写真①:きれいな水が流れる水路沿いに建つ伝統的家並みの路地を通って視察する「津屋崎千軒考え隊」員たち
=佐賀県鹿島市浜町で、2006年11月19日午前10時52分撮影
ワークショップ佐賀視察(5=最終回)
「津屋崎独自の町並みイメージ」固めを出発点に
佐賀県鹿島市といえば、これまでは「祐徳稲荷神社」を思い浮かべていました。19日に「肥前浜宿(はましゅく)」を視察し、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された町並みで、例年〝二十日正月〟前日の1月19日、夜明け前の午前4時ごろから「鮒市(ふないち)」が立って賑わうことを知り、テレビのニュースで見た記憶が蘇りました。
「肥前浜宿」は、有明海に臨む佐賀県の最も南部にある港町。「鮒市」は、300年前から〝江戸の食文化〟として続いており、鹿島市中町通りを中心に開かれる恵比須(えびす)さんに供える鮒の市です。本来供えるべき鯛(たい)が高価なのと有明海では獲れないため、形がよく似た鮒を代用として供えます。鮒は泥臭いため、昆布巻きにし、ゴボウ、ダイコン、ニンジンなどと一緒に一昼夜ほど煮詰め、浜町で呼ぶ「フナンコグイ」が出来上がります。代表的な郷土料理です。
NPO法人「肥前浜宿水とまちなみの会」代表の熊本義泰さんによると、会の名前に「水」を取り入れたのは、「肥前浜宿」の町は水がきれいだからという。飲み水は地下水で、伝統的家並みの路地わきにある水路には川から引き込んだきれいな水が勢いよく流れています=写真①=。
中町通りにある空き蔵「呉竹東蔵」でピアノリサイタルが開かれた呉竹酒造の男性経営者は、「肥前浜宿で酒造りが盛んな理由の一つは、地下水がうまく、豊富だから」と説明。そのわけは、鹿島市北西部の多良(たら)山系からの伏流水が、市内を流れる浜川の地下から湧き出るからだといいます。「まちなみの会」代表の熊本さんらは、浜川の生態系・自然環境と景観を昔のまま残すことが、美しい水や町並みを後世に伝える道につながると、県土木事務所の河川護岸断面拡幅工事でもコンクリートばかりで固めず、石で築いた昔からある護岸を流路近くに残すよう県に要望書を平成14年に出しました。その結果、昔からの石をできるだけ用いて石垣と石階段を再生し、歴史的護岸を残せたと話します。
写真②:昔からの石をできるだけ用いて石垣と石階段を再生した護岸が流路近くに残された浜川
=鹿島市浜町で、2006年11月19日午前11時49分撮影
醸造町として全国でもただ1つ「重伝建」に選定された「浜中町八本木宿」の〝酒蔵通り〟では、白壁土蔵の壁土の一部が落ちた町家も見受けられます=写真③=。伝統的な建物の維持管理には、それなりの費用が必要です。「まちなみの会」では、観光・産業振興資源として期待される「肥前浜宿」関連事業として、酒蔵通りの電柱移設や保存建築物調査など歴史的町並みの保存活用経費を計上した鹿島市をはじめ、国土交通省の「街並み環境整備事業」といった国や県の補助事業を導入するほか、寄付金を募り、痛みの目立つ建物の補修・保存を図り、町並みの活性化につなげたい、としています。
写真③:江戸・明治からの醸造町の面影を伝える〝酒蔵通り〟に並ぶ白壁土蔵も痛みが目立つ
=鹿島市浜町で、06年11月19日午前11時10分撮影
福津市・〝津屋崎千軒〟の歴史的町並みの保存と活性化にも、国や福岡県、とりわけ市の伝統的家屋等の修理・修景費用への予算助成策に知恵を絞ることが必要でしょう。同時に、生活者としての住民が町並みのあるべき姿をデッサンし、歴史的建物と伝統文化を活用して、保存した町並みを活性化するイベントなど、住民と来訪者も参加して楽しみ、学べる様々な町興し活動を粘り強く続けることが望まれます。今いる住民は住み続けたくなり、来訪者も再び訪れたり、住みたくなる活力あふれる街づくりを目指したいものです。
津屋崎には、白砂青松の美しい自然と、万葉集にも詠われた古い歴史があります。しかし、かつて県内では最もきれいなレベルの「快適」を誇った津屋崎海水浴場の水質は第2レベルの「適」に悪化し、汚染が進んだ「津屋崎干潟」や新川などでは魚介類が減り、ヘドロの溜まった川ではウナギや鮒、イナ獲り遊びもできなくなっています。
海や川の水質をもっと清く浄化し、家族連れで海水浴や潮干狩り、魚釣りを楽しめ、県指定「津屋崎干潟鳥獣保護区」には野鳥が群れ飛ぶ。住民にも、来訪者にも、生き物たちにも「安らぎと癒しを感じられる水辺と港町」――こんな「津屋崎千軒」の歴史的町並みを生かして活性化できる、よそにはない街づくりが、いま求められているのではないでしょうか。まずは、津屋崎の歴史と生活文化の良い所を活かした目指すべき「津屋崎独自の町並みイメージ」をしっかり固めること。それが、出発点になると思われます。(終わり)
