毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
春休み…
一週間目である…。
毎日を隠居爺然として
暇を持て余している(笑)。
カミさんは
毎日、出勤してるが…。
再任用の最終年が
同じ学校になったので、
42年間の教員生活を
悔いなく過ごすつもりなのだろう。
なんだか、退職後は
家でブラブラするつもりなのか、
「あとは、よろしくね…」
と言われてしまった。
トーチャンは
無事、健康で生きてさえいれば、
今んとこ、75歳までは
SCでいられるが…(笑)。
そんなに
働けるんだろうか…と、
思わないでもない(笑)。
でも、何もしないで
ブラブラなぞは
とても出来そうもなく、
仕事でクライエントと
向き合ってるのが
いちばん充実している時間と
感じている。
きのうも
散歩&ランチの"第二弾"で
近所にある「はち兵衛」で
『海老天重』(900円)を
やってきた。
カツ丼・天丼が喰える時は
体調がいい時…と、
勝手に決めてるが(笑)、
きのうは、
最後のカボチャ天に
箸が進まず
ハタリと停まってしまった。
カミさんが
カボ天が好物なので、
紙ナプキンで包んで
持ち帰ろうかとも思ったが、
裏にご飯粒がついてたので
断念して、エーイと
口に放り込んだ。
やっぱし、
まだ、慢性的な
喘息性気管支炎と
プチ風邪っぽいので、
体調がイマイチだったようだ。
*
ナッちゃんが
上京するまでの一月近く
在宅してたので、
カミさんとしてた
夕飯の"ご飯抜き"をやめて
通常食に戻していた。
なので、必然的に
「糖質制限」食餌療法も中断して、
コメの飯をパクパクやってたら、
1㎏ほどリバウンドしてしまった。
なので、
今日からまた(笑)、
制限を再開しよかと
思ってる。
もう、
ランチしたい店も
なくなった。
録画してた
『レッド・サン』を観た。
ウィキによれば、
1971年公開の仏伊西の合作で、
三船とブロンソンとドロン
という3大スターの揃い踏みである。
ジャンルは西部劇。
昭和の公開当時、
電信柱とかに
天然色ポスターが
貼ってあったのを覚えている。
57年生まれなので、
まだ、14歳の中2だった。
タイトルの意味は、
欧米人は太陽を
「黄色/Yellow」で描くが、
日本人は赤で描くというので、
「日本人」の暗喩だという。
たしかに、
西部劇には場違いの
チョンマゲ侍が
袴・裃(かみしも)姿や
フンドシ姿で登場し、
人斬り包丁(日本刀)を
ブンブン振り回すのは
「異色」である。
ヒロインには、
007の初代ボンドガール・
ウルスラ・アンドレスが出ており、
なんと彼女…
『PLAYBOY』誌で
ヌードになってから
強気になったのか
惜しげもなく裸身を
曝け出していて驚いた。
そのセクシーガールも
今や85歳の老婆で
まだ健在のようだ。
いい意味で、
昭和の頃の
レトロチックな
お色気ありの
ドタバタ西部劇であった。
BSプレミアムで
『コロンボ』の
旧作シリーズが終わり、
新作シリーズが始まった。
こちらも、
一通り観たのだが、
あんまり感心したものがなく、
繰り返し見る気にもなれなかった。
なので、
落ちを覚えてるのは、
録画しても観ずに
消去していた。
『だまされたコロンボ』だけは、
見逃したか落ちを忘れてたので、
観て新鮮だった。
ただ、
最後のトリックが
すぐに判ったので、
やっぱり一度は
観てたのかもしれない。
新作は旧作とはコンセプトが
ガラリと変わって、
吹き替えも小池 朝雄でなくなり、
まるで別作品のようでさえある。
二階の旧子ども部屋と
一階の居間の一角に
マンガコーナーがあり、
おそらく一千冊以上は
あるだろう。
別に、アキやナッちゃんが
