『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

傑作読了

2019-06-25 06:43:00 | マンガ
第五週目の
“6連休”真っ最中である。

週末には、
自宅カウンセリングと
宗教臨床セミナーはある。

日々(にちにち)が更(さら)なりで、
今日用(教養)と
今日行く(教育)処とを
心してプランニングしている。

中でも、
夕餉の買出しと下拵えを
一日のメイン・アクトとしている。

買い物と料理が好きなダンナで、
カミさんもよかったろう。

むかしは
「ダンナがナンダ」
という回文で
文句言われたが・・・(笑)。

買いもんは、
ひと処には決めてなく、
「コープ」「ヨーク」「いちい」
「ビッグ」「イオン」・・・と、
あちこち経巡るのを常としている。

晴れた日なぞは、
リュックを背負い、
戦時中みたいに買出しに出向き、
フーフー言いながら
負荷散歩としている。

こんな時は、
昭和的に「背嚢」を
背負ってる気分になる。

ちなみに、
ザック(独: Sack)、
バックパック(米: backpack)、
ナップサック(英: knapsack)、
と呼び名が異なるが、
リュックサックは
(独: Rucksack/英: Rucksack)
のようである。

へぇ~、ってなもんだぁ・・・。

(・̆○・̆)

“バックパッカー”っては言うけんど、
“ナップサッカー”は聞かへんねぇ(笑)。






買いもん時は、
きょうは、オッカさまに
何喰わすべーか、
とも考える。

わりと素直な人なので、
「うん。おいしい、これ・・・」
とか
「きれいだこと・・・」
と素直に口にするので、
それが聞けると
心ん中で小さく
ガッツポーズをする(笑)。

イェーイ (^o^)ーV

そのためには、
不断の努力が必要で、
ひとりランチ用の
パックすしなぞを買ってきても
きちんと皿に盛って
体裁を整える練習を欠かさない。

これを造語略語で
“ドレトレ”(ドレッセ・トレーニング)
と称している。

きのうも、
お昼はパック売りの
「メソ(小穴子)」の
丸付け握り二貫を
30秒レンチンして人肌に戻し、
バーナーで表面を炙って
清水焼にドレッセしてみた。

画像をチェックして、
(しまったァ・・・。
もちっと、山葵を鋭く山盛りにして、
穴子と「入り飾り」(入という字の形)に
するんだった・・・)
と、独り言ちた。

〔元祖・おうち大好き少年〕は、
長じても、ひとり遊びができるので、
ボンビー年金暮らしには
向いてるのかもしれん(笑)。

お昼のドレトレの反省点を生かし、
夕餉には〔パックもん〆鯖〕を
プラ・ド・ノワール(黒皿)に
ドレッセしてみた。

自作ソース・スプーンを用いて
キュウリ&キーウイ・ソースと
クーリー・ド・トマトを
雲の如く棚引かせ、
あたかも鯖が空を群れなして
泳ぐが如くに描いてみた。

ニンジンのジュリエンヌは、
刺身のツマである。

これ見て、カーチャン、
「おお。キレー・・・」

フフ...(´-`).。oO ← ドヤガオ

昼間っから
夕餉の仕込みを
プロ並みに時間をかけている。

なんせ、暇だかんね(笑)。

味噌汁の出汁を昆布・鰹節で取り、
飛龍頭(がんも)の湯通し油抜きをし、
牛筋を下茹でした後
トロ火で1時間煮込み
甘辛味噌に漬け込む。

ブロッコリー、玉葱、大蒜を
塩茹でしてからミキサーにかけ
シノワゼ(漉し作業)して
レモン・オリーヴ、生クリームと合わせ
冷蔵庫で休ませる。

手抜きガスパッチョだが、
仕上げにレモンの酸味を利かせ
歯に沁みるほどキリリと冷やさないと、
“介護流動食”みたような按配になる(笑)。






ツタヤ・ブラウジングで
試し読みしてみたレンタルの
『ばらかもん』が面白くって、
4日間で全18巻を読了した。

作者の出身地である
長崎の五島列島が舞台なので、
ふんだんに方言が使われているのも
異世界感があってよかった。

『ばらかもん』とは、
「元気者」という意味だそうな。

アニメ化もされたようなので、
リアルタイムでは
人気があったのだろう。

23才のプチ変人の書道家
「先生」と
7才の天真爛漫少女
「なる」との心の交流により、
どちらも成長するという
ビルドゥング・ロマンでもあり
ハートウォーミングな秀作であった。

ユング心理学的には、
なるチャンは先生にとっての
アニマだったのだなぁ・・・というのが、
全巻を読了して思わされた。

アニマとは、
男性の無意識にある異性像で、
夢には様々な女性像として登場するが、
それは外界にも投影され、
機能的には男性に「弱さ」を体験させ、
代償として「関係性」の力量が増す。

都会育ちで世間知らずの先生が
純朴でストレートな島民や子どもたちから
時には馬鹿にされ、時には尊敬され、
しだいにコミュニティに溶け込んでいく。

その“橋渡し”となるのが
「なる」という少女の存在なのである。

「アニマ」はラテン語であり、
ギリシア語の「プシケ/魂」が
変じたものであるが、
「心理学」は独語で「プシコロジー」
英語で「サイコロジー」となった。

かつて、
看護科で2年間、
教えたことがあるが、
「プシ/Psy」は
精神科や精神病患者さんの
意味で使われていた。
(略してPとも言う)






