『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

譜面しごと

2019-06-20 05:15:00 | ギター
明日の3校時目に、
2回目の音楽授業を
依頼されているので、
前回の続きで、
『禁じられた遊び』の
出だしから更に
3章節ほどをタブ譜を教えて
やってみようと思う。

なので、
今日中に
譜面を仕上げて
生徒の人数分を印刷して
教材づくりをしなくてはならない。

なんだか、
教員時代に戻ったみたいで、
久しぶりの教材研究を
楽しくやれている。

学部・院ともに
音楽を副専攻にしていたので、
ギター音楽についてのレクチャーを
音楽科の学生に何度か
する機会があった。

大学時代には、
盲学校にギターの指導にも
行っていたし、
成蹊女子高のギター部でも
自作の合奏曲を指揮したことがある。

大学生の頃に、
千葉大ギター部に入った
福高の同級生アンザイ君は
夏休みの1ケ月間に
毎日、レッスンに通ってきた。

ギター部後輩のシシドも
我が家に数ヶ月間
レッスンに通ってきたことがある。

なので、
「ギター教師」としても、
弟子や教え子がけっこう
沢山いることになる。

今、教えている
中学生もそのうちに
入るのだろう。







昨日の地震が凄かったという、
山形の高畠から
レッスンに来られているKさんが、
セヴィジャーナスの
リサイタルでのライヴ版をやりたい、
と仰るので、自分の即興的な演奏を
耳コピして採譜した。

フラメンコは、
コンパスというリズムと
尺(長さ)が決まっており、
その中でギタリストの裁量で
アドリヴでラスゲアードやセコと言った
掻き鳴らしで即興的に演奏する。

なので、
レッスンでは基本コンパスを
譜面に現して練習するが、
実際のライヴ本番ともなると
楽譜から離れて
センティミエント(感情)やアイレ(空気)
といったものを重視し、
「人生そのものを表現」すべく
ホンド(魂からの深い)な
生きた音楽が立ち上がらねばならない。

ライヴの音楽の迸流をつかまえて、
それを楽譜に固定するというのは、
本来は邪道なのかもしれないが、
ジャズマンたちも時折、
セッションで偶然に生じた
“生きた音楽”を耳コピして
再演するということもあるという。

その死後に、
「フラメンコ・ギターの神様」と
神格化されでいる
パコ・デ・ルシアも、
簡素なラジカセを前に
即興で弾いてみて、
その中から使えるファルセータ(フレーズ)を
自作曲に採り入れていたのを
記録映像で見たことがある。

そんなことを
言い訳がましく考えながら、
(なんだかなぁ・・・)
という思いと共に、
生徒さんの為に、
自分のライヴ演奏を採譜していた。






40代の一時期、
スペイン特有の古楽器
ビウエラに何年かハマッていた。

寝ても醒めても
ビウエラのことばっかり考えて、
CDを聴き、楽譜を検討し、
歴史研究と演奏の研鑽をしていた。

自作でも数本製作し、
発表会では妖しいコスチュームで
その典型的な代表曲
ナルバエス『<牛を見張れ>のディフェランシアス』
ムダーラ『ルドビーコのファンタジア』
を演奏した。

ビウエラは
15世紀に登場した
ギターよりもクビレがなだらかな
6コースで複弦の楽器である。

スペイン語の「ビウエラ/vihuela」は、
イタリア語・ポルトガル語では
「ヴィオラ/viola」となるので、
手で弾く撥弦楽器と
弓で弾く擦弦楽器の両方がある。

古楽器としてのビウエラは、
正式には
「ビウエラ・デ・マーノ」
と言い、
「Mano」は「手/指頭」のことである。

それに対し、
「ビウエラ・デ・アルコ」は、
Arco(弓)を用いる。

これは、
ヴィオラ・ダ・ガンバ(伊語/足のヴィオラ)の
祖先でもあり、スペイン発祥の
ビウエラ族はヴィオール族と
同族と看做されている。

ビウエラやヴィオラは、
さらに遡れば、13世紀頃の
中世のフィドル(fiddle)や
ビエール(Vielle)が
ご先祖様のようである。

16世紀(1536年)の
ミランの『エル・マエストロ』というのが
曲集の嚆矢であるが、
『5つのパヴァーヌ』なぞは
セゴビアがレパートリーに取り上げて来、
ギタリストにも馴染みの曲となっている。

