とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

「落語における悪玉と善玉」落語家 古今亭 志ん輔さん

2011-08-27 21:58:28 | 社会人大学
8月後半の社会人大学は、落語家 古今亭志ん輔さんが登場した。落語家というのは知っていたが、落語会ではなく落語の解説的な話と思って聞きに行ったのだ。しかし、やはり落語家は落語を話すものだ。夏の夜、古今亭 志ん輔さんの独演会で三つの小話を聞かせてもらった。お題は「たがや」「試し酒」「子は鎹」である。町人が武士に刃向かい、武士をやっつけてしまう「たがや」は痛快だが、ハードボイルドな話だ。「試し酒」は、とてつもない飲んべいの話で、最後のオチは多いに笑えた。また「子は鎹」は、文字通り子供が夫婦の絆を結んでくれる温かい人情話だ。笑いを何度も交えながら楽しい時間を過ごすことができた。

ここで、プロフィールを紹介しておく(ウィキペディアより)
古今亭 志ん輔(ここんてい しんすけ、本名:大塚 秀夫(おおつか ひでお)、1953年9月25日 - )は、東京都品川区出身の落語家。落語協会所属(理事)。中央大学附属高等学校出身。出囃子は『越後獅子』。1972年3月に3代目古今亭志ん朝に入門、前座名は朝助。1977年3月に二つ目に昇進。師匠志ん朝の前名古今亭朝太に改名。1985年9月に真打に昇進して志ん輔を襲名した。この年の落語協会の真打昇進は、試験制度による抜擢を受けた桂三木助の26人抜きが話題を集めたが、10人の昇進者中のトップとして三木助と共に9月下席から単独で披露興行を行った。現在、都内定席の高座を務める他、自主興行も開催している。主なものに、「気軽に志ん輔」(お江戸日本橋亭)、「志ん輔の会」(国立演芸場)がある。その他の定期開催では、シェイクスピア作品を土台とした「シェイクスピア落語を楽しむ会」に出演する。1982年4月から1999年3月まで17年間に渡って、NHKの『おかあさんといっしょ』にレギュラー出演、「志ん輔ショー」(当初は「朝太ショー」)のコーナーを担当した。ちなみに、17年間というレギュラー出演は、歴代出演者の中では最も長い期間である。また、バンダイビジュアル制作の子供向けビデオ「のりもの探検隊」の隊長役を2005年までつとめた。

あいさつのあと最初のお題は「たがや」である。
内容は、こんな話だ。

両国橋の上は花火見物の人でいっぱいである。そこへ本所の方から馬に乗った塗り笠の侍。供の侍二人と槍持ちが一人で、花火見物承知で無粋にも橋を渡り始めた。反対の両国広小路の方からやって来た”たが屋”さん。道具箱と青竹の”たが”を丸めて担いでいたが、人々に押されながら橋の中央まで来たがたまらず落としてしまい青竹のたががスルスルと伸びて馬上の殿様の陣笠を跳ね飛ばしてしまう。笠は川の中に落ちて、陣笠の中の土瓶敷きの様なものが残って、鼻から血を出しているので、回りの者に笑われたので殿様はカンカンに怒った。「無礼者なおれ!。屋敷に来い!」、「お屋敷に行ったら首が無いので、親に免じて許して欲しい。」。何度も謝って許しを請うが「ならん!」の一言。たが屋さん‘けつ’をまくって、殿様に粋のいい啖呵で毒づく。殿様、我慢が出来ず、供侍に「切り捨て~ぃ」。ガサガサの赤鰯(サビだらけの刀)で斬りつけるが喧嘩慣れしたたが屋さんに、反対に切り捨てられてしまう。次の侍もたが屋が幸いにも切り捨ててしまう。殿様は槍をしごいて、たが屋に向かうが、せんだんを切り落とされ、たが屋の踏み込むのが早く、殿様の首を「スパッ」。中天高く上がった首に花火見物の人々が「たがや~」。  

とまあこんな話だが、なかなかバイオレンスな話である。殿様とお供の武士を殺してしまった「たがや」のその後はどうなったのであろうか。落語のお題としては、凄い話だなあと思った。

