とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

「私のなかの良寛さま」酒井 大岳(さかい だいがく)さん

2012-06-07 00:03:23 | 社会人大学
今年第2回目の社会人大学の講師は、群馬県長徳寺住職である酒井 大岳さんだった。昭和10年生まれの曹洞宗の禅僧であり、今年で77歳になるという。僧侶ということで何やら佛教に関わる難しい話だったら眠たくなるかなあと思っていたが、のっけから落語のようなオチがある話で始まり、会場の空気をうまく掴んで最後まで飽きることなく聞くことができた。

どんな話だったかというと、まず最初は、こんな話だ。
「月日のたつのは早い」という言葉があるが、昔はそういう言葉はなく「光陰矢の如し」と言っていた。
なんで、そう言うようになったかというと、ある時、月と日と雷が一緒に旅をしていたという。
やがて、宿に泊まり眠りについたが、雷のいびきが凄い。
たまらず、月と日は、雷を宿に残しさっさと旅にたってしまったという。
それで、「月日のたつのは早い」という言葉ができたそうな(本当かいな!)。

これで、一つオチがついた。でも、話はこれで終りではない。もう一つオチがあるのだ。

月と日に置いていかれた雷に宿の主人が、いつ出発するかと雷に尋ねた。
雷は、「そうだなあ。ゆっくりして夕立ちかなあ」。

とまあ、二つ目のオチで終わるのである。

酒井さんは、こんな落語話をして我々の興味を一気にひきつけてくれた。
洒落のある話を、二つ続けることが出来るとどんなにか楽しいという話の一例である。
人生の中で、こんな風に洒落の効いた話を出来るって事はなかなかない。
頭が良くないと、こんな話も出来ないのだが、上記の話をネタの一つとして覚えておくと何かの時に役立ちそうだ。

ついでにもう一つの笑い話。
知り合いの坊さんは、いつも笑顔でみんなに話をして、明るく接していた。
ところが、ある日急に歯が痛くなり、笑顔で接することが出来なくなっていた。
そこで、いい歯医者があるから見てもらったらと、治療を受けた。
すると、さすが腕がいい歯医者である。簡単に治してしまい、元の笑顔が優しい坊さんにもどった。
歯が痛いのが治って、「敗者復活(歯医者復活)」ですね。

とまあ、最初は本題とは違う話から入っていくのだが、これがあるから本題もすんなり聞けるのである。

しかし、本題の前にこんな話もあった。それは、東北の震災にまつわる話だ。
昨年3月11日の震災以来、「寄り添う」とか「絆」という言葉がもてはやされ、よく使われるようになった。
しかし、これらの言葉を被災者は、もっともイヤな言葉として嫌っているという。
そんな言葉で簡単に片付けないで欲しい。
それよりも、実際に現地に来て黙って瓦礫を片付けたり震災の復興を手助けして欲しいという。
震災直後、古着が大量に届いたが「古着なんて着たくない」。
0から立ち上がりたいと思っているのに、古着ではそんな気分になれないという。
自分が、同じような立場になった場合には、確かにそういう気持ちになるかもしれない。
これから東北に行く予定であるが、事前にこんな話を聞くことができてよかった。

酒井さんは、金子みすゞの詩に深厚し彼女に関する著書も多数出しているという。
このあと、CMで有名になった「こだま」の解説をしてくれた。

こだまでしょうか

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
 
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
 
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
 
そうして、あとで
さみしくなって、
 
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
 
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

この詩では、最後に「こだまでしょうか、/いいえ、誰でも。」と締めくくられている。
これは、「誰でも、こだまできる」という意味だ。
つまり、こだまとは、悲しむ人には「悲しいね」と寄り添い、相手の気持ちを自分のことのように感じることが大事だという意味なのである。
今まで、この詩のことを深く考えてみたことがなかったのだが、解説してもらって、なるほど、そういう深い意味があったのだと感心した。
改めて、金子みすゞの詩の素晴らしさを思い知らされた。

もう一つ、「花のたましい」という詩の解説もあり
野に咲く花のほんの一片に対する優しい言葉で綴られた詩に感銘した。
もっと、金子みすゞの詩の話を聞きたかったが、今回は良寛さまの話が本題である。
その後、良寛さまの話が始まった。

良寛さまとは、江戸時代後期の曹洞宗の僧侶であるが、歌人、漢詩人、書家としても知られる。
良寛さまは「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、子供達と遊ぶことを好み、かくれんぼや、手毬をついたりしてよく遊んだという。
ある時、子供達から「凧に文字を書いて欲しい」と頼まれた時喜んで『天上大風』(てんじょうたいふう)という字を書いたそうだが、
現在でもその凧が残っていて、その字が素晴らしいといわれている。
ただ、その字のどこが素晴らしいのか誰もうまく説明できないという。
有名な書道家ですら、うまく説明は出来ないが、人生を積み重ねてある時、ふとこの字を見るとその素晴らしさを実感できるという。
はたして、どんな字なのだろうか?
自分が、その字を見たとき、その素晴らしさを感じることが出来るのだろうか?
どんな書体で書かれたものなのか、見てみたいものだが、見るのが怖いような気もする。

その後も、軽快な語り口で良寛さまの俳句や詩の解説を聞いた。
また戒律の厳しい禅宗の僧侶でありながら酒を好み、弟子の貞心尼に対してほのかな恋心を抱いていたという話も興味深かった。
77歳にはとても見えない酒井さんの、ほのぼのとした話に時間を忘れ聞き入ってしまった。