買い集めたものも
段ボール単位である。
ロンバケ中に
ヒマですることがなくなると、
マンガコーナーから
なにかしらニ三選んで
カウチベッドで
ごろ寝しながら読んでいる。
マンガは「趣味」というより
「パスタイム(気慰め)」
という方が
ふさわしいかもである。
新学期から
すぐに使えそうな
タータンチェックの
モノトーン・ワンタッチ・タイを
800円ほどで落札した。
キッズ用だったので、
首回りがキツめだったから、
ゴムを付け足して
アジャスターで調節した。
ついでに、
使い古して破れた
皮財布の小銭入れの箇所を
縫合した。
ロンバケならではの
身の回り品の
手入れや修復を
のんびりしている感じだった。
きのうは
久しぶりに
8コースのルネッサンスリュートを
念入りに調弦して、
楽譜を拾い読みしながら
音出しをしてみた。
コンサートがないので、
本気で曲に没入して
人に聴かせるべく
練習を詰める
という機会がなくなった。
そのぶん、
のんびりと、
自分の楽しみとして
リュートやピアノを
ポロンポロン弾くのも
春休みの楽しみかもしれない。
3.11被災者として
【人生深生き】
というライフモットーを
得るに至ったが、
コロナ禍の今、
ますます、その感を
強くしている。
よく、
心理のお弟子さんたちには、
「時間」と「時」の違いを
「クロノス」と「カイロス」
と言い分けて教えている。
「時間と無時間」
「変化と定常」
について
思考実験をしてくると
仏教の「諸行無常」という
定説に極まり着く。
中村先生の教えでは、
これを優しく説いたのが、
日本の「いろはうた」だと言う。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
色香の匂うものでも、やがては散る
我が生と思う誰もが、無常である
一切が因縁に拠る現世を超越し
はかない夢を見たり、酔っても詮無い事である
諸行無常
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽
諸行は無常で
是れは生滅の法である
生死を超越した
涅槃に至れば楽に為る
しばらく、
新規店探訪をしてなかったが、
久方ぶりに、近所にできた
「ゆず庵」なる店に
散歩がてらランチに行ってみた。
セットものが
ほとんどで
つまらなかったので、
あえて、『孤独のグルメ』の
悟郎さんみたいに
悩みながら「食べたいもの」を
アラカルトで注文した。
なので、
バラバラと時間差で到着し、
しかも、全部が終わるまで
半時ほどかかり
時間経済的にロスが
多くて不満を感じた。
⁂
初めは
熱々の「カニクリームコロッケ」。
タルタルソースが
久しぶりで佳かった。
続いて、
握り六貫。
色味のよくない鮪、
皮付き鯛、
煮ハマ。
酢飯はよかったが、
ネタはどれも
回転すしレベル。
ここから、
待てど暮らせど
次がやってこなくって、
キョロキョロしてると
おねーちゃん店員が察して
やってきてくれた。
すこしばかり
イラついてたので、
「作ってないんなら
もうキャンセルする」
と伝えると、
すぐに厨房に
すっ飛んで行ってくれた。
そしたら、
ようやく
ウニの軍艦が登場。
この間、およそ20分。
察するに
「えび天軍艦」の
天婦羅に時間が
かかったのか…。
また、
5分ほど間があき、
仕方なく今度は
にいちゃん店員をつかまえて
「作ってないんなら
もうキャンセルする」
と、いささか怒気を含ませ伝えると、
これまた厨房にすっ飛んで行き
「あと1分ほどだそうです」
と申し訳なさげに言う。
「じゃ、待つ…」
と駄々っ子口調(笑)。
鮨9貫に
コロッケ2ケで、
しめて1.661円也。
散歩途中のランチにしては、