中世ヨーロッパでは
リュートが全盛の頃だったが、
ビウエラは調弦が同じながら
スペインでは全く広まらなかった。

それは、
長らくスペインが
モーロ人(イスラム教徒)に支配され、
キリスト教徒が中東の楽器である
「ウード」を起源とするリュートを
異教徒の邪悪な楽器と
看做していたことに拠るという。

ウードは、
英語の「ウッド(木)」であり、
それに定冠詞の「ラ」が付いて、
「ラ・ウード」(ザ・ウッド)が
変じて「リュート」になった。

17世紀になって
スペインの覇権の衰えと共に
ビウエラは衰退して
歴史から姿を消した。

現存するオリジナルの物は、
世界にわずか3本のみである。

当時、
ルネッサンス・ギターは4コース複弦、
バロック・ギターは5コース複弦だったので、
ビウエラの6コース複弦という形式と
構造などが融合して、
現代の6コース単弦のギターへと
進化したのではないか、
と独断で考えている。

ビウエラの作品を残した作曲家は
わずかに7人ほどだが、
今日、ギターで弾かれるのは、
ミラン、ナルバエス、ムダーラだけで、
それ以外の
バルデラバーノ、ピサドール、
フエンリャーナ、ダサなどは
ギターでは全く弾かれない。



毎日、工房で
ビウエラを製作していた頃は、
末っ子のナッちゃんが
保育園児だったので、
オトーサンが作ったり弾いたりしてる
不思議な楽器を広告チラシの
裏面に描いていた。

ビウエラは
いかにも古楽器らしい
表面板に施す
細かいモザイク(寄木細工)が特徴だが、
その模様までしっかり模写していたのは
感心したので、額装して
今も工房の作業台の壁面に飾ってある。






少年時代に衝撃を受けた
『奴隷市場』の画家
ジェロームの他の作品をも
俯瞰していたら、
彫刻家が彫像に接吻する場面を描いた
『ピグマリオンとガラテア』
(1890/メトロポリタン美術館)
という作品にも度肝を抜かれた。

これには、
背面像と正面像の
二つがあって、
いずれも、圧倒的な画力と
その寓意性に息を呑むようだった。

彫像が生身の女性に変身するというのは、
ギリシャ神話の古代キプロス王の
ピグマリオン(Pygmalion)の寓話が
モチーフである。

王は後宮の女性たちに飽き足らず、
理想の女性像を作るうちに、
次第にその彫像に恋をしてしまい、
それにガラテアと名づける。

落語にもなりそうな噺だが、
かなわぬ恋患いで衰弱した王を哀れんで、
女神アフロディーテはガラテアを
人間にしてやると、
二人はめでたく結ばれたという
ハッピーエンドのおはなし。

ジェロームの絵に
「愛の弓矢を持つキューピット」が
描かれていてる。

キューピー・マヨネーズで
お馴染みのキューピーちゃんは、
元はローマ神話のクピド(Cupido)が
語源であり、ギリシア神話では
エロース(Erōs)という。

ジェロームの描くガラテアは、
まだ下半身が石膏か大理石のようで、
それがグラデーションで生身の上半身に
なっているのが、なんとも艶冶である。

求愛に応えるかのように
カラダを折る動きが
固定された足元との対比効果で
プシケー(魂/生気)が感じられる。

自ら彫刻も手がけたという
ジェロームならではの
質感の表現の確かさがあり、
幻想的絵画でありながら、
スーパー・リアリズムでもある。

ジェロームは
印象派が嫌いだったらしく、
さもありなんと思った。

アカデミック美術の重鎮として
サロンの審査員の頃(1869)、
モネやセザンヌ、ルノワールなどの
今日、名画といわれるものを
ことごとく落選にしたというから、
大人げない(笑)。

彼によれば
「印象派はフランスの恥だ!」
そうだ・・・(笑)。

「日本人の印象派好き」は
つとに有名だが、
『奴隷市場』のような
衝撃作・問題作を世間にぶつけた
ジェロームのような頑固ジジイも
オモロイ存在である。

まるで、
落語界にありながら、
協会に属さず
一匹狼を終生貫いた
最高のテクニシャン「金馬」を
彷彿させられた。





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コロリン坊

2019-06-19 08:31:00 | 風景
昨晩は、
緊急地震警報が
久しぶりに鳴ったものの、
震度4で済んだが、
新潟では震度6強で
「津波注意報」が出たので
驚いた。

