『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

梅雨七夕

2019-06-22 05:03:00 | 季節
山間(やまあい)の隘路を
延々と行くと
遠く丘の上に
近代的意匠の校舎が
見えてくる。

学校への長いアプローチの
カーヴを曲がると
植え込みのサツキが咲いて
朱文字がくっきりと浮かぶ。

なんでも、
地元の方々が
善意で刈り込みを
して下さっているという。

3.11の原発事故後、
全地区避難対象区だったので、
それが解除となった今も、
子どもたちが戻ってこないので、
地区の方々も協力して
なんとか学校を盛り立てていこう
という思いが感じ取れる。

幼稚園・小学校・中学校の
三校合わせて
全生徒数三名で、
しかも中3生なので、
彼らが卒業してしまったら
生徒数0となり、
休校ないし廃校ともなりかねない。

設備の整った近代的な校舎を
“塩漬け”するようなことになっては、
ほんとうに勿体無いことである。

なので、
なんとか存続の為にも
越境入学でもいいので、
この自然と教育環境に恵まれた学校に
ひとりでも多くの子が
来年4月に入学してくれないものだろうか。

町教委には、
不思議な縁で
中学の同級生で親友が
二人再任している。

二人とも福大でもあるので、
ゲンちゃんらには
なんとか頑張って
「自然に恵まれた環境で
伸び伸び、楽しい学校生活を送ろう!」
というような
キャッチフレーズで
“手作り”少人数教育を謳って
生徒獲得をしてほしいものである。

市教委と町教委が
タイアップして
大規模“支援学級”という
構想をしてもいいかもしれない。

それには、
市議会と町議会との
タイアップも必要で、
スクールバス確保なぞの
予算をつけてもらいたい。

これから、ますます
少子高齢化が進むので、
ほんとうに未来の子どもたちを
大切に育てるという高邁な理念を
教育行政が持たなくては、
日本は更なる衰退、亡国への
一途を辿りかねない。

臨床教育的には、
子どもたちのゲーム障害の高頻度や
社会教育の崩壊、
家庭教育の脆弱化で
“こころの崩壊危機”が
懸念されている。

「不登校」14万人(増加傾向)、
「ひきこもり」70万人(増加傾向)、
「ゲーム障害」10%以上(増加傾向)、
という数字を見ても、
IT文明が発展して
利便性が高まった反面、
<こころの崩壊>も進んでいる
と看做すのが自然な観察眼であろう。





きのうは、
二回目の音楽授業を
させて頂いた。

『禁じられた遊び』を
タブ譜にして、運指を施し、
その読譜法をも教授したので、
生徒たちがやる気になれば、
譜面から音楽を起こすことが
できるはずである。

きのうは、
前回に引き続き、
8章節まで進めたが、
それまで解放弦で
易々と弾けていたのが、
突然の難関であるセーハ箇所
(一本指で3本を押える)
に差し掛かると、
一同が悲鳴を上げた(笑)。

「指が届かない~!」
「音が出ない~!」
「指がツリそ~!」
と、難所、壁にぶち当たり、
ギターの手強さを身をもって
知った処でチャイムが鳴った。

巷間言われる
「Fの壁」(Fコードが弾けない)
もそうだが、
このような壁に出喰わした時に、
「なにくそッ!」
と、ガッツで乗り越えるタイプと
「もう、あかん~・・・」
と、ヘナるタイプに分かれる。

これは、
「自転車乗り」と同んなじで、
転ぶ痛さや意識ではバランスが取れない
もどかしさ、歯がゆさ、イラダチを
恐怖や葛藤と対峙して、
ちょっとの勇気とガッツで
乗り越えてこそ、
風を切って走れるという
爽快感を手にすることができるのである。

ギターの壁だって、
自転車乗り程度の
粘りとガッツがあれば
超えられるものなのである。

それは、
レベルアップして
更なる難所にぶつかっても
当てはまる道理であって、
上級者曲の『タンゴ・アン・スカイ』の
急速上昇パッセージを
どう攻略するか・・・というので、
クロス・ストリング奏法と
スラーを併用して
難なくブレイク・スルーできた時にも
感じたことである。

