とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

隠岐の島ウルトラ 3日目

2010-06-24 22:37:54 | マラソン
3日目は、隠岐の島半日観光コースに参加した。参加者の皆さん、足を引きずりながら元気に参加していた。私も、バスの乗り降りがきつかったが、リハビリのため頑張って参加する。ただ、バスの揺れが心地よく走行中は何度も睡魔に襲われた。

先ず最初に寄ったのが「佐々木家住宅」。西郷町の釜地区にある隠岐最古の木造住宅である。1836(天保7)年に建てられた母屋は、杉皮葺き、石置き屋根の切妻平屋建てという趣のある建物で、二重天井や太い大黒柱など、隠岐古来の民家の伝統を残し、国の重要文化財に指定されているそうだ。管理人のおじさんの面白い解説を聞きながら、邸内をぐるっと見学した。



次は、「白島海岸」。島後の北端にある白島崎を中心とした海岸で国の名勝及び天然記念物であり、大山隠岐国立公園に属する景勝地だ。白島海岸という名は海岸を構成する岩石が白いためについたようだが、伝説によるとたくさんある島を数えたら、百に一つ足らない九十九だったから白という文字を使ったのだという。こっちのほうが、記憶に残る名前になりそうだ。天気が今ひとつで島がはっきり見えなかったが、晴れていれば島に生い茂った松の緑、岩の白、海の青のコントラストが美しく、素晴らしい景観だっただろう。



3番目に寄ったのが、「水若酢神社」。ここの、主祭神は水若酢命(みずわかすのみこと)である。水若酢命は海中から伊後の磯島に上られ、山を越えてこの五箇村の里に入られ、国土開発、北方防備の任に就かれた神だと伝えられている。


また、水若酢神社の本殿は、「隠岐造り」と呼ばれる建築法で造られている。出雲大社、春日大社、伊勢神宮のいいところを採り入れて、独自の工夫を凝らしたものらしい。確かに、出雲大社や伊勢神宮で見たような感じの造りだった。


水若酢神社の隣には「隠岐郷土館」がある。この建物は、明治時代に郡役所庁舎として建造されたもので、現在は隠岐島民の生活遺産を収集保存して展示している施設である。明治の建物らしくレトロな雰囲気が歴史を感じさせてくれた。


また隠岐では、慶事があった時のみに隠岐島挙げて徹夜で相撲を行なうことがあるらしい。これを隠岐古典相撲といい、勝負のしこりを後に残さないように勝負は1勝1敗の引き分けで終わることになっているそうだ。立派な土俵が、水若酢神社のなかにあった。


そして、ここは50キロのスタート会場でもあった。


最後は、「玉若酢命神社」だ。御祭神は、玉若酢命(たまわかすのみこと)である。玉若酢命は、隠岐国を統治した「大酢別命」の御子と伝えられ、隠岐島開拓の神と伝承されている。


ここの境内には、「八百杉(やおすぎ)」という樹齢千年以上と伝えられる杉の巨木がある。伝説では、若狭国(福井県)から渡ってきた「八百比丘尼(はっぴゃくびくに)」が植えたものとされ、八百比丘尼が、植樹より八百年後に再度訪れることを約束したので、「八百杉」の名がつけられたと伝えられている。樹齢千年以上というだけあって、枝を支える支柱の木が痛々しい。これだけの樹を保存するのは地元の労力があってこそだろう。


玉若酢命神社の鳥居の脇に、なんと水木しげるの妖怪のモニュメントがあった。隠岐の島まで延長された水木しげるロード内にある8つの妖怪の一つである「妖怪No.2 琵琶ぼくぼく」だ。隠岐の島には、水木しげるのルーツとされる「武良郷」という集落があるそうだ。水木しげるファンとしては、ぜひ他の妖怪モニュメントも見てみたかった気がした。100キロのコースを走っているとき、「武良まつりで踊る水木先生」という看板があったので気にはなっていたのだ。


半日観光が終わると、後は帰路に着くだけだ。昼食を、スタート地点前のレストランで済ませ隠岐空港に向かった。隠岐空港には、大会のスタッフが来てくれ大きな垂れ幕の前で記念写真を撮る。


帰りの飛行機は無事飛ぶのだろうかという不安もあったが、天気は問題なく無事伊丹空港に着陸。そして、無事帰宅。あっという間の三日間だったが、いい旅であった。隠岐の島ウルトラマラソン、食べ物、応援、景色と三拍子揃った本当にいい大会である。