足の踏み場もない
古楽器工房に、
Y中の壊れたチェロを復元すべく
治具類を取りに入ったら、
書棚に買ったことも忘れていた
『ヴァイオリン/チェロの名曲名演奏』
というガイドブックを見つけて、
久しぶりに読みふけった。

中古もん20パー・オフ・セールで
400円で買ったイザイの
『無伴奏ソナタ集』が気に入って、
もう十回以上リピートして
聴き続けている。

シュミットのえぐる様な
彫塑的な音の造型と、
ストラドの掠(かす)れや
ピチカート、余韻嫋嫋たる鳴きが
身に染み入った。

400円で10時間以上もの
十分なヒーリング効果も得られたので、
“魂のマッサージ”としては
超お得だったかもしれない(笑)。

ヨウツベ(YouTube)には
楽譜と実演もアップされており、
ヴィジュアルにも曲構成が
アナリーゼできて勉強になった。

そしたら、
ガイドブックとイザイの合わせ技で、
無性に『無伴奏もの』が聴きたくなり、
密林(アマゾン)と
ヤフオクを検索してみた。

そして・・・

ライナー・モーク/
レーガーとヒンデミットの
『無伴奏ヴィオラ・ソナタ』(668円)

ナクソス盤/バルトークの
『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ』(576円)

ヨーヨー・マ/コダーイの
『無伴奏チェロ・ソナタ』(431円)

ウィスペルウェイ/ブリテンの
『無伴奏チェロ組曲』(780円)

・・・を衝動買いしてしまった。

およそ2.500円の出費だが、
新品一枚分ほどなので、
ま、いっか・・・である。

これで、
弦楽器系の無伴奏物は
全部買い集めた。

400円のイザイが発火点となって、
『無伴奏』の世界観を
拡げてくれた。


(๑˃̵ᴗ˂̵)و ウーン、イイ…!







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師匠敗れる・・・

2019-06-24 05:34:00 | 風景
SC(スクール・カウンセラー)業は
第五週目が休みなので、
今週は丸々ミドル・バケーションである。

来月の三週目からは、
本格サマー・バケーションの
ロンバケである。

なので、
このプレ・バケを、
さーて・・・どう過ごそうかと、
トイレに座しながら
ロダンチックに『考える人』してた(笑)。

来週の土曜に、幸いにして、
棚倉の幼稚園でPTA講演会があるので、
その頒布会用の「子育て物」冊子でも
造本すべーか・・・とも、考えた。

ネタは
ワゴン・セールにするほどある。

レジュメは
ファイル二冊分ある過去もんを
チョコチョコっといじって、
仕上げた。

ガキの頃のあだ名が
“オシャベリおさむちゃん”
だったから(笑)、
レジュメなんてなくっても
口から出任せで1時間くらいの
“べシャリ”はなんのことはない。

それに、
教師歴18年の
1万5千時間の教壇という
舞台芸で磨かれ、
さらに1万5千時間以上も
落語を聴いてきたから、
プロとしてスキル・アップもしてきた。

電卓で試算した数字が
奇しくも15.000時間と
シンクロしたのには
ちっと、おでれーた。

(˙◊˙) ホ~

フライト時間15.000時間なら
立派なベテラン機長である(笑)。

***

昨年、園児たちに
30分のミニコンサートをやったので、
それが受けてのご依頼で、
女性教頭先生から
「楽しい子育てのお話
   &
 ミニミニ・コンサート」
という、
いささか課題チックな
リクエストではあった。

「レクチャー&ミニコン」
というのは
これまで幾度も
ご依頼をこなしてきたが、
アタマん中でのスイッチング切り替えが
案外に負荷なのである。

講師からギタリストへと
脳内ペルソナ(仮面)を
取り換えなきゃ、
スンナリとはシフトできないのだ。

でも、
“歌って踊れるカウンセラー”
がウリでもあるので、
営業では、ピン芸人として
これをこなさなくてはならない。

なにしろ、
おタロ(ギャラ/寄席符牒)を
頂戴するプロなんだから・・・。

「わかる・おもろい・ためんなる」ハナシと
「すげー・すてき・すんばらしー」の3Sギターを
聴衆に提供できてこその
プロである。

午前のイベントなので、
お昼は、自分へのご褒美として、
久しぶりに、
三ツ星の「小判寿司」で
“ひとり打ち上げ”をしようと
思っている。

「平成」最後の三月に、
当地を辞して来、
3ケ月ぶりに棚倉を訪うのが、
新時代の「令和」というのも
なんだか感慨深いものがある。

御地での6年間の
お礼奉公でもあるので、
実意丁寧に「講義・公演」を
させて頂こうと
準備を進めている。






ライヴ戦ではないので、
いつもは録画で見てるNHK杯だが、
きのうに限っては、
ソーちゃんのお師匠さんが対局するので、
リアルタイムで観戦した。

杉本八段の棋戦視聴は、
「師弟対決」来、
二度目である。

同じAブロックなので、
師匠、ソーちゃん共に2勝したら、
再度、夢の「師弟対決」が
地上波「初」の実現をするので、
期待もし、応援もしたが、
惜しくも同じ八段の行方さんに
負かされてしまった。

前期、
弟子のソーちゃん(16歳)に
同じくC級、七段と追いつかれ、
師匠(50歳)として
意地と頑張りを見せ、
先んじてB級、八段に
昇級・昇段したのは
見上げたお師匠様である。

二大棋戦の「竜王戦」においても、
新人の6組から3年連続優勝して
3組までヒタヒタと追いかけてくる
ソーちゃんに対して、
師匠は最高位の1組に
通算7期も在籍しているから
立派である。

「藤井、早く、ここまで来い!」
と、言わんばかりである。

Good teacher explains,
Superior teacher demonstrates,
Excellent teacher inspires.

