写真①:国指定重要文化財・旧「吉原家住宅」の御成門
=大川市小保で、2011年9月18日午前10時30分撮影
〈大川・町歩きスポット〉 3
:旧「吉原家住宅」
大川市小保にある旧「吉原家住宅」=写真①=は、国指定重要文化財の建物です。柳河藩小保町の別当職(町の行政的支配者)を代々務め、後に同藩の村落の行政区分である「蒲池組」(10村程度で構成)の大庄屋となった吉原家の居宅で、肥後街道=写真②=に面していました。幕府巡検使の宿泊や藩主の狩猟の折の休憩といった藩の公用に利用され、測量のためこの地に立ち寄った伊能忠敬は、『測量日記』に文化9年(1812年)10月に二度、小保町別当吉原正右衛門家に止宿したと記録しています。
写真②:旧「吉原家住宅」前の「肥後街道」(向こう左手に見えるのは柳河藩主・立花宗茂が創建した「光楽寺」の土塀)
=大川市小保で、18日午前10時35分撮影
屋敷は南面し、正面中央に御成門、右端に通用門を構えて塀を巡らせています。建物は主屋(入母屋造平屋)に、切妻造の北角屋敷(一部2階建て)と南角屋敷(平屋)が接続。主屋は、江戸時代後期の文政8年(1825年)に建築。式台玄関は入母屋造の屋根で、格式の高さを示しています。天保9年(1838年)に幕府巡検使の宿泊に備えて増改築した際、御成門を新造したという。複雑な屋根の構成と大壁造の重厚な外観=写真③=など、江戸後期の上質な大型民家の姿を伝えています。
写真③:複雑な屋根の構成と大壁造の重厚な外観
=旧「吉原家住宅」敷地で、18日午前10時25分撮影
主屋は、農家の整形四間取り系の部屋配置ですが、大庄屋にふさわしく最大規模に発展した間取りです。表側に玄関から「上の間」=写真④=に至る接客部分と、裏側に居住用の部分を設けた平面構成が特色。
写真④:付書院と化粧竹組の丸窓で飾られた「上の間」
=旧「吉原家住宅」で、18日午前10時5分撮影
窓枠の頭部が火炎を思わせる曲線の「火灯窓(かとうまど)」(「花頭窓」とも書く。別名「源氏窓」、「書院窓」))も取り入れられ、座敷回りに洒落た意匠を備えています。
写真⑤:座敷回りを飾るお洒落な「火灯窓」
座敷には、据え付けの箪笥=写真⑥=もありました。
写真⑥:座敷に据え付けの箪笥
神棚=写真⑦=も、大庄屋の家らしく立派です。
写真⑦:大庄屋の家らしく立派な神棚
土間は、大きな梁と差鴨居で組み固められており、豪快さがうかがえます=写真⑧=。
写真⑧:大きな梁が組み合わされた土間
主屋の東北にある収蔵庫(明治21年建築)と資料館(同35年建築)の二棟の土蔵=写真⑨=は本瓦葺で、ともに大川市指定文化財。
写真⑨:旧「吉原家住宅」土蔵群(正面が所蔵品を展示している資料館、右が収蔵庫)
主屋の背後には、「屋敷神」=写真⑩=が祀られていました。
写真⑩:主屋の背後に祀られている「屋敷神」
旧「吉原家住宅」:福岡県大川市小保136-17。℡0944・86・8333.開館時間は、午前9時―午後5時。毎週月曜(祝日の場合は翌日)休館。入館料は無料。
旧「吉原家住宅」位置図