ソーちゃんの
『仁和寺決戦』の初日が
昨夕、封じられた。
序盤のAI判定は
「60対40」で
後手のソーちゃんが
ややリードである。
勝負は二日目の今日で、
ここから難所の「中盤」、
勝敗が決す「終盤」と
いよいよ見所の多い
局面になる。
予感では、
二連勝するような
気がしている。
そのくらい、
今の彼は、
気力も棋力も充実している。
初戦の能楽堂や
古刹での着物姿での対局は、
いかにも日本の伝統芸の
伝承・継承という
「歴史」をも鑑賞するような
重層感がある。
「クラシック」
という英語は
「古い」という意味ではなく、
「優れたもの」というのが
本来である。
それに加えて、
どこか雅(みやび)ている、
という多義性もある。
きのうは丸一日、
傍らに将棋中継のPCを置いて、
チェンバロのクリーニングと
メンテに明け暮れた。
50年来の汚れを
中性洗剤、アルコール、
オイル、ポリッシュで
洗い清めるのも一手間以上かかる。
ことに金属部分なぞは
サビこそはないものの
腐食寸前に汚れが固着しているので
800番のサンドペーパーに
オイルを垂らして磨きあげる
「オイル研ぎ」
という力仕事で、途中、
二枚も下着を着替えるほど
グッショリ汗をかいた。
こうした「手入れ」をするからこそ、
修復楽器には愛着も湧く
というものなのだろう。
鋼鉄弦も表面を
『ピカール』という
コンパウンドで一本ずつ磨き上げたら、
茶色くくすんでいたのが
銀色に復元した。
これも汗をかく
作業だった。
それから、鍵盤を全部外して
バランスピンやガイドピンの調整をした。
中に曲がっているものもあったので
ペンチで矯正したら
1本ポキリと折れてしまい、
ドッと冷や汗が出た。
断面を見ると、
鋳物製で…
これには驚いた。
ある程度、柔らかい鉄でないと
曲がりを矯正できないだろうに…
何を考えてるのやら…と、
リューティエとしても
製作コンセプトに疑問を持った。
仕方なく、
古楽器修復法で
ストックしてある「木の削り粉」を
速乾ボンドで練って
折れた箇所をギブスしたら、
すぐに固まって繋がってくれた。
鍵盤前板を外してみたら、
ジャックレール用の厚板も
5層の分厚い集成材合板で、
これじゃ重いはずだ…
と思わされた。
内部は50年を経てるのに
真新しいほどにキレイで
ゴミもホコリもない
"うぶ"な状態だった。
鍵盤表面に使用感はあったが、
あまり使用しておらず
きちんと蓋をされて
保管されていたようである。
56鍵中30鍵も音が出なかったので、
メンテできなかった前オーナーが
壊れたと勘違いして
早々と蓋をして物置きテーブルにでも
していたのかもしれない(笑)。
弾弦部分のタング(舌)も
スプリングも
プレクトラム(爪)も
経年劣化しておらず、
オーバーホールする必要も
ないくらいだったのは幸いだった。
*
この楽器名は
正式には
『ベントサイド・スピネット』と言い、
発明者はイタリアの
ジローラモ・ゼンティ (1609–1666)
とされているので、
17世紀に誕生したものである。
カストラート(ソプラノ男性歌手)の
ボンテンピ (1624-1705) の
著書《Historia Musica》(1695) には
「ゼンティの発明した
最新式のチェンバロは
不均等な三角形の形状をしている」
という記述がある。
18世紀半ばまで
イングランドでは
その小型さが重宝され
家庭用鍵盤楽器の主流であった。
棋戦の昼休(ちゅうきゅう)に合わせ、
修復作業も中断して、
有り合わせのもので
『ソテ・ド・プーレ
フォア・ド・ヴォライユ・ソース』
(地鶏のソテー
肝裏ごしソース)
をこしらえた。
思えば、
チェンバロ修復作業もそうだが、
これも、もうひとつの
自分にとっての"創作"活動だなぁ…と、
しみじみ思いながら
ヴァン・ルージュ(赤ワイン)とバケットで
「フレンチ・デジュネ」とした。
そういや、
勤務日のボンビー臭い「ベント」も
わざわざアップすることがあるから、
あれも、作品のつもりなんだなぁ…
きっと…(笑)。
『仁和寺決戦』の初日が
昨夕、封じられた。