新潟大近くの
海沿いに住んでるナツのことが
懸念されたが、
1mほどの波だというので
とりあえずは安心した。

余震もなく
単発の海底変動だったようだが、
3.11の時は、三連動の
プレート崩壊が起こり、
震度6が3分も続いて
15mもの津波が発生したのだから、
その超規模が伺われよう。

なればこそ、
2万2千もの尊い命が
亡くなられたのである。

その後、
何千回という余震を
体験したので、
さすがに「地震慣れ」して、
震度4程度では動揺しなくなったが、
これが5ともなると
さすがに心臓がバクバクいいだす。

本能的に
身の危険を感じるのだろう。

6ともなると、
生きた心地がしない。

3.11で3分も続いた恐怖は
筆舌に尽くし難いものであった。

思わず、
(こりゃ、死ぬかも・・・)
と覚悟した。

そして、
原発が爆発して
屋内退避勧告が出たときも、
(こりゃ、死ぬかも・・・)
と覚悟した。

なので、
3.11では、
二度も「死ぬ覚悟」を体験した。

それでも死ななかったので、
あの時、亡くなられた二万二千もの
老若男女の御霊様の慰霊として
『復興支援コンサート』を
6年もさせて頂いた。

思えば、
二度も「死ぬ覚悟」を
体験したからこそ、
為し得たのかもしれない。





教員時代に
中国への修学旅行引率で、
上海で頂いた土人形が
「震度4」を越すと
正確にコロリンと倒れてくれる。

3.11以降の余震で
何十回コロリンしたか分からない。

昨晩もコロリンしたし、
先週も一度コロリンした。

3.11直後の
数たびの「震度5」では、
床に放り出されて
頭の一部が欠け
痛々しい姿のまんまだが、
その傷跡は修復せずに
痕跡として残している。

我が家の地震センサーは
「コロリン坊」という(笑)。






きのうは
ソータの今季「順位戦」の
初戦だった。

前期は、
「9勝1敗」という
最高成績で何人かと並んだが、
C級1組36人のなかで
スタートの2組から昇級したばかりで
順位の最下位だったソータは
昇級を逃した。

勝率9割で
昇級できないという
超厳しいリーグ戦なのである。

今季はC級内で
順位が3位まで上がったが、
それでも、「9勝1敗」では
プレーオフになるか
自力昇級はできない可能性がある。

なので、
C級2組の時のように
「10戦全勝」すればいいのだが、
並み居るプロ、将棋の天才たちとの
間でしのぎを削るのだから、
「大天才」をもってしても
楽なことではない。

