『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

学友の訃報に接す

2024-05-22 05:55:00 | 相談

今朝方、
PCを立ち上げると
メッセンジャーに
大学の同級生の訃報が
飛び込んできた。

つい何年か前の
同窓会では
元気な姿で再会を喜びあって、
同室宿泊で、いろいろと
個人的な話もしたことが
思い出された。

自分の『復興支援リサイタル』の
ファイナル(6回目)にも、
わざわざ静岡の遠方から
有難くも駆けつけてくれて、
同窓生たちとも
互いの健勝を喜びあったが・・・。

彼の人懐こい声、
その笑顔が
懐かしくも哀しくも
よみがえってきた。

同世代の訃報が
これから、ちらほらと
同窓会サイトに載るような
年代になったのであろう。

自分も遣り残したことがなきよう、
人生の最終章を
より深く味わい、
願わくば、元気に
嬉しく生きていきたい。



**

たまたま・・・だが、
きのうは、予約生徒が
二人もキャンセルになったので、
SCの定期「自己点検」として、
生徒にも用いている
検査シートを三種やってみた。

まずは、
アウシュビッツの地獄を描いた
『夜と霧』の精神科医
フランクル博士原案による
「生きがい」測定テスト。

心理屋は「PIL」と呼ぶが、
「Purpose In Life」の略である。

昨今の中高生は、
この点数が低く、
「生き甲斐がない」
という判定になるものが少なくない。

昭和32年生まれの自分は、
64点にもなり
「かなり生き甲斐を感じている」
という結果となった。


*

続いては、
「自己実現」検査。

これも、そうとう
自己実現に達しているようだ。



*

「アイデンティティ・テスト」でも
同様だった。

自分とは何かを
明確に理解して
自分としてブレずに
しっかり生きているようだ。

66歳のジジイだから、
当たり前っちゃ、
アッタリまえだなぁ・・・(笑)。

思春期クライシスの子たちにあっては、
エゴ・アイデンティティの
「ディフュージョン(拡散)」や
「ディスオーダー(障害)」という
病態に陥っているケースが多い。



***

漫画図書館とした
旧・子ども部屋から
毎日、『剣客商売』を持ち出しては
再度、楽しみながら
全46巻を読了した。

江戸最強の剣豪・秋山小兵衛が
孫の前では
「デレデレじいじ」になるのが、
なんとも親しげがあって、
その息子・大治郎の
見守る眼差しも温かい。

 孫あり
  遠方より来たる
   また嬉しからずや

・・・である(笑)。



**

きのうは、
ミートソースが余ってたので、
それでスクランブルエッグにしてみた。

イカリングも
夕餉の残りもんである(笑)。

ビタミン補給のために、
朝・昼・晩と
苺を食している。



***

きのうは空き時間に
「音楽療法」の研究にかこつけて、
来年のリサイタルのプログラム曲である
ファリャの『はかなき人生』劇中の
『スペイン舞曲第一番』の
アナリーゼをしていた。

かつて、
発表会で、一度だけ、
ソロに編曲してやったので、
その折に書き込んだ鉛筆部分を
すべて消しゴムかけをして、
あらためて、デュオとして
楽譜通り演奏することにした。

これは、
天才パコ・デ・ルシアが
来日した折に、
兄のラモン・アルへシラスと
見事なデュオを聴かせてくれて
感動したことがある。



***

帰宅したら、
ドイツ・ショット社に注文していた
ロドリーゴの
『ある貴神の為の幻想曲』の
ポケット・スコアが投函されていた。

喜び勇んで、
いざ、開いてみると、
ポケット版だけに
ゴマ粒のような音符で
老眼鏡なしでは読みずらかった。

これから、
この曲をデュオ用に
切り取って、繋いでゆく
「くる楽しい」(苦しい+楽しい)
編曲作業に数日を費やそうと思っている。

それも、また、
いつもの事で、
リサイタルという
「孤独な」音楽活動の一環なのである。

 奏でられる者は
  奏でなければならない
   人のため己れのため

***

今朝方、
メールを開封すると、
またまた、教え子の
アラフィフ新米ママから
「育児相談」が寄せられた。

++

(一部・改変・編集)

こんにちは。
いつもお世話なってます。
また相談が・・・
Kの空想と嘘についての問題です。

3歳2〜3ヶ月頃から、Kが、
空想キャラクターの話をするようになり、
それが面白くて、ついつい、
「それで、それで?」
と話を広げていって聞いてたんですが・・・
空想なのか、ほんまにそう思ってるのか、
嘘をついてるのか、
わからんくなって、どうしたもんかと・・・。

