とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

大槌町吉里吉里漁港の瓦礫処理と赤浜地区

2012-06-12 21:00:48 | ボランティア
静岡ボランティア協会第3次隊の隊員として向かったのは、岩手県大槌町の吉里吉里地区にある吉里吉里漁港の瓦礫処理だった。私を含めて隊員のほとんどは、三日間とも吉里吉里漁港の担当になった。ただし、数名ほどは足湯隊として、数箇所の仮設住宅に向かい現地の人との交流を行なった。

大槌町吉里吉里地区はJR山田線と国道45号に沿う緩い傾斜地にあり、東日本大震災では最大24mの高さの津波が押し寄せ、国道45号に沿う低地では特に大きな被害が発生している。特に、吉里吉里漁港付近の砂浜のかなりの部分が消失しているという。今回は、ほとんど手付かずになっていたという漁港の瓦礫を一気に片付けて、漁師の番屋を作れるようにするという目的があったそうだ。吉里吉里地区では、300あった漁船のほとんどが流され、海に出ることができない漁師さんが大勢いるという。ワカメやホタテ、カキの養殖施設や加工場も壊滅的な被害を受けており、漁港を整備することで漁師の生活の基盤を作ることに繋がるといえる。

1日目は、漁港の先端部から手をつけることになった。砂利や瓦礫、ゴミを100名以上のボランティアでかき集めきれいにしていく。一仕事終え休憩をしているところだ。


先端部が終り、中央部に入っていく。いたるところに瓦礫やゴミが散乱している。


大きな杉の木が枯れている。枯れている部分は海水を被った部分である。いかに津波の高さが大きかったかがよくわかる。


ゴミがいたるところにあり、まだまだ片付かない。




瓦礫のなかで、S部さんと休憩中。


土が見えてきた。大分片付いてきたのがわかる。




道路に溜まった土砂を片付ける。






漁港全体の瓦礫やゴミを一つの山にまとめたところ。あとは重機でかき集め、別の集積場に運搬することになるのだろう。


それにしても全国の自治体では、放射能に汚染しているかもしれないといって瓦礫の受け入れを拒否している所が多い。受け入れを開始したのは、未だにごく僅かだ。そんな場所の瓦礫を、ボランティアの人々は何も気にせず無我夢中でかき集めている。実際、放射能汚染等まったく問題ないのである。一部の人の声高な意見に自治体が振り回されているような気がしてならない。この大槌町でも、あちらこちらで瓦礫が山積みとなっていた。早く瓦礫を処理して住める町に変えてあげることが出来るよう日本人全体で協力すべきだと改めて強く感じた。

さて、三日目の作業は雨だったが、頑張って片付けたおかげで半日で終了した。昼食をとってから、近くの赤浜地区の様子も見てほしいということでバスでぐるっと回る。公共施設らしき建物。輪郭は残っているが、中身はがらんどうだ。


住宅地だった場所。瓦礫は片付いていて、基礎だけのだだっぴろい場所が広がっている。このあたりに、新築される家もみあたらない。今後の復旧計画が決まっていないことと、同じ場所には家を建てたくないという事もあるかもしれない。






東京大学海洋研究所付属の国際沿岸海洋研究センターの建物。人的被害こそ無かったものの、建物は3階まで津波に洗われ、1、2階は壊滅的状態となっている。


大槌湾沖の小さな島、蓬莱(ほうらい)島には、大小二つの丘があり、島影はひょうたんの形をしていた。小さい方の丘に灯台があり、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島だ。だが、島は津波にのまれ、灯台も流され、ひょうたん形の丘も一部が崩れ落ちた。現在、町内の防災行政無線のお昼のチャイムは、「ひょっこりひょうたん島」のテーマソングが使われている。


大きな瓦礫の山が、町の一角を占めている。






こちらも何もない広場が広がっている。




唯一残った建物も中身は何も残っておらず、無残な骨組みだけとなっている。


今回初めて訪れた大槌町についていろいろ調べてみると、作家・劇作家の井上ひさしの「ひょっこりひょうたん島」や「吉里吉里人」のモデルになっていたことがわかった。小説「吉里吉里人」では、東北の寒村が日本から独立をめざすという物語で、ベストセラーとなり、吉里吉里地区は「吉里吉里国」として井上作品のファンたちに親しまれてきたという。地震と大津波は町を無残な姿に変えたが、生き残った町民は吉里吉里の精神や「ひょっこりひょうたん島」のテーマソングのように結束し、復興に向けて前向きに進んで欲しいと思う。