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吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2014年3月26日〈エッセー〉027:「恋の浦」のいわれ

2014-03-26 09:41:08 | エッセー

写真①:「恋の浦」の由来がテーマの観光ポスター
      =福津市まちおこしセンターで、2014年3月1日撮影

・連載エッセー『一木一草』

 第27回:「恋の浦」のいわれ

  福津市まちおこしセンターで3月1日、九州大学大学院芸術工学研究院の大学院生(デザインストラテジー・ユーザー感性学専攻)が同市の海と津屋崎千軒をテーマにデザインしたという「ふくつ観光ポスター展」を観ました。その中に玄界灘に面した津屋崎の景勝地・「恋の浦」がテーマの1枚=写真①=に、初耳の「恋の浦」の由来が書かれており、驚きました。

  それによると、「恋したら いってみようか、なんて」のコピーで、「日本一ロマンティックな名前の海岸」と紹介したあと、〈由来…ある高僧が修行を終え、大陸から帰国した際、大陸に残してきた恋人を思い、浜で海の向こうの大陸を眺めておられたことから、恋の浦と名付けられた〉=写真②=とあります。

写真②:「恋したら いってみようか、なんて」のコピーで書かれた「恋の浦」の由来

  「恋の浦」のいわれについては、黒田官兵衛の異母弟・黒田修理助利則(養心)が恋路の邪魔をする役所にされ、婚約中の若い男女が海で心中するフィクションと思われる〝伝説〟が、一部で観光宣伝されています。福津市郷土史家(故人)が昭和53年(1978年)に出版した本に収録された「恋の浦秘話」の引用で、悪玉役の養心公にはお気の毒です。ご子孫にもご迷惑な筋書と思われますので、私の〈津屋崎千軒〉観光ガイドでは使わないようにしています。

  以前、弘法大師にまつわる由来があるとの話を小耳に挟み、福津市歴史資料室や福津郷土史会の方に尋ねましたが、分かりませんでした。この「ある高僧」由来ならまさに「恋の浦」=写真③=にふさわしいレジェンドです。そう思って、「ふくつ観光ポスター展」を主催している福津市商工観光課に尋ねた結果、市のホームページの「福津三十六景」の「恋の浦」に「恋の浦」の由来が、観光ポスターと同じ文章でアップされていることが分かりました。私が平成19年のこのホームページに同文章をアップした担当の方に照会した結果、旧津屋崎町役場の観光係をしていた約15年前、「東郷神社」の内田第二代宮司から同宮司の父で同神社を創建した安部正弘さん(昭和46年=1971年=他界)から伝え聞いた話で、高僧は弘法大師のことだったと思うが、メモを取っておらず記憶がはっきりしないので大師の名前はアップしなかったという。

 

写真③:「ふくつ観光ポスター」の「恋の浦」に使われた道路標示(福津市新町)

 内田久美・第二代宮司の娘の川野万里子・第三代宮司にお聞きしたところ、内田宮司と祖父の安部正弘さんから、この高僧ゆかりの「恋の浦」の由来を聞いた記憶はなく、由来を裏付ける文献史料を見たこともないとのこと。

 「恋の浦」の由来の文献あれば教えてください

  今後、安部正弘さんに関する伝記や、旧津屋崎町時代の町広報誌、旧宗像郡内の郷土史、各種団体の機関誌などに安部さんの寄稿やインタビュー記事などが残されていないか、調査を続けます。「恋の浦」=写真④=の「ある高僧」由来の文献をご存じの方がおいでなら、教えてください。「恋の浦」の由来が、うら若い男女の心中ではなく、帰国した高僧と中国に残した恋人への思慕にからむのであれば、「日本一ロマンティックな名前の海岸」として胸を張って「恋の浦」の観光ガイドができます。

写真④:玄界灘に面した「恋の浦」海岸
     =福津市渡で、2007年8月28日撮影

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2014年3月26日〈エッセー〉027:「恋の浦」のいわれ

2014-03-26 09:41:08 | エッセー

写真①:「恋の浦」の由来がテーマの観光ポスター
      =福津市まちおこしセンターで、2014年3月1日撮影

・連載エッセー『一木一草』

 第27回:「恋の浦」のいわれ

  福津市まちおこしセンターで3月1日、九州大学大学院芸術工学研究院の大学院生(デザインストラテジー・ユーザー感性学専攻)が同市の海と津屋崎千軒をテーマにデザインしたという「ふくつ観光ポスター展」を観ました。その中に玄界灘に面した津屋崎の景勝地・「恋の浦」がテーマの1枚=写真①=に、初耳の「恋の浦」の由来が書かれており、驚きました。

  それによると、「恋したら いってみようか、なんて」のコピーで、「日本一ロマンティックな名前の海岸」と紹介したあと、〈由来…ある高僧が修行を終え、大陸から帰国した際、大陸に残してきた恋人を思い、浜で海の向こうの大陸を眺めておられたことから、恋の浦と名付けられた〉=写真②=とあります。

写真②:「恋したら いってみようか、なんて」のコピーで書かれた「恋の浦」の由来

  「恋の浦」のいわれについては、黒田官兵衛の異母弟・黒田修理助利則(養心公)が恋路の邪魔をする役所にされ、婚約中の若い男女が海で心中するフィクションと思われる〝伝説〟が、一部で観光宣伝されています。福津市の郷土史家(故人)が昭和53年(1978年)に出版した本に収録された「恋の浦秘話」の引用で、悪玉役の養心公にはお気の毒です。ご子孫にもご迷惑な筋書と思われますので、私の〈津屋崎千軒〉観光ガイドでは使わないようにしています。