・・・という名言を
数学者の秋山 仁から聞いて
ナルホロッ!…と、
感心したことがある。

まさしく、
杉本師匠こそ、
稀代の天才ソータを
インスパイアしてきた
名伯楽である。

彼は、
その天才性を早くから見抜き、
具体的なことはあえて教えずに
伸び伸び育ててきたという。

ソータがまだ、
奨励会二段の頃には、
「彼がもし棋士になれなかったら、
自分は責任をとって引退しよう」
という覚悟を抱いていたという。

やはり、
名伯楽というのは、
「修己治人」なのであるなぁ・・・と、
思わされた。

これは、
自分の命名元の典籍である
儒教の『大学』にある
「己れを修めて人を治む」
というものである。

修養によって自らを高め、
その学徳・諸行会得により、
自ずと人を感化する、
あるいは治す、
という意味なので、
「名は体を顕わす」
ではないが、
自分の自己実現とは
ここに尽きるのかもしれない。

狐狸庵先生は
「言霊」と同じように
「名前霊」というのも
あるんじゃないかと思う、
と河合先生との
『人間を超えるもの』
というテレビ対談で語っておられた。

現代の【老賢者】でもあられた
お二人の対談を録音したテープは、
擦り切れるほどに何十回聞いたか
わからない。

それは、後に、
『河合隼雄 全対話集』(全10巻)に
所収されてテキスト化された。

余談だが、
孔孟のみ教えでもあり
理想とされる
「徳治国家」とは
まったく逆ベクトルにあるのが
現・中国共産党の独裁体制である。

その破廉恥ぶりを見るにつけ、
漢民族の覇権争いを好む「血」と
「治」「知」「値」「地」「痴」
「稚」「恥」「魑」などの
多くの「ち」が連想された。

***

余談ついでに、
アベマ聞き手にもよく登場する
女流棋士の「アキちゃん」は、
小柄で博多人形みたような顔で
チャイルディッシュで可愛い。

ネット雀の間では
「美人女流棋士10選」なんて
しょむないことをアップする
輩(やから)も少なくないが、
ついつい、見るともなく
見てしまう自分もイヤラシイ…(笑)。

室谷 由紀ちゃんは、
将棋講座で見て
切れ長目で
キレイだなぁ…と思った。

香川 愛生(まなお)ちゃんは、
薬師丸ひろ子似の
正統派美人である。

最近のオキニは、
タヌキ顔グラマーで
キャラ声の
カトモモちゃんである。

なにをぬかしとる、
キモ親爺…

ε= (+_+)

***

あ、そ、そ…。

師匠ぉ~!
真剣になると、
おちょぼ口の
ひょっとこ面になるよぉ…(笑)。






ケチで、シミッタレなんで、
いっぺんに散在すると、
あとで後悔するから、
毎日、散歩のたんびに
1枚ずつツタヤに寄っては
2割引セール中の中古CDから
何かしら背取り(タイトル買い)
してくる。

きのうは、
412円でイザイの
『無伴奏バイオリン・ソナタ全集』を
買ってきて、読書のBGMに
繰り返し聴いていた。

アマクラギストなので、
(アマチュア・クラシック・ギタリスト)
無伴奏の弦楽器物はよく聴く。

バッハの
『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ』や
『無伴奏チェロ組曲』は、
ギターでもよく弾かれている。

しかし、さすがに
イザイ((Eugene Ysaye 1858-1931)
ともなると、いささか現代曲風でもあり、
バッハほどメジャーではないので、
ギターのレパートリーとしては
取り上げられていない。

イザイの2番には、
バッハへのオマージュとして、
かの有名なE-Durのプレリュードの
冒頭部を引用している。

これは、
かつて何度も練習したので、
あの曲が、イザイにかかると
こうも変化するか・・・と、
不思議な気分だった。

ベンヤミン・シュミットは
初めての演奏家だが、
ウィーン出身で
名のあるコンクールのウィナーで、
ジャズのシュテファン・グラペッリらとも
共演しているので、
チェロのヨーヨー・マみたいな
ヴァイオリニストなのかもしれない。

使用楽器は、
ストラド「ex-Brustlein」(1707年)
だというので、
その音をも心して聴いている。

ストラドに魂を奪われた
リューティエ(製作家)
陳 昌鉉の伝記コミック
『天上の弦』を再読了したばかりなので、
その音色を聴くのも
なんだか因縁めいている。

シュミットは、
バッハの『ソナタ&パルティータ』も
リリースしているので、
楽曲に対するアナリーゼ(分析)が深く、
一音一音に説得力がある。

ストラドの音も
よく鳴っており、
煌きと暗鬱とが
佳く表現されている。

無伴奏物としては、
パガニーニの『カプリース』を
思わすような
超絶技巧のパッセージも
随所に聴くことができる。

***

名器ストラドの音を鑑賞しながら、
密林(アマゾン)から届いた
『絶頂美術館』で
ジェロームの<奴隷市場>を鑑賞し、
プチ・デジュネ(ランチ)をこしらえて
自作フレンチを賞味した。
(生ハム/リゾット/ハーブとコンフィチュール)