【京都の氷で出来た家に住んでて、
仕事は淡路島でしてて、
黄色い車に乗ってて、猫飼ってて・・・】
とかなんですが、
お友達にも「猫飼ってる」とか
飼ってないのに嘘を言っていて・・・。

別に誰かを傷つける
嘘をついてる訳じゃないんですが、
注意した方がいいのかどうなのか・・・。

空想楽しんでるのを
注意してやめさせるのも
可哀想な気もするけど、
「嘘ついてもいいんやー」
とか思っててもいややし・・・。

幼稚園の先生が
「この絵本読んだことある人ー?」
って訊いたら、
読んだことないのに
「読んだことある」
って言うたり・・・。

車乗ってる時に
京都の家の話したから
「道案内して連れてって!」
って言うたら、
「右行って。左行って・・・」
って、けっきょく、途中でやめてました(笑)。

空想の話したら、
どう接したらいいのでしょうか?

+++++

この頃の子どもは、
まだ、現実と空想の区別が
曖昧なんやと思う。

よく言うてる例えやと、
「サンタさん」を信じてるうちは、
自我が確立されてへんと思うねん。

自分いうもんが、
オカンの一部やと思うてたり、
オトンがピカチューやウルトラマンみたいに
絶対に守ってくれている
と信じ込んでいるんやな。

それが、サンタさんは居てなくて、
自分とオカン・オトンは別な人間なんや、
と理解できるようになると
いわゆる「自分というもの=自我」が
確立されんねん。

せやから、その時期までは、
空想は彼・彼女たちにとっては、
ファンタジーのなかに生きているような
もんやと思うんや。

そのファンタジーは
大切にせなアカンと思うし。

大人にとっては「嘘」であっても、
子どもの心的には「ほんま」の事、
いうこともあると思うんやわ。

例えば、
大人でも、魚を釣り落とした時に、
「めっちゃ、大っきかった・・・」
って、二割方、大げさに
言うことあるわなぁ・・・(笑)。

それは、その二割増しには、
大きいのを釣れたいう「感激」「感動」と
釣れずに「悔しかった」いう
情念が含まれてんで、
その人にとっての主観的な
「こころの真実」を
伝えようとしてるわけで、
「客観的な事実」
「実際の真実」としては
「うそ」が含まれてるわな。

Kちゃんの考えた
空想キャラクターの話を
おもろがって、話を広げてさせんのは、
空想力を豊かにするし、強いては、
頭をよくする事につながるんで、
ええことやと思うで。

京都の氷で出来た家に住んでて
仕事は淡路島でしてて
黄色い車に乗ってて
猫飼ってて…
って、まさにファンタジーやわな(笑)。

せやけど、言葉が遅かった彼女が、
京都の氷、淡路島、黄色い車、猫飼ってる・・・
って、獲得した言葉の操作の魅力を
身近な信頼できる人間に語りたがるのは、
その「気持ち」よう解るで。

親としては、
友達にも「猫飼ってる」とか嘘いうてる、
って心配かもしれへんけど、
それはKちゃんのなかの
「こころの世界」の
「内的真実」を語ってるんで、
「現実の世界」の
「外的真実」とはちゃうんや。

そこんとこが了解できれば、
心配せんでもいいんとちゃう。

【ウソは常備薬 真実は劇薬】
【嘘も方便】
というように、
大人の俗世間的な倫理観で
「うそ=悪い事」と決めつけん方がええで。

自分かて、その歳になるまで、
さんざんウソついてきたやろ(笑)。

ウソは社交辞令でもあるし
人間関係を円満にする
ソーシャル・スキルでもあんねんで(笑)。

「まぁ! 奥様、素敵なお召しですこと!」
(なーに。ケバイこと。キモッ!!)←本音(笑)

先生が
「この絵本読んだことある人ー?」
って訊いた時、
読んだことないのに
「読んだことある」
って言うのは
「見栄」や「虚栄心」の始まりやな(笑)。

そういう「ええかっこしい」は
早くも、オカンに似てきたんとちゃうの?(笑)

オカンもまともに付き合って、
空想の家の道案内させて、
我が子を困らせてたら
アホやし・・・(笑)。

ちゃんちゃん(笑)。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『医食同源/薬膳』 | トップ | 検査値の成績悪し・・・😿 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

相談」カテゴリの最新記事