その後は、休憩が入ってから「落語の上下」についての解説があった。聴講者の一人が指名され、ちょっとした役を演じさせられた。落語では、一人でいろんな役を演じなければならない。落語では登場人物を分けて演じる時に、顔を右にむけたり、左に向けたりして喋ることになる。これを「上下(かみしも)」というそうだ。これは歌舞伎でいう上手(かみて)、下手(しもて)と同じだ。「上手(かみて)」とは客席から舞台に向かって右手、左手を「下手(しもて)」という。落語でも「身分の高い人」や「立場の上」のものが喋る時は、上手から下手になる。落語家自身が顔を右にむき「下手」をむいて喋る時は「身分の高い人」になり、「身分の下の人」が喋る時は顔を「上手」にむけて喋る。つまり客席からみて右に顔をむけて喋ることになる。こんな事を覚えておくと落語を鑑賞するとき面白いかもしれない。

二番目のお題は「試し酒」

病気が治った近江屋が、見舞いに来てくれた返礼に坂倉屋を訪ねた。近江屋が、唯一の飲み友達だった坂倉屋は、喜んでお祝いに一献やりましょうと勧めたが、近江屋は、近頃すっかり飲めなくなったと断った。「大酒飲みの近江屋さんが、そんなことはないでしょう。」となおも食い下がった。近江屋は、大酒飲みといえばお供の下男が床上げの際、五升は飲んだと坂倉屋に話した。坂倉屋は、その下男に会ってみたいから、ここに呼んでくれと言う。呼ばれた男は、田舎から出てきたばかりという素朴な男で身体は小さく、坂倉屋は五升の酒を飲むとは信じられない。坂倉屋は、この人には五升は無理だという。しかし、近江屋は、どうしても飲むと言い張るので、二人で飲めるかどうか、賭をすることになった。下男は、「五升と決まった酒を、計って飲んだことがないので、わからねぇだ」という。坂倉屋は、「もし、今ここで、見事五升の酒を飲み干したら、褒美をやる」。それを、聞いて下男は喜んだが、飲めないときは近江屋が坂倉屋をご馳走するということになった。下男は、飲めないときは、旦那が損をする。飲めるかどうかおもてに行って考えさせてくれと言い、しばらくすると下男が帰ってきた。やがて「五升飲む」という賭が始まった。坂倉屋自慢の一升はいる大きな杯で、一升、二升、三升と飲み干して上機嫌な下男が、ついで四升も飲み干した。そして、最後の一升も一気に飲み干してしまう。驚いた坂倉屋は、下男に質問した。「おまえさん。酒のうーんと飲めるまじないか何か知っているんだろう。それを、是非教えてくれと、頼みこむ」。下男は、「そんなものは、何もねぇーだ!」。坂倉屋は、不思議な顔をして「それじゃあ、何だって、おもてに行って考えていたんだい?」。すると下男は、笑い出して「なぁに、五升と決まった酒が飲めるかどうか、わからねぇから、さっきおもての酒屋で、五升飲みに行ってきたんだ」

とまあ、こんな話である。志ん輔さんの一升の酒を飲む様が実に上手い。ノド音を立てながらジワジワと飲み干していく様は見事である。本当に酒を飲んでいるように見える。そして、最後のオチはまさかの展開。なるほど、すごい大酒飲みがいたものである。

再び「仲入り」の休憩の後、最後のお題は「子は鎹」となる。

吉原の廓遊びで朝帰りの亭主が、文句を言う女房に対して、家風に合わないから出て行けと怒鳴ってしまった。子どもが「お父つぁんが悪い」というと、これも家風に合わないから出て行けと、二人とも出ていった。独り者になったのをいいことに、花魁の女を引っ張り込んで一緒に住み始めたが、煮炊きも家事も何にもできず、いつの間にか出て行ってしまった。三年が過ぎ、一人住まいの不便さと寂しさで、別れた女房の出来の良さを思い出し、子供にも会いたいと思う。たまたま、学校帰りの子どもに出会い、未だに再婚せず、針仕事で苦労しながら暮らしていることを知る。小遣いを与え、母親には内緒にしろというが、母親に見つかり誰からもらったか言わないと金槌で打つと怒られ喋ってしまう。子供が仲立ちになり、夫婦は仲直りをする。「子は鎹とは、うまいことを言ったもんだ」「わいは鎹か」「それでお母はん、きのう金槌でどつことしたんや」

とまあ、最後は人情溢れるいい話で終わった。