感覚器の違いはあれど、
どれもこれも、
「味わう」というものなので、
またしても、
上田三四二(みよじ)の佳句が浮かんだ。

 おしなへて
  味わひ深き人の生(よ)を
   歩まむとす
    けふより君は






カミさんが、
新潟のナツに
授業料関連書類の
速達を出してといて、
というので預かった。

久しぶりに、
その直筆の手書き文字をみたら、
あら?
なんだか、昔っより
下手になってない?
…と、怪訝に思った。

カミさんは、
書道歴、ペン字歴があるので、
手書き文字がキレイだから
結婚したのだが・・・(笑)、
パソコンに切り替わってから
堕落したんかしら・・・(笑)。

自分は、
元祖・不登校児で
重症の喘息ダルマ(叔母の命名…笑)
だったので、
ろくすっぽ小学校に通わず、
いまだに「小学半年生」
(1年生に満たない…笑)の、
金釘文字、ヒジキをこぼした様な
のたくり字だったので、
一念発起して還暦の手習いで
「ペン字」を始めたばかりだ。

なので、
ご芳名帖などにも
最近では臆することもなくなった。

そんでも、まだまだ、
発展途上国なみの“カラッぺた”字だが、
それでも、どうして、どーして、
あの能筆家のカミさんの字と
遜色ないではねーですか(笑)。

敵が下手になり、
我が昇り調子なので、
ちょうど対等になってきた、ってか(笑)。

ε=ヾ(◎θ◎)ノ゛ウホ~イ

***

昨晩、
老母のホーム長から
電話が来て、ドキリとした。

先日、転倒して頭部打撲してから、
食欲が低下し、臥床が増えたという
行動変容を報告してくだすった。

そして、
直後のレントゲンでは
異常なしだったようだが、
主治医からは
「慢性膜下血腫」の危惧もあるので、
来月末に一度CT撮影を奨められたという。

その病態には不案内なので、
ググッてみたら、
頭部外傷の後に、
通常3週間~3ヶ月で
硬膜下に血液が貯留してくるものらしい。

60代以上の男性に多いというので、
自分も転倒・頭部打撲には
くれぐれも気をつけなくてはならないが、
老母の場合、さらなる発症因子として、
脳の萎縮、脳梗塞の予防薬(抗凝固剤)があり、
主治医の懸念も首肯される。

症状は出血部位により、
頭痛、意欲低下、認知機能の低下、
片麻痺、失語、尿失禁などが
見られるというが、
今の処、それらはない。

通常、症状は徐々に進行するらしく、
稀には、血腫腔内に出血が起こり、
脳卒中のような突然麻痺や
意識障害が起こることもあるそうな。

もっとも、
無症状に経過し、
自然吸収される例も少なくというので、
そうなってほしいと、
昨晩からご神前で
ご祈念している。

万一、発症した場合は、
穿頭術(頭に穴あける)で
血腫腔内にドレーンを残す
オペになるらしい。

ただ、87歳と高齢なので、
その適応となるかどうかである。

その侵襲性のリスクを鑑みて、
内科的に漢方薬の「五苓散」を処方して
改善に至るケースも少なくないと
某クリニックの症例報告があったので、
さっそく、ホーム長宛に、
主治医殿に発症予防として
その処方を試してもらえないか、
と依頼メールを打電した。

在宅なら、
カワチかツルハででも入手できる
「五苓散」をじゃんじゃん呑ませただろう。

なにせ、
家族のメディケーションを
一手に担っている
家庭医トーチャン、
薬剤師トーチャンでもあるのだから・・・。


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偉大な暇つぶし

2019-06-23 04:49:00 | 趣味
人生とは
偉大なる暇潰し
なのかもしれない。

過去はもうなく、
未来はまだない。

我々は、誰もが
「今、ここで」しか
生きられない。

人はなぜ
物語を生きようとするのか。

本来、無意味な人生に
有意味性を持たせようという
切なる努力なのだろうか。

自分の造語集に
「ソフト喰い」というのがある。

ミニストップの季節ごとのソフトは
たしかによく喰うが(笑)、
そーではなく、
「まんが」や「ドラマ」
「小説」「映画」といった
あらゆる物語を
こうもインプットすることに
己が時間を消費している在り様に
ふと浮かんだ言葉である。