ちっと、かかり過ぎだった。
新装オープンとあって、
11時開店なるも
ごった返すような
「密・密・密」状態なので
気持ち悪くなって
早々に退店した。
どのテーブルでも
みーんなセット物を
頼んでいたようだ。
散歩みちの空き地に
可憐なオオイヌノフグリと
ツクシん坊のクラスターがあった。
ツクシを単体で
アップで観ると、
その威容には
感心するものがあった。
いったい誰が
こんな形状をデザインしたのか。
創造者たるものが、
ほんとに、この宇宙に
居るような気がした。
あるいは、
「空即是色」で
「空」なるが故に、
あらゆる「色」
即ち、実体的な形状を
為すことが出来るのかもれしない。
ここに於いても、
井筒先生の
「存在(Being)がツクシしている」
という名言を
思い出した。
庭のレンギョウと
ボケを切って、
今井 理桂さんの
津軽烏城焼に活けてみた。
今井さんとは、
旧「中合」の展示会で
二度ほどお話しをさせて頂き、
津軽人らしい朴訥さと
登り窯伊賀焼の
高度な技術に惚れ込んだ。
先日、
反古紙に書いた「夢」を
色紙表装して
掛けてみた。
学休期間中は、
カミさんは毎日出勤してるので、
自分が毎日、夕飯当番になる。
昨晩は、
ノルウェー・サーモンを
降り塩で半時ほど脱水してから
1時間ほど酢で〆る
江戸前のやり方で
調理してみた。
ウェッジウッドの
『フロレンティーン・ターコイズ』
という銘品に
放射状にドレッセしてみた。
この一枚は、
金光第一高校を退職する時に
グルメ仲間のガッちゃん、
シーさん、シュガーから
フレンチ店でのお別れ会で
餞別として頂いた
大切なものである。
16世紀の
“グロテスク文様”を基に、
ギリシャ神話の
「グリフィン」をモチーフとした
鮮やかなターコイズと
クラシックな絵柄の組合せが
お洒落で高貴さがある。
クライエントの方から
お礼状と共に頂いた
クオカードがツタヤで使えたので、
以前から高くて
買え控えていたロカテルリの
『ヴァイオリン・ソナタ』全集
CD5枚組をやっと入手した。
コレルリに学んだ音楽家である。
同じ頃には、
トレルリというのもいて、
コレルリ、ロカテルリ、
と「ルリ」つながりである(笑)。
今朝の朝刊に、
教員の人事異動欄があり、
カミさんが最後の
「再任用」として
乗っていた。
大学の同級生の
ババっちも校長として
まだ頑張っていた。
ギター部後輩の
ジョージは
校長から「教諭」で
再任用になったので、
大したものである。
その他、
ギター弟子のハッシーや、
心理弟子のR先生、
クライエントのS先生らの
お名前も見つけることができた。
きのうは
新社会人として
東京に旅立つナッちゃんを
朝方、駅まで見送った。
赤ちゃんの頃から
小5くらいまで
ずっとオトーサンの隣で
寝てたので、
ダンゴ三兄弟の中では
いちばんの"父ちゃん子"である。
それが、
大きな荷物を抱えて
黒づくめのスタイルで
「福島駅」から出発していく
後ろ姿を見送って、
いろんな意味で
なんだか感慨深いものがあった。
3.11被災地のフクシマから
コロナ禍で今も緊張下にある
大都会の首都東京に
「建築家」としての第一歩を
歩み始めようとしている。
またしても、
上田三四二(みよじ)の
歌が思い浮かんだ。
おしなべて
味わひ深き人の生(よ)を
歩まんとする
今日より君は
奇しくも、
兄たちのフミもアキも
新年度から新しい
ライフスタイルが
始まろうとしている。
日々のご祈念と共に
「ガンバレ! ダンゴ三兄弟!」
と陰ながら
父親として
エールを送っている。
ナッちゃん見送りの帰りに
その足で主治医の処へ
定期健診に寄った。
そして、
昨年、暮れからの
慢性気管支炎のような症状に
