午前11時、20日午後2時から各30分間)などが披露されます。旧玉乃井旅館では、「玉乃井オープンハウス/カフェ」と「美術展」。築百年ともいわれている旧い旅館を見学者に開放し、目の前の海を眺めながら、スモールバレー(糸島)のおいしい焼菓子とコーヒー、紅茶を楽しめるカフェも開設(19-20日10時30分―午後6時)。

 上本町の元荒物屋・旧「乙藤(おとふじ)商店」では、「むるぶし工房陶芸作品展」のほか、通りの各所で「押花展」や「野の花アート」、「地蔵画展」、「風景写真展」などが開かれます。

「津屋崎漁港」一帯で同時開催
「第1回お魚センター うみがめ祭」

 また、「津屋崎漁港」一帯では、「第1回お魚センター うみがめ祭」(お魚センターうみがめ主催)=写真②=が、19,20日の午前10時から午後5時まで開催。鮮魚、干物、野菜など福津市内の特産品と、福岡県立水産高校生が作ったノリの佃煮、ギョロッケなどの販売や、特設ステージでのバンド演奏、踊り、歌謡ショーもあります。


写真②:「第1回お魚センター うみがめ祭」のチラシ
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2008年4月16日〈エッセー〉011:「篤姫」の生家跡の町とは知らず

2008-04-16 10:31:16 | エッセー
写真①:今も残る石垣が往時をしのばせる「篤姫」の生家・「今和泉島津家本邸」跡

・連載エッセー『一木一草』


第11回:2008.4.16

 
「篤姫」の生家跡の町とは知らず

 NHKテレビで放映中の大河ドラマ「篤姫」で、先に「鹿児島県出水市が島津家発祥の地」と紹介され、宮崎県都城市の誤りではないか――と2月22日のエッセー〈一木一草〉010で疑念を呈していましたが、NHKは3月30日の放送で、島津家初代とされる惟宗忠久(これむねただひさ)が都城にあった荘園「島津荘」の地頭となって島津と改姓したとし、島津の名称は都城に由来することを伝え、一件落着しました。

 ドラマでは目下、薩摩から江戸屋敷入りした「篤姫」が、徳川第13代将軍・家定の御台所となる前の葛藤劇が展開中。国元・薩摩の様子も織り交ぜながら、江戸の緊迫した情勢が歴史ドラマの面白さを紡ぎ出しています。

 ところで、天保6年(1835年)に生まれたという「篤姫」の生家・「今和泉(いまいずみ)島津家本邸」跡=写真①=のある鹿児島市大竜町(だいりゅうちょう)のマンションに、私は平成4年(1992年)10月1日から2年9か月、住んでいました。読売新聞鹿児島支局長として赴任し、不動産屋に紹介された支局まで歩いて通勤できる住居を選んだのでした。

 挨拶回りで、「どこにお住まいですか」と聞かれ、「鹿児島市東部の大竜町=写真②=です」と答えると、「いいところにお住まいですね」と言われ、すぐにはその意味が分かりませんでした。マンション近くには、病院が多く、住宅地にしては環境がいいな、とは思っていましたが、あとで薩摩藩の上級武士の屋敷があったところと聞き、合点がゆきました。


写真②「篤姫」の生家・「今和泉島津家本邸」跡があった鹿児島市東部・大竜町の位置図

 平成7年(95年)7月1日、社会部山口総局長に転任。まさか「篤姫」の生家・「今和泉(いまいずみ)島津家本邸」跡の近くに住んでいたとは知らぬまま、薩摩を去っただけに、鹿児島旅行の機会があれば、ぜひ大竜町を再訪、生家跡を観てみたいと思います。

 鹿児島では、西郷隆盛は薩摩の偉人として〝せごどん〟の愛称でも親しまれていますが、維新の元勲・大久保利通は朝鮮出兵を巡る征韓論論争で西郷と対立し、明治10年(1877年)には西郷を盟主として士族が起こした西南戦争で政府軍を指揮したことから、冷徹なイメージが強い政治家として受け止められているようでした。大河ドラマで、西郷と大久保の人物像がどう描かれるのかも楽しみです。

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2008年4月15日/〈日記〉227・バリケン6羽も登場

2008-04-15 08:26:54 | 日記
写真①:「津屋崎干潟」西岸の堤防上で憩う2羽のバリケン
     =福津市渡田ノ浦の「天満神社」東側で、2008年4月15日午前6時27分撮影

 福津市渡田ノ浦の「天満神社」東側の「津屋崎干潟」堤防上で15日朝、白い顔に、黒っぽい体のバリケン(カモ科)2羽=写真①=が佇んでいるのを見かけました。

 1月18日に現場で1羽を見かけて以来です。田ノ浦に飼われていた住宅があると聞いていたのですが、ふと「津屋崎干潟」西岸の住宅の方から鳥の鳴き声がしたので振り向くと、2階の屋根瓦の上にもう1羽がすっくと立っているではありませんか=写真②=。


写真②:住宅2階の屋根瓦の上にすっくと立つバリケン
     =福津市渡田ノ浦で、15日午前6時29分撮影

 さらに、住宅近くの道路わきの草むらにも3羽のバリケン=写真③=が――。これで、計6羽をカウントしました。


                              
写真③:道路わきの草むらを歩く3羽のバリケン
     =福津市渡田ノ浦で、15日午前6時31分撮影

 バリケンは、中米や南米に生息するノバリケン(カモ科)を品種改良して家禽化した食用鳥です。各地で飼育されており、逃げ出したバリケンが全国的に川や池で観察されています。「津屋崎干潟」が福岡県指定鳥獣保護区とはいえ、野生鳥獣ではない飼い鳥・バリケンの群れが内海(うちうみ)を泳いだりしては、生態系を乱しかねません。飼い犬と同じく、放し飼いは避けてほしいものです。
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2008年4月14日/〈津屋崎まちなみ散策〉016・〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉27