「One life one thing」
(人生一事)なぞという造語と
その対語である
「人生マルチチャンネル」
というのはライフ・モットーでもある。

そうは言っても、
限られた人生の持ち時間では
限度がある。

だからこそ、
我々は、別な人生を疑似体験すべく
数多の物語を求め、
過去・未来・別時空・・・と、
マルチ・ユニバースを生きようとするのだろう。

***

博覧強記・碩学泰斗の人が
好きである。
類語で言えば、
博識・博学かな。

心酔し私淑もした
狐狸庵先生のエッセイにも
そーいうオモロイ人物が登場する。

彼は、宇宙の神秘から
ネズミがなぜチューと鳴くか…まで、
森羅万象に精通している。

若い頃、
そんな人物になりたいなぁ…と、
憧れたモデルでもある。

狐狸庵先生自身、
小説家でありながら
囲碁だ、ダンスだ、英会話だ、
心霊体験だ・・・と、
マルチチャンネルを生きられた
お手本である。

その謦咳にも接した
河合隼雄先生も、
フルートを嗜み、
日本ウソツキクラブの会長であり、
その一書さえ洒落に上梓している。

この両先生の著作は
合わせて400近くあるが、
蒐集をコンプリートして
折ごとに再読、再々読してきた。

どちらも平成まで生きておられた
人生の達人でもあられたので、
その生き様、考え方を
存分に吸収させて頂いての
今日の自分が在る。

それは、
カウンセラーとしても、
あらゆる人生相談や悩みに
ビクともしない
自信にもなっている。






15年来の
ヘビー・ブロガーであるが、
人生の整理期に入ってきたので、
近頃は、段々と長文化する傾向にあり、
「人生深生き」のライフ・モットー具現化のため
丁寧に、ていねいに、日々の出来事や
考えを綴るのを厭わなくなった。

毎日、幾度となく
“言い回し”を検索し、
できるだけ
正確を期すようにも努めている。

意識して日々の印象を
画像に収め、
それをソフトで修正する。

このプロセス自体が
クリエイティヴ&アーティスティック、
そして、セラビューティック(治療的)ですらある。

なので、嫌いでもないし、
面倒臭くも思わず、
むしろ、楽しいので
「うつ病」持ちの
予防としても役立っている。

自己分析で、
自分は劣等感が強く、
ダメな人間、
ロクでもない人間だと思ってるので、
自己否定感を払拭しないと
「希死念慮」に負けてしまいそうになるので、
自己鼓舞のため、自尊感情を高めるため、
「全編自慢」の「ドーダ!」系ブログを
創作している。

そう。
これは、日々、
就活者ならぬ終活者の自己PRであり、
回顧録であり、
遺言であるのだ。

そして、
敬愛するキーンさんの
言葉を借りれば、
自分の「日記文学」なのだ。

ベタ書きしない、
この変な文節スタイルは、
「まんが」の「噴出し」なのである。

最近、
知人からは
ズラズラと長くなった、
教え子からは
難しくて解からなくなった、
と言われた(笑)。

ʅ(-"-;)ʃ オラ、シラネー…

…である(笑)。

でも、
全国にいる教え子たちには、
なら、もっと勉強せいッ!
もっと本を読めッ!
もっと芸術に触れろッ!
と、声を大にして言いたい。

遺言でもあり、
最後の授業でもあるんだから・・・(笑)。
しっかり、付いて来い、である・・・(笑)。

なんだか、
ちっと、ゴーマンかなぁ・・・。

(^▽^)> テヘヘ…

一々、こーいう、ツッコミ入れっから、ズラズスラ長くなんだよねー。・・・って、アタマに浮かぶままキー打ってるから、冗長になるんだなー(笑)。そうすっと、スタイルも破壊したくなったりして・・・(笑)。なんだか、キチガイなのかもね・・・。ってなワケで、自分にとって、ブログも「創作品」なんだね、これが・・・。

閑話休題***

なんだか、
『方丈記』を全編読みたくなり、
現代訳をプリント・アウトして
寝転がって読んでいる処だ。

全文で原稿用紙22枚ほどだという。

ここから、
また、目新しい人生訓を
見つけてみたい。

ついでに、
『徒然草』も
全編読んでみようと思う。

学校図書館に
どちらも漫画もあったので、
借りてこようとも思う。

日本三大随筆は
「枕草子/方丈記/徒然草」
だというが、
清少納言はなんだか
上から目線のセレブ気取り感が
好きになれない。

談志家元の落語で
聞いたのだが、
「にげなきもの。
下衆の家に雪の降りたる。
また、月のさし入りたるもくちをし」
(下賤の者の家に、
雪が降ったり、月が出るのは、
もったいなく、残念で、似つかわしくない)
・・・だと。

なんだ、このオンナ!! (-.-")凸

++++++++++

ともあれ、
『方丈記』は、
アマゾンの商品説明によると(笑)、
平安末期の大火や飢饉、大地震、
源平争乱や一族の権力争いを体験した長明が、
この世の無常と身の処し方を綴った
隠遁とスローライフを提唱する
示唆に富んだ随筆だそうな。

そりゃ、読んでみたくなるわなぁ。

長明は、
下鴨神社の神官の息子だったけど、
跡目争いに敗れて、
イジケタのか?(笑)、
諦念の境地を悟ったのか、
山里の一丈(3m)四方の草庵に隠棲し、
混迷する都のさまを見つめたという。

なんだか、
日がな一日、
家に籠もって読書・思索し、
トランプや習近平らの
茶番劇を白々しく眺めてる
自分の姿にダブってしまった(笑)。





きのうは
ソーちゃんの王将戦だった。

振り駒で「先手」を取り、
必勝を確信したが、
初手から長考する様を見せ、
誰もが驚き、これは何かある・・・と、
眼を釘付けにされた。

そして、
放たれたのが、
初手「7六歩」。

工工エエエエェェェ──ッ!!ヽ(`(`(`(`ヽ(`Д´)ノ

・・・というぐらいの
衝撃の初手だった。

というのも、
これまで、
全公式戦の棋譜を見てきたが
100パー「2六歩」が
ソーちゃんの定石だった。

それが、
ここにきて、
NHK杯でも見せた
畳に諸手をついて初手で長考し、
そして放たれた衝撃の初手だった。

これには、
全国のソータ・ファンを
悲鳴のよーな驚きの声をあげた。

そして、
古典的な「矢倉・棒銀」戦法から
鋭い攻めを成功させ、
終盤では27手詰めという
長手数を瞬時に読み切り、
解説者、対局者の
度肝を抜く手筋を放った。

ソーシャン(ガチなファン)なら
思い浮かぶのが、
ヒフミンと世紀のデヴュー戦で
「その道の第一人者である
加藤先生から是非、
矢倉を教えて頂こうと思って
相矢倉にしました」
という言葉である。