苦しんでいることを伝えると、
「それは、喘息みたいだね」
との診断であった。
「子どもの頃、重症の喘息で
医大に20回も入院して、
肺炎も何度も併発しました」
という生育歴を聞いて、
主治医は
「じゃ、間違いないね」
との事だった。
「小学生で完治したので、
それは全く考えてませんでしたね。
何処かで、喘息というのを
認めたくなかったのかもしれませんね」
と、すこしばかり
ショックでもあった。
主治医に拠れば、
喘息という疾患も
「完治」というより
うつ病や統合失調症のように
「寛解」というようで、
呼吸器系のアレルギー反応は
「体質」として残存しているという。
なるほど…。
たしかに、その通りである。
帰宅後に、ネットで調べても
そのような事が書かれてあった。
完治した小6以降、
長らく、喘息とは縁が切れてたので、
なんだか、久方ぶりに
「旧友」に再会したような
不思議な複雑な心境でもあった。
そういや、
今にして思えば、
高2の修学旅行の時、
京都の旅館で
雑魚寝の大部屋で
みんなでオダッて
枕投げのような馬鹿騒ぎを
したものだから、
そのホコリで喘息の発作を
起こしたことがあった。
突然でもあり、
常備薬もなしだったので、
呼吸困難に苦しみながらも、
付き添い看護婦部屋で
ひとりさみしく寝かされたのを
覚えている。
してみれば、
やはり、主治医の言う通り、
毎年、必ずや芽吹く
フキノトと同じく、
根茎は枯れていず…
「帯状疱疹」みたいに
ある日、突然、
顔を出すのかもしれない。
それと、
いつぞやだったが、
馬鹿な願望で…
(死ぬときゃ、親父様みたいに
ガンで痛み苦しむよりも、
馴染みの呼吸器疾患で
苦しんだ方がいいかも…)
と想ったことがあった。
そういう願望も
自己実現するのかもしれない。
でも、ここ数年の
慢性気管支炎様の
気管閉塞感や咳などは、
小児喘息の時の
呼吸困難発作の比ではないほど
緩慢なものであるのが
幸いである。
耳鼻科医にも
いちど内科で診てもらった方がいい、
と言われた事も主治医に伝えたら、
「それじゃ、レントゲン撮ってみましょ」
ということで、
何年前かの健診以来に撮影した。
子どもの頃は、
何度も真っ白な肺炎像を
見せられたことがあったので
それに比べたらスッキリして
炎症像はなかった…。
従って、
慢性気管支炎が
鑑別除外された。
50年ぶりに
喘息治療薬を処方されたが、
ここ半世紀で
その方面も大分と進歩したという。
中等症以上でも、
メディケーショナル・コントロールで
良好なQOL(生活の質)を
保てるようになってきたようだ。
その主なる治療薬が、
「ブデソニド」と「ホルモテロール」
という聞いたことのない
ステロイド剤と拡張剤を混合した
マイクロ・パウダー吸引薬である。
軽度なので、
一日二回の吸引でいいが、
1回に微量を吸っただけで、
ウソのように胸部不快感が消失し、
あたかも炎症が消えたかのように
呼吸が正常にもどった。
そう。
昔でいう、
『メジヘラー』を
シュッとやった後のような
爽快な気道解放感である。
持続効果も長く
10時間で半減期だという。
これを三十日間やるまでもなく、
数日で治りそうな期待感があったが、
そこはそれ、きちんと
定期吸入をして
気道が線維化する
「リモデリング」を
防止させねばならない。
学部は生物学科だったので、
自らのカラダの
生理学、生化学的な仕組みを
よく理解したうえで
ターゲットにバイオケミカルな
リアクションを起こさせたいと
意識しながら吸入をしている。
近頃、ウィキで
構造式や示性式を確認するたびに、
生体を構成する
四大元素CHON(チョン…笑)によって
クスリも組成されてる事が、
当たり前のようで
不思議な気がしている。