昨日の初戦でも、
危ない展開があり、
逆転して勝機をつかんだので、
薄氷を踏むような思いだった。

プロの登竜門である
超難関の“鬼の三段リーグ”を
一期抜けしたソータでさえ、
C級1組ではそれが為し得なかった。

奨励会員の頃、
連盟理事の森下九段からは
「君はいつまでも、
こんな処に居ていい人間じゃないよ」
と言われたことがあるという。

なるほど。
彼は「名人」になるために
生まれてきたような
棋士なのである。

それには、
今季こそC級1組から昇級を果たし、
B級2組から1組、そしてA級へと
駆け上がってタイトル挑戦者に
ならねばならない。

**

「順位戦」は
12時間にわたる対局なので、
一手1時間というような
長考になることもあるので、
その間には、録画してあった
NHK杯を二元中継で観戦した。

ソータの棋戦があるオフ日は、
昼休(ちゅうきゅう)の
40分間中に買い物に出かけ、
夕休(ゆうきゅう)の
40分間中に入浴し夕飯仕度をする。

食事中は、
隣にPCを開いて
観戦飯である。

カミさんも
その光景に慣れてきたようだ(笑)。

なんせ、
おらいの“名誉孫”だかんねぇ(笑)。

昨晩も観戦疲れで、
最終盤の10時を過ぎた頃には
眠気に襲われて、
危うく寝オチしそうになったが、
あの地震で眼が覚めて
なんとか決着がつくまで観れた。






書斎を新築したばかりの時、
敷物なしでフローリングの上を
デスク・チェアでゴロゴロやってたら、
アッという間に表面のプリントシートが
剥がれてしまった。

フローリングといっても、
無垢の板ではなく、
合板に木目プリントを張った
チープなもんなんだと分かったが、
後の祭りだった。

それ以来、
カーペットを敷いていたが、
それがヘタってきたので、
ニトリで安価なパスル・マットを
買ってきた。

将棋を見ながら
組み立てたが、
ワンコインの安物だけあって、
椅子のキャスターが沈んでしまい、
快適に前後左右に
移動できないようだった。

いちいちお尻を浮かせて
移動すれば何とかなるので、
軽運動のつもりで
不便を業とすることにした。

マットのズレ防止には
ダイソーの“スベラーズ”の
特大があったのでラッキーだった。







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オン日/オフ日

2019-06-18 04:58:00 | 仕事
学校勤務日が
週二日に減ったものの、
中身がけっこう濃く、
K中にはPCをリュックに
背負っていくものの、
二週続けて出すことも
ままならなかった。

きのうは、
重症スマホ依存症の
ご新規さん1件、
本人曰く
「完全不登校じゃないから微登校(笑)」1件、
アウトリーチ(訪問支援)1件、
そして、先生のコンサル3件で、
合間に執務報告書をミッチリ記録し、
息つぐ間もなかった。

なので、
帰ったらグッタリで、
夕飯時には
「めちゃくちゃ忙しくてクタビレた~。
 オフ日との落差が激しすぎだ~」
と、ついつい
ヘタレを吐いてしまった。

10時には寝床に撃沈し
今朝は4時に目覚めた。

あ~・・・61歳、
先ずは生きてる・・・
ってな、感じだぁ~(笑)。

あ、だから、
「先生」なのかぁ・・・(笑)。

先ずは、生きてみせるんだなぁ・・・。

先を、生きているのかもしれない。






今朝の朝刊で、
大英博物館で初の
「大マンガ展」が開催され
話題を呼んでいるという。

12-13世紀(平安末期-鎌倉初期)の
鳥獣戯画から始まり、
葛飾 北斎、河鍋 暁斎らの
『北斎漫画』や『妖怪戯画』などに
マンガのルーツを探るという
『アリス』の国らしい企画展である。

企画キュレーター(学芸員)の
ニコル女史は、
ハーバード卒のPh.Dで
日本美術文化の教授である。

女史に拠れば、
世界的に、インスタのように
イメージで理解できる時代になってきたので、
マンガは将来、
「ヴィジュアル・ストーリーテリング・ランゲージ」
として、美的な言語に
なり得るという。

なるほど!ザ・ワールド・・・である。

アメリカ建国より
古くにルーツのある漫画は、
たしかに、「歴史的文明」と
位置づける見方も有りかもしれない。

ただし、
保守的な英ガーディアン紙のような
「偉大なる大英博物館で
ポップ(俗)な展示は如何なものか」
という
皮肉交じりの社説もあるというが、
(なーに、言ってやがんでぇ!
大英帝国時代に、世界中から
かっぱらってきた盗品博物館じゃねーかッ!)
と毒づきたくもなった(笑)。

***

きのう買ってきた
『七人のシェークスピア』では、
なんと、ルネッサンス・リュートが登場し、
それを机に載せて弾くという
歴史的な庶民の演奏スタイルまで
正確に描かれていて驚いた。

かねがね、
リュートで
『グリーン・スリーヴス』を
人前で演奏してきた時に、
シェークスピア時代に
全盛の楽器だったという
前説をふっていたので、
この作品は、まさに、
我が意を得たりであった。