  以前、弘法大師にまつわる由来があるとの話を小耳に挟み、福津市歴史資料室や福津郷土史会の方に尋ねましたが、分かりませんでした。この「ある高僧」由来ならまさに「恋の浦」=写真③=にふさわしいレジェンドです。そう思って、「ふくつ観光ポスター展」を主催している福津市商工観光課に尋ねた結果、市のホームページの「福津三十六景」の「恋の浦」に、観光ポスターと同じ文章で由来がアップされていることが分かりました。私がこのホームページに同文章を平成19年にアップした担当の方に照会した結果、旧津屋崎町役場の観光係をしていた約15年前、「東郷神社」の内田久美・第二代宮司から同宮司の父で同神社を創建した安部正弘さん(昭和46年=1971年=他界)から伝え聞いた話で、高僧は弘法大師のことだったと思うが、メモを取っておらず記憶がはっきりしないので大師の名前はアップしなかったという。

 

写真③:「ふくつ観光ポスター」の「恋の浦」に使われた道路標示(福津市新町)

 内田久美・第二代宮司の娘の川野万里子・第三代宮司にお聞きしたところ、内田宮司と祖父の安部正弘さんから、この高僧ゆかりの「恋の浦」の由来を聞いた記憶はなく、由来を裏付ける文献史料を見たこともないとのこと。

 「恋の浦」の由来の文献あれば教えてください

  今後、安部正弘さんに関する伝記や、旧津屋崎町時代の町広報誌、旧宗像郡内の郷土史、各種団体の機関誌などに安部さんの寄稿やインタビュー記事などが残されていないか、調査を続けます。「恋の浦」=写真④=の「ある高僧」由来の文献をご存じの方がおいでなら、教えてください。「恋の浦」の由来が、うら若い男女の心中ではなく、帰国した高僧と中国に残した恋人への思慕にからむのであれば、「日本一ロマンティックな名前の海岸」として胸を張って「恋の浦」の観光ガイドができます。

写真④:玄界灘に面した「恋の浦」海岸
     =福津市渡で、2007年8月28日撮影

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2014年3月11日〈エッセー〉026:津屋崎庁舎再生整備計画案策定

2014-03-11 09:38:47 | エッセー

 

写真①:活用方法の再生整備計画案が策定された福津市・「津屋崎庁舎」

 

・連載エッセー『一木一草』

 第26回:2014.3.11

津屋崎庁舎再生整備計画案策定

図書館、歴史資料館など複合施設として活用へ

  福津市が津屋崎庁舎(3階建て延べ約3,800平方㍍。昭和62年建築)=写真①=の活用方法(再生整備計画)として「津屋崎庁舎再生整備計画案」を策定しました。

  津屋崎庁舎再生整備計画案は、福津市が福間・津屋崎庁舎に組織を分散して配置している分庁方式を改め、全ての部署を福間庁舎へ集約するため、建築家ら有識者や市民公募委員で組織した「津屋崎庁舎再生整備計画策定審議会」を2013年11月25日設置、審議して策定。3月14日まで市民意見(パブリックコメント)を市広報秘書課と行政経営企画課で募集、必要に応じて修正を加え、同審議会から最終的な計画として市へ答申を受けて決定します。

  津屋崎庁舎再生整備計画案によると、1階は「何度も行きたくなる施設を目指して図書館・喫茶コーナー」を配置=写真②=。図書館は、福間地区にある現在の市立図書館の補完的な機能に限定することなく、地域の中央館としての機能が発揮できる蔵書規模を確保し、特色あるものとして市立図書館との両立を図ります。喫茶コーナーは、庁舎側面の県道(つばき通り)から見て目立つ位置(南東側)に配置、開放的なイメージで整備し、特産物販売コーナーの設置など賑わいを演出します。

 

写真②:津屋崎庁舎再生整備計画案の1階レイアウト

  2階は「市にこれまで無かった歴史資料館と学習室」を配置=写真③=。歴史資料館は、市の歴史を体系的に知ることができ、市内で出土、保管された郷土資料を含む貴重な文化財をじかに見ることができる施設を目指し、世界遺産登録を目指している「宗像・沖ノ島と関連遺産群」と福津市の古墳群に関する情報発信コーナーを設置します。このほか、学習室や多目的スペースを配置、高齢者や子供がゆったりと過ごせる空間づくりに努めます。

  

写真③:津屋崎庁舎再生整備計画案の2階レイアウト

  「建築基準法により不特定多数の人の利用ができない」3階は、貸事務所と会議室を集積=写真④=。貸事務所には、公益的団体や民間事業者などの入居を想定し、既存の会議室や旧議場については入居した団体や市民が会議の規模に応じた部屋を利用できるよう大・中・小の会議室として活用します。

  

写真④:津屋崎庁舎再生整備計画案の3階レイアウト

  また、津屋崎庁舎と市文化会館(カメリアホール)との間にある「健康センター」は市民サービス窓口(地域行政拠点)として再生、現在同庁舎で行っている住民・医療・年金関係の手続きと各種証明書類の発行、健康診断業務をこれまで通り継続できる体制を整備。高齢者サービスや福祉業務、その他市の業務全般の初期相談や取り次が可能な体制の整備を行う、としています。

  津屋崎庁舎は鉄骨造りの準耐火構造のため、建築基準法上、用途変更に制約を受けることから、市では同庁舎再生整備計画案について①市全体としての施設の必要性②他施設との距離など地域的な必要性・市全体としての配置バランス③利用予測や事業効果などの有効性④建築基準法・構造上の可否、スペースが充分かなどの実現性――の四つの視点で整理。地域が賑わい活性化するような施設にすること、地域行政拠点・図書館・歴史資料館・喫茶コーナー・貸事務所などを配置する複合施設にすることなどの基本コンセプトを決め、レイアウトを検討して策定したという。

