とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2013猿投山登山「後半」

2013-01-27 12:59:20 | 山登り
昼食を終え、再び尾根道に戻り下山を始める。展望のいい場所からは、渥美半島、知多半島や伊勢湾が遠くに見えていた。


雲興寺方向に30分ほど下ると赤猿峠に出る。赤猿峠をぐっと左にまがり、沢沿いに道を下っていく。


しばらくは、沢の流れ跡なのか登山道なのかよく判らない道を下っていくと、登山道らしき道が見つかりそのまま進む。やがて広い林道に出る。だが、この林道は凄いことになっていた。地面や岩が大きくえぐれ、アドベンチャーレースに出てくるような荒廃した道になっていた。しかし、いたるところにタイヤ痕があり、オフロードバイクや四輪駆動車が通過したような形跡があった。しばらくするとバイク音が鳴り響き、一台のオフロードバイクが走ってくるのに出会った。そういう趣味のある人たちの中では、有名な林道らしい。




荒廃した林道が終わるころ、沢沿いに小さな水の流れを見つけた。


そろそろ猿投七滝があるらしいが、まさかこれはその滝ではないよねと話していたら、その先に看板があって「血洗いの滝」と書いてあった。謂れでは、猿投神社の祭神である大碓命が毒蛇に噛まれたとき流れ出た血を、この滝の水で洗い流したことによるそうだ。


ネットで、事前に「猿投七滝」の情報を見ていたが、無理やり七滝にしてしまったような滝が多いと書いてあったので、なんとなく納得する。それでも、七滝全部を見ていこうと沢沿いに進んだ。しばらく行くと「②二ツ釜滝」の標識を見つける。二つの水の流れが滝壺に落ちていた。かつては滝壺も二つに分かれていたのだろうか。


以後、滝を巡る遊歩道を歩く。苔むした道が続くが、しっかり整備された道になっており夏場にくると涼しくて気持ち良いだろうなと感じた。


3番目は「白霧滝」。水量が多いときは、白い霧でも立ち込めるのだろうか。


4番目は「千鳥滝」。


5番目の「白菊滝」は「千鳥滝」のすぐ近くにある。木が邪魔で、よく見えない。




6番目は「乙女滝」。今まで見てきた滝の中では、もっとも見ごたえのある滝だ。


遊歩道には、東屋もあり静かで自然観察にはいい場所である。冬だからなのかもしれないが、ここまで歩いてくる人は少ないようだった。思ったよりいい遊歩道である。


遊歩道の最後には、「猿投山の球状花崗岩」がある。猿投山を形成する花崗岩の一種に黒雲母花崗岩があり、その結晶の球状花崗岩は菊花の花弁のように見え、別名「菊石」と呼ばれている。広沢川の河床にこの菊石を見ることができるのである。


河床を拡大したもの。うっすらと丸がいくつも現われており、菊のように見えないこともない。


遊歩道が終わると大きな看板があり、猿投七滝の絵がかいてあった。「血洗いの滝」に行く前にこの看板があったらよかったのだが、逆からだったので仕方がない。


看板を見ると、「男岩」という岩が書いてあったので、どこにあったのだろうかと、もう一度戻って探しに行った。実際探してみたが、あんまりはっきりした岩はなく、多分これがそうかなという岩が、菊石の近くにあった。看板にも?マークがついていたので、無理やり名づけたような岩のようだ。


土砂崩れ防止の為、せき止められた沢には池のように水が溜まり、立ち枯れた木の景観がまるで上高地の大正池のように見えた。


猿投七滝の看板には、7番目の「広沢大滝」への道はなく、まぼろしの滝のような表現になっていたので、7番目の滝を見ることはできないのかとガッカリしていたのだが、林道を歩いていくと、ひょっこり⑦広沢大滝の標識が現れた。これは、見ずにはおれないと標識を頼りに沢に下りていくと、「広沢大滝」が眼前に飛び込んできた。さすが、大滝というだけあって見ごたえのあるいい滝だった。猿投七滝の看板は古すぎて、その後、広沢大滝への道も整備されたのであろう。




無事七滝めぐりを終えると、広沢神社前に出る。学問と医薬を司る神として信仰のある小名彦命を祭神として祀っている神社である。小名彦命は出雲大社の祭神大国主命とともに国を作り固めた神でもあるそうだ。


広沢神社の先はY字路となり、左手の猿投神社方面へ進む。のどかで気持ちのいいハイキング道となり、里山歩きを堪能できる。途中には、町で整備した「猿投里山」という場所があり、休憩小屋や自然観察施設が建てられていた。春や夏になれば、多くの花が咲きみだれるような場所のようだ。


東海環状自動車道の下を歩く。


猿投神社の近くに安置されている薬師如来で、眼疾諸病の仏様として多くの信者の参拝があるという洞薬師。青い涎掛けがかけられた仏様を見るのは初めてだ。


やがて、スタート地点の猿投神社に到着する。大碓命を主祭神とし、大碓命の父の景行天皇、祖父の垂仁天皇を配祀するという歴史ある神社だ。




最後に、猿投神社に参拝して登山の無事を感謝した。


ここの神社では、古来より「左鎌」を奉納して祈願する習慣があるそうだ。由来は不詳であるが、古老の伝によれば、双生児は一方が左利きであり、祭神・大碓命は小碓命(日本武尊)と双生児であったので左利きであるとされ、大碓命が当地の開拓に使ったであろう左鎌が奉納されるようになったという。


現在では、左鎌をかたどった板が数多く奉納されており、豊田市らしく、ほとんどがトヨタ関連の会社の安全祈願の絵馬であった。


車に戻ったころ、一段と吹雪となり寒波が押し寄せてきたようだった。ぎりぎりセーフで寒さから逃れ帰宅となった。低山ながらも登山者は多く、この辺りでは人気の山のようである。トレランの練習のような人たちも数多く、同行者たちも刺激されて走りたかったようだ。