とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

旭山動物園前園長“小菅正夫氏”講演「命のメッセージ」

2009-09-05 14:36:32 | 社会人大学
社会人大学7回目は、今をときめく旭山動物園の園長だった小菅正夫氏の講演だった。一時は閉園の危機に立った旭山動物園を再建し、日本最北にして日本一の入場者を誇る動物園にまで育て上げた人の話とあって、たくさんの人が聴きに来ていた。

小菅正夫氏のプロフィールを紹介しておこう。

北海道札幌南高等学校を経て、1973年北海道大学獣医学部卒業。在学中は柔道に打ち込み、キャプテンもつとめた。本人によると、ここでの過酷な練習であまりにも腕が太くなり、牛の直腸に腕が入らず産業獣医師を断念したという。就職先が見つからず悩んでいたところ、卒業間際になって旭山動物園の獣医師募集を知り応募。獣医師としてスタートした。 著書や雑誌のインタビューで必ず触れる北大柔道部の生活が小菅の原点である。そこで得た組織論が、旭山動物園の改革にすべてぶつけられ、大成功につながった。

講演の内容は、動物の飼育を通して感じた命の大切さについての貴重な話であった。いろんな動物の写真やビデオを交えた興味深い話が続き、時間が経つのも忘れた。動物にまつわる話をいくつか紹介してみよう。

「アザラシ」
とっても好奇心を持っている動物で、動物園での展示はその好奇心を遺憾なく発揮できるような構造になっている。プールの底には6mの円筒状のガラス張りのゾーンが作られ、アザラシはその周りにいる人間を見にもぐって来るそうだ。人間が見に来ているというよりもアザラシがおかしな動物がガラスの向こうにいるのを見に来ているというのだ。人間を観察しているのらしい。だからお客がいないときは、円筒にはもぐってこないそうだ。ビデオでの動きはとても可愛く、実際に見に行きたくなった(見られにかな)。子を産んだばかりの母アザラシは20日くらいまでは子アザラシをしっかり面倒見るが、その後はまったく手をかけないそうだ。好奇心が強いという習性によって採食に導くというのが子育ての基本で、あとは自分で生きていくしかないというは厳しい世界である。

「カバ」
動物園では、カバの繁殖力が強く増えすぎるというので出産制限のためにオスとメスを何年も離れ離れにして飼育していた。離れ離れになった夫婦は隣り合わせで鳴き声を交わすだけの長い別居生活が続いていた。本当は片時も離れたくなかったのであろう。だが、ある時空調機が故障して修理のために同じ部屋に二日間一緒にいることになった。2tから3tもあるカバ同士の繁殖行為はたいへんなことである。小菅氏もまずそんなことはないと思っていたらしいが、誰も気付かないうちに夫婦の愛を確かめあったらしく子供が出来たという。カバの夫婦愛はたいしたものである。

「オオカミ」
家族の絆が強い動物で、子供を生んだオオカミは命をかけてつくす。親は痩せ細っても子供のために餌を運ぶそうである。北海道に昔から住んでいたエゾオオカミは薩摩から北海道に移り住んだ人たちによって絶滅に追いやられたという話は、残念な話である。

「オランウータン」
別名「森の人」というだけあって、最もヒトに近い生き物である。生物学的にもヒト科に属しサルではないのだ。このオランウータンの子育ての様子も興味深い。人が子育てをするというのは本能ではなく、経験とか教えがあってできるという。子供を出産したメスのオランウータンは母親がいなく、子供を育てるという経験もなければ、見たこともなかったのだ。出産した時は、訳もわからずオロオロした様子がビデオで流されていた。飼育係が子供を抱いておっぱいをあげるように教えなければ、すすんで子供を抱くことがなかった。だが、何度も教え経験させることによって子供をしっかり抱きかえるようになっていく。以後、けっして子供をほったらかしにするようなことはなかったという。サルの場合は、本能で子供は親に抱きつき、親もなすがままに子供に乳を飲ます。それに引き換え、ヒトの赤ちゃんは親が面倒見てあげなければ死んでしまう。それがサルとヒトとの違いであるという。

小菅氏の話の中に、命が伝わった瞬間はどんな時だったのかという話があった。子供にウサギを見せて絵を描いてもらう。そして、感想を聞くと一様に「可愛い」と返ってくる。だが、見るだけでなくウサギを抱き上げる等直接体に触れさせてから絵を描いてもらうと絵の内容も幅が出来、感想は「あったかい」「やわらかい」「ふにゃふにゃしてる」といったように多種にわたってくる。これが命が伝わった瞬間であるという。まさしく、動物と触れ合うことによって命があるというのが伝わったのだなと思う。

また、死の重みには差があるという話もなるほどと思われた。人や動物には関係なく、我々の身近な周りで起こる死の瞬間、人の感じる死に対する重み付けは身近な命か遠い命かによって変わってくる。身内や大好きなペットの死は身近だが、見も知らない人の死や路上で死んでいた犬猫の死は遠い命である。気の毒と思っても、やがて忘れ去ってしまう。人が生きていることを実感するのは、大事な命が死んだ時であるという。やはり、身近な人の死というのは、残された人たちにとっては生を感じさせる大事な瞬間なのだと思う。

動物の飼育から得た話であったが、人が生きていくうえでは参考になる。全ての生き物は、他の生き物の命を糧にして生きているのだということを忘れてはいけない。今回も大変貴重な話だった。この講演の話は「旭山動物園園長が語る 命のメッセージ」という本が出版されており、そちらにはもっと詳しく書かれているようだ。