その原子数が何個かで、
物質の組成が変わり
薬効を持つというのが、
当たり前のような…
不思議なような…。
先日、レンタルコミックの
『不死身の特攻兵』の中に、
印象的な見開きがあった。
まるで、
自分に向けて
飛ばされた檄のようにも
思えた(笑)。
オシリ痛や喘息の上に
コロナ禍の閉塞感で
プチデプ(鬱)になると、
ついつい
(もう、死にてぇなぁ…)
と弱気が出て、
周囲にも漏らし
顰蹙を買ったり、
「死ぬ死ぬ詐欺」
と揶揄されたりしている(笑)。
なので、
この見開きには
ちっとばかりドキリとした(笑)。
まるで、
『もののけ姫』での
名セリフ
「生きろ!!」
という
厳粛な命令形を思い出した。
事実、希死念慮を抱いている
大勢のJCやJKに
カウンセリングで接してると、
時折、大声を発して
そう叫び鼓舞したい衝動に
かられることがある(笑)。
きのうは、
今季最終戦の
ソーちゃんの『竜王戦』
2組ランキング選の
準決勝があった。
これに勝ったので、
2組からはファイナリスト二人が
決勝トーナメントに進出できる。
四段時代に
6組からスタートして、
ここまで、毎期、
4年連続の「組優勝」をして
2組にまで上がってきた。
その戦績は
23連勝0敗であるから、
前代未聞である。
昨日の勝利で決勝に進み、
これで、来季からは
一流棋士の肩書でもある
「竜王戦1組」の
トップグループに
5年連続の昇級を果たした。
そして、
今朝の朝刊にも
「4期連続・勝率8割越え」
という、
これまた前代未聞の
大記録を打ち立てた。
まさに、棋界が
「400年に一人の天才」
と尊称したことが、
間違いでなかったように
ひとつずつその本領を
顕現化してきた。
ただ、四段時代から、
「竜王戦」と「NHK杯」だけは
相性がよくないのか、
本戦トーナメントを
勝ち上がれていない。
ことに、竜王戦は
その頂上は
「名人」位と双璧をなす
「竜王」タイトル保持者となり、
「三冠」への避けて通れない
5回目のチャレンジなのである。
頑張れ!! ソータ!!
地上波でも、
『伊右衛門』と同時に
チョコのCMも放映が始まった。
つい先日まで
高校生だった彼らしい
まだどこか幼げな表情をも
見せてくれるが、
昨日の一戦では
「棋神の一手」が指され
解説陣を絶句させた。
平凡手を避けて、
AIのみが示した絶妙手を
ソータは長考の末、
決然と放った。
そこからは、
勝利の方程式への
一本道だった。
解説者をして
「すごいものを
見せてもらいました」
「この4一銀を指せる棋士相手に
勝てる気がしません」
「将棋の神様が
降臨でもしてこないと閃かない手」
とまで、
言わしめた。
喘息治療薬で
だいぶんと呼吸は
楽になったが、
どうも、風邪もひいてるようで、
ゆんべは三叉神経痛で
一晩中、左の頬の奥が痛んで、
真夜中に鎮痛剤を呑むようだった。
耳鳴りもしており、
ちょいとカラダを使って
料理やらすると
具合ワルイ感じになる。
マッサージ機も
軽運動になるからなのか、
あんまり、やりすぎると
よくないようだ。
今日も、
川向うの観音様境内に
フキノト採りと
カタクリ見学に行こうか
どーしよーか、
体調と相談している処である。
でも、夕食当番なので、
買い出しと料理仕度は
せねばである。
ついでに、
ツタヤ・ブラウジングも
してこよっと…(笑)。
ちっと、調子よくなると、
これだ…(笑)。
(^◇^;)ゞ
春休みで
何の予定もない平日だったので、
また、びっき沼に
遠足気分でオニギリ持って
フキノト採りに出かけた。
土湯に近づくにつれ
吾妻山が段々と
目の前に迫って来る感覚が
好きである。
ことに、この時季は、
残雪の模様が美しい。
車の計器類では、