  私は2013年11月23日、市民対象の「津屋崎庁舎見学・意見聴取会」に参加し、庁舎統合後の津屋崎庁舎の活用について、(1)佐賀県の「武雄市図書館」写真⑤=のようにレンタル販売店大手チェーン「TSUTAYA(ツタヤ)」を運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)を指定管理者とする「津屋崎図書館」の新設(2)福津市全域の自然と歴史、文化・民族資料を収蔵展示、ギャラリーも設けた「海洋・歴史文化館」(仮称)の建設(3)「ボランティアセンター」の開設――の三用途での活用を提案。事業者・行政・利用者にとっても大きな魅力のある複合施設化の推進を図るのが、公共施設のあり方として望ましく、三用途の施設を核とする複合施設は地域経済の浮揚、賑わい拠点としても期待できるので、ぜひとも実現してほしいと要望していました。

写真⑤:佐賀県の「武雄市図書館」

  津屋崎庁舎再生整備計画案では、「津屋崎図書館」については「現市立図書館の補完的な機能に限定することなく、地域の中央館としての機能が発揮できる蔵書規模を確保し、特色あるものとして市立図書館との両立を図ります」としたうえ、「喫茶コーナー」も配置するとし、意欲がうかがえます。ただ、年中無休で、CDやDVDの有料貸し出しコーナーやコーヒーチェーン店(スタバ)を併設、来館者が激増し運営費も削減した「武雄市図書館」のようにカルチュア・コンビニエンス・クラブを指定管理者とするか、など管理運営のソフト面に触れていないのが物足りません。

 また、「海洋・歴史文化館」の建設については、「歴史資料館」の新設で要望の半分はかなえられそうです。西村幸夫・東大教授(前副学長)は平成20年(2008年)7月19日、「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が主催したカメリアホールでの講演会「〈津屋崎千軒〉まちおこしへの提言」で、「豊かな自然と歴史的環境が、両方とも身近に残っている所は、なかなかない。津屋崎の魅力と宝を活かした町づくりを」と講演されたように、絶滅危惧種のカブトガニやアカウミガメが産卵、クロツラヘラサギが越冬、福岡県内で最多の689種もの貝を産し〝貝寄せの浜〟の異名を持つ海辺の自然の素晴らしさも福津市の宝といえます。全国唯一の「うみがめ課」を持つ同市だけに、海洋の自然史や生物についての展示、学習コーナーも併設、学芸員の配置を望みたいものです。

  「ボランティアセンター」の開設は津屋崎庁舎再生整備計画案には見えませんが、公益的団体や民間事業者などの入居を想定した3階の貸事務所と会議室をボランティア団体が利用できるか同案では分かりません。「歴史資料館」の機能補完役として市民の観光ボランティアガイドが常駐できるよう活用し、観光バスの発着、中継地の役割も果たせるようお願いしたい。

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2013年12月10日〈エッセー〉025:文化映画「まちや紳士録」

2013-12-10 06:24:27 | エッセー

 

写真①:13日まで記録映画「まちや紳士録」を上映している「KBCシネマ」

 

・連載エッセー『一木一草』

第25回:2013.12.10

文化映画「まちや紳士録」

  10月26日の〈エッセー〉第20回で紹介した長編ドキュメンタリー映画「まちや紳士録」が、12月7日から福岡市中央区那の津の「KBCシネマ」=写真①=で全国に先駆けてのモーニングショー公開が始まりましたが、住民有志が取り組んだ福岡県八女市福島に残る歴史的な町家の再生と、夫婦二人で福岡から移住した監督自身が生活者の視点でカメラを回し、住民との交流を録音した魅力的な文化映画として、観客の出足は好調のようです。13日(金)まで連日午前10時から1回上映です。ご鑑賞をお薦めします。

  この記録映画は、「まちや紳士録」製作委員会(牛嶋幹代表)が製作。株式会社グループ現代(東京)の制作で、川井田博幸プロデューサー、伊藤有紀(ゆうき)監督(34)作品。上映時間88分の長編です。八女市福島地区は2002年5月、国の重要伝統的建造物群保存地区に全国で61番目に選定。記録映画は、江戸時代から商家町として栄えた歴史的町並みを地域固有の文化遺産、市民共通の財産として後世に伝え残そうと、日夜努力している同地区の先駆的な取り組みにスポットを当て、2012年6月から13年8月まで撮影を重ねて完成しました。

  映画に登場する元八女市職員で町並み保存運動を牽引してきた北島力・NPO法人八女町家再生応援団代表は、伊藤監督とともに「まちや紳士録」を紹介した11月18日付読売新聞記事に写真付きで大きく掲載=写真②=。また、映画雑誌「キネマ旬報」12月下旬号の「文化映画紹介」記事で、映画評論家の渡部実氏は「伊藤監督は八女を撮る監督であると同時に八女の新しい住人である。そのふたつの立場から八女の風物と住人を撮っている。八女という地域の文化を紡ぎ出した愛すべき作品である」と評価されています。

 

写真②:「まちや紳士録」」を紹介した11月18日付読売新聞記事

  川井田プロデューサーは「お陰さまで初日の7日と8日の二日間で観客が100名を超えることができました。ご来場頂きました方々、ご協力頂いた方々に改めて御礼申し上げます」と話しています。

  人間関係が希薄になった現代社会の中で、東日本大震災以後、日本人の生き方が見詰め直されている折から、八女福島の古民家を修理して住み、家と暮らしを代々つなぐ人たちを活写したこのドキュメンタリー映画は、命や伝統、木の文化と家(町家)を日本の心とともに繋いでいくことの大切さを、私達に訴えかけてきます。