なので、
昨日のコメには、
ヒフミンが大喜びしたろーな、
というのが多く寄せられた。

レジェンドの大先生も
「対局で学ぼうという
彼の真摯で謙虚な姿勢は
たいへん素晴らしい!」
と、大絶賛し、以後、
ソータの擁護者になっている(笑)。

そして、
もう一つ思い浮かぶのが、
デヴュー当時を描いたNHK特番で、
行きつけの「おそば屋さん」に
サイン色紙を頼まれると、
なんと自作の「27手詰め」の
詰将棋を丁寧に描いて渡していた。

これを見て、
全国のソーシャンが、
シロートのサインに
「27手詰め」って・・・と、
唖然とした(笑)。

( ̄△ ̄;) :.。

【400年にひとりの天才】の
一局、一局が
何物にも換えがたい
生きたドラマなのである。

音楽に准(なぞら)えれば、
モーツァルトも、パガニーニも、
時代を共にすることは出来なかったが、
超天才・藤井総太と同時代を生きている
喜び、幸せを
神に感謝したいと
心から思っている。






毎日、歩いて3分の
ツタヤ詣でをしているが、
また中古20%オフセールをやっていた。

前回の「令和」記念の
50%オフセールでは
138枚ものCDを買ったので、
もう当分いいや・・・と思ってたが、
やっぱり気になって棚をブラウジングしてみた。

前回とさほど変わりばえのない
コンテンツだったので、
206円の『バッハの6つのモテット』を
一枚だけ買ってきて、
ゆんべから繰り返し聞いている。

ウィキに拠れば、
モテットは、
中世からルネサンス期にかけて
生まれ発達したポリフォニー宗教曲である。

その語源は、
中世フランス語で
“ことば”を意味する「モ/mot 」であるという説と、
ラテン語の「モウェーレ/movere=動かす」
(各パート間のポリフォニックな動きを指す)
との説があるそうな。

まだまだ、
宗教声楽曲の初学者なので、
これからその真価が解かるほどには
勉強していきたい。

***

国試勉強で
「高齢化社会のロコモティブ・シンドローム/サルコペニア」
ということを初めて知った。

ロコモは「運動器症候群」
サルコは「加齢性筋減弱症」
である。

『ためしてガッテン!』で
「煎り大豆」を2週間食べる実験をして、
54名中37名に筋力アップが見られた、
というので、さっそくやっている(笑)。

1日あたり
「煎り大豆20g=大豆たんぱく質8g」
(60粒から70粒)である。

大豆イソフラボンが
アポトーシス(細胞死)を軽減し、
神経切断による筋細胞減少を
抑制するという。

筋力アップが期待できる
大豆たんぱく質量は1日8g。

それに相当するのが・・・
•納豆1パック … 8.3g
•いなり寿司2個 … 7.0g
•味噌汁1杯 … 4.2g(具を除く)
•きなこ餅一皿 … 7.3g
•高野豆腐 … 5.4g
•豆腐1丁 … 8.0g
•枝豆お皿一盛り … 6.0g
•おから小皿 … 4.6g
•きつねうどん1杯 … 7.0g

『ガッテン!』に拠れば、
運動すると筋繊維が切れて壊れるが、
それをIRS-1(アイちゃん)が治しているという。

修復後は、前よりも
繊維を太くしてくれるので
運動すると筋肉がつき筋力アップする。

運動をしなくても、
筋繊維は切れるらしく、
この場合はユビくん
(ユビキチンリガーゼ Cbi-b)が
アイちゃんを捕まえて
再生を邪魔するのだという…。

ところが、
大豆たんぱく質の「大ちゃん」が
アイちゃんと構造が似てるので、
ユビくんはアイちゃんと間違って、
大ちゃんを捕まえるらしく(笑)、
その隙に、アイちゃんは、
修復を心置きなく出来るのだそうだ。

なーる、ほろ(笑)。

ヾ(・̆○・̆)ノ

大豆のたんぱく質は
魚肉たんぱく質と違って
運動しない場合にも
筋肉量を減らさないというから
「三年寝太郎」のトーチャンには
うってつけだぁーッ!!(笑)

大豆のたんぱく質は、
脂質の吸収を妨げる働きがあり、
心臓病の予防にもなるそうな。

もっとも、
万能食ではないので、
きちんと栄養バランスをとって
軽運動もするに越したことはないよなぁ・・・。


~(´▽`)ノ マメニ、イキヨ~

***

『空腹こそ最強のクスリ』だって(笑)。
もう、ブタみてーに、喰うの、よそっと(笑)。

「満腹っつうのは、下品だなぁ・・・」
と宣うたのは、
天才・立川談志である。




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梅雨七夕

2019-06-22 05:03:00 | 季節
山間(やまあい)の隘路を
延々と行くと
遠く丘の上に
近代的意匠の校舎が
見えてくる。

学校への長いアプローチの
カーヴを曲がると
植え込みのサツキが咲いて
朱文字がくっきりと浮かぶ。

なんでも、
地元の方々が
善意で刈り込みを
して下さっているという。

3.11の原発事故後、
全地区避難対象区だったので、
それが解除となった今も、
子どもたちが戻ってこないので、
地区の方々も協力して
なんとか学校を盛り立てていこう
という思いが感じ取れる。

