とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

「石工半世紀」左野勝司さん

2011-10-03 22:32:33 | 社会人大学
先週の社会人大学の記事をアップするのが遅くなった。先週の講師は、高松塚古墳の石室解体工事を手がけた左野勝司さんである。左野さんのプロフィールを紹介しておく。

1943- 昭和後期-平成時代の石工。
昭和18年2月27日生まれ。中学卒業後,国内外の石造文化財を通し独学で石工としての技術を習得。昭和40年左野石材店を創業。53年飛鳥建設の社長。藤ノ木古墳石棺や高松塚古墳石室など,寺院・神社の石造文化財の調査や修理・復元にたずさわる。また,イースター島のモアイ像の修復にもあたった。国内外の石造り遺跡の修復や発掘において独学で技術を開発し,数多くの文化財の保存に尽力したとして,平成19年吉川英治文化賞。和歌山県出身。

石工なんていうと、墓石などを作る石材店のようなことをしているのかと思っていたが、この人が扱う石は、国内外の石像文化財である。石造文化財の調査や修理・復元をおこない、数多くの文化財の保存に尽力したとして賞もとっているという。取り扱う石材は、文化財というだけあって破損させて原型を失ってしまうことは許されない。講演では、高松塚古墳の石室解体工事での貴重な映像を交えて、解体が無事終わるまでの様子を話された。

高松塚古墳は直径約23メートルの円墳である。1972年に「飛鳥美人」と呼ばれる女子群像や四神図の「玄武」「青竜」「白虎」など石室に描かれた極彩色壁画が見つかり、壁画は国宝、古墳は特別史跡に指定された。発見後、壁画は現地で保存されたが2004年、カビなどによる劣化が判明。文化庁は修復保存のため2007年に石室を解体し、古墳近くの施設で壁画の修復を進めることになった。

左野さんは、この壁画の修復に当たり、石室を解体し修復する場所への移動を請け負ったわけだ。まずは、1300年も昔の石材をどのようにして取り上げるかだ。無造作にクレーンで吊り上げたりすると、石が崩れてしまう可能性がある。石を締め付ける荷重はどのくらいでいいのか、冶具はどんな形がいいのか等、様々な研究が事前に行なわれたそうだ。

研究の成果を確認する為に、高松塚古墳と同じ規模の実験場も作ったという。実験場では、カビが繁殖しないよう温度や湿度の調整も行なわれる。実験場で、さまざまなシュミレーションをしたのち、実際の遺跡での発掘調査と解体工事が始まる。石室の石は積まれている場所や壁画があるのかによって、取り上げる方法が変わってくる。根気よく慎重に解体工事が進められた。遺跡の発掘調査と石室の解体修理は2006年10月2日に開始され、全て解体して搬出が終わるまでに半年近くかかったようだ。移動された壁画は、10年間かけて保存修理が行われ、修理完成後はもとの古墳へ戻される予定になっているという。

これらの技術は、簡単に伝承できるものではない。左野さんは、高松塚古墳以外にもイースター島のモアイ像の修復やカンボジア・アンコール遺跡群修復にも携わっているという。まさに石造文化財の取り扱いにかけては、世界でも第一人者といってもいいだろう。日本には、人には簡単に真似できない技術を持っている人がまだまだいるものである。ただ、左野さんによると、最近の日本の若者は根気がないものが多く、日本人よりも純粋で真面目なカンボジア人の石工養成に力を入れているという話はショックであった。このような貴重な技術が日本人に伝承されていかないと技術立国日本というのは過去の話になってしまう。困ったものである。