=佐賀県鹿島市浜町で、2006年11月19日午前10時52分撮影
ワークショップ佐賀視察(5=最終回)
「津屋崎独自の町並みイメージ」固めを出発点に
佐賀県鹿島市といえば、これまでは「祐徳稲荷神社」を思い浮かべていました。19日に「肥前浜宿(はましゅく)」を視察し、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された町並みで、例年〝二十日正月〟前日の1月19日、夜明け前の午前4時ごろから「鮒市(ふないち)」が立って賑わうことを知り、テレビのニュースで見た記憶が蘇りました。
「肥前浜宿」は、有明海に臨む佐賀県の最も南部にある港町。「鮒市」は、300年前から〝江戸の食文化〟として続いており、鹿島市中町通りを中心に開かれる恵比須(えびす)さんに供える鮒の市です。本来供えるべき鯛(たい)が高価なのと有明海では獲れないため、形がよく似た鮒を代用として供えます。鮒は泥臭いため、昆布巻きにし、ゴボウ、ダイコン、ニンジンなどと一緒に一昼夜ほど煮詰め、浜町で呼ぶ「フナンコグイ」が出来上がります。代表的な郷土料理です。
NPO法人「肥前浜宿水とまちなみの会」代表の熊本義泰さんによると、会の名前に「水」を取り入れたのは、「肥前浜宿」の町は水がきれいだからという。飲み水は地下水で、伝統的家並みの路地わきにある水路には川から引き込んだきれいな水が勢いよく流れています=写真①=。
中町通りにある空き蔵「呉竹東蔵」でピアノリサイタルが開かれた呉竹酒造の男性経営者は、「肥前浜宿で酒造りが盛んな理由の一つは、地下水がうまく、豊富だから」と説明。そのわけは、鹿島市北西部の多良(たら)山系からの伏流水が、市内を流れる浜川の地下から湧き出るからだといいます。「まちなみの会」代表の熊本さんらは、浜川の生態系・自然環境と景観を昔のまま残すことが、美しい水や町並みを後世に伝える道につながると、県土木事務所の河川護岸断面拡幅工事でもコンクリートばかりで固めず、石で築いた昔からある護岸を流路近くに残すよう県に要望書を平成14年に出しました。その結果、昔からの石をできるだけ用いて石垣と石階段を再生し、歴史的護岸を残せたと話します。
写真②:昔からの石をできるだけ用いて石垣と石階段を再生した護岸が流路近くに残された浜川
=鹿島市浜町で、2006年11月19日午前11時49分撮影
醸造町として全国でもただ1つ「重伝建」に選定された「浜中町八本木宿」の〝酒蔵通り〟では、白壁土蔵の壁土の一部が落ちた町家も見受けられます=写真③=。伝統的な建物の維持管理には、それなりの費用が必要です。「まちなみの会」では、観光・産業振興資源として期待される「肥前浜宿」関連事業として、酒蔵通りの電柱移設や保存建築物調査など歴史的町並みの保存活用経費を計上した鹿島市をはじめ、国土交通省の「街並み環境整備事業」といった国や県の補助事業を導入するほか、寄付金を募り、痛みの目立つ建物の補修・保存を図り、町並みの活性化につなげたい、としています。
写真③:江戸・明治からの醸造町の面影を伝える〝酒蔵通り〟に並ぶ白壁土蔵も痛みが目立つ
=鹿島市浜町で、06年11月19日午前11時10分撮影
福津市・〝津屋崎千軒〟の歴史的町並みの保存と活性化にも、国や福岡県、とりわけ市の伝統的家屋等の修理・修景費用への予算助成策に知恵を絞ることが必要でしょう。同時に、生活者としての住民が町並みのあるべき姿をデッサンし、歴史的建物と伝統文化を活用して、保存した町並みを活性化するイベントなど、住民と来訪者も参加して楽しみ、学べる様々な町興し活動を粘り強く続けることが望まれます。今いる住民は住み続けたくなり、来訪者も再び訪れたり、住みたくなる活力あふれる街づくりを目指したいものです。
津屋崎には、白砂青松の美しい自然と、万葉集にも詠われた古い歴史があります。しかし、かつて県内では最もきれいなレベルの「快適」を誇った津屋崎海水浴場の水質は第2レベルの「適」に悪化し、汚染が進んだ「津屋崎干潟」や新川などでは魚介類が減り、ヘドロの溜まった川ではウナギや鮒、イナ獲り遊びもできなくなっています。
海や川の水質をもっと清く浄化し、家族連れで海水浴や潮干狩り、魚釣りを楽しめ、県指定「津屋崎干潟鳥獣保護区」には野鳥が群れ飛ぶ。住民にも、来訪者にも、生き物たちにも「安らぎと癒しを感じられる水辺と港町」――こんな「津屋崎千軒」の歴史的町並みを生かして活性化できる、よそにはない街づくりが、いま求められているのではないでしょうか。まずは、津屋崎の歴史と生活文化の良い所を活かした目指すべき「津屋崎独自の町並みイメージ」をしっかり固めること。それが、出発点になると思われます。(終わり)