写真①:須多田の氏神様・「天降天神社」
=福津市津屋崎須多田下ノ口で、2008年4月13日午前8時13分撮影
〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 27
:天降天神社
福津市津屋崎須多田下ノ口(すだたしものくち)にある「天降天(あまふり)神社」=写真①=は、須多田の「氏神様」よも呼ばれています。古社名は「天守天神社」で、鳥居には「天降神社」と表記されています。
祭神は、医薬の神の少彦名命(すくなひこなのみこと)。1月と9月の27日が例祭です。ご神体は、拝殿裏の低丘陵縁にある全長80㍍の前方後円墳・「須多田天降天神社古墳」の後円部に建てられた本殿=写真②=に鎮座。「天降天神社」は、同後円部南側に位置しています。
写真②:「天降天神社」拝殿裏の低丘陵縁にある本殿
=福津市津屋崎須多田下ノ口で、13日午前8時17分撮影
この「須多田天降天神社古墳」は、福津市津屋崎で確認されている前方後円墳20基の中でも、同市在自にある全長101.7㍍の「在自剣塚(あらじつるぎづか)古墳」に次ぐ最大級の大きさです。墳丘規模は、後円部径48㍍、高さ11㍍、前方部幅54㍍、前方部長44㍍、高さ8㍍、くびれ幅37㍍。築造年代は、6世紀前半と見られています。
「天降天神社」入り口に建てられた福津市の同古墳解説盤=写真③=には、〈古墳のまわりには濠が巡らされ、その濠を取り囲むように土堤が築かれているように見えます。古墳からは、王墓のみから出土する円筒埴輪と装飾器台等も発見されました〉と書かれています。
写真③:福津市が設置している「須多田天降神社古墳」解説盤
=「天降天神社」入り口で、13日午前8時12分撮影
「天降天神社」の周囲と「須多田天降天神社古墳」は今、新緑萌える鎮守の森に包まれ、野鳥の囀りが心地よく響いています。静かで厳かな神域の佇まいに触れ、心が洗われるようです。
写真④:新緑萌える「天降天神社」の鎮守の森
=福津市津屋崎須多田下ノ口で、13日午前8時22分撮影
「天降天神社」位置図
(ピンが立っている所)
=福津市津屋崎須多田下ノ口で、2008年4月13日午前8時13分撮影
〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 27
:天降天神社
福津市津屋崎須多田下ノ口(すだたしものくち)にある「天降天(あまふり)神社」=写真①=は、須多田の「氏神様」よも呼ばれています。古社名は「天守天神社」で、鳥居には「天降神社」と表記されています。
祭神は、医薬の神の少彦名命(すくなひこなのみこと)。1月と9月の27日が例祭です。ご神体は、拝殿裏の低丘陵縁にある全長80㍍の前方後円墳・「須多田天降天神社古墳」の後円部に建てられた本殿=写真②=に鎮座。「天降天神社」は、同後円部南側に位置しています。
写真②:「天降天神社」拝殿裏の低丘陵縁にある本殿
=福津市津屋崎須多田下ノ口で、13日午前8時17分撮影
この「須多田天降天神社古墳」は、福津市津屋崎で確認されている前方後円墳20基の中でも、同市在自にある全長101.7㍍の「在自剣塚(あらじつるぎづか)古墳」に次ぐ最大級の大きさです。墳丘規模は、後円部径48㍍、高さ11㍍、前方部幅54㍍、前方部長44㍍、高さ8㍍、くびれ幅37㍍。築造年代は、6世紀前半と見られています。
「天降天神社」入り口に建てられた福津市の同古墳解説盤=写真③=には、〈古墳のまわりには濠が巡らされ、その濠を取り囲むように土堤が築かれているように見えます。古墳からは、王墓のみから出土する円筒埴輪と装飾器台等も発見されました〉と書かれています。
写真③:福津市が設置している「須多田天降神社古墳」解説盤
=「天降天神社」入り口で、13日午前8時12分撮影
「天降天神社」の周囲と「須多田天降天神社古墳」は今、新緑萌える鎮守の森に包まれ、野鳥の囀りが心地よく響いています。静かで厳かな神域の佇まいに触れ、心が洗われるようです。
写真④:新緑萌える「天降天神社」の鎮守の森
=福津市津屋崎須多田下ノ口で、13日午前8時22分撮影
「天降天神社」位置図
(ピンが立っている所)