序盤のAI判定は
「60対40」で
後手のソーちゃんが
ややリードである。
勝負は二日目の今日で、
ここから難所の「中盤」、
勝敗が決す「終盤」と
いよいよ見所の多い
局面になる。
予感では、
二連勝するような
気がしている。
そのくらい、
今の彼は、
気力も棋力も充実している。
初戦の能楽堂や
古刹での着物姿での対局は、
いかにも日本の伝統芸の
伝承・継承という
「歴史」をも鑑賞するような
重層感がある。
「クラシック」
という英語は
「古い」という意味ではなく、
「優れたもの」というのが
本来である。
それに加えて、
どこか雅(みやび)ている、
という多義性もある。
きのうは丸一日、
傍らに将棋中継のPCを置いて、
チェンバロのクリーニングと
メンテに明け暮れた。
50年来の汚れを
中性洗剤、アルコール、
オイル、ポリッシュで
洗い清めるのも一手間以上かかる。
ことに金属部分なぞは
サビこそはないものの
腐食寸前に汚れが固着しているので
800番のサンドペーパーに
オイルを垂らして磨きあげる
「オイル研ぎ」
という力仕事で、途中、
二枚も下着を着替えるほど
グッショリ汗をかいた。
こうした「手入れ」をするからこそ、
修復楽器には愛着も湧く
というものなのだろう。
鋼鉄弦も表面を
『ピカール』という
コンパウンドで一本ずつ磨き上げたら、
茶色くくすんでいたのが
銀色に復元した。
これも汗をかく
作業だった。
それから、鍵盤を全部外して
バランスピンやガイドピンの調整をした。
中に曲がっているものもあったので
ペンチで矯正したら
1本ポキリと折れてしまい、
ドッと冷や汗が出た。
断面を見ると、
鋳物製で…
これには驚いた。
ある程度、柔らかい鉄でないと
曲がりを矯正できないだろうに…
何を考えてるのやら…と、
リューティエとしても
製作コンセプトに疑問を持った。
仕方なく、
古楽器修復法で
ストックしてある「木の削り粉」を
速乾ボンドで練って
折れた箇所をギブスしたら、
すぐに固まって繋がってくれた。
鍵盤前板を外してみたら、
ジャックレール用の厚板も
5層の分厚い集成材合板で、
これじゃ重いはずだ…
と思わされた。
内部は50年を経てるのに
真新しいほどにキレイで
ゴミもホコリもない
"うぶ"な状態だった。
鍵盤表面に使用感はあったが、
あまり使用しておらず
きちんと蓋をされて
保管されていたようである。
56鍵中30鍵も音が出なかったので、
メンテできなかった前オーナーが
壊れたと勘違いして
早々と蓋をして物置きテーブルにでも
していたのかもしれない(笑)。
弾弦部分のタング(舌)も
スプリングも
プレクトラム(爪)も
経年劣化しておらず、
オーバーホールする必要も
ないくらいだったのは幸いだった。
*
この楽器名は
正式には
『ベントサイド・スピネット』と言い、
発明者はイタリアの
ジローラモ・ゼンティ (1609–1666)
とされているので、
17世紀に誕生したものである。
カストラート(ソプラノ男性歌手)の
ボンテンピ (1624-1705) の
著書《Historia Musica》(1695) には
「ゼンティの発明した
最新式のチェンバロは
不均等な三角形の形状をしている」
という記述がある。
18世紀半ばまで
イングランドでは
その小型さが重宝され
家庭用鍵盤楽器の主流であった。
棋戦の昼休(ちゅうきゅう)に合わせ、
修復作業も中断して、
有り合わせのもので
『ソテ・ド・プーレ
フォア・ド・ヴォライユ・ソース』
(地鶏のソテー
肝裏ごしソース)
をこしらえた。
思えば、
チェンバロ修復作業もそうだが、
これも、もうひとつの
自分にとっての"創作"活動だなぁ…と、
しみじみ思いながら
ヴァン・ルージュ(赤ワイン)とバケットで
「フレンチ・デジュネ」とした。
そういや、
勤務日のボンビー臭い「ベント」も
わざわざアップすることがあるから、
あれも、作品のつもりなんだなぁ…
きっと…(笑)。
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