幼稚園・小学校・中学校の
三校合わせて
全生徒数三名で、
しかも中3生なので、
彼らが卒業してしまったら
生徒数0となり、
休校ないし廃校ともなりかねない。

設備の整った近代的な校舎を
“塩漬け”するようなことになっては、
ほんとうに勿体無いことである。

なので、
なんとか存続の為にも
越境入学でもいいので、
この自然と教育環境に恵まれた学校に
ひとりでも多くの子が
来年4月に入学してくれないものだろうか。

町教委には、
不思議な縁で
中学の同級生で親友が
二人再任している。

二人とも福大でもあるので、
ゲンちゃんらには
なんとか頑張って
「自然に恵まれた環境で
伸び伸び、楽しい学校生活を送ろう!」
というような
キャッチフレーズで
“手作り”少人数教育を謳って
生徒獲得をしてほしいものである。

市教委と町教委が
タイアップして
大規模“支援学級”という
構想をしてもいいかもしれない。

それには、
市議会と町議会との
タイアップも必要で、
スクールバス確保なぞの
予算をつけてもらいたい。

これから、ますます
少子高齢化が進むので、
ほんとうに未来の子どもたちを
大切に育てるという高邁な理念を
教育行政が持たなくては、
日本は更なる衰退、亡国への
一途を辿りかねない。

臨床教育的には、
子どもたちのゲーム障害の高頻度や
社会教育の崩壊、
家庭教育の脆弱化で
“こころの崩壊危機”が
懸念されている。

「不登校」14万人(増加傾向)、
「ひきこもり」70万人(増加傾向)、
「ゲーム障害」10%以上(増加傾向)、
という数字を見ても、
IT文明が発展して
利便性が高まった反面、
<こころの崩壊>も進んでいる
と看做すのが自然な観察眼であろう。





きのうは、
二回目の音楽授業を
させて頂いた。

『禁じられた遊び』を
タブ譜にして、運指を施し、
その読譜法をも教授したので、
生徒たちがやる気になれば、
譜面から音楽を起こすことが
できるはずである。

きのうは、
前回に引き続き、
8章節まで進めたが、
それまで解放弦で
易々と弾けていたのが、
突然の難関であるセーハ箇所
(一本指で3本を押える)
に差し掛かると、
一同が悲鳴を上げた(笑)。

「指が届かない~!」
「音が出ない~!」
「指がツリそ~!」
と、難所、壁にぶち当たり、
ギターの手強さを身をもって
知った処でチャイムが鳴った。

巷間言われる
「Fの壁」(Fコードが弾けない)
もそうだが、
このような壁に出喰わした時に、
「なにくそッ!」
と、ガッツで乗り越えるタイプと
「もう、あかん~・・・」
と、ヘナるタイプに分かれる。

これは、
「自転車乗り」と同んなじで、
転ぶ痛さや意識ではバランスが取れない
もどかしさ、歯がゆさ、イラダチを
恐怖や葛藤と対峙して、
ちょっとの勇気とガッツで
乗り越えてこそ、
風を切って走れるという
爽快感を手にすることができるのである。

ギターの壁だって、
自転車乗り程度の
粘りとガッツがあれば
超えられるものなのである。

それは、
レベルアップして
更なる難所にぶつかっても
当てはまる道理であって、
上級者曲の『タンゴ・アン・スカイ』の
急速上昇パッセージを
どう攻略するか・・・というので、
クロス・ストリング奏法と
スラーを併用して
難なくブレイク・スルーできた時にも
感じたことである。

***

音楽室に
裏板が剥がれた
壊れたチェロがあったので、
音楽の先生のご許可を頂いて、
古楽器修復家として
レストアさせてもらうことにした。

ついでに、音楽室に
備品のギター弦があったので、
七本あるギターの弦交換やら
メンテをやってあげようと思う。

“歌って踊れるカウンセラー”が
モットーであるが、
“楽器からコウモリ傘まで治せるカウンセラー”
という肩書きも
あらたに名乗ることにしよう(笑)。







もうすぐ七夕なので、
赤い短冊を飾り、
詫びた煤竹一重切花入に
庭の紫陽花をニ輪
活けてみた。

柄杓入は
アキが中学の工作で作った
厚紙製である。

茶道にある
「一器四用」の教えに従い、
時には内に水壜をひそませて
手桶花入としても活用している。

かつて、
子どもたちが学童の頃は、
家内美術商のトーチャンが
「傑作品買取ます」制度を
やっていたことがある(笑)。

かれらの作品の出来、
室礼使用に値するかで、
50円~300円くらいで
買い入れた。

なかには、
5円というような
駄作もあった(笑)。

それらは、
いずれ忘れられ、
ホコリをかぶり、
捨てられたと思う。

茶道では
「真行草」の「真」(一番の格式)
になる真塗矢筈板に、
修学旅行引率した時に
上海で求めた総螺鈿(らでん)の
中棗(なつめ)を飾ってみた。

短冊は自筆の
良寛禅師と
弟子の貞心尼との
初対面時の相聞歌である。

 君にかく相見ることの嬉しさも
  まだ覚めやらぬ夢かとぞ思ふ

 夢の世にかつまどろみ
  夢をまた語るも夢もそれがまにまに

良寛の
「夢のようにはかないこの世では
 成り行きにまかせたらよろし」     
という
脱力の生き方が好きである。

半隠遁者のような
今の生活も
そうでありたい。

つい先日も新潟で大地震があり、
新潟大のナツが心配されたが、
かの良寛も
1828年の齢七十一の折、
三条大震災に遭遇しており、
1400人余りの死者を出したその震災では
愛児を亡くした知人に
見舞いの手紙を送っている。