2008-04-14 05:01:15 | 津屋崎まちなみ散策
写真①:須多田の氏神様・「天降天神社」
     =福津市津屋崎須多田下ノ口で、2008年4月13日午前8時13分撮影

〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 27 

:天降天神社

 福津市津屋崎須多田下ノ口(すだたしものくち)にある「天降天(あまふり)神社」=写真①=は、須多田の「氏神様」よも呼ばれています。古社名は「天守天神社」で、鳥居には「天降神社」と表記されています。

 祭神は、医薬の神の少彦名命(すくなひこなのみこと)。1月と9月の27日が例祭です。ご神体は、拝殿裏の低丘陵縁にある全長80㍍の前方後円墳・「須多田天降天神社古墳」の後円部に建てられた本殿=写真②=に鎮座。「天降天神社」は、同後円部南側に位置しています。


写真②:「天降天神社」拝殿裏の低丘陵縁にある本殿
     =福津市津屋崎須多田下ノ口で、13日午前8時17分撮影

 この「須多田天降天神社古墳」は、福津市津屋崎で確認されている前方後円墳20基の中でも、同市在自にある全長101.7㍍の「在自剣塚(あらじつるぎづか)古墳」に次ぐ最大級の大きさです。墳丘規模は、後円部径48㍍、高さ11㍍、前方部幅54㍍、前方部長44㍍、高さ8㍍、くびれ幅37㍍。築造年代は、6世紀前半と見られています。

 「天降天神社」入り口に建てられた福津市の同古墳解説盤=写真③=には、〈古墳のまわりには濠が巡らされ、その濠を取り囲むように土堤が築かれているように見えます。古墳からは、王墓のみから出土する円筒埴輪と装飾器台等も発見されました〉と書かれています。


写真③:福津市が設置している「須多田天降神社古墳」解説盤
     =「天降天神社」入り口で、13日午前8時12分撮影

 「天降天神社」の周囲と「須多田天降天神社古墳」は今、新緑萌える鎮守の森に包まれ、野鳥の囀りが心地よく響いています。静かで厳かな神域の佇まいに触れ、心が洗われるようです。

 
写真④:新緑萌える「天降天神社」の鎮守の森
     =福津市津屋崎須多田下ノ口で、13日午前8時22分撮影

「天降天神社」
       「天降天神社」位置図
       (ピンが立っている所)
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2008年4月13日/〈津屋崎まちなみ散策〉015・〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉26

2008-04-13 04:28:22 | 津屋崎まちなみ散策
写真①:20段の石段の上にある「観音堂」
     =福津市津屋崎須多田下ノ口で、2008年4月11日午後2時43分撮影

〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 26 

:須多田の観音堂・大師堂

 福津市津屋崎須多田下ノ口(すだたしものくち)にある「下ノ口古墳」の後円部に「観音堂」=写真①=と「大師堂」が建てられています。

 「下ノ口古墳」は、全長83㍍の前方後円墳。後円部径30㍍、高さ8.5㍍、前方部幅60㍍、前方部長43㍍と推定されています。築造年代は、前方部と北側縁に確認された周溝から出土した須恵器から、6世紀後半と見られ、後円部は観音堂が建てられて一部が削られ、前方部は道路建設のため完全に削られて水田になっています。

 「観音堂」の小屋は、「対馬見(つしまみ)通り」沿いの西側にあり、20段の石段を上がると、観音像=写真②=が拝めます。


写真②:「観音堂」の小屋の奥に安置されている観音像
     =福津市津屋崎須多田下ノ口で、11日午後2時43分撮影

 観音堂の北隣には、「大師堂」の小屋があり、弘法大師の仏像=写真③=が鎮座されています。


写真③:「大師堂」の小屋に鎮座されている弘法大師の仏像
     =福津市津屋崎須多田下ノ口で、11日午後2時44分撮影

 「観音堂」は4月8日(旧暦)が「お釈迦様(花祭り)」、「大師堂」は4月20日と8月20日の年2回が「お大師祭り」とされ、近くの人が掃除をしたり、柴を供えたりしているという。

 境内は、「宗像西部四国霊場四十一番札所」でもあり、本尊は地蔵菩薩。安政七申年に建てられた石碑には、「南無大師遍照金剛」と刻まれています。境内仏は、石仏や「十三仏(じゅうさんぶつ)」、88体が須多田地区から奉納されています。「十三仏」は年忌追善に際し、初七日から三十三回忌までの13回に配当して供養する仏・菩薩をいい、南北朝時代に成立した信仰です。境内には、地区の戦没者の忠魂碑も建てられています。

 「観音堂」前の石段南側には、案内表示の札=写真④=が立てられています。この須多田地区の南側入り口に位置する下ノ口に築かれた「下ノ口古墳」や、「観音堂」と「大師堂」などは、信仰心篤いムラの歴史を伝えています。


写真④:「観音堂」前の石段南側にある案内表示の立て札
     =福津市津屋崎須多田下ノ口で、11日午後2時43分撮影

須多田の「観音堂」
       須多田の「観音堂」位置図
       (ピンが立っている所)
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