やっぱし、
漫画の潜在力は
凄いものである。

小説でリュートが出てきたなんて
見たことも聞いたこともない。

アート系映画には
時折、登場しているが。

そういや、
名作『ロミオとジュリエット』の監督、
フランコ・ゼフィレッリが亡くなったことを
きのう報じられていた。

リサイタルでも、
ニノ・ロータ作曲の主題曲や挿入曲を
組曲に編曲してリュートで演奏した。

『ロミジュリ』世代の
テニス倶楽部のナベさんから、
「リュート、すンごく良かった!」
とお褒め頂いて嬉しく思った。

ゼフィレッリ監督の『ロミジュリ』は、
全編、紗を掛けたような
古典画を思わす映像で、
我が『生涯の10本』に入る
ベスト・ムービーである。
           
ちなみに、
『生涯の10本』は・・・

1.『眼下の敵』
2.『刑事コロンボ 別れのワイン』
3.『バベットの晩餐会』
4.『男はつらいよ 寅次郎紅の花』
5.『ブラザー・サン・シスター・ムーン』(ゼフィレッリ)
6.『ロミオ&ジュリエット』(ゼフィレッリ)
7.『小さな恋のメロディー』
8.『Shall We ダンス?』
9.『めぐり逢う朝』
10. 『リング』






きょうは
ソータの順位戦が
10時からある。

12時間を経る勝負なので、
決着は夜の10時近くになる。

完オフ日なので、
きのうの疲れを癒すべく、
存分にソータの棋戦を
楽しんで癒されたい。

数十手先を読む天才なので、
最終盤になって、
自分の負けまでが見えてしまうと、
思わずガックリと肩を落としたり、
ハーッとため息を
漏らしたりすることがままある。

「勝負師」「真剣師」としては
本来あってはならないのだが、
なにせ、まだ高2の17才なのだ。

デヴュー当時から、
ニコ生の「ストリーミング・コメント」では、
「あ、中学生に戻どっちまった!」
とか
「あ、高校生に戻どっちまった!」
とカキコされる(笑)。

逆に、
あと数十手で
勝ちが見えてしまうと、
急に、キョロキョロあたりを見回す。

すると、
「あ、キョロった」(笑)
「あ、もう、見切った」
「あ、オワッタ」
「すげー、神ってる」
とコメが流れる。

***

「この師にして、この弟子あり」
と讃えられるのが、
杉本八段とソータ七段の間柄である。

ソータの急成長で
練習対局で負けてばかりいた師匠が、
(自分は弱くなったのか・・・)
と苦悩したようだが、
29連勝や朝日杯二連覇、
詰め将棋選手権五連覇の快挙に、
(彼が強くなったんだ・・・)
と確信して、
自分も精進したという。

その結果、
同じC級1組に在籍し、
弟子のソータを蹴り落として
B級に昇格し、また、
七段に並ばれてしまったのを
勝率を上げて、八段に昇段した。

ソータは
「師匠を尊敬している」
と言うが、まさしく、
その言に値する
精進ぶりには頭が下がる。

ソータの活躍で
師匠もマスコミに引っ張りダコだが、
その朴訥な人格が滲み出ていて、
同時に、師弟対決では、
負けまいと前乗りして
報道陣の取材も断るという
「勝負師」の一面も見せ、
かっこよかった。

「世紀の師弟対決」と報じられ一戦では、
ソータが“恩返し”という
棋界の俗言を為し遂げたが、
師匠は
「こんなに、早く、
恩返ししてもらわなくても良かった」
とユーモアを交えながらも、
「自分は師匠が早くに亡くなり、
公式戦で対決できなかったので、
こんな形で師弟対決ができて
嬉しく思いました・・・」
と涙をにじませ、
もらい泣きしてしまった。

まさしく、
「この師にして、この弟子あり」
である。






中学生か高校生の頃、
一枚の絵画に
心乱されたことがある。

最近、その一枚が
『奴隷市場』
(Le Marche d'esclaves/The Slave Market)
というタイトルで、
フランスの画家
ジャン=レオン・ジェロームが
1866年に描いたものだと判明した。

性に目覚めた頃だったので、
全裸の女性が
アラブ系金満家たちの
好奇の目に晒されて
物のように扱われているモチーフが、
「裸婦の美」と
男たちの性欲が顕現したような
卑猥さとの倒錯感が、
少年時代に衝撃を与えたのだろう。

今見ても、
問題有りげな傑作ではある。

ジェロームは、
新古典主義の流れをくむ
フランス・アカデミック絵画の
巨匠のひとりだというが、
『奴隷市場』のモチーフで連作しており、
それらは19世紀オリエンタリズム美術の
代表作ともされている。

アカデミック絵画は、
印象派が持て囃される
世界的な傾向の陰で、
近年、その絵画レベルの高さや
エロティシズムと高尚さとの
際どい芸術性によって
見直されているという。