我が家から18.3㎞、
高度558m、
きのうは
9℃であった。
⁂
おにぎりも
ウィンナーも
ラッピングしたまま
レンチンして
30分も経ってなかったので、
まだ、十分にぬくもっていた。
マグボトルには
味噌汁も入れてきた。
それをジルジルすすりながら、
まずは腹ごしらえである。
カラダもぬくもったところで、
いよいよ採集開始である。
先週にはまだ
芽吹いていなかった
クラスター・ポイントから
見て廻った。
そしたら、
三つ、四つ、ポツリポツリと
茶色い枯葉の中に
エメラルドグリーンの花が
咲いていたので
嬉しくなった。
フキノト採りは
慣れればどってことないが、
初めのうちは
山菜狩りとはいえ、
なんだか花芽を摘むのに
可哀そう感を抱いたものである。
きのうは、
毎年来てアタマに入ってる
チェックポイントすべてで
芽吹いていて
今季初の大収穫となった。
大クラスターポイントでは
もう採りきれず、
カラダがシンドくなってきたので、
ほどのいい処で切り上げた。
これだけ大量だと
うちだけでは
消費しきれないので、
叔母ちゃんとこに
お裾分けしようと思って
寄ってみたら、あいにくと
留守だったので、
玄関ドアの取っ手に
袋を縛り付けてきた。
こないだも
お裾分けしたばかりなので、
誰からのものか
気付いてくれたことだろう。
劇場で観た
『寅さん』50作目が
TV放映されたので
録画して観た。
劇場には親友のタケシと
出かけたが、
彼には前もって、
「おれ、今日、
ぜったい泣くかんね…」
と言って、持参した
タオルを見せて笑われた。
やっぱり、
大泣きしたが…(笑)。
そして、ゆんべも、
再度見て、また泣いた(笑)。
全作品を何度も
味わうように観て、
一々それに自己評論を
残してきたので、
全作を振り返るような
オムニバス構成で、
未来への含みをも残しながらの
大団円という「第50作」であった。
長期シリーズならではの手法で、
語り部のミツオの回想シーンでは
懐かしい旧作の名場面が
あちこちにカットインされて
散りばめられ、あたかも、
見る側も回想しているかのような
感情移入をしてしまう。
シリーズ後半の
サブストーリーであった
「ミツオとイズミ」の
青春の淡い恋バナ(話)が、
中年となり
互いに家庭を持つ身となって
それを懐かしく振り返りつつ、
老親や現在の自分と向き合う苦悩も
描かれていて、作品に
重みを与えていた。
国民的美少女と謳われた
ゴクミは、大柄な女性になったら
声まで低音になり、
その顔はなんだか
軟禁されたスーチーさん
そっくりに見えた(笑)。
母親役の夏木マリは
旧作のキャラのまんまで
水商売のハスッパ感がよく出ていて
さすがの演技力であった。
中年期の父親役だったのは
寺尾 聡だったが、
臨終間近の老父は、
名優の橋爪 功が演じていた。
とぼけた役柄だったが、
やはり存在感はあった。
橋爪は日本一の朗読家と
リスペクトしており、
『三国志』の100枚と
その他もろもろで
50枚ほどの朗読CDは
何度も繰り返し聴いてきた。
おとついの
春分の日には、
前々から
「棚倉」行きの予定があり、
楽しみにしていた
三ツ星鮨店『小判寿司』への
久方ぶりの再訪もあって、
その日の午後にあった
カウンセリング予約に
ダブルブッキングしていたことを
すっかり失念していた。
そのため、
クライエントのS先生には
無駄足をさせてしまうという
大失態をやらかしてしまった。
学校であれば、
コーディネーターの先生が
さながら秘書のように
スケジュール管理を
して下さるので
お任せでいられるが、
これが自宅仕事となると
自己管理なので、
時折、チョンボをやらかすことがある。
年度末とあって、
昨日は、支援学校の
