とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2014熊野古道:熊野速玉大社から高野坂へ

2014-11-05 23:08:16 | 観光
熊野川の川下りを終え、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)に向かった。川原から少し上がったところに速玉大社がある。




熊野速玉大社は、熊野三山の一つで熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。熊野速玉大神は、伊邪那岐神(イザナギノミコト)、熊野夫須美大神は伊邪那美神(イザナミノミコト)とされる。もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれている。神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼び、現在の新宮という地名もそこから来ているようだ。まずは、拝殿に参拝する。




境内には、御神木「梛(ナギ)」がそびえている。樹齢千年のナギの大樹は熊野権現の象徴として信奉篤く、古来から道中安全を祈り、この葉を懐中に納めてお参りすることが習わしとされているそうだ。


これはお土産屋だが、この辺りでは古来から伝わる川原屋という造りの折り畳み式の家屋である。建物の各材をすべてはめ込み式にしていて、 釘1本も使っていない。これは、年に 5 ~ 6回あるといわれる不時の洪水の際、短時間で家を折り畳み、高い場所に一時避難し、水が引けばまたもとの場所に戻って家を建てる必要から生まれたきわめて簡便な住宅だ。全国でここだけにしかなく、八畳の建物が基本で、継ぎ足せばさらに広いものにもできるそうだ。


速玉大社を出るとお昼となり、新宮駅前で昼食とする。そして、いよいよ熊野古道中辺路の仕上げのコースに入っていく。しばらくは、市街地の中を歩くので古道らしくない。さらに歩くと中国風の建物の前に来た。徐福公園と名付けられたこの場所は、今から二千二百年ほど前、中国を統一した秦の始皇帝に仕え、その命により、東方海上の三神山にあるという不老不死の霊薬を求めて三千人の童男童女を引き連れ、この熊野に渡来したと伝えられている徐福を記念して整備されたという。


市街地から松林の中を抜けると、堤防に出た。ずっと先まで熊野灘の海岸線が続いているのが見える。


堤防が切れると、砂浜に下りて歩くことになった。




波しぶきが大きく、打ち寄せる度に白い白煙が高く上がっている。


時折、JR紀勢線が通り抜けて行く。電車に乗っている人たちからも波打ち際を歩いている我々が良く見えていたことだろう。


大きな岩山が見えてきたところで浜辺歩きは終わり、水路から線路の下をくぐっていく。


階段を上がるとトイレがあり、熊野古道高野坂(こやのざか)の入り口となる。


JR紀勢線の線路沿いに少し歩くと山林に入っていく。やや急な登り坂となり、いろんな植物や複雑な形をした木の根がおもしろい道が続く。




お地蔵さまや、五輪塔などを見て、金光稲荷神社を過ぎると展望台入口に出た。畑などもあり地元の人たちの生活の場所でもあるようだ。展望台方面に進むと、海に向かって視界が開け熊野灘が一望できる場所に出た。高野坂では、一番の絶景ポイントだ。




展望台から引き返すと、下り坂となり、熊野古道らしい石畳の道が続く。ただ、相変わらず小雨が降り続いており、石畳は滑りやすいので慎重に下る。




小川の横を歩いていくと、高野坂の終点となる。そのまま小川に沿って歩き、三輪崎駅まで歩いて休憩とした。当初の予定では、さらに歩いて那智駅まで行く予定だったが、この先は国道歩きで古道の雰囲気はあまりなく、つまらなさそうだったので、そのまま三輪崎駅で電車に乗り那智駅まで向かった。

那智駅で、置いてあった車に乗ってこの日の宿である那智勝浦の民宿に向かった。

「2014熊野古道:ホテル浦島大洞窟風呂」に続く。