一見、女性を貶めているような
モチーフであり、
厳格なカトリシズムやイスラミズム、
フェミニズムからは
糾弾・排斥されそうだが、
やはり「芸術」「美術」の
力なのだろうか。

その圧倒的な画力による「美」には、
低俗、猥褻、卑猥という
安易な批判を凌駕する
妖艶美、エロティシズムな美が
観て取れる。

ゴヤの『裸のマハ』や
マネの『草上の昼食』での裸婦像も
芸術か猥褻か? で、
発表当時は物議を醸してきたが、
現代でそれを語ったら、
「美」を解するインテリジェンスが無い、
無教養と唾棄されるだろう。

それでも、
現代においても、
『奴隷市場』は
際どくボーダーにあるような気がするが
その衝撃性、問題性にこそ、
“芸術性の命”が
宿っているのかもしれない。

ゲージツって、
なんやろねぇ・・・?

┐(´Д`|||)┌  ← ゲージツカ・クマサン


ʅ(-"-;)ʃ ・・・








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低気圧・・・

2019-06-17 09:15:00 | 風景
台風みたいな
低気圧のせいなのか、
きのうは朝方、
具合が悪かった。

カミさんと
サンデー・ランチにでかけてから、
少し、復調し、
午後からのギター・レッスンと
夜のカウンセリングの時は、
大分と良くなった。





梅雨の大雨で、
すっかり蹲(つくばい)の水が
改まり、清められていた。

茶事では、
ここにつくばって、
柄杓で手と口を清め、
にじり口から這い入る。

笹に埋まる
織部灯篭も
侘び感が佳い。






土湯ラバーなので、
マップを時々ながめては、
何処を散策しようかと
画策している。

すでに
探検済みの処は
ピンク○をつけて、
いずれは全制覇の野望を抱いている(笑)。
(スケールちっちゃァ・・・)






ヴァイオリニストと作曲家が主人公の
見知らぬコミックを読んでみた。

中に、
作家の友人という
音楽家が作品のために
実際に作って提供したという
『変奏曲』が登場し、
巻末には、その楽譜まで添付されていた。

女性作曲者の弁があって、
超絶技巧曲をという依頼だったので、
できるだけ譜面が黒くなるようにした、
とのことだった。

パガニーニの
『カプリース24番』は
コンクールの自由曲で
若い頃にかなり弾き込んだので、
今でも、なんとか弾ける。

なので、
ギターでなら、
この「超絶技巧曲」なるものも
弾けなくはなかろうと思う。
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石仏鑑賞

2019-06-16 07:06:00 | 趣味
きのうは、
カミさんが
お昼に親友と食事会に
出かける予定だったので、
土湯ラバーの自分は
またまた温泉街に出かけて
軽食をしてきた。

しょっちゅう行ってるもんで、
途中までは、普段は通らないような
裏道の「ナンタラ街道」なる
隘路の旧道を行ってみた。

そしたら、
観音寺の裏門前に
石仏がゾロリとあったので、
小雨のなか降車して、
何体かを合掌しながら
撮らせて頂いた。

20~30代の頃、
京都に8年間棲んで、
カミさんと共に
神社仏閣のすべてを
訪れてきたので、
京都チックな風景には
憧憬を抱いてしまう。

模型のような五重塔やら
金ピカの大仏様もあって、
なんだかなぁ・・・という
お寺ではあったが、
梅雨に濡れそぼる楓や
石畳の風情は、
そこだけ切り取ると
京都らしさを感じさせた。