音楽教諭でもある
ギターのお弟子さんハッシーが
市内から須賀川に
引っ越すことになり、
「来月のレッスンは、
お休みさせてください」
とのことだった。
一昨日には、
「チームYAMAKIYA」の
R先生が県南に転勤になり、
チームの解散式会食会をかねて
転居先の下見に同行させて頂いた。
瀟洒な新築アパートで、
もひとりのA先生とも
「こんなとこに
住んでみたいねぇ…」
と、真新しく大きな浴槽にも
勝手に入ってハシャイでいた(笑)。
三畳間ほどの
ウォークインクローゼットは、
自分ちにも欲しいなぁ…と、
思うようないい造りだった。
天井近くまである
下駄箱(笑)も、
靴が沢山収納できて、
玄関の三和土(たたき)まで
溢れている我が家を思い出し、
これも羨ましく思った。
我が家のナッちゃんも
明日には、東京へ向けて
新社会人として旅立つ。
昨日は、
新しい部屋を飾る絵画を
購入してきて
荷造りしていた。
先日、りく坊を連れて行った
高原リゾートにある『風花』で
売りに出されていて
自分でもいいなぁ…と、
気に入っていたのを
二点買ってきていたので、
やはり、趣味が似ているのに
感心もした。
6年間の棚倉勤務の帰路、
しばしば寄っていた
「あぶくまSA」に
先日、久しぶりに立ち寄り、
自販機前のウルトラマンとも
再会してきた(笑)。
勤務中には、
いつも陽が落ちてから
トイレ休憩に寄ってたので、
暗闇に立つウルトラマンを撮っても
まともに撮れたためしがなかった。
ひどい時には、
光る眼だけが映って、
あとは真っ暗…(笑)
という時もあった。
こんなにハッキリと
ディテールまで眺めたのは
初めてかもしれない(笑)。
ぐい呑みコレクターなので、
50ケくらいを食器ボードの
二段を占有して陳列し、
普段から鑑賞しながら
使いもしている。
先日、
『小判』の
ヨシ君が創った
ギヤマンの物が
夏の冷酒用に涼しげで
いいなぁ…と、思って、
ひとつ譲って頂いた。
手びねりの陶器作品に似て、
吞み口に「山道」のうねりがあり、
ほどよく歪んでいるのが、
いかにも"茶人好み"である。
カミさんが、今、
純米吟醸の冷酒に凝って、
次々と銘柄を買ってくるので、
そのご相伴にあずかり、
さっそくこれで試飲してみたが、
なかなかに手取りも吞み味もよい
佳作であった。
メールで
その感想を伝え、
励ましてあげて、
もっといいのが出来たら、
また頂きたいものである(笑)。
歳ぃとって
横着になったのか、
ネクタイを結ぶのが
めんどくさくなり、
ダイソーでワンタッチ式を
見つけて来、
ネットでもいろんな
デザインのものを落札している。
中にはキッズ用のもあるが、
ベストやセーターと合わせれば、
丈の短いのは隠される。
それに、
キッズ用は
ダイソーだと110円、
ネットでも数百円なので
気軽にまとめ買いできていい。
柄ものは
ターターチェックに
偏愛があるので、
相当数持ってるが、
今はワンタッチ式のものを
せっせと買い集めている。
これも、
高くても千円ほどなので
助かっている。
最近は、
緩めのポロシャツの
第一ボタンを〆ず、
このゴムとノット部分で
閉じるような
"楽々"爺スタイルに
アレンジしている。
レストランや
コンサートなぞの
短時間であれば、
【お洒落とは我慢すること也】
という着道楽訓に拠って
少々タイトでも我慢するが、
職場での一日仕事となると
そうも言ってられないので、
できるだけ緩めを心掛けている。
春休みが
一か月ほどあるので、
お昼は毎日が
"ぼっち飯"である。
退屈しないよう、
寂みしくならないように、
道楽の一環としても
クリエイティヴで
アグレッシヴな
フレンチを創って
エンジョイしようと
思っている。