***

音楽室に
裏板が剥がれた
壊れたチェロがあったので、
音楽の先生のご許可を頂いて、
古楽器修復家として
レストアさせてもらうことにした。

ついでに、音楽室に
備品のギター弦があったので、
七本あるギターの弦交換やら
メンテをやってあげようと思う。

“歌って踊れるカウンセラー”が
モットーであるが、
“楽器からコウモリ傘まで治せるカウンセラー”
という肩書きも
あらたに名乗ることにしよう(笑)。







もうすぐ七夕なので、
赤い短冊を飾り、
詫びた煤竹一重切花入に
庭の紫陽花をニ輪
活けてみた。

柄杓入は
アキが中学の工作で作った
厚紙製である。

茶道にある
「一器四用」の教えに従い、
時には内に水壜をひそませて
手桶花入としても活用している。

かつて、
子どもたちが学童の頃は、
家内美術商のトーチャンが
「傑作品買取ます」制度を
やっていたことがある(笑)。

かれらの作品の出来、
室礼使用に値するかで、
50円~300円くらいで
買い入れた。

なかには、
5円というような
駄作もあった(笑)。

それらは、
いずれ忘れられ、
ホコリをかぶり、
捨てられたと思う。

茶道では
「真行草」の「真」(一番の格式)
になる真塗矢筈板に、
修学旅行引率した時に
上海で求めた総螺鈿(らでん)の
中棗(なつめ)を飾ってみた。

短冊は自筆の
良寛禅師と
弟子の貞心尼との
初対面時の相聞歌である。

 君にかく相見ることの嬉しさも
  まだ覚めやらぬ夢かとぞ思ふ

 夢の世にかつまどろみ
  夢をまた語るも夢もそれがまにまに

良寛の
「夢のようにはかないこの世では
 成り行きにまかせたらよろし」     
という
脱力の生き方が好きである。

半隠遁者のような
今の生活も
そうでありたい。

つい先日も新潟で大地震があり、
新潟大のナツが心配されたが、
かの良寛も
1828年の齢七十一の折、
三条大震災に遭遇しており、
1400人余りの死者を出したその震災では
愛児を亡くした知人に
見舞いの手紙を送っている。

それには、
「災難に逢う時節には
災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には死ぬがよく候。
是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」
と、したためてある。

なんという達観であろうか。

金光教祖にも
難儀にぶつかったら
「死んでもままよ」
というつもりで居よ、
という究極のみ教えがある。

自然の摂理には逆らえない。
何事も受け容れることこそ肝要。
それが、災難を逃れられる
唯一の方法だというのだ。

宗教家の高橋正雄師は、
「在る物みな美しく
 起こる事みな良し」
と色紙に書かれた。

Anything is OK!!
(すべてOK)
という「全肯定」の境地が、
晩年が近づいてきた昨今、
すこーし解かるような気がしてきた。

臨終に際しては、
そう確信する様で在りたいと、
一日、一日を丁寧に
深く生きようと心掛けている。

駄々羅な「長生き」よりも
濃密な「深生き」の方を選ぶ。

***

 虎は死して皮を残す
  我れは死してブログを残す(笑)







先日、訪ねた
上鳥渡の旧街道にある
観音寺の五重塔は
近くで見ると
金ビカ玩具のようだが、
遠巻きにシルエットで見る分には
ナンチャッテ京都の風情が
ないでもない。

苔蒸し時代がかった
地蔵様たちは
「化野(あだしの)念仏寺」の
無縁仏の石仏群を彷彿させる。

京都で寺社拝観行脚を
はじめた頃は、
「ばけの」と読んで
“京都通”のカミさんに
笑われたことがある。

まだ、子どもたちが
生まれる前だったので、
夫婦ふたりで、
“中年修学旅行生”のごと
毎週日曜には寺社拝観に
嬉々として出かけていたので、
八年間ですっかり京都通になった。

当時、
いつかこの日々を
振り返る時があるんだろうなぁ・・・と、
漠然と胸に抱いたことがあるが、
今がまさに、その時のような
気がする。

あたしゃ、
もうすぐ、この世を
辞去するよ(笑)。

\(゚▽゚*) サイナラ~

出た出た!
“死ぬ死ぬ詐欺”(笑)
(樹木希林 作)




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