とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2021第4回熊野古道ジャーニーマラニック:大辺路編その1-1日目(紀伊田辺~紀伊富田)

2021-03-22 22:01:57 | 熊野古道
先週に続いて、再び熊野古道だ。前回、伊勢路を終了したので、今回から大辺路が始まる。

新大阪から、初めて特急くろしおに乗り、紀伊田辺駅で下車する。和歌山県の海岸部は一度も行ったことがなく、初めての場所がこれからずっと続くことになる。紀伊田辺市は、“武蔵坊弁慶”ゆかりの地として、“弁慶産湯乃井戸”や“弁慶松”などの多くの史跡や伝承が残されている。駅前の大きな弁慶像の前で集合写真をとってスタートする。


駅から数分で闘鶏神社入り口に到着する。


鳥居の下には、熊野参詣道(大辺路)の大きな石碑がある。


闘鶏神社に参拝していく。


闘鶏神社の名前の由来は、源平合戦の時、武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当湛増(たんぞう)が、社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したことからといわれている。神社の境内には、その謂れをモチーフにした像が立っている。


舗装道路をしばらく進むと、大潟神社に着く。社伝によると、欽明天皇10(520)年の頃の創建とあるが詳細はわからず、最も古い「田辺村々・瀬戸・神社書上」(慶安2年)に記されていることから、慶安2(1649)年以前の創立であることは確かだという。明治維新の神仏分離の動きの中で、明治元年9月、大潟宮(大潟神社)と改称されたそうだ。




沿道では、既に桜が満開となっていた。


ところどころ古道の面影が残る道を進む。


要所要所に「大辺路」の案内看板が立っているのでわかりやすい。


JRの線路をまたぐ跨線橋が見えてきた。


櫟原(いちはら)神社に立ち寄る。旧諏訪神社、梅田神社、厳島神社、岩崎神社の4社を合祀して櫟原神社になったという。




山王橋(さんのうばし)が見えてきた。


山王橋は潜水橋(沈下橋)のひとつだ。かつては木製の橋で流失していた橋を、高知県の四万十川に架かっていた沈下橋を参考にコンクリートの潜水橋にしたという。


厳島神社の前を通過。


保呂の虫喰岩。この岩壁は田辺層群上部層の厚い砂岩と礫岩の地層からなり、礫岩の部分に「虫喰い」風化がよく見られる。


岩壁には多数の凹みが蜂の巣状に密集している。この蜂の巣状の風化はタフォニと呼ばれ、地層中の塩類の溶解と析出によってできたと言われている。


平間神社前を通過。


魚藍観音。大きな魚に乗った観音像だ。富田川に棲息し人々の生活の糧となった魚類の供養とその子孫の繁栄を願って建立されたものだという。


日(にち)神社まで来た。日神社は、仁安2年(1167)吉田少将範秀が伊勢神宮の分霊を奉斎したのにはじまるといわれるそうだ。ここまでで、1日目の大辺路は終了だ。


富田橋を渡り、紀伊富田駅からJRで白浜駅に向かう。白浜駅から1.5キロほど歩くと、この日の宿となるパンダヴィレッジに到着する。


和歌山のアドベンチャーワールドといえば、パンダで有名だが、この「パンダヴィレッジ」というホテルでは、25頭の個性的なパンダドームがお出迎えしてくれる。この日は、パンダドームに宿泊だ。


参考1.1日目のコースマップ


参考2.1日目の高低図&コースタイム


「2021第4回熊野古道ジャーニーマラニック:大辺路編その1-2日目(富田坂・仏坂)」に続く。