  「KBCシネマ」(福岡市中央区那の津1-3-21。℡092-751-4268)の「まちや紳士録」上映入場料は一般1800円、学生1500円、シニア1000円。2014年2月には、東京・渋谷のイメージフォーラムで劇場公開されます。

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2013年12月2日〈エッセー〉024:津屋崎へのうねり

2013-12-02 18:51:27 | エッセー

 

写真①:夕暮れの「津屋崎干潟」

      =福津市渡で、2013年12月2日午後5時撮影

 

・連載エッセー『一木一草』

 第24回:津屋崎へのうねり

大きな流れが津屋崎へ打ち寄せる

  12月2日、福津市渡の「津屋崎干潟」で夕暮れの光景=写真①=を眺めながら、この干潟の先の玄界灘から津屋崎に向かって、大きなうねりのような時代の流れが打ち寄せているような気がしました。

  「津屋崎のよかとこ」情報の発信に努めている私のブログが10月17日、閲覧数(PV)1,606、訪問者数(IP)827で、1,941,408gooブログ中555位を記録したのと、7月から11月にかけて私の所属している福津市津屋崎の町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」への視察団や、観光ボランティアガイドの申し込みが福岡県内外から相次いでいるからです。

  7月7日、旧長崎街道の宿場町の佐賀県嬉野市塩田町にある「塩田職人組合」の視察研修団20人が、福津市まちおこしセンターに貸切バスで到着、「海とまちなみの会」と交流しました。

 10月30日、熊本市の旅行業者から申し込みがあった「熊本県退職教員等連絡協議会宇城支部」の〈津屋崎千軒〉観光団20人をガイド。11月9日、福岡都市圏のまちづくり団体や福岡県、市町で組織している「地域づくりネットワーク福岡県協議会」福岡ブロック会議のメンバー17人が、「海とまちなみの会」の活動を視察に津屋崎入り。会員らが福津市文化会館で創立以来7年間の活動を紹介した後、〈津屋崎千軒〉を1時間町歩きガイドし、「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」で「地域づくり活動における継続性の仕組みについて」意見交換しました=写真②=。

 

②「地域づくりネットワーク福岡県協議会」福岡ブロック会議の意見交換会

      =2013年11月9日、「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」で撮影

 11月17日、熊本県玉名市高瀬にある「瀬商店街」の「高瀬女性部」(猿渡公予会長)の〈津屋崎千軒〉視察・観光団11人=写真③=を私がガイドしました。同月30日には、福岡市西区の地域づくり団体で、2013年10月に日本都市計画家協会(東京)の「第10回日本まちづくり大賞」(最高賞)を受賞されたばかりの「唐津街道姪浜まちづくり協議会」(川岡保会長)の16人が、福津市の景観づくりの取り組みと「海とまちなみの会」の活動を視察され、意見交換しました。

 このうち、「塩田職人組合」は、2012年12月に福津市文化会館で開催された「第35回全国町並みゼミ福岡大会」第5分科会を運営した「海とまちなみの会」の活動を視察したいと視察を申し込まれました。「熊本県退職教員等連絡協議会宇城支部」と「高瀬女性部」は、インターネットで「海とまちなみの会」のホームページを見て、観光ボランティアガイドをしているのを知り、電話やメールで事務局担当の私に申し込みがありました。

写真③:「豊村酒造」を見学する「高瀬女性部」の人たち
      =11月15日午前10時35分撮影

 福岡ブロック会議は、「海とまちなみの会」が「地域づくりネットワーク福岡県協議会」に所属している関係から、また「唐津街道姪浜まちづくり協議会」は全国町並みゼミ福岡大会の分科会を運営した交流団体の関係からの視察のようでしたが、「海とまちなみの会」が〝先進地視察〟を受けるような目覚ましい活動実績を挙げているわけでもないのに、とけげんな気持ちです。

 思い当たるのは、全町ゼミ福岡大会の第5分科会を津屋崎で開いたことと、福岡市で開かれた同大会のシンポジュウムで「藍の家保存会」代表の柴田富美子さん(「海とまちなみの会」会員)がパネリストで登壇されたことで、〈津屋崎千軒〉の知名度がアップしたのではないでしょうか。

 「東洋経済」が6月に発表した全国の790都市の安心度、利便度、快適度などをもとに総合評価した「住みよさランキング2013」で、福津市が福岡県内で1位に踊り出た影響もあるかもしれません。前回は5位でしたが、総合順位でも全国150位から75位へと大きく上昇。2012年4月に「イオンモール福津」が開業し、「利便度」順位が162位から79位へ、また転入者の増加で「快適度」順位が136位から63位へ、それぞれアップしたことが要因という。

 このような背景で、福津市・津屋崎へ大きな視察・観光の波が、ひたひたと寄せ始めたのかもしれませんね。なんだか怖いような気もしないではありませんが、〈津屋崎千軒人〉としては期待していいことであってほしいものです。

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2013年11月23日〈エッセー〉022:意見聴取会

2013-11-23 19:55:48 | エッセー

写真①:平成25年4月に改築オープンした佐賀県の「武雄市図書館」

       =2013年4月29日撮影

・連載エッセー『一木一草』

 第22回:2013.11.23

  津屋崎庁舎見学・意見聴取会

 

 津屋崎庁舎について三用途での活用を要望

「津屋崎図書館」「海洋・歴史文化館」「ボランティアセンター」新設を

 福岡県福津市が福間・津屋崎庁舎に組織を分散して配置している分庁方式を改め、全ての部署を福間庁舎へ集約する問題で11月23日、「津屋崎庁舎見学・意見聴取会」を開催。私も津屋崎地区在住の市民として、楽しみの晩酌を後回しにして参加しました。

 この日午後5時から行われた津屋崎庁舎(鉄骨造り3階建て延べ約3,800平方㍍。昭和62年建築)=写真②=の見学では、市民10人余りが市行政経営企画課職員の案内で1,2,3階の庁舎を一巡り。このあと、意見聴取会が3階の会議室で行われました。

  私は、庁舎統合後の津屋崎庁舎の活用について、(1)佐賀県の「武雄市図書館」のようにレンタル販売店大手チェーン「TSUTAYA(ツタヤ)」を運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)を指定管理者とする「津屋崎図書館」を新設していただきたい(2)「海洋・歴史文化館」(仮称)を建設してほしい(3)「ボランティアセンター」の開設――の三つの用途での活用を要望し、意見書を小山達生市長に手渡しました。

  福津市は、「津屋崎庁舎再生整備計画策定審議会」の委員8人を市都市計画審議会や津屋崎地区郷づくり推進協議会などから選んでおり、25日に1回目の審議会を開き、市民から提出された意見をもとに同整備計画案の答申を市長に得て、2014年3月に整備計画を決定したいとしています。

  

写真②:旧福間町との合併後も旧津屋崎町内で行政窓口として使われている福津市・「津屋崎庁舎」

 ◆私の意見書の全文は、以下の通りです。

  私は福津市津屋崎2丁目に住む吉村勝利と申します。生まれも育ちも津屋崎です。

 平成7年(1995年)、全国紙の新聞社の鹿児島支局長から山口総局長に転任する際、鹿児島県知事から県のPRなどを目的に制定した「薩摩大使」を委嘱され、以来、山口総局長に転任後も俳優の高橋英樹さんやAKB48の柏木由紀さんら全国に4百人いる「薩摩大使」の一人として、森伊蔵を始め薩摩焼酎の美味しさや霧島温泉など鹿児島の観光PRを続けております。

  山口総局長に転任以降と編集局次長に就任した7年間は、山口県の宇部、山口市など6市で、また福岡県の甘木、前原、宗像、福津の4市で、地元自治体などの地域おこしに新聞社が貢献するイベントの「移動支局」を企画、町興しシンポジュウムや特産品販売などを展開、多数の市民に来場いただき、〝編集局の事業部長〟と称されました。

 新聞社を定年退職後は、平成19年(2007年)に町興しのボランティア団体として創立された「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の会長として、観光ボランティアガイドを7年間続けています。平成24年(2012年)3月からは津屋崎千軒通りに観光ガイド拠点事務所の「貝寄せ館」を市民の募金協力によって開設し、飛び込みの観光客にも対応できる常駐ガイドとして活動しています。また、津屋崎の歴史と自然のガイド本、『津屋崎学』を刊行し、福津市の郷育講座で「津屋崎千軒の卯建と鏝絵の町家巡り」の講師を務め、福津市の宝というべき歴史・文化遺産や自然の素晴らしさをPRしております。

 以上の経験から、庁舎統合後の津屋崎庁舎の活用について、次の三つの用途での活用を要望します。

(1)カルチュア・コンビニエンス・クラブを指定管理者とする「津屋崎図書館」の新設

(2)「海洋・歴史文化館」の建設

(3)「ボランティアセンター」の開設

以下、その理由を具体的に述べます。

 

(1)佐賀県の「武雄市図書館」のようにレンタル販売店大手チェーン「TSUTAYA(ツタヤ)」を運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)を指定管理者とする「津屋崎図書館」を新設していただきたい。

 その理由を述べます。

 平成25年4月に改築オープンした佐賀県の「武雄市図書館」を4月29日に訪ねましたら、レンタル販売店大手チェーン「TSUTAYA(ツタヤ)」を運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が指定管理者となっていて、CDやDVDの有料貸し出しコーナーやコーヒーチェーン店(スタバ)が併設されていました。蔵書数20万冊で、年中無休、午前9時ー午後9時の開館で、5月1日には来館者が10万人を突破し、半年間で来館者を前年同期の約2倍に増やしたうえ、指定管理料も年間1億1千万円で、旧館時代の運営費の約1割減の成果を挙げているということです。

 山口県周南市も、2018年度の開業を目指している新JR徳山駅ビル内の2,3階に設ける図書館の運営について、CCCと連携することで合意したと、11月18日に発表しました。しかも、市内にある既存の図書館は従来通り市が運営するとしています。さらに、宮城県多賀城市でもCCCとの運営委託に向けた検討が進んでいます。  

 津屋崎庁舎跡地にも、武雄市図書館のようにカルチュア・コンビニエンス・クラブを指定管理者とする津屋崎図書館を新設することは、旧津屋崎町民にとって合併前からの悲願であった図書館建設の実現です。福間地区にある現在の福津市立図書館は従来通り市が運営し、津屋崎図書館はカルチュア・コンビニエンス・クラブが指定管理者となるため市職員の増員も要りません。福津市文化会館では現在、コンサートや講演会の後に語らう喫茶コーナーもなく利用者に不評ですが、津屋崎図書館に併設されたコーヒーチェーン店のカフェで楽しめます。また、津屋崎庁舎は国道495号線の「宮ノ元」交差点に近く、「道の駅むなかた」や宗像大社へ往来する観光客の立ち寄り、休憩、お茶飲み施設としても利用が予想されます。

 (2)「海洋・歴史文化館」(仮称)を建設してほしいと思います。

  その理由を述べます。

 宗像市では本庁舎や国・県の行政施設や大型店などがあり、政治・経済の中心となっている旧市地域に対し、合併した旧玄海町地区に古文書、歴史関係書籍を集積した宗像市立図書館深田分館を併設した歴史博物館「海の道むなかた館」を建設、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」のガイダンス資料を展示し、ボランティアガイドも常駐させ、観光客の来館も増えています。近くに建設した「道の駅むなかた」とともに地区の賑わい拠点施設として成功しており、地域振興の見地からバランスが保たれた開発が進められており、津屋崎地区の振興・開発施設の在り方に大いに参考になるケースです。

 津屋崎地区は「世界遺産」暫定リストに記載の津屋崎古墳群や、宮地嶽神社、津屋崎千軒、勝浦・白石浜・津屋崎浜・宮地浜の海水浴場を抱えており、カブトガニやアカウミガメを始め絶滅危惧種の宝庫ともいえる豊かな自然環境で知られています。福津市の文化・歴史・観光の中心地として整備するのがふさわしい地域と思われます。平成23年1月に福津市が行った庁舎統合に関する住民意向調査では、統合後の空き庁舎の活用方法について、「図書館」「歴史資料館」「美術館」としての活用を望む回答が寄せられています。以上の点から、津屋崎庁舎には福間地区の畦町宿場跡、舎利蔵自然林なども含め、福津市全域の自然と歴史、文化・民族資料を収蔵展示、ギャラリーも設けた海洋・歴史文化博物館として学芸員を配置し、「海洋・歴史文化館」を建設してほしいと思います。管理運営は、カルチュア・コンビニエンス・クラブを指定管理者とし、「津屋崎図書館」と一体となった年中無休の便利な施設としてほしい。 

(3)「ボランティアセンター」の開設を要望します。

  その理由を述べます。

 現在、福津市中央にある「ボランティアハウスふくま」は、二階建ての借家を利用しており、すぐそばに駐車場もなく不便ですが、津屋崎庁舎跡に「ボランティアセンター」を開設して収容すれば家賃はゼロのうえ駐車場にも困らないため、経費節減と利便性向上のメリットが大きいと思われます。「ボランティアセンター」には、市民の会合、イベントスペースも設け、観光ボランティアガイドが常駐できる活動拠点としても活用、観光バスの発着、中継地になるよう再生整備することを提案します。

▼結論

 公共施設のあり方について最も重要な点は、無理・無駄・ムラなく質量ともに充実した市民サービスが提供されることです。第二に、市全体の施設行政、地域振興の見地からバランスが保たれているといえるかです。そして第三には、行政・市民・利用者にとって大きな魅力のある施設化が推進されているかが重要です。

 以上の観点から、福津市が全ての部署を福間庁舎へ集約する庁舎統合について考えますと、(1)カルチュア・コンビニエンス・クラブを指定管理者とする「津屋崎図書館」の新設(2)「海洋・歴史文化館」の建設(3)「ボランティアセンター」の開設――の三つの用途での活用を要望します。

 事業者・行政・利用者にとっても大きな魅力のある複合施設化の推進を図るのが、津屋崎庁舎の「公共施設のあり方」として望ましく、津屋崎庁舎跡に整備する「津屋崎図書館」と「海洋・歴史文化館」、「ボランティアセンター」の三つを核とする複合施設は、地域経済の浮揚、賑わい拠点としても期待できると考えられるので、ぜひとも実現させていただきたい。

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2013年11月15日〈エッセー〉021:「津屋崎庁舎再生整備計画策定審議会委員」落選す

2013-11-15 19:23:50 | エッセー

 

写真①:旧福間町との合併後も旧津屋崎町内で行政窓口として使われている福津市・「津屋崎庁舎」

 

・連載エッセー『一木一草』

 第21回:2013.11.15

 「津屋崎庁舎再生整備計画策定審議会委員」落選す

 福岡県福津市が市民らから2名公募した「津屋崎庁舎再生整備計画策定審議会委員」に津屋崎地区在住一市民として意見を述べる場を得たいと11月8日応募したところ、15日に小山達生市長名で「応募者が公募による委員枠を超えたため、選考会を開催し、選考もれとなりました」と通知する封書が拙宅に届きました。

 福津市は、福間・津屋崎庁舎に組織を分散して配置している分庁方式を改め、全ての部署を福間庁舎へ集約する方針で、津屋崎庁舎の活用方法に関する意見を募集し、「津屋崎庁舎再生整備計画策定審議会」で活用方法(再生整備計画)について審議する方針。市民らから公募の2名については、市内在住か通勤している成人とし、「公共施設のあり方について」をテーマとした小論文(8百字程度)を提出し、選考するとしていました。

 委員公募について、福津市行政経営企画課(福間庁舎)では、公募以外の委員については建築家や郷づくり協議会長らを予定しており、審議会の委員長は互選し、12月から4か月程度審議会を開催するという。一般に、選任された委員と委員長の顔ぶれで審議会の結論の方向が決まるので、今後の審議会の人選を注視したい。

 落選した私の小論文は、次の通りです。

論文テーマ「公共施設のあり方について」

  公共施設のあり方について最も重視すべきは無理・無駄・ムラなく質量ともに充実した市民サービスが提供されることである。第二に、市全体の施設行政、地域振興の見地からバランスが保たれているといえるか。第三に、行政・市民・利用者にとって大きな魅力のある施設化が推進されているかが重要である。

 この三つの観点から、福津市が全ての部署を福間庁舎へ集約する庁舎統合について、検討する。第一の観点から見ると、津屋崎庁舎にある住民票、印鑑登録など「市民課市民サービス係」業務は、市民の日常生活の利便上欠かせないため、福間庁舎に移転後も津屋崎庁舎に残すのは当然であろう。

 宗像市では、合併した旧玄海町地区に古文書、歴史関係書籍を集積した宗像市立図書館深田分館を併設した歴史博物館「海の道むなかた館」を建設、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」のガイダンス資料を展示、ボランティアガイドも常駐させ、観光客の来館も増えている。近くに建設した「道の駅むなかた」とともに地区の賑わい拠点施設として成功しており、津屋崎地区の振興施設の在り様に大きな参考事例ではないか。

 津屋崎地区は、津屋崎古墳群、宮地嶽神社、津屋崎千軒、勝浦・白石浜・津屋崎浜・宮地浜の海水浴場を抱えており、アカウミガメを始め絶滅危惧種の宝庫ともいえる豊かな自然環境で知られる。福津市の文化・歴史・観光の中心地として整備するのが相当と思われる。

 平成23年1月に福津市が行った庁舎統合に関する住民意向調査では、統合後の空き庁舎の活用方法について、「図書館」「歴史資料館」「美術館」としての活用を望む回答が寄せられている。以上の点から、津屋崎庁舎は自然と歴史、文化資料を収蔵展示する海洋・歴史文化博物館として学芸員を配置し、図書館機能とそばの市立文化会館と共用できるカフェを併設した「海洋・歴史文化館」を核として建設、観光ガイドの発着、中継地やボランティアセンターとしても活用、市民の会合、イベントスペースも設け、再生整備することを提案したい。

 平成25年4月に改築オープンした佐賀県の「武雄市図書館」を訪ねたところ、レンタル販売店大手チェーン「TSUTAYA」を運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブが指定管理者となっていた。蔵書数20万冊、年中無休、午前9時ー午後9時の開館で、5月1日には来館者が10万人を突破し、指定管理料も年間1億1千万円で、旧館時代の運営費の約1割減の成果を挙げている。「海洋・歴史文化館」の管理運営にも、武雄市図書館のように民間の指定管理者を導入、事業者・行政・利用者にとっても大きな魅力のある複合施設化の推進を図るのが、津屋崎庁舎の「公共施設のあり方」として望ましく思われる。

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2013年10月26日〈エッセー〉020:長編ドキュメンタリー映画「まちや紳士録」

2013-10-26 17:28:34 | エッセー

 

写真①:記録映画「まちや紳士録」PRチラシの表

 

・連載エッセー『一木一草』

 第20回:2013.10.26

長編ドキュメンタリー映画「まちや紳士録」

 福岡県八女市福島に残る歴史的な町家を保存、修理・再生させようとする人々を描いたドキュメンタリー映画、「まちや紳士録」のマスコミ試写会が、10月17日に福岡市内であり、私も鑑賞の機会を得ました。

  この記録映画は、「まちや紳士録」製作委員会(牛嶋幹代表)が製作。株式会社グループ現代(東京)の制作で、川井田博幸プロデューサー、伊藤有紀(ゆうき)監督(34)作品。上映時間88分の長編です。PRチラシ=写真①=には「八女市福島 歴史と伝統の町。そこにはルーツと向き合い、未来につなげようとする人々がいた」とあります。

  八女市福島地区は2002年5月、国の重要伝統的建造物群保存地区に全国で61番目に選定。記録映画は、江戸時代から商家町として栄えた歴史的町並みを地域固有の文化遺産、市民共通の財産として後世に伝え残そうと、日夜努力している同地区の先駆的な取り組みにスポットを当て、2012年6月から13年8月まで撮影を重ねて完成しました=写真②=。

  

写真②:記録映画「まちや紳士録」チラシの裏

  伊藤監督が妻と福岡から八女福島の町家に移住し、自らカメラを持って家族の暮らしぶりも撮りながら、元八女市職員で町並み保存運動を牽引してきた北島力・NPO法人八女町家再生応援団代表や、一級建築士として伝統建築の改修工事の設計に携わる中島孝行・NPO法人八女町並みデザイン研究会理事長の仕事ぶりをカメラで撮り続けました。茨城県に住む若い梅木隆さん一家3人が、八女福島の町家に移住する過程を丹念に追いかけます。

  そんな古い町並みの暮らしで、ほっとする町家の空間や互いに思い合い、助け合う住民のつながり、伝統や文化、大工、左官など職人たちの建築技術などの素晴らしさが浮き彫りになります。

 高度成長時代にスクラップ・アンド・ビルドという価値観で、日本の原風景である多くの町並みが破壊されました。経済の論理、開発の波から取り残された町並みは、バブルがはじけて低成長時代が続く今、輝きを取り戻そうとしています――と映画を通じて北島さんは訴えています。

 人間関係が希薄になった現代社会の中で、八女福島の古民家を修理して住み、家と暮らしを代々つなぐ人たちを活写したこのドキュメンタリー映画は、命や伝統、木の文化と家(町家)を日本の心とともに繋いでいくことの大切さを、私達に見直すよう迫ってきます。

 マスコミ試写会は11月14日(木)午後7時30分から福岡市博多区上川端町の「冷前荘」でも開催。12月7日(土)からは、同市中央区那の津の「KBCシネマ」で13日(金)まで連日午前10時から1回上映されます。全国に先駆けてのモーニングショー公開で、入場料は一般1800円、学生1500円、シニア1000円。2014年2月には、東京・渋谷のイメージフォーラムで劇場公開されます。

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2011年2月24日〈エッセー〉018:『生命をとらえなおす』

2011-02-24 07:13:07 | エッセー


写真①:福岡伸一さんの講演会『生命をとらえなおす』のポスター

・連載エッセー『一木一草』

第18回:2011.02.24
 
分子生物学者・福岡伸一さんの講演会
生命をとらえなおす
3月5日(土曜)、福岡市のアクロス福岡で開催

 NHKのテレビ番組で、よく視聴しているのが、趣味の園芸「やさいの時間」(教育テレビ・日曜午前8時―同25分放送)と、「いのちドラマチック」(BShi水曜午後9時30分―同59分、BS2木曜午後8時30分―同59分放送)です。「やさいの時間」は、“誰でも簡単に育てられる野菜づくり”のハウツーをわかりやすく紹介する講座で、だじゃれ好きの藤田智講師(恵泉女学園大学教授)が、歌手の西城秀樹さんらに教えるのを楽しく学べます。東京でディレクターをしている娘が番組作りに関わっているので、見始めました。

 「いのちドラマチック」は、約38億年前に誕生した「生命(いのち)」が、品種交配、遺伝子組み換え、クローン技術による生命操作の発展などで進化し、新たなステージに突入していることから、「ヒトがつくった"いのち"」の誕生でもたらされた恩恵や感動のドラマを伝え、自らが生み出した"いのち"とどう向き合うかを学ぶ番組です。劇団ひとりさんと、井上あさひアナウンサーが司会し、生物学者の福岡伸一さん(青山学院大学理工学部教授)がコメンテーターとして、分かりやすく解説し、生き物とヒトとの関わり方を問いかけていきます。

 福岡さんは、"いのちとは何か?"をテーマにした著書『生物と無生物のあいだ』が科学書としては異例のベストセラーとなり、サントリー学芸賞を受賞、新聞各紙で紹介されています。幼いころは、昆虫採集が好きだった私と同じ"昆虫少年"だったそうですが、いまや気鋭の分子生物学者として人気の教授です。

 その福岡さんの講演会=写真①=が、3月5日(土曜)午後1時30分から3時30分(開場午後1時)まで、福岡市中央区天神1のアクロス福岡イベントホールで開催されます。日本で最初の婦人記者・羽仁もと子が創刊した月刊雑誌『婦人之友』(婦人之友社)の愛読者で組織、健全な家庭からよりよい社会を創りたいと活動している「全国友の会」の創立80周年を記念し、「福岡友の会」が婦人之友愛読者会『生命をとらえなおす』と題して主催するもので、福岡県教育委員会、福岡市教育委員会、朝日新聞社、西日本新聞社、婦人之友社が後援。入場料千円(自由席)。入場券などの問い合わせは、福岡市中央区小笹1-7-4、「福岡友の会」(℡・Fax092-531-6607=月曜日~木曜日10:00~15:00。ホームページhttp://www1.bbiq.jp/fukuokatomonokai/index.html)へ。

 福岡さん=写真②=が、講演の中で、生物多様性や口蹄疫、鳥インフルエンザなど、いま話題の事象についても触れられるか、興味深く、講演会を楽しみにしています。


写真②:福岡伸一さんの顔写真・略歴も掲載した講演会『生命をとらえなおす』のチラシ

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2010年1月31日〈エッセー〉017:『坂の上の雲』で脚光の津屋崎に「志」を

2010-01-31 06:47:13 | エッセー
写真①:東郷平八郎元帥が揮毫した8文字が彫られた〈日本海海戦紀念碑〉(左下側面に元帥肖像のブロンズ製レリーフ)
=福津市渡の東郷公園で、2006年5月14日撮影

・連載エッセー『一木一草』

第17回:2010.01.31
 
『坂の上の雲』で脚光の津屋崎に「志」を

 NHKが09年11月から放映を始めたスペシャルドラマ『坂の上の雲』で、津屋崎が、脚光を浴び始めました。福津市渡の大峰山山頂にある旧日本海軍連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥にちなんで建設された「東郷公園」や、本木雅弘が演じる主人公の一人、連合艦隊参謀・秋山真之(さねゆき)の書簡も展示されている「東郷神社」には、来訪者が相次いでいます。

 連合艦隊が明治38年(1905年)5月27日、世界最強とされていたロシアのバルチック艦隊を撃破し日露戦争を勝利に導いた日本海海戦のとき、当時18歳だった地元の獣医安部正弘さんが、標高114㍍の大峰山山頂で、両軍艦隊が放つ砲声が響いてきたのを聞き、壱岐の方から黒煙が何本も上がったのを目撃。岳父の伊地知弘一さんが明治初期、東郷元帥とイギリスのロンドンに留学した仲で、のちに日本海軍の戦艦〈高千穂〉艦長の大佐となったこともあり、安部さんは戦後、上京して東郷元帥を訪ね、親交を結ばれました。

 その後、私財を投げ打ち、全国に寄付も募って、地元有志で組織した〈日本海々戦偉績保存会〉が昭和9年(1934年)6月27日に東郷元帥を顕彰しようと、山頂に〈日本海海戦紀念碑〉=写真①=を建て、約千平方㍍の東郷公園を造営したという。〈日本海海戦紀念碑〉は、連合艦隊の旗艦・三笠の艦橋をかたどってあり、勝利の日の明治38年5月27日にちなみ、高さ38尺(11.4㍍)、幅5尺(1.5㍍)、マスト27尺(8㍍)。碑の8文字は東郷元帥の揮毫です。

 安部さんは、「日本海海戦で負けていたら、今の日本はなかった」として、大峰山中腹に東郷元帥を祭神とする「東郷神社」を建立。毎年5月27日に春の例祭が行われています。 境内には、入館料100円で観覧できる〈宝物館〉(宝物殿)=写真②=があり、東郷元帥の書や元帥を崇敬した秋山真之らの書簡、旗艦・『三笠』の模型など多数が展示されています。

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写真②:海軍将校らの遺品や旗艦・『三笠』の模型などが並ぶ〈宝物館〉の展示室
      =「東郷神社」で、07年2月15日撮影

 09年のNHK大河ドラマ『天地人』では、「義」がテーマとして注目されましたが、今年は『坂の上の雲』の放映で真之らの「志」が注目されそうです。『坂の上の雲』で脚光を浴びた津屋崎が観光目的の来訪地になるだけでなく、今の日本人に求められている「志」にも思いを寄せる機会の場となってほしいと思います。
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