地蔵様や観音様の石造が
あちこちにあり、
墓地のなかにまで入って
いいお顔のものを写させて頂いた。

「慈しみの眼」と書いて
「慈眼(じがん)」と言うが、
まさしく、そのような
仏様たちだった。

仏様のみ教えに
「無財の七施」というものがあり、
その一つとして、
他者に対して「慈しみの眼」で
接するのを「眼施(げんせ/がんせ)」と言う。

他にも、
「和顔悦色施(わげんえつじきせ)」
といって、
にこやかな顔で接すること、
「言辞施(ごんじせ)」・・・
やさしい言葉で接すること、
などがある。

自分のゴッド・ファーザー(名付け親)
でもあられた宗教家の
樋口 寅先生から贈られた
「和顔愛語」
という色紙は、
折にふれて室礼にも
飾らせて頂いている。

心理教育カウンセラーも
人の不幸・薄幸と
対峙することが
少なくないので、
「慈眼・和顔・愛語」は
体得していなくてはならない。





二十歳(はたち)の
学生の頃から、
ほぼ毎日、42年間で
およそ1万5千日くらい、
落語を聴いてきた。

車の中で、
入浴中に、
寝床で・・・と、
時と場所を選ばず、
落語に接してきた。

ここ数年の
ど下手な若手や
ツマラン新作は
全く無視しているが、
寄席全盛の頃の名人たちの
市販された音源は
ほぼすべて蒐集してきた。

存在そのものが
「ザ・落語」とも言える
立川 談志家元をして、
昭和の名人・桂文楽をして、
「№1」と言わしめたのが、
先代の三遊亭 金馬である。

このツートップの評に
間違いはない。

42年もの間、
繰り返し聞いても、
面白いし、笑えるし、
味があり、上手いなぁ・・・と、
感嘆するのは
「金馬」だけである。

なので、
LP25枚/SP20枚の音源は
テープに録って、
処かまわず聞いているが、
カセットのインデックス文字が
経年変化で消えかかってきたので、
油性ペンで書き直した。

金馬だけで
30本はあるので、
その単調な作業をする間、
録画した『大草原の小さな家』を
流しながら、チラ見しながら、
自分で炒った大豆をポリポリやりながらの
作業であった。

『大草原』は、
1話の最後にその地を追われ、
2話目にして原作2巻目の
『プラムクリーク』に移住している。

***

落語界の「№1」を
長らく愛し、聞き惚れてきたので、
その名人の話芸が基準になると、
下手な噺家は1分と聞いていられない。

プロの噺家にも
その手は多く
話し上手は稀有である。

哀しいかな、
素人の話でも
ど下手はすぐに判り、
それが講師だったりすると最悪で、
もう聞くも苦痛、地獄の責めで、
たいがいは退室するか
逃げるようにその場を去る。

いろんな会合や
組織、集会に
長らく所属してたり
参加していたが、
命の残り時間が少なくなってきたら、
もう、ツマランことに
付き合う義理はないと見切って、
あらゆることから“脱北”した(笑)。

きのうも
久石 譲の
『人生のメリーゴーランド』を
ピアノで練習していたら、
こんな有意義で楽しい時間を、
今まで、どーして、
義理ばった集まりで
犠牲にしてきたんだろう・・・と、
ツマラン話を聞かせられた相手や
クダラナイ会合に出向いた自分に
腹が立った。

人様の貴重な時間
(命の持ち時間)を無駄にしたり、
奪う輩(やから)は悪人だ、
と最近、決め付けている。

談志家元に頂いた
「嫌なことはしないこと」
という直筆の掛け軸を
朝晩、寝室で眺めて、
毎日の銘としている。

人間に嫌気がさして、
60年来通ってきた教会からも
スッパリ脱北して、
神様と直に向き合うことにした。






ファイナル・リサイタルを終えてから
2ケ月経ったが、時折、
これまでの6年間の歩みを
振り返っている。

ブルーレイ・レコーダーのHDDに、
そのライヴ記録があるので、
あちこちをランダム・アクセスして
眺めたり、聴いたりしながら、
「当時」を思い返している。

還暦の年の
赤のコスチュームで弾いた
『パコのファンダンゴ』は
本番のゾーンに入っていて、
アドレナリンが後押ししてか、
凄まじいばかりのキレとノリで、
今じゃ、あんなに弾けないなぁ・・・と、
過去の自分に嫉妬するようだった。

一般には有名曲ではなくも、
その迫力と本気度が伝わったのだろう。
エンディングと共に、
即、割れんばかりの拍手と
歓声が上がった。

ビデオでは、礼をした後、
足元がふらついて
よろけていた(笑)。

リュートもルネッサンス、
バロックと使い分け、
オリジナルと現代曲を弾いた。

自作の古楽器も披露し、
ピアノで『風の谷のナウシカ』まで
人前で初演した。

アンタ、ほんまに、
よくやったよ・・・
と、画面に向かって
言いたい心境だった。

「むのたけじ」じゃないが、
「自画自賛、大いにけっこう。
 自賛できぬような絵なら描くな!」
である。






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