吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2012年7月16日/〈日記〉487・「津屋崎祇園山笠」開始年に2説あり?

2012-07-16 09:28:18 | 日記

 

写真①:〈津屋崎千軒〉通りに繰り出した「津屋崎祇園山笠」の岡流の山笠

   =福津市津屋崎3丁目で、2012年7月9日午前11時50分撮影

 

「津屋崎祇園山笠」開始年に2説あり?

 7月8日の〈日記〉486で、大社(おおこそ)元七(津屋崎製塩事業功労者)の「塩浜庄屋」任命年に2説、の記事を掲載しましたが、きょうは福津市津屋崎の夏祭り・「津屋崎祇園山笠」=写真①=が始まった年にも2説がある? のを紹介します。

 江戸時代に発刊された地誌・『筑前国続風土記附録(ちくぜんのくにぞくふどきふろく)』によると、正徳4年(1714年)、津屋崎の氏神・波折神社の境内にある祇園社に、博多から祇園神をお迎えし、旧暦の6月19日に高さ10㍍という大きな三基の山笠を作って担ぎ、神様に捧げて祇園神の祭りをしたのが始まりとされています。

 旧津屋崎町が平成8年に発行した『津屋崎町史 資料編 下巻(一)』でも、第6章「信仰」の第二節「ムラの信仰」の「二 祇園祭り」で〈津屋崎浦波折神社境内の祇園社は、正徳四年(一七一四年〉に博多櫛田神社の祇園社を勧請して、人形を飾った祇園山笠が波折神社の神幸祭と同様に村・浦をあげての祭り行事として伝承されてきた)としています。

 福津市教育委員会も、ホーメページにアップしている「津屋崎祇園山笠 市指定無形民俗文化財」の解説記事に「今から約300年前(正徳4年:1714年)に博多の櫛田神社から波折神社に祇園神を迎え、3基の山笠を奉納し、疫病、災害の退散を祈願したのが起源といわれています」と記述しています。

 ところが、1994年7月7日から18日まで「津屋崎千軒民俗館・『藍の家』」で開催された「津屋崎山笠展」のパンフレットには、「津屋崎山笠の由来として〈『筑前国続風土記』によると、「津屋崎浦に氏神として波折宮があり、境内に祇園社がある。正徳二年に博多から勧請し、毎年六月十九日に山車を三本造って社前に捧げ、坊中をかき歩く〉と掲載しています。

 津屋崎祇園山笠の起源・「正徳2年説」根拠とされた『筑前国続風土記』は、福岡藩の儒者・貝原益軒が江戸時代初期の宝永6年(1709年)に完成しており、正徳2年(1712年)のことを記述できるわけがありません。

 一方、津屋崎祇園山笠の起源を「正徳4年説」とした『筑前国続風土記附録』は、江戸時代後期・寛政10年(1798年)に福岡藩の加藤一純、鷹取周成が完成させており、正徳4年(1714年)のことを記述できたことは言うまでもありません。

 今年が津屋崎祇園山笠が始まって300周年として記念行事が一部で開催されていましたが、正徳2年(1712年)説が誤りと思われる以上、300周年を迎えるのは正徳4年(1714年)から起算して平成26年(2014年)となります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする