
写真①:校歌や寮歌を高らかに合唱する「鳳陽会」会員たち
=福岡市の西鉄グランドホテルで、2007年7月14日午後6時57分撮影
台風4号が鹿児島県に上陸した14日午後、わが母校・山口大学経済学部の同窓会「社団法人鳳陽会(ほうようかい)」(理事長・松野浩二元日立金属社長、会員17,206人)の第77回通常総会が、福岡市中央区大名2の西鉄グランドホテルで開かれました。開催元の同会福岡支部で組織した「全国総会実行委員会」学年世話人になった私も受付で出迎えましたが、台風で交通機関が乱れるなか、約300人が全国から出席。懇親会では、経済学部の前身の山口高等商業学校校歌から鳳陽寮歌、山口大学学生歌までを大先輩らと高らかに合唱=写真①=、青春時代を共にすごした山口市に思いを馳せました。
小泉純一郎前首相に似て話の〝つかみ〟がうまい松野理事長が、「世界66億人の人口のなかで、山口で学んだ縁を大切に、元気で頑張りましょう」と挨拶。来賓の丸本卓哉山口大学学長が「私も以前は博多で暮らし、父も西鉄に勤めていたので、福岡にもこの会場にもご縁を感じます。こんなに大勢の皆さんが集まられた熱気で、台風も四国の方へ去ったようです」と祝辞を述べました。
このあと、「博多祇園山笠」の期間中とあって、〝正装〟の長法被姿で挨拶した来賓の吉田宏福岡市長=写真②=が「私は西日本新聞の新人記者時代の昭和55年(1980年)、山口総局で駆け出し記者として取材し、歴史のある山口で過ごしたことが私の人生に大きく影響した。経済部記者になってからは、福岡の企業の幹部になられた鳳陽会の方から特種もいただいたし、いま市長になっているのもご支援のおかげ」と気さくな祝辞で大きな拍手を浴びていました。

写真②:「博多祇園山笠」の〝正装〟・長法被姿で挨拶した来賓の吉田宏福岡市長
=西鉄グランドホテルで、14日午後5時19分撮影
丸本学長は、福津市津屋崎天神町に住み、津屋崎小学校に通っており、近所に実家がある私の小中学校、高校を通じた先輩です。私が読売新聞山口総局長をしていた平成8年(1996年)当時、山口大学農学部長として総局に来訪され、「あれ、なんでここに居るの?」と互いに顔を見合わせて笑った間柄です。この日の懇親会場で、私は津屋崎の町興しの住民団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の活動をしていることを話し、会報季刊紙『津屋崎千軒新聞』創刊号「春」号を渡し、会が主催する市民公開講演会への講師派遣などの協力をお願いしました。
吉田宏市長とは面識はありませんが、いとこが津屋崎に住んでいると丸本学長に話しておられたそうです。実は、そのいとこは私の津屋崎小学校の同窓生で、山口大学農学部を卒業したK君でした。なにか、いろいろな繋がりのえにしを感じた同窓会でした。会場のステージで、博多祝い歌「祝いめでた」を歌ったあと、「博多祇園山笠」の流(ながれ)の総務を務めた先輩の音頭の「博多手一本」を決めて、お開きとなったときは、晴れやかな気分でした。
=福岡市の西鉄グランドホテルで、2007年7月14日午後6時57分撮影
台風4号が鹿児島県に上陸した14日午後、わが母校・山口大学経済学部の同窓会「社団法人鳳陽会(ほうようかい)」(理事長・松野浩二元日立金属社長、会員17,206人)の第77回通常総会が、福岡市中央区大名2の西鉄グランドホテルで開かれました。開催元の同会福岡支部で組織した「全国総会実行委員会」学年世話人になった私も受付で出迎えましたが、台風で交通機関が乱れるなか、約300人が全国から出席。懇親会では、経済学部の前身の山口高等商業学校校歌から鳳陽寮歌、山口大学学生歌までを大先輩らと高らかに合唱=写真①=、青春時代を共にすごした山口市に思いを馳せました。
小泉純一郎前首相に似て話の〝つかみ〟がうまい松野理事長が、「世界66億人の人口のなかで、山口で学んだ縁を大切に、元気で頑張りましょう」と挨拶。来賓の丸本卓哉山口大学学長が「私も以前は博多で暮らし、父も西鉄に勤めていたので、福岡にもこの会場にもご縁を感じます。こんなに大勢の皆さんが集まられた熱気で、台風も四国の方へ去ったようです」と祝辞を述べました。
このあと、「博多祇園山笠」の期間中とあって、〝正装〟の長法被姿で挨拶した来賓の吉田宏福岡市長=写真②=が「私は西日本新聞の新人記者時代の昭和55年(1980年)、山口総局で駆け出し記者として取材し、歴史のある山口で過ごしたことが私の人生に大きく影響した。経済部記者になってからは、福岡の企業の幹部になられた鳳陽会の方から特種もいただいたし、いま市長になっているのもご支援のおかげ」と気さくな祝辞で大きな拍手を浴びていました。

写真②:「博多祇園山笠」の〝正装〟・長法被姿で挨拶した来賓の吉田宏福岡市長
=西鉄グランドホテルで、14日午後5時19分撮影
丸本学長は、福津市津屋崎天神町に住み、津屋崎小学校に通っており、近所に実家がある私の小中学校、高校を通じた先輩です。私が読売新聞山口総局長をしていた平成8年(1996年)当時、山口大学農学部長として総局に来訪され、「あれ、なんでここに居るの?」と互いに顔を見合わせて笑った間柄です。この日の懇親会場で、私は津屋崎の町興しの住民団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の活動をしていることを話し、会報季刊紙『津屋崎千軒新聞』創刊号「春」号を渡し、会が主催する市民公開講演会への講師派遣などの協力をお願いしました。
吉田宏市長とは面識はありませんが、いとこが津屋崎に住んでいると丸本学長に話しておられたそうです。実は、そのいとこは私の津屋崎小学校の同窓生で、山口大学農学部を卒業したK君でした。なにか、いろいろな繋がりのえにしを感じた同窓会でした。会場のステージで、博多祝い歌「祝いめでた」を歌ったあと、「博多祇園山笠」の流(ながれ)の総務を務めた先輩の音頭の「博多手一本」を決めて、お開きとなったときは、晴れやかな気分でした。