それには、
「災難に逢う時節には
災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には死ぬがよく候。
是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」
と、したためてある。

なんという達観であろうか。

金光教祖にも
難儀にぶつかったら
「死んでもままよ」
というつもりで居よ、
という究極のみ教えがある。

自然の摂理には逆らえない。
何事も受け容れることこそ肝要。
それが、災難を逃れられる
唯一の方法だというのだ。

宗教家の高橋正雄師は、
「在る物みな美しく
 起こる事みな良し」
と色紙に書かれた。

Anything is OK!!
(すべてOK)
という「全肯定」の境地が、
晩年が近づいてきた昨今、
すこーし解かるような気がしてきた。

臨終に際しては、
そう確信する様で在りたいと、
一日、一日を丁寧に
深く生きようと心掛けている。

駄々羅な「長生き」よりも
濃密な「深生き」の方を選ぶ。

***

 虎は死して皮を残す
  我れは死してブログを残す(笑)







先日、訪ねた
上鳥渡の旧街道にある
観音寺の五重塔は
近くで見ると
金ビカ玩具のようだが、
遠巻きにシルエットで見る分には
ナンチャッテ京都の風情が
ないでもない。

苔蒸し時代がかった
地蔵様たちは
「化野(あだしの)念仏寺」の
無縁仏の石仏群を彷彿させる。

京都で寺社拝観行脚を
はじめた頃は、
「ばけの」と読んで
“京都通”のカミさんに
笑われたことがある。

まだ、子どもたちが
生まれる前だったので、
夫婦ふたりで、
“中年修学旅行生”のごと
毎週日曜には寺社拝観に
嬉々として出かけていたので、
八年間ですっかり京都通になった。

当時、
いつかこの日々を
振り返る時があるんだろうなぁ・・・と、
漠然と胸に抱いたことがあるが、
今がまさに、その時のような
気がする。

あたしゃ、
もうすぐ、この世を
辞去するよ(笑)。

\(゚▽゚*) サイナラ~

出た出た!
“死ぬ死ぬ詐欺”(笑)
(樹木希林 作)




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オフ日の過ごし方

2019-06-21 06:15:00 | 風景
閑職になり、
徒然なるままに日暮し
PCに向かってるわけにもいかず、
無聊の慰めにと
街出をしてはブラブラ歩きをしている。

新しい店が出来た、
と聞いては試食にでかけ、
ついでに古書店に寄っては
漫画を漁ってくる。

時折、
自分と同じハーパン・リュックの
白髪オジンに出くわすが、
なんだか、近親憎悪が湧いて
嫌~な気分になる(笑)。

嗚呼、定年親爺ぃ・・・
というフレーズが
浮かんだりもする(笑)。






きのうは
市民ギャラリーの前を歩いていたら
版画展を開催していたので、
ブラリと立ち寄ってみた。

「入場無料」がありがたい。

ただ、
入り口で、
しっかり開催者の係員から
芳名帳を書かされた。

「字が下手で・・・
こまったなぁ・・・」
なぞと
気の良さげなオバチャン相手に
小芝居をしながら
ペン字で練習している
住所・氏名を念入りに揮毫した。

我ながら
上手く書けたと思ったが、
せっかく前振りをしたのに
オバチャンがお世辞の一つも
ツッコんでくれなかったので、
いささかガッカリだった。

こういうフクシマ人の
洒落っ気のなさ、
サーヴィス精神のなさ、
が関西人と比べると
ツマラナイのである。

***

外国の風景を
ユトリロのような線と白壁、
ルオーのような黒の輪郭線で
表現されたものは、
およそ版画らしくなくて
いい感じだった。





古楽器製作家であり、
ビウエラの研究者でもある
カルロス・ゴンザレスの
論文を読んでみた。

現存する
3本のオリジナルについての
考察が興味深く、
その復元過程も面白く読めた。

なるほど。
古楽器製作家というのは、
同時に、古楽器研究者でもあるのだな、
と改めて感じ、
自分もそうでありたい
と思いを新たにした。






飯電の車両が新しくなった、
というので、
踏み切り待ちの時、
カメラを用意して構えていた。

捉らまえることは出来たものの、
あらま・・・
前とたいした変わらんじゃん・・・と、
そのシルバー基調の車体を見て
期待はずれ感があった。

なんだか
地味過ぎで、
もちっと、遊びゴコロ、
絵ゴコロはなかったもんかい・・・と、
ケチをつけたい気分だった。

これにも
フクシマ人のコンサバ感に
辟易する思いがした。

「遊びがない」
「洒落っけがない」
って、オモロナイなぁ・・・。

目の前の
林檎の樹には、
青い実が膨らみ始めていた。

なんだか、
宮沢賢治の
『風の又三郎』の
のっけの歌が